CHAPTER 02:チャイルド・イン・トラブル

 銃声の残響も消えきらないうちに、通りのそこかしこで悲鳴が上がった。

 通行人たちや沿道の商人は、凶行の現場からすこしでも離れようと、先を争うように逃げ散っていく。


 彼らが必死になっているのは、身の危険を感じたためだけではない。

 バスラルの交易市場は、この地上にあって至尊種ハイ・リネージュに自治を許された唯一の場所である。

 人間同士のいざこざに治安騎士団が出動することはなく、罪を犯した者が逮捕されることもない。

 自由とは、つまるところ自己責任の美名でしかない。

 もし銃撃戦に巻き込まれて生命を落としたとしても、この街では撃った者ではなく、撃たれた者のほうが悪いのだ。

 うかうかと逃げ遅れるようなになってたまるか――――

 人々を走らせたのは、その一念であった。

 

 リーズマリアはそんな事情などつゆ知らず、アゼトとレーカを力いっぱい抑え込んでいる。

 人っ子ひとりいなくなった通りに突っ伏した三人の姿は、修羅場には似つかわしくない滑稽さを漂わせている。


「ひ、姫様……!! どうかお手をお離しください……苦し……!!」


 レーカが洩らした苦しげなうめき声に、リーズマリアははたと我に返ったみたいに両腕を離していた。


「ごめんなさい!! 私、遠くで引き金を引く音が聴こえたものですから……」

「それより、はやく俺たちも隠れないと――――」


 アゼトが言い終わらぬうちに、またしても銃声が一帯を領した。

 間髪をいれずにドアを蹴破るような音と、男たちの野太い怒声が響く。

 次の瞬間、弾かれるみたいに通りに飛び出してきたのは、ひとりの少年だった。

 年の頃は十二、三歳といったところ。

 あみだに被った薄汚れた作業帽ワークキャップと、すりきれた紺色のオーバーオールという出で立ちから察するに、なにかの職人らしい。

 

「このクソガキ、逃げられるとでも思ってんのかッ」


 胴間声が上がるや、節くれだった指が少年の細い肩を掴んだ。

 沿道に立ちならぶ天幕テントの陰からぬっと姿を現したのは、四人組の大男だ。

 全員が緩衝材入りの無骨なボディアーマーと防護ヘルメットを身につけている。ウォーローダー乗りローディなのだ。

 手にした短銃身ソードオフショットガンや拳銃をホルスターに収めながら、男たちは少年を取り囲む。

 

「くそ、放せよ!! 放せったら……!!」


 少年はじたばたと暴れるが、なにしろ相手は倍ちかくもある巨漢である。

 華奢な体躯でせいいっぱいあがいたところで、体格の差はいかんともしがたい。

 そうするうちに、四人のなかでもひときわ上背のある男が少年の顎を掴んでいた。

 どうやら男たちのリーダーらしい。禿げ上がった頭と、岩みたいな顔面をもつ大男である。


「観念するんだな。俺たちに大損こかせといて、責任も取らずにオサラバ出来るとでも思ったか?」

「知るかよ――――オレはオレの仕事をやりきった。に負けたのはあんたたちの腕がヘボだったからだろ!!」

「あいかわらず可愛げのねえガキだ。奴隷商人に引き渡されても減らず口が叩けるかな」


 リーダー格の男は野卑な笑い声を洩らすと、人差し指で作業帽ワークキャップを弾き飛ばす。

 青みがかった黒髪がふわりと夜風に流れた。

 煤やオイルで汚れてはいるが、少年の面立ちは意外なほどに整っている。

 細くしなやかな体つきは、遠目には少女と見紛うほどだ。


「ふん、かわいいツラしてるじゃねえか。世の中にゃ女より男のほうが具合がいいって連中も大勢いるんだ。案外いい値で売れるかもなあ」

「くそったれ……冗談じゃ、ねえ……」


 リーダーの軽口に合わせてどっと吹き出した男たちにむかって、少年は消え入りそうな声で悪態をつく。


「だれか……たすけ……」


 その声が届かないことは、ほかならぬ少年自身がだれよりもよく分かっている。

 人身売買の現場を前にしても、通行人や商人は身を隠したままだ。

 ここバスラルでは、厄介事トラブルに自分から首を突っ込むような愚か者はいない。

 そうだ――――この街の常識を知らない余所者でもないかぎりは。


「……そこまでにしておいたらどうだ」


 ふいに声をかけられて、四人組の男たちは一斉に振り返った。

 アゼトは物怖じするそぶりもなく、男たちにむかって歩み寄っていく。


「なんだ、てめえは?」

「相手はまだ子供だろう。いい大人が寄ってたかって、恥ずかしいと思わないのか」

「このあたりじゃ見ねえツラだが、俺たちにお説教垂れようってのかい」


 男たちは互いに顔を見合わせると、堰を切ったみたいに笑い出す。


「ニイちゃん、ひとついいコトを教えといてやる。バスラルの市場じゃ殺しも盗みもやったもん勝ちよ。自分の身を守れなかったほうが悪いのさ。くだらねえ正義感で厄介事に首突っ込むと、を喰らって脳ミソぶちまける羽目になるぜ」


