CHAPTER 07:ブラッドローダー・ノスフェライド

 夢を見ていた。

 現在いまではなく、戦場ここではないどこか。

 くずれかかった廃墟のなかで、少女と幼子が身を寄せ合っている。

 身体も髪もひどく汚れきっている。ただでさえ粗末な衣服は泥と血にまみれて、ほとんどボロ布も同然のありさまだった。


――待っててね。あたし、きっとウォーローダーを手に入れるから……。

――そうしたら、あんたにもお腹いっぱい食べさせてあげられる……。


 傷だらけの顔に気丈な笑みを浮かべて、少女はいとおしげに幼子を抱きしめる。


――あんたのためなら、あたしはどんなことにだって耐えられる。あたしの宝物、アゼト……。


 どこかで自分の名前を呼ぶ声が聞こえた。

 聞き覚えのある女の声。

 あの人ではないその声は、たしかに自分を呼んでいる。


「アゼトさん――」


 リーズマリアの声に呼び起こされて、アゼトはゆるゆるとノスフェライドの頭部を起こす。


 コクピット内はむせかえるような血臭に充ちている。

 出血はいくらか収まったものの、腹部の貫通創は鼓動に合わせていまも血を吐き出しつづけているのだ。

 アゼトがふたたび目覚めたのは、まさしく奇跡と言うべきだった。

 もっとも、意識を取り戻したところで状況が好転するわけではない。出血を止められないかぎり、アゼトはあと数分のうちに死に至る。

 そうでなくとも、ブラウエス・ブルートのエネルギーチャージが完了すれば、リーズマリアともども跡形もなく消滅する運命なのだ。


「リーズマリア……」


 アゼトはノスフェライドの右腕をめいっぱい伸ばし、リーズマリアが囚われている透明なカプセルを掴む。

 鋼鉄の五指にほんのわずか力を入れるだけで、強化ガラス製の檻はたやすく砕け散った。

 銀灰色シルバーアッシュの髪を振り乱した吸血鬼の姫は、ガラスの破片を踏み越え、力なく横たわる漆黒の巨人に駆け寄る。


「アゼトさん!! しっかりしてください!!」

「ごめん……俺、助けられなかった……シクロさんも……君のことも……」

「あなたが謝る必要なんてありません。謝らなければいけないのは、私のほうです――」


 ノスフェライドにしなだれかかったリーズマリアは、いまにも泣き出しそうな声で叫ぶ。

 直後、コクピットが音もなく開き、血しぶきがリーズマリアの白い顔に散った。


「アゼトさん――」

「見てのとおりだ……俺はもう助からない。君だけでも逃げてくれ」

 

 リーズマリアは身を乗り出すと、アゼトの言葉を遮るように口づけをする。


「――!!」


 やわらかな唇を通して熱いものがアゼトの喉に流れ込んでいく。

 リーズマリアは、頬の内側をみずからの犬歯で噛み破り、口腔内にあふれた鮮血を口移しにアゼトに飲ませたのだ。

 それと並行して、白く細い指がノスフェライドのコンソールを叩いていく。

 

「リーズマリア、なにを――」


 アゼトの問いには答えず、リーズマリアはノスフェライドにむかって玲瓏な声で呼びかける。


「十三選帝侯クーアフュルスト、ルクヴァース家当主の名において命じる。我リーズマリア・シメイズ・ルクヴァースは、ブラッドローダーに関する一切の権利を放棄する。――新たな主人に従い、彼を守りなさい、ノスフェライド」


