吸血葬甲ノスフェライド

ささはらゆき

第一部

第一話:プロローグ/砂塵の戦機

CHAPTER 01:デザート・ランナー

 残酷な太陽が地上のすべてを色褪せさせていた。

 見渡すかぎりの荒野である。

 中天から降り注ぐ仮借ない日差しは、影という影を消し去った。

 そびえたつ巨岩も、大地に走った血管を思わせる涸れ沢ワジも、まるで作り物みたいに現実感を欠いている。

 大気は熱くよどみ、吹き渡る風さえ息の根を止められたようであった。


 日中のごくわずかな時間だけ出現する完璧な晴天。

 この場にふさわしい荘厳な静寂だけは、しかし、ついに訪れなかった。


 無接点電動機ブラシレス・モーターの甲高い駆動音が響きわたった。

 よくよく目を凝らすまでもなく、砂煙を巻き上げながら荒野を疾駆する物体を見つけるのはたやすい。

 遠目には人間のようにも見えるが、それが錯覚であることに気づくのはたやすい。

 角張った箱から短く太い手足が生えた特異な輪郭プロポーションは、人間のそれとはまるで様相を異にしている。


 全高およそ三・五メートル。全幅もほぼそれに等しい。

 ところどころ地金が露出した暗白色オフホワイトの機体に、あざやかなレッド味方識別帯ストライプが映える。

 くびれのない胴体には、ひと目で後付けと分かる増加装甲がごてごてと貼り付けられている。時おり陽光を反射してきらりと輝くのは、頭部に備わった細長い光学センサーだ。

 複合素材コンポジット・マテリアルの装甲をまとった異形の人型機械は、時速八十キロを超える高速で大地をひた走る。

 鉄の躯体を動かしているのは、タイヤや無限軌道キャタピラではない。

 足首のあたりで唸りを上げて回転し、後方にさかんに土砂を巻き上げているのは、一見するとドリルのような推進装置だ。

 ”アルキメデスの螺旋アルキメディアン・スクリュー”と呼ばれるそれは、砂漠や湿地帯では無類の走破能力を発揮する。

 巨人の航跡を示すように、白茶けた大地には螺旋状の深い轍が刻まれている。


 鋼鉄の装甲に鎧われた四肢と、大地を切り裂く両足のスクリュー。

 人間をそのまま拡大したような外観は、戦車や装甲車とは根本的に性質を異にしている。


 ウォーローダー。


 いまを遡ること八百年まえ、人類がとの戦いのために生み出した大型強化外骨格エグゾスケルトン


 機体の正式名称は、LWR-991Fn「カヴァレッタ・タイプ」という。

 長距離偵察を目的に開発された軽量級ウォーローダーであり、そのダッシュ力と最高速度は、あらゆる機種のなかでも一頭地を抜いている。


 むろん、美点ばかりではない。

 高速走行にともなう振動と突き上げをまともに受け、巨体はたえまなく上下左右に揺さぶられている。

 これでも膝と太腿のサスペンションと姿勢安定装置スタビライザーは最大限に機能しているのだが、それ以上に強力な慣性が機体を振り回しているのだ。


 もっとも、乗り心地の悪さはすべてのウォーローダーに共通する泣き所でもある。

 あらゆる乗り物のなかでも最低の乗り心地に、いったん潜り込めばろくに身動きも取れないほど狭く、そのうえろくに空調の効かない灼熱の操縦席……。

 ウォーローダーが”二本足の棺桶”の異名を取るのは、けっして故なきことではないのである。

 並みの人間なら一分と経たずに音を上げる劣悪きわまりない環境も、ウォーローダーの乗り手ローディにとっては住み慣れた我が家に等しい。

 事実、多くのローディたちにとって、狭隘なコクピットは文字通りのとなるのだった。


 いま、カヴァレッタ・タイプの内懐に抱かれているのは、ひとりの少年だった。

 年の頃は十五、六歳といったところ。

 荒野の住人らしく赤黒く日焼けした精悍な顔つきには、どこかあどけない面影も残っている。

 赤みがかった髪は操縦の邪魔にならないよう後ろでひとつに束ねられ、紫色の瞳は目の前に並んだ計器とディスプレイをじっと睨んでいる。

 この時代のローディの例にもれず、かつては必須とされていた生命維持装置付きの防護ジャケットも、機体各部のセンサーと連動したヘッドマウントディスプレイ搭載ヘルメットも身につけていない。


 ロールアウトから長い年月を経て、それら純正の付属品オプションはことごとく散逸し、あるいは戦闘によって永久に失われた。

 着の身着のままといった風体の少年だが、操縦に苦慮している様子はない。

 手足がまともに動き、ひどい乗り心地に耐えられるのであれば、たとえ裸であろうとウォーローダーの操縦には事足りるのである。

 