 吐き捨てるように言って、リーダー格の男はヒップホルスターに手を伸ばす。


 重い金属音とともにアゼトに突きつけられたのは、熊のような男の掌がちいさく見えるほど巨大な銃だ。

 人間のあいだでひろく流通している自動拳銃オートマチックではない。

 にぶく輝く酸化皮膜層ブルーイングをまとったそれは、古めかしい回転拳銃リボルバーだ。

 子供の腕ほどもある太い弾倉に詰め込まれているのは、あらゆる銃弾のなかでも最強の破壊力をもつ.六○口径の強装徹甲弾ホット・ロード

 そのすさまじい威力は、人間の肉体をたちまち血煙へと変え、人狼兵ライカントループにも致命傷を与える。


 アゼトは唇を結んだまま微動だにせず、じっと黒い銃口を見つめている。


「ニイちゃん、さっきまでの威勢はどうした。それとも、俺の得物を見てブルっちまったか?」

「ここでは自分の身を守れなかったほうが悪いと言ったな」

「あン? それがどうし――――」


 言い終わらぬうちに、リーダーはうしろ向きに倒れ込んでいた。

 アゼトは左手でリボルバーの銃身を払いのけると、間髪をいれずに身体を駒みたいに半回転させ、リーダーの顎に裏拳を叩き込んだのである。

 すべてはほんの一瞬の出来事であった。

 常人をはるかに超えた反応速度は、アゼトの脳内に埋め込まれたチップが神経細胞ニューロンを強制的に発火させた結果だ。


 吸血鬼と戦うために生み出された異能の兵士――――吸血猟兵カサドレス

 その末裔であるアゼトにとって、リーダーの動作はスローモーションも同然だった。


 むろん、いくら反応速度を加速させたところで、アゼトの拳には自分の倍ちかい体格の大男を一撃で倒すほどの威力はない。

 顎を狙ったのは、最小の力で相手の頭蓋骨を揺さぶるためだ。

 はたして、強烈な脳震盪に見舞われたリーダーは平衡感覚を失い、ひとりでに崩折れたのだった。


「こ、この野郎ッ!! 生かしちゃおかねえ!!」


 リーダーの代わりに怒声を張り上げたのは、残る三人の男たちだ。

 ニヤつきながら傍観していた彼らも、アゼトがただ者ではないと理解したらしい。

 拳銃とショットガンを構えると、躊躇なく引き金に指をかける。


 刹那、銃声の代わりに鳴りひびいたのは、なにか硬いものが砕ける音だった。

 

「んなぁっ……!?」


 男たちが情けない声を洩らしたのも無理はない。

 銃を握っていた彼らの腕は、手首と肘のちょうど中間あたりでに曲がっている。

 レーカはうめき声を上げる男たちから銃を取り上げ、すばやく弾倉マガジンを抜き取っていく。どんなに強力な銃火器も、弾丸を抜かれれば金属と樹脂の塊にすぎない。


「これしきで情けない声を上げるとは、鍛錬が足りないようだな」


 男たちがアゼトに銃口をむけたのと、レーカが動いたのは同時だった。

 目にも留まらぬ疾さで間合いを詰めた人狼兵ライカントループの少女は、彼らの利き腕に強烈な手刀を叩き込んだのだ。

 人狼兵の筋力は人間の比ではない。

 骨を砕かれた男たちは、むこう半年はウォーローダーの操縦はおろか、まともにスプーンを握ることも出来ないはずだった。


 アゼトはレーカに駆け寄ると、はにかんだように微笑む。

 

「ありがとう、レーカ」

「気にするな。この程度は準備運動にもならん。それに……」


 言いさして、レーカはリーズマリアのほうにちらと視線を向ける。

 サングラスをかけた吸血鬼の姫は、二人を労うみたいにこくりと首肯する。

 少年が助けを求めたとき、逡巡するアゼトとレーカの背を押したのは、ほかならぬリーズマリアであった。


「ちくしょう……!! てめえら、俺たちにこんな真似して、タダで済むと思うなよッ!!」


 人事不省に陥ったままのリーダーを支えながら、男たちはほうほうの体で逃げていく。

 アゼトとレーカは、なかば呆れたように遠ざかる背中を見送ったあと、おなじ方向に顔を向けた。

 二人の視線の先にいるのは、男たちに絡まれていたあの少年だ。

 白昼夢でも見たように呆然と佇む少年に、アゼトはやさしく声をかける。


「大丈夫か?」

「う、うん……ありがと……助けてくれて……」

「あの連中となにがあったか知らないが、早くここから離れたほうがいい。奴らが仲間を呼ばないともかぎらないからな」


 それだけ言って、アゼトとレーカは少年に背を向ける。

 一刻もはやくこの場から離れなければならないのは、少年だけではないのだ。


「あのっ――――」


 少年は深く息を吸い込むと、ありったけの大声でアゼトたちに呼びかける。


「兄ちゃんたちはオレの生命の恩人だ。なにかお礼をさせてくれないか」

「べつに気にしなくていい。俺たちが好きでやったことだ」

「兄ちゃんはよくても、それじゃこっちの気が済まねえんだよ。なにか手伝えることがあったら遠慮なく言ってくれ」


 わずかな沈黙のあと、アゼトはためらいがちに少年に問いかける。


「……このあたりで車を買える場所を知らないか?」

「クルマ?」

「ウォーローダーが何機か積めるトランスポーターだ。なるべく新しくて頑丈なものを探している。それと、腕のいい整備士に心当たりがあったら教えてほしい」


 アゼトの言葉に耳を傾けるうちに、少年の表情がぱっと明るくなった。


「そういうことなら、オレに任せときな。こう見えて、このへんの中古業者ディーラー仲買人ブローカーにはけっこう顔が利くんだ」


 驚いたように見つめるアゼトとレーカにむかって、少年は得意げに胸を張ってみせる。


「っと、自己紹介がまだだったな。――――オレはカナン。ウォーローダー専門の整備士メカニックだ」

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