黒くも甘くも
tsumuri
第1話
「いつまで経っても仕事を覚えないな。」
今日も上司から小言を投げつけられる。
確かに入社して1年目とは言えあと3ヶ月もすれば新入社員が入ってくる。
先輩と呼ばれる立場の人間が、日々のルーティンワークすらまともに出来ないのはいささか問題があるかもしれない。
「すみませんでした。」
頭を下げた後、肩を落とし自分のデスクに戻る。
「はぁ、、、。」
「大丈夫?何かと優里に頼むくせに、いざミスをすると目の仇にするのほんとパワハラだよね。あんま気にしちゃダメだよ。見た目はいいし、仕事は出来るし良い物件なんだけどなぁ課長。」
隣の席から同期入社の加奈がこっそり励ましてくれる。
「うん。ありがと。大丈夫だよ。」
ヒソヒソと話をし、仕事に戻る。
なんとなく課長のデスクに目をやると目が合ってしまい慌てて目を逸らした。
やっぱり少し苦手。でもほんと黙ってればカッコいいのになと思わないでもない。
こっそりともう一度、課長の顔を盗み見た。
入社当初は私の同期から憧れの眼差しで見られていた課長だが、一月もするとその目から憧れの光は失われていった。
愛想が無い、厳しい、とにかく怖い。
「課長は多分女性の免疫がないタイプだよ絶対!」と加奈が言ってたっけな。
多分なのか、絶対なのかよくわからないけどそれも一理あるなとは思う。
課長は勢いよく言葉を投げつけるとき以外は目を見て話してくれない。
それは大抵怒られているときでそのときは大抵わたしは頭を下げている。
それが何を意味するのかは分からないが、目を見てじっくりと話をした事がないのは確かだ。
しかし、加奈には伝えていないが自分の力ではどうしようもない時には何も言わずにフォローしてくれる事も幾度となくあった。
社長をはじめ、役員、社員、協力会社など50名ほどが参加するグループミーティング用の資料の作成を任されたときのことだ。資料の内容は確認してもらったものの、印刷をし、資料を並べている際に私の確認不足でページが1ページ抜けてることに気づいた。
会議まで後1時間もない。
呆然としていた私のもとに課長が飛び込んできた。
「とりあえず全部のホチキスを取れ。
部数分のページは印刷してきたから、挟んで閉じるだけだ。
間に合う。心配するな。」
課長はそれだけ言い作業を始めた。
私もすぐに気をとりなおし作業に取り掛かる。間に合うとは言え会議室に早めに来る人もいるかもしれない。
沈黙の中、紙の捲れる音だけが響く。
同じ作業をずっと繰り返していると、流れが染み付いてくる。その一連の動きが一本の線になる。
ホチキスの芯を取る、ページを挟む、紙のズレを直す、ホチキスで閉じる。
段々とスピードに乗ってきた。
…会議10分前。
会議に参加する社員が、同じく参加する協力会社の方をアテンドし入ってきた。
「おはようございます。本日は宜しくお願い致します。」
「宜しくお願い致します。」
挨拶を交わしペットボトルのお茶を手渡した。
無事に全員分の資料をテーブルに並べ課長は、一足先に会議室をあとにしていた。
会議が始まったので部屋を後にしすぐに課長に謝りに行ったが、以後気をつけろ。の一言だけだった。
課長はよくわからない。
他人だからそれも仕方ない。
ただ、「心配するな。」という力強い言葉がいつまでもわたしの中に残っていた。
同期を始め社内の女性陣がソワソワしている。目前に迫るバレンタインデーのことだろうなと予想はついた。
きっと一昔前ならこれが1つのきっかけだったり、女の子の背中を押してくれたりと、外国から始まった文化の恩恵を受けたこの日を心待ちにする人は多かったかもしれない。
しかし、近年はそうでもなさそうだ。
日本人の義理堅い精神はお中元、お歳暮を始めこんなところにまで現れている。
日頃お世話になっている方への感謝の気持ちをと義理チョコなるものが生まれた。最近では同性同士でも送る友チョコなるものもあるそうだ。
これが社内では手間の一言。
新入社員にはなんでもよくても、役職付きの方にはそうも行かない。
どこどこのチョコがいい、部長はナッツ系が好きだのと、先輩から情報を受け取り加奈と買い出しに行くことになった。
仕事を終え地下鉄に乗り込む。
この時間は疲れた顔の人が多い。
電車一本分でも早く帰りたいのか、疲れた身体を我先にと滑り込ませる。
私達は電車を一本見送り次の電車に乗った。
不思議なものですぐ後の電車は思いのほか空いている。東京七不思議と言ってもいいんじゃないだろうか。
「さてと、社長の分はと、、げっ。銀座まで行くのか。どこでも一緒だと思うけどねぇ。気持ちを行動にまで求め始めたらもうそれはパワハラじゃないの?ねぇ、そう思わない?」
「あはは、そうだね。ちょっと遠いなー、銀座は。しかも銀座は社長の分だけなんでしょ?すごいよね。」
「あ、でも課長の分は本当に要らないのかな?甘いものが苦手だから買わなくていいって書いてるけど。」
「そうだね。お世話になってるからこんな時くらいなぁ、、」
「おや?おやおや?いつから優里は課長のことをそんな風に思うようになったのかなぁ?」
「ちがっ、、そういうんじゃなくて、、。そりゃ叱られて怖いときもあるけど、私のミスだし本当に大変なときは助けてくれ、、いや、ほら、次降りるよ?」
「はーい。」
加奈がニヤニヤと笑みを浮かべながら後をついて電車を降りた。
会社から15分ほどの駅に商業施設が併設されている。リストにあるほとんどのチョコレートはここで買えるようだ。
年が明けて、お正月ムードがどうにか落ち着いてくるとデパートなどは次のポップに切り替わる。1月の後半からバレンタインデーの文字を見ることは増えて来たが、いよいよ週末に迫った今日は全力でチョコレートを売るべく、とても華やかなコーナーが設置されている。
「あなたの想いと一緒に」
「いつも本当にありがとう」
「チョコっと感謝を届けたい」
キャッチフレーズを赤やピンクのポップに飾り、チョコレートが所狭しと並んでいる。
最近は色んなチョコレートがあるもんだなとしみじみ思った。
年中販売をしているCMでよく見るような商品ならわかるが、同じ会社のチョコレートでも見たことのないものが沢山あった。
リストを見ながらそれらしいチョコレートを選んで行く。このコーナーに来てから自分にも買って帰ろうとこっそり心に決めていた。
一通り買い終え、銀座に向かう。
リストに合った場所へ向かうとおおよそ今まで入ったことの無いタイプのお店だった。
入り口には、ホテルマンにもヨーロッパの門番さんにも見えそうなスタッフがドアマンとして立っている。
お店の入り口と平行に5人ほどのお客さんが並んでいた。
「あれ?お店が賑わい過ぎて、外で待ってるのかな?」
「そうかもね。とりあえず並ぼうか。」
列の後方に回り込んだ際に不思議なことに気がついた。
お店には10人程のお客さんしかおらず、外にいる5人くらいなら余裕でお店に入れそうだ。
「ははーん。万引き防止だな。」と加奈が言う。
その昔、スーパーでアルバイトをしていた際に目撃した万引きの手口で、何人かが品物の周りにぎゅっと押しかけ壁を作るというものがあったらしい。
「この人数じゃ壁なんて作れないもんね。」
「んー。こんな宝石みたいにディスプレイされたチョコレートを壁作ったくらいで万引き出来るかな?なんか他に理由があるんじゃ?」
そんな話をしているうちに中に入る事が出来た。
外から覗いただけでは分からなかった華やかさがここにはある。
ガラスのケースに配置された全てのチョコレートが輝いて見える。
一瞬宝石店と間違えて入ったのかと勘違いするほどだ。
私達の後ろの人は、ドアマンに阻まれ外で待っている。
なんとはなしに天井を見るとシーリングファンがゆっくりと回っている。
「もしかして、、室温管理のため?」
口からつい溢れた言葉に加奈が反応する。
「なんの話?あ、人が少しずつしか入らない理由?そんなワケ、、」
「左様でございます。当店では温度に対してとても繊細な商品を扱っておりますので、一度に店内に入れる人数を定めさせて頂いております。」
「えー?うそー?ほんとにー?」
「こ、声が大きいよ、、」
「はい。ですので温度管理は厳重にさせて頂いております。」
驚いた。
こだわりというのは自信に繋がっている。
言い換えればプライドだ。
自分の誇りをかけて最高の状態を作り上げ、
それをお客さんが求めているのを知っているのだ。
仕事ってそういうことなのかもしれない。
社長の好きなチョコレートを買いお店を後にした。
「人が増えるとそんなに変わるのかね?そんなら帰りの電車で溶けちゃうんじゃないの?」
「大丈夫だよ。ドライアイスももらったし溶けにくい箱に入ってるから。でも、仕事ってあぁいうことなのかな。」
「ん?どうゆうこと?」
「あ、いいのいいの。ねぇ、喉渇かない?」
「渇いた!ちょっと休憩しよー。」
近くのコーヒーショップに立ち寄り、私はアイスコーヒー、加奈はクリームソーダを注文した。
運ばれてきたドリンクを一口飲み、ようやく一息ついた。
「疲れたー。これで全部だよね?残業代出して欲しいよ。」
「そうだね。こんなに疲れるとは思ってなかった。でも、買い出しもたまには楽しいもんだね。」
「えー?もう私はいいやー。」
2人は声を揃えて笑った。
加奈から気になる人や嫌いな人を聞かれたので、特にいないなぁと当たり障りのない答えを返し、反対に加奈に聞くと、どちらも3人以上の答えが返って来たのでまた2人で声を揃えて笑った。
そろそろ帰ろうかと時計を見て席を立つ。
買ったチョコレートは半分ずつ分けて持ち帰ることにした。
明日の朝に先輩達が配って回ってくれるみたいなので私達の仕事はここまでだ。
別れ際に加奈に買っておいたチョコレートを渡す。
「加奈、はい。いつもありがとう。」
「ちょっと、急にやめてよ。えー、ありがとう。私買ってないのに。」
「いいのいいの。今度またご飯行こうね。」
「なんだ、そっちを奢らせようって魂胆かー。しまったなぁ。うん、行こう。じゃあまた明日ね。」
「あはは、うん。また明日ね。」
加奈に手を振った後なんとなく空を見た。
真っ暗にはならない東京の空を見上げ1つ深呼吸。
白い息が群青色に溶けていった。
毎年同じことがあったとしても男性はきっと女性からの贈り物は嬉しいんだろう。
もちろん女性だって男性からのプレゼントは嬉しい。
先輩がデスクを回りながらチョコを渡す度にソワソワしながら待っていた男性社員からは小さな歓声が起こる。
この喜びが刺激になり士気や業績が上がるならこれもステキなイベントだなとぼんやり思っていた。
実は私の鞄の中にも1つ贈り物を忍ばせてある。
課長に感謝を伝えたかった。でもきっとこの気持ちの中には感謝と同じくらい大切な気持ちも詰まってるんだと私自身もう気がついている。
昨日加奈と別れた後、何かないかなと少しぶらぶらと街を歩いていると普段課長がつけているネクタイをショーウィンドウの中に見つけた。本当にただの偶然だったが引き寄せられるようにお店に入りその紺色のネクタイと同じ色のハンカチを買った。
課長の笑顔が見られるかもと思いながら選んでいた事に気がついたのは店を出た後だった。
でも、もうそれでいいんじゃないかな?とも思っていた。まだ名前のつけられないこの気持ちを少し抱きしめてみたから。
そこにはちゃんと温もりがあって、ちゃんと私が居たから。
次々とチョコレートが手渡されて行く。
新入社員が終わり、先輩社員へ、そして役職の方へ配り終え、先輩は別のフロアへと向かった。
朝一番のイベントを終え少しずつ社内は通常モードに戻って行く。
私の思いの塊もまだ少し寝かせておこう。
なんとなくちらりと鞄を見たそのときだった。社内メールの通知音が鳴った。
課長からだった。
少しドキリとしたがいつも簡単な業務の指示はメールだったので、なんとはなしに開く。
「黒くて甘いやつはオレにはないのか?」
色々な情報が頭を錯綜する。
え?課長は甘いもの苦手じゃ?いつも断ってたから去年もなかったんじゃ?いや、そもそもなんで私に?これ業務内容?え?え?
一呼吸置いてみたがまだ手が震えている。
目を閉じて深く深呼吸。
昨日抱きしめた気持ちがゆっくりと顔を上げる。
「黒くも、甘くもないものならあります。」
送信ボタンをクリックした後私は鞄の中にあった包装紙に包まれた黒くも甘くもないそれを取り出してゆっくりと課長のデスクに向かっていた。
黒くも甘くも tsumuri @otonarinooto
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