 せわしなく明滅を繰り返すディスプレイのひとつに目をやって、少年はふっと息を吐く。

 後方に熱源反応はない。

 どうやら追っ手は振り切れたらしい。

 あの執念深い連中がそう簡単に諦めるとも思えないが、ともかく立ち止まることが最悪手であることにはちがいない。

 後方警戒レーダーのひとつでも積んであれば、いちいちこんな心配をせずに済むのに――そう思いさして、少年は首を横に振る。

 この時代、まともに動く車載電子機器ベトロニクスを手に入れようと思えば、少なく見積もってもウォーローダー十機分の金が要る。

 ただでさえ補修部品を手に入れるのに苦心しているところに、そんな贅沢品に手を伸ばす余裕などないのだ。


(それに……)


 は、レーダーなど必要ないといつも言っている。

 熟練したローディは、機械に頼らずとも敵の気配を察知することが出来ると。

 最初は半信半疑だった少年も、実際にそれをやってのける場面を目の当たりにすれば、否応なく信じざるを得ない。

 いつ壊れるか知れない年代物の電子機器に自分の運命を託すよりは、そうした感覚をこそ育むべきなのだろうと少年は思う。

 たとえ心ならずも愛機を乗り捨てることになったとしても、自分自身の経験や勘は、この生命があるかぎり失われることはないのだから。

 

 接近警戒センサーがけたたましい悲鳴を上げたのは次の瞬間だった。

 

尾行つけられていた!? ――しまった!!)


 耳障りなブザー音に埋め尽くされた狭いコクピットのなかで、少年はすばやくディスプレイに視線を走らせる。

 熱源反応の位置を確認――進行方向にむかって左前方。十一時の方向。

 こんもりと盛り上がった砂丘に遮られて視認こそ出来ないが、熱源はたしかにそこにいる。

 速度はほぼ等速。上空から俯瞰したなら、ちょうど砂丘を挟んで並走している格好になる。


 少年はほとんど無意識に火器管制FCSパネルに指を伸ばす。

 火器といっても、もともと偵察型であるカヴァレッタは自衛用の七・六二ミリ機銃一丁しか搭載していない。

 右の前腕部にボックス型弾倉マガジンと一体化する形で固定された小口径機銃は、対人・対空用の武装である。

 戦車や装甲車はむろん、分厚い装甲をもつ戦闘用ウォーローダーに対してもほとんど無力なのだ。

 敵のウォーローダーと戦闘になれば、もっとも原始的な手段――格闘戦で決着をつけるほかない。


 眼球をわずかに動かして計器を読み取れば、燃料電池フューエル・セルの残量はまだ半分以上残っている。

 すでに上限にちかいスピードを出しているとはいえ、それはあくまで巡航速度の範囲でのことだ。

 スクリューが使いものにならなくなることを覚悟でフルパワーを引き出せば、カヴァレッタの最高速度はじつに時速百三十キロにも達する。

 急反転ののち、多少無理をさせてでも速度を上げて振り切るべきか……。


 少年が逡巡したのと、砂丘の陰からが飛び出してきたのは、ほとんど同時だった。


 強烈な日差しがウォーローダーの影を大地に焼きつける。

 スクリューを回転させながら着地。まるで水しぶきみたいに派手に土砂が飛び散る。

 同時にディスプレイを占めたのは、同じく暗白色に塗られたカヴァレッタ・タイプだ。

 あざやかな山吹色オレンジイエロー味方識別帯ストライプが目もあやな同型機は、アゼトの機体の真横につく。

 右手には黒く焼け焦げたウォーローダーの上半身を掴んでいる。どうやら追っ手はすでに仕留めていたらしい。

 少年はコクピットに詰まっていたはずのがどうなったのかを想像して、そのまま思考を放棄した。

 

「アゼトくん、生きてる? 帰りが遅いから迎えに来ちゃった」


 ふいに通信機インカムから流れたのは、底抜けに明るい女の声だ。

 

「シクロさん、脅かさないでください!」

「べつに脅かしたつもりはないよ。かわいい弟分の危機察知能力を試してあげただけさ」

「もし撃っていたらどうするつもりだったんですか?」

「私には当たらないから大丈夫」


 少年――アゼトは、その言葉がたんなる冗談ではないことを知悉していた。

 たとえ自分が本気で狙ったとしても、シクロの駆るウォーローダーには掠りもしないだろう。

 アゼトは、火器管制パネルから指を離し、額の汗をぬぐう。

 シクロは手にしていた残骸を無造作に投げ捨てると、互いの機体をずいと接近させる。


「……で、盗賊どものアジトの様子はどうだった?」

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