CHAPTER 07:アンダーグラウンド・トラベラーズ
野太いエンジン音が
ヘッドライトの光芒が闇を散らし、どこまでも続く灰色の壁と天井を照らし出す。
道路と呼ぶにはあまりにも異様な空間であった。
「ここまで来ればもうよかろう……」
ドミトリイ・ヴァレンスキ大佐は、自分に言い聞かせるみたいにひとりごちる。
六人乗りの大型トランスポーターだが、いま
ふだんは部下に運転を任せきりの彼も、今日ばかりは手ずからハンドルを握らざるをえなかったのである。
あのあと――――
ただひとり旅団の野営地に戻ったヴァレンスキは、脇目もふらずにトランスポーターを発進させた。
旅団の全戦力にくわえて虎の子の無人兵器ゴライアスまで投入したとはいえ、ブラッドローダー相手にそう長く時間を稼げるとはおもえない。
生きて
ヴァレンスキはこんなときのために前々から目星をつけていた逃走経路――――最終戦争以前に作られた高速鉄道用トンネルに、迷うことなく飛び込んでいったのだった。
トンネルがどこまで続いているかは、ヴァレンスキにもわからない。
もはや鉄道の存在そのものが人々の記憶から忘れ去られて久しいのだ。
旧時代の路線図はとうに失われ、蜘蛛の巣みたいに入り組んだ路線は、地下迷宮にほかならない。
もっとも、出口がどこであろうと、地上を逃げるよりはるかに安全であることに変わりはない。
おそるべき精度の索敵センサーをもつブラッドローダーといえども、地下を移動する物体を捕捉するのは容易ではないはずだった。
もし行き止まりに突き当たったとしても焦る必要はない。しばらくほとぼりが冷めるまで待ってから、もと来た道をゆっくり引き返せばいいだけのことだ。
「こいつの中身を見れば、司令部のお歴々も俺を認めないわけにはいかないはずだ――――」
だれともなく言って、ヴァレンスキは野戦服のポケットをまさぐる。
ごつい指先が薄く硬いものに触れた。
金属製のアウターシェルに覆われたカード型のそれは、ウォーローダーの
戦闘中、ウォーローダーの各種センサーは大量の音声・映像データを収集している。そのなかには戦術的・戦略的な価値をもつものも少なくない。
情報記録ユニットは、そうしたデータを一時的に保存するための機材である。
よんどころない事情によって機体を放棄せざるをえない場合でも、カードを持ち帰ることさえ出来れば、貴重な戦闘
ヴァレンスキの手元にあるカードには、ノスフェライドとの交戦記録が収められている。
最終戦争から現在にいたるまで、ブラッドローダーと戦って生き延びた人間はいない。
新兵だろうと熟練のローディだろうと、結果はおなじだ。
ブラッドローダーと遭遇することは、とりもなおさず死を意味するのである。
どうあがいたところで吸血鬼には勝てないという事実は、八百年の永きにわたって人類を打ちのめし、抵抗の志を挫いてきた。
それも過去の話だ。
ヴァレンスキはブラッドローダーと戦って生還した最初の人間ということになる。
彼の話が嘘偽りでないことは、カードに記録された映像と音声が証明してくれるだろう。
手のひらに収まるほどの記憶装置には、まさしく千金の値打ちがあるのだ。
むろん失ったものも少なくはないが、これからヴァレンスキが手にする栄光に比べれば、なにほどの価値もない……。
トランスポーターがぐらりと揺れたのはそのときだった。
最初はタイヤが路面の凹凸を拾ったのかと思ったヴァレンスキだが、そうでないことはすぐに知れた。
トンネルそのものが小刻みに震動しているのだ。
「じ、地震か……!?」
ヴァレンスキがうわずった声を上げた直後、トランスポーターの後方で破壊音が響いた。
どうやら天井が破れたらしい。ざあざあと音を立てながら、大量の土砂がトンネル内に流れ込んでくる。
後ろでなにが起ころうと関係はないが、万が一ということもある。
ちらとバックミラーに目を向けたヴァレンスキは、それきり二の句を継げなくなった。
石みたいに硬直しきった喉と唇では、悲鳴を上げることさえままならない。
(バカな――――なぜ奴がここに!?)
