LAST CHAPTER:デイブレイク

 乾いた風が夜明け前の荒野を吹き抜けていった。

 いま、打ち捨てられた鉱山の麓に佇むのは、一隻の蒼い航空艇エア・シップだ。


 するどく突き出た船首と優美な曲線で形作られた船体、そして斜め後方にすらりと伸びた四本の反重力セイルがひときわ目を引く。

 航空艇といっても、船首から船尾までさしわたし三十メートルにも満たない小型の艦艇である。

 アルギエバ大公とその愛機ブラウエス・ブルートを戦場へ輸送するためだけに開発されたそれは、言うなれば艦船の形をした鎧櫃アーマー・チェストだ。

 整備用のメンテナンスベッドと各種のウェポンホルダーを備えた格納庫ハンガーのほかには、アルギエバ大公とわずかな従者のための居住区画だけという割り切った仕様となっている。

 本来の持ち主ローディと運ぶべき甲冑ブラッドローダーを永遠に失った美しい艦は、そのままリーズマリアの手に渡ったのだった。


 一行が崩れゆく塔市タワーの最上層からすんでのところで脱出出来たのは、リーズマリアが次期皇帝の権限によって航空艇の所有者オーナー登録を書き換えたためだ。

 塔市の上空を守る戦闘ドローン群も、まさか次期皇帝の御座艦に攻撃を仕掛けられるはずもない。

 支配者であるアルギエバ大公と、騎士団長シェルナバシュをともに失って大混乱に陥った軍隊には、リーズマリアたちを追撃する余裕などありはしなかった。


 自動操縦オートパイロットによって危なげなく塔市を離れた航空艇は、ほんの一日前に仮宿としたあの廃鉱山に降りたのだった。


***


 艦から飛び出したアゼトは、まっすぐに坑道内へと駆け込んでいった。

 焼け焦げた大型トランスポーターはすぐに見つかった。

 荷台キャビンに残されていたカヴァレッタの残骸から取り出したのは、二本の細長い鉄杭だ。

 吸血鬼の心臓に打ち込み、確実にとどめを刺すための武器である。

 一本あたり十キロ以上はある鉄杭を担ぎ上げたアゼトは、廃鉱にほど近い丘へと運んでいく。

 いかに吸血猟兵カサドレスといえども、人間の膂力ではかなりの重労働であることにはちがいない。


 見かねたレーカが手伝いを申し出ても、

 

――ありがとう。でも、これは俺がやらなければいけないんだ。


 それだけ言って、アゼトは苦しげな素振りさえ見せなかった。


 アゼトは鉄杭の先端で地面を掘ったあと、やはりトランスポーターから持ち出した鋼線ワイヤーで二本の鉄杭を固定していく。

 まもなく完成したのは、にぶい輝きを帯びた十字架だった。

 アゼトが十字架を作り終えたときには、東の空はほのぼのとしらみがかっている。

 

「シクロさん……」


 亡き人の名前を絞り出すように呟いて、アゼトはがっくりと跪く。

 両手の指を組み合わせたのは、最終戦争より前の時代、人々のあいだに広く膾炙していた祈りの型だ。

 アゼトはまぶたを閉じると、あるかなきかの声で死者を弔う聖句を唱えはじめる。


「”主よ。御下に召された人々に、永遠の安らぎを与え”――」

「――”あなたの光の中で憩わせてください”」


 ふいに重なった玲瓏な声に、アゼトははたと背後を振り返った。


「リーズマリア、なぜ君がそれを――」

「聖句ならよく知っています。私が育ったのは地下教会アンダーグラウンド・チャーチ、父はその司祭でした。先帝とルクヴァース侯爵夫人のが生き延びるためには、吸血鬼社会から最も遠い場所に託すのが最善だと判断されたのでしょう……」


 銀灰色シルバーアッシュの髪の少女は、アゼトの隣に跪くと、なおもよどみなく言葉を継いでいく。


「”主よ。我らみまかりし者の霊魂のために祈り奉る。願わくは、そのすべての罪を赦し、終わりなき命の港にいたらしめたまえ。――アーメン”」


 二人は声を揃え、おごそかに祈りの言葉を唱和する。

 やがてアゼトははたと我に返ったようにリーズマリアのほうを向くと、低い声で問うた。


「君は十字架を見ても平気なのか?」

「はい――と言ったら、嘘になってしまいますね」


 落ち着いた声で答えつつ、リーズマリアはさりげなく目頭に手をやる。

 十字架を目にした吸血鬼は、生きたまま脳髄を灼かれるような苦痛に襲われる。

 苦しげな表情ひとつ浮かべることなく、けっしてまぶたを閉じようとしなかったのは、並外れた忍耐力のなせる業であった。


「でも、どんなにつらくても、目をそらすわけにはいきません」

「強いんだな、君は……」

「あなたのおかげですよ。アゼトさん」


 そう言って微笑んだ少女のかんばせは、薄闇のなかにあっていっそう輝いてみえた。

 かけがえのない人を失い、いくつもの死線をくぐりぬけ、ようやく掴み取った勝利……。

 それを目の前の少女と分かち合えることは、アゼトにとって唯一の救いだった。


「姫様! もうじき夜が明けてしまいます、はやくこちらへ!!」


 大声に反応して振り返れば、航空艇の船舷ふなばたでレーカが手を振っているのがみえる。

 さすがに改造手術を施された人狼兵ライカントループだけあって、先の戦いで受けた傷も塞がりかかっているらしい。


 気づけば周囲を閉ざしていた闇はいくらか薄れ、東の空は燃えるように赤く色づきはじめている。

 このまま太陽の光をまともに浴びれば、むろんリーズマリアは無事では済まない。

 アゼトは手を伸ばし、そっとリーズマリアの手を握る。

 

「……行こうか、リーズマリア」


 丘を下りながら、アゼトはリーズマリアに語りかける。


「俺はかならず君を帝都ジーベンブルクへ連れて行く。このさきなにがあっても、俺とノスフェライドが君を守る。信じてくれるか?」

「もちろんです。私だけでは無理でも、あなたがいてくれれば、きっと――」


 リーズマリアは言葉を切り、ただアゼトの指を握り返しただけだ。

 少年と少女には、それだけで充分だった。


 太陽が地平線から顔を出したのは、それからまもなくのこと。

 するどく伸びた四本の反重力セイルがまばゆい日差しを浴びてきらめく。


 ゆるやかに大地を離れた蒼い航空艇エア・シップは、はるか西の果てを目指して飛び立っていった。 


【Fin】

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