第178話

「我が名を以って命を下す!」


 緋色のドレスに身を包んだ魔女。その詠唱が、開戦の合図となった。

 打ち合わせの一つもなく駆け出す愛美たち。桃とは久し振りに共闘することになるのだが、彼女らの間にある信頼が、そのようなものを必要としない。


 魔女と背中を任せ合い戦える。その喜びを胸中に抱きながら、織も続く様に術式を構成する。


 広がる魔法陣は魔導収束のもの。吸収するのは、この空間に散らばった大気中の魔力。

 すでに行われていた葵たちとの戦闘により、空間を満たす魔力は尋常ならざるものだ。


「其は大空に架かる七色の橋!」

魔を滅する破壊の銀槍シルバーレイ!」


 天から落ちる七色の極光と、囲む様に放たれた銀色の槍。

 逃げ場のない攻撃に対して、灰色の吸血鬼は不敵な笑みを浮かべて赤黒い槍を現出させる。桃と織が放った魔術を相殺させ、その術式ごと崩壊させた。


 遅れて殺到する四人。左右から黒と空色の刀が、正面から銀の短剣が、背後からハルバードが迫る。愛美に朱音、葵と翠が得物を振おうとして、しかし。寸前で全員が後退した。

 四人それぞれがいた場所に、赤黒い槍がいくつも突き刺さっていたからだ。


「集え、我は疾く駆けし者!」


 いち早く再起動したのは愛美。どこから出てくるかもわからない槍には見向きもせず、真っ直ぐに駆け抜ける。

 串刺しにしようと現出した槍を置き去りにして、初速からトップスピードを誇る殺人姫は、瞬く間に吸血鬼へと肉薄した。


「さすがに速いな、殺人姫!」

「あんたが遅いのよ!」


 目にも止まらぬ速さで振るわれる空色の刀身は、その悉くが赤黒い槍にいなされる。しかしそれもギリギリだ。速さという一点において、愛美はグレイを上回っている。


 迂闊に手を出せない攻防の中。それでも介入できる者がいるとすれば、同等の速度を持つ者か、愛美の高速思考を同じ速度でトレースできる者だけだろう。

 そのどちらも可能とする少女が一人、銀の炎を揺らめかせている。


「……ッ!」

「読めているぞ、ルーサー」


 背後から迫っていたのは、銀炎を纏った朱音。短剣を振りかぶっていたが、虚空から突き出された槍に阻まれる。

 しかし、わずかでも意識が逸れた。殺人姫の前だと、ただそれだけが致命傷だ。


「よそ見とはいい度胸ね!」

「チッ……やはり厄介なやつだよ、貴様は!」


 空色の刀が、吸血鬼の喉元を掠める。本来であればそれだけで首が飛ぶのだが、亡裏の『拒絶』をグレイの『崩壊』が相殺していることで、ほんの僅かな切り傷が生まれるだけだ。異能などなくとも、吸血鬼の再生力があれば一瞬で治る。


 距離を取ろうとするグレイへ向けて、黒い雷が迸った。


「防がれたっ……!」

「今のは惜しかったな」


 すれ違いざまに黒い鎌の刃が喉を捕らえようとしていたが、やはり槍に防がれる。

 苦い顔をする葵は、遅い来る槍から逃れるように離脱する。更に入れ替わるようにして、桃と翠が砲撃を放つ。

 だがそれも、グレイが腕を掲げただけで崩れ落ちた。


「ふむ、この程度か? 貴様らの方が数は上なのだ。もう少しやるものだと思っていたがな」

「余裕ぶってられるのも今のうちだよ」


 不敵に口元を歪める魔女が、次の術式を構成していく。休む暇を与えず、愛美と葵が果敢に突撃していた。その二人と魔女の間に位置する距離で、朱音と翠も次の攻撃に備えている。


 それでも、こちらがどの様な魔術、異能を行使しようと、やつの持つキリの力は、全てを崩壊せしめるだろう。

 あまりにも強力。ルール無用の力。


 ならばこちらも、そのルールから逸脱してしまえばいい。


「むっ……」


 何かに気づいたグレイが、空を見上げる。

 そう、いつの間にか、探偵の姿がない。


 吸血鬼が見上げた先には、太陽を背に飛ぶ織が。手に持つ龍具シュトゥルムが分解していき、右腕に鎧として装着され、片翼を広げた。


「ドラゴニック・オーバーロード!」

「異世界の力か……!」

「気付くのが遅えんだよ!」


 キリの力は、あくまでもこの世界に存在する魔術や異能に対して、絶対の効果を齎す。

 ならば異世界の友人から貰い受けた、この力なら。


 どうにか逃げ果せようと足掻くグレイだが、それは他の五人が許さない。


「行け、七連死剣星グランシャリオ!」

「緋桜一閃!」


 七つの刃と緋色の矢が殺到する。神氣の宿った雷撃と炎もそれに続き、グレイは同じように赤黒い槍で防ごうとするが。


「何度も同じ手が通用するわけないでしょ!」

「ルーサーめ……!」


 現出した槍の全てを、朱音が略奪した。攻撃を防ぐはずだった槍は、その矛先を灰色の吸血鬼へと変える。

 真っ先に迫り来る己の槍を崩壊させるが、その対処に手一杯だ。遅れて殺到する愛美たちの魔術までは防げず、魔力の刃と緋色の矢が全身を貫き、黒雷に穿たれ、神の炎がその身を焼き尽くす。


「ぬぅぅぅ!!」

「メインディッシュはこっちだぜ!」


 織の眼前に広がる魔法陣が、彼の持つ以上の魔力を宿す。背に浮く太陽の、あるいはこの場にいる仲間たちの持つ心の輝きを、龍具シュトゥルムは力へと変換する。


 ならばそこに宿るのは、本来なら織一人の身には余るもので。幻想魔眼で無理矢理制御し、解放される時を今か今かと待っている。


天を堕とす無限の輝きパラダイスロストォォォ!!!」


 突き出した右腕。魔法陣から放たれるのは、無数の光。ひとつひとつがか細くとも絶大な威力を秘めたそれが、塔の屋上に立つ吸血鬼ひとりへと落ちる。


 崩れてしまわないのが不思議なほどの威力。轟音を響かせ塔を大きく揺らし、土煙が舞い上がる。

 その中から飛び出してきたグレイは、再生が追いつかない程に満身創痍だ。


 空中へと逃げ態勢を整えようとするグレイだが、そんな隙を与えるわけがない。


「望み通りの未来だよ、クソ吸血鬼」


 黒い稲妻が、迸る。


 この未来はすでに予測済みだ。織よりも遥か上空。天敵であるはずの太陽に身を晒すのは、グレイの娘である二人の半吸血鬼。


「姉さん!」

「うん、翠ちゃん! やるよ!」


 二人を中心に、神の魔力が渦を巻く。炎と稲妻が姉妹を包み、繋いだ手へと収束した。

 天に掲げた手の先に、巨大な剣が現れる。二人で持つその剣は、彼女らの兄を象徴する白銀に輝いている。そしてその形は、葵の恋人たる少年が振るう聖剣と同じ。


 この場にいない二人の少年と、ここにいる二人の少女が繋いだ、絆の証。

 己の心を力と変え、大切な人たちとの繋がりを形にする。


「「繋がり紡ぐ絆の聖剣エクスカリバー!!!」


 振り下ろされる白銀の大剣。

 躱せない。織の未来視だけでなく、更に情報操作によって未来の確度を上げている。

 無敵の再生力を誇り、『崩壊』の力を操る吸血鬼でも。満身創痍の状態でこいつを受ければ、ただでは済まない。

 事実グレイは苦々しい表情を浮かべており、対処は間に合いそうにない。


 誰もが早くも決着を予感した、次の瞬間。


「え……?」

「なッ……⁉︎」


 大剣は、魔力の粒子となって霧散した。

 その場にいる全員が、目を見開いて驚く。愛美も朱音も、桃も織も、当事者である葵と翠も。グレイまでが。

 いや、灰色の吸血鬼がこの場で最も、驚愕を露わにしていた。信じられない事象を目の当たりにしたような。あり得てはいけない現場に居合わせてしまったような。


 つまり、グレイの崩壊によるものじゃない。原因不明の事象。やがて大剣のみならず、二人の纏う黒雷やドレス、翼までもが。

 半吸血鬼の少女たちから、魔力の反応そのものが、消失する。


 意図せず生まれた空隙。

 そんな中、真っ先に我を取り戻したのは、グレイだった。


「桃ッ!」


 空中から見下ろしていた織は、それを視界に捉えていた。魔女の足元の空間が歪む様子を。それはやつの槍が現れる前兆。

 そう、あの時も。学院祭の時も、同じだった。織には力がなくて、一緒に戦うこともできず、守ってもらうばかりで。


 フラッシュバックした光