みまごうはずもない。
地底にわだかまる闇よりなお黒々と冴えわたる装甲。
兜の奥でまたたく血色の双眸。
ふわりとトンネル内に降り立ったのは、美しくも恐ろしい漆黒の巨人騎士だった。
ヴァレンスキのふてぶてしい髭面はみるまに血の気を失い、あわれなほどに青ざめている。
とにかく逃げなければ。
震える脚を殴りつけ、ヴァレンスキは力のかぎりアクセルペダルを踏み込む。
無駄な努力であることは百も承知だ。
ブラッドローダーから逃げられる者など、この世に存在しないのだから……。
「ひいっ――――」
トランスポーターが急停止した。
むろん、ヴァレンスキが自分の意志でそうしたわけではない。
ノスフェライドが荷台を掴み、猫の子でもつまむみたいに軽々と車体を持ち上げたのである。
力強いトラクションを特徴とする全輪駆動車といえども、すべてのタイヤが宙に浮かんでいては、もはやどうすることもできない。
ヴァレンスキがアクセルを踏むたびにエンジンの回転数がはね上がり、むなしい騒音を撒き散らす。
「降りろ」
「ふざけるなっ!! 貴様の命令に従うとでも思ったか!?」
「どうしても嫌だと言うなら、こちらにも考えがある――――」
アゼトの声には有無を言わせない迫力が宿っている。
もし拒絶したなら、ノスフェライドの腕はトランスポーターを跡形もなくひねりつぶすだろう。
ヴァレンスキは覚悟を決めてドアを開くと、ままよと車外に身を投げる。
恥も外聞もなくトンネルの床に這いつくばったヴァレンスキは、半ばやけっぱちになって叫ぶ。
「言われたとおりにしたぞ……これで生命は助けて……」
「なにか勘違いしているようだな」
「そ、そんな……!?」
「心配しなくても殺すつもりはない。ただし……」
アゼトの言葉に呼応するように、ノスフェライドの両眼にするどい赤光が灯った。
「死ぬよりつらい目に遭うことにはなるかもしれないな」
***
蒼い
高さ十メートルちかい柱の正体は、廃ビルから抜き取られた鉄骨だ。
その先端ちかくでは、猿轡を噛まされた髭面の中年男がじたばたともがいている。
ヴァレンスキ大佐であった。
軍靴に包まれた足首のすこし下には、航空艇の外装パネルが無造作に打ち付けられている。
よくよく目を凝らせば、パネルがところどころ切り抜かれていることに気づくのはたやすい。
やがて朝日が差し込めば、その部分には光の文字が浮かび上がるだろう。
――『罪状:敵前逃亡および職務放棄』
――『処分はご自由に』
大太刀の尖端で彫られたその文字を、縛りつけられた当人は見ることが出来ない。
幸か不幸か、夜明けが訪れるのはもうしばらく先だ。
ヴァレンスキにとって永遠のように長く、まばたきするほどに短い時間が始まろうとしていた。
***
一時間ほど後――――
トンネル内に停車していたトランスポーターはふたたび動き出した。
荷台にはノスフェライドとヴェルフィンが身を寄せ合うように載っている。
ウォーローダーなら二機を積んでまだ余裕があるデッキも、大柄なブラッドローダーにはいささか窮屈なのだ。
「レーカ、見つかりそうか?」
アゼトは前方を見据えながら、助手席に座った人狼兵の少女に問いかける。
レーカは唇を一文字に結んだまま、手にした小型端末を操っている。
金髪のあいだから飛び出た耳がときおりヒョコヒョコと動くのは、焦りが無意識のうちに表れているのだ。
「そう急かすな。いまこのあたりの地図データを探しているところだ」
レーカがアクセスしているのは、吸血鬼――
戦前から現在に至るまでのさまざまな資料を網羅した超巨大データベースである。
ゆうに三百億点を超える膨大な
一帯の詳細な地図を見つけることが出来れば、このトンネルがどこに続いているかもおのずと判明するはずであった。
「……あった!! これで間違いないはずだ!!」
ついに目当てのデータを探し当てたレーカは、興奮気味に叫んでいた。
それも一瞬のことだ。
喜びにはずんでいた少女の面上に兆したのは、隠しようのない落胆と不安の相だった。
ぴんと尖っていた耳もこころなしか萎れている。
「レーカ、なにか問題でもあったのですか?」
後席に座っていたリーズマリアは、運転席と助手席のあいだに身を乗り出しながら問うた。
「いえ……問題というほどでは……」
「はっきりおっしゃいなさい。私もアゼトさんも、あなたを責めたりはしません」
「姫様の仰せとあれば――――」
レーカはためらいがちに言うと、電子端末をアゼトとリーズマリアに向ける。
画面に表示されているのは、戦前に作成された高速鉄道の路線図だ。
地下トンネルを示す破線は都市の外にむかって伸び、やがてなにもない場所でぷっつりと途切れていた。
あまりにも不自然な終点の傍らには、枠に囲われた但し書きが添えられている。
「”戦争の激化により工事中断”……”全線開通の時期は未定”……」
その後の顛末はあえて語るまでもない。
トンネルの伸延工事は二度と再開されることなく、高速鉄道は幻に終わった。
いまトランスポーターが走っているのは、建設途中で放棄された未成線であった。
「そうだとしても、行けるところまで行くしかありません」
リーズマリアの言葉には寸毫の迷いもない。
航空艇を破壊されてしまった以上、どのみち陸路を行くほかないのである。
太陽の出ているあいだは身動きの取れないリーズマリアも、地下道であれば昼夜の別なく移動することができる。
「こいつはそう長くは持たないだろうな。動かなくなるまえに、どこかで代わりの車を見つけないと……」
アゼトは苦々しげに呟く。
トランスポーターはもともと相当の年代物であるうえに、人類解放機構軍ではだいぶ酷使されていたらしい。
エンジンは苦しげに息をつき、足回りにもガタがきているというありさまだ。
さいわい
はるか西に位置する帝都ジーベンブルクへの旅を続けるためには、どこかであたらしい移動手段を手に入れる必要がある。
「イザール公の領地には
「大丈夫なのか? もし君を狙っている連中に見つかったら……」
「もちろん危険がないとは言い切れませんが、恐れてばかりでは先に進むことは出来ません。それに、私には頼もしい味方がついていますから――――」
言って、リーズマリアはアゼトとレーカを交互に見やる。
レーカは面映ゆさに顔を赤らめ、アゼトは照れくささを隠すみたいに鼻頭をこする。
三人を乗せたトランスポーターは闇の奥へと遠ざかり、地下道をふたたび静寂が閉ざしていった。
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