 リーズマリアの言葉に応えるように、物言わぬ黒鉄くろがねの巨人騎士の両眼に赤光が灯った。


「たったいま、機体の所有権をアゼトさんに書き換えました。……ごめんなさい、もっと早くこうすべきでした」

「それは、つまり……」

「あなたはもう決闘代理人サクリファイスではありません。私に代わってノスフェライドのになったのです」


 コクピットが閉じると同時に、アゼトの全身を熱いものが駆け抜けていった。

 アゼトが正式な乗り手ローディとして登録されたことで、封印されていたノスフェライドの生体保護システムが作動したのだ。

 リーズマリアの血を媒介としてアゼトの全身に行き渡ったナノマシンは、またたくまに傷口をふさぎ、破壊された内臓や皮膚を元通りに修復していく。

 はたと我に返ったときには、ほんのすこし前まで全身を責め苛んでいた激痛は嘘みたいに消え失せている。


「リーズマリア、伏せて!!」


 アゼトが叫んだのと、上空からまばゆい光芒が迸ったのは同時だった。

 ブラウエス・ブルートの重騎槍バスター・ランスがついにチャージを完了したのだ。

 投射された莫大な熱エネルギーは闘技場コロッセオの観客席を消し去り、地面をまたたくまに煮えたぎるマグマの海に変えていく。

 天空の楽園の一角に現出したのは、いかなる生物も生存不可能な焦熱地獄にほかならなかった。


***

 

「妙な真似をしていたようだが、しょせん悪あがきよ。この期に及んでなにをしようと無駄なこと――」


 勝利に酔いしれたアルギエバ大公は、傲慢な笑みを顔に貼り付けたままかっと目を剥いた。


「バカな――!?」


 ブラウエス・ブルートのセンサーが捉えたのは、およそありうべからざる光景だった。


 灼熱のマグマのなかで漆黒の巨人がゆるゆると起き上がる。

 数千度の高熱の只中にあって、光沢を帯びた美しい装甲には焦げ跡ひとつ見当たらない。

 薄緑色のエネルギー・フィールドがノスフェライドを包み込み、大出力レーザーによる凄絶な破壊から機体を守り抜いたのである。

 鋼鉄のかいなにしっかといだかれたリーズマリアも無事だ。


「あれがノスフェライドの真の姿だというのか……!?」


 アルギエバ大公は愕然とノスフェライドを凝視したまま、うわごとみたいに呟く。

 ブラッドローダーの性能を大幅に強化する攻防一体のアーマメント・ドレスがあるかぎり、ブラウエス・ブルートの優位は揺るがない――そのはずだった。

 それがまったくの見当違いだったことを、アルギエバ大公は否が応でも認めざるをえない。


 ノスフェライドは、アーマメント・ドレスを

 外付けのオプションを必要としない完全内蔵フル・コンシールド式の強化ブーストシステム。

 それは、聖戦十三騎エクストラ・サーティーンのなかでも、最も遅くに開発されたノスフェライドだけに与えられた特殊能力だった。


 安全な場所にリーズマリアを降ろしたノスフェライドは、ブラウエス・ブルートとおなじ高度へと上昇する。

 蒼と漆黒のブラッドローダーは、空中で真っ向から向かい合う格好になった。


「おのれ、死にぞこないめが!! リーズマリアともども、今度こそ塵ひとつ残さずに消し去ってくれる!!」

「その言葉、そっくり貴様に返すぞ――アルギエバ大公」


 まばゆい銀光を散らして大太刀が走った。

 重くはやい横薙ぎの一閃は、しかし、ブラウエス・ブルートには届かない。

 間合いがあまりにも遠すぎるのだ。


(しょせん小童よ、肝心のところで詰めが甘い――)


 アルギエバ大公はほくそ笑みつつ、後の先を取るべく重騎槍を構える。

 ブラウエス・ブルートの機体を強烈な衝撃が揺さぶったのは次の瞬間だった。

 

「なんだ、これは……?」


 まるで他人ごとみたいに言って、アルギエバ大公はおびただしい血を吐いた。

 ブラウエス・ブルートの腹部は横一文字に切り裂かれ、コクピット内のアルギエバ大公も腰のあたりから両断されかかっている。

 破壊をもたらしたのは、のノスフェライドの大太刀だ。

 すさまじいエネルギーをまとった斬撃は、刀身を離れて飛翔し、ブラウエス・ブルートを切り裂いたのだった。

 

 もっとも――。

 人間ならいざしらず、この程度の傷で吸血鬼が死ぬことはない。

 アルギエバ大公はみずからの血にまみれながら、なおもブラウエス・ブルートを駆動させる。


「認めぬぞ……!! このバルタザール・アルギエバが、おまえごとき劣等種にんげんに敗れるなど、絶対にあってはならぬのだ!!」


 アルギエバ大公の雄叫びに呼応するように、重騎槍から立て続けにレーザー光が迸る。

 一発の威力は最大出力には遠く及ばないが、まともに命中すればブラッドローダーといえども無事では済まない。

 飛来するレーザーがノスフェライドの装甲を灼いても、アゼトは不動の構えを保っている。


「”悪しきものの悪を断ち”……“正しきものを堅く立たせたまえ”……」


 アゼトがいにしえの聖句を口にするたび、ノスフェライドを包むエネルギー場に烈しいうねりが生じていく。

 光の奔流は頭上に高く掲げられた大太刀へと集束し、刃はまばゆいほどの輝きを放っている。

 

「――“我らの罪を許し、憐みたまえ“」


 転瞬、縦一文字の斬線がブラウエス・ブルートの正中線を割った。

 先に与えた横一文字の傷とあわせて、蒼い巨体に刻まれたのは、まさしく光の十字架だ。

 太陽とならぶ吸血鬼の弱点――十字架に対する万全の対策が施されたブラッドローダーといえども、機体ごと引き裂かれては為す術もない。

 見るも忌まわしい図像をみずからの肉体に直接烙印されたアルギエバ大公は、たまらず叫び声を上げる。

 恥も外聞も振り捨てたそれは、老いた吸血貴族の断末魔にほかならなかった。

 

「ただでは死なん……!! おまえも道連れにしてくれるぞ、小童……!!」


 十文字の裂け目から火花を散らし、おびただしいオイルと血を空中に振り撒きながら、ブラウエス・ブルートはノスフェライドめがけて最後の突撃を試みる。

 次の瞬間、二機のあいだにまばゆい閃光が走った。


「母様――」


 青白い火球がぱっと膨れ上がり、蒼い巨人騎士を飲み込んでいく。

 ふたたび静寂と闇とが周囲を閉ざしたときには、ブラウエス・ブルートの姿はどこにも見当たらない。

 すさまじいエネルギーの奔流に飲み込まれ、跡形もなく消滅したのだ。


「勝ったのか……本当に……」


 ひとりごちて、アゼトは疲労感に息をつく。

 最高位の吸血鬼――十三選帝侯クーアフュルストの一員を討伐する。

 吸血猟兵カサドレスにとっては最高の栄誉だ。

 強敵に勝利を収めたアゼトの心を占めたのは、しかし、喜びとはほどとおい苦い感情だった。


「シクロさん……俺、ちゃんと仇を取ったよ。見ててくれたよね、姉さん……?」


 アゼトの両目からは澎湃と涙があふれ、頬を濡らしていく。

 どれほど切実に語りかけたところで、二度と言葉が返ってくることはない。

 亡きひとの顔を、聞き慣れた声を思い浮かべるたび、悲しみの棘が少年の心をえぐっていく。

 その痛みは、このさきもけっして消えることはないはずだった。

 

「リーズマリアは……」


 アゼトはノスフェライドを降下させる。

 庭園に佇む美しい銀灰色シルバーアッシュの髪の少女を見つけるのは容易だった。

 着地と同時にコクピットを開け放ったアゼトは、リーズマリアのもとへ駆け寄る。


「アゼトさん――」 

「アルギエバ大公は倒した。もうなにも心配はいらない」


 アゼトの言葉に、リーズマリアは視線をうつむかせる。

 すくなからぬ困惑を覚えながら、アゼトは少女の白い手を掴む。


「はやくここを離れよう。敵の新手がやってくるかもしれない」


 アルギエバ大公を倒したとはいえ、ここは敵地の真っ只中なのだ。

 事態は寸秒を争うにもかかわらず、リーズマリアはその場に立ち尽くしたまま一歩も動こうとはしない。

 怪訝そうに見つめるアゼトにむかって、吸血鬼の姫はためらいがちに口を開く。


「私が育ての親と兄弟を殺したという話は聞きましたね。あれはまぎれもない真実です」

「それは……」

「私は吸血鬼。人間の血を吸わなければ生きることが出来ない生き物です。どんなに本能に抗ってみたところで、自分の意志ではどうすることも出来ない……」


 一語一語、血を吐くように言葉を紡ぎながら、リーズマリアは悲しげな瞳をアゼトに向ける。


「そして、吸血猟兵カサドレスの使命は吸血鬼を狩ること。アゼトさん、どうかあなたの手で私を殺してください――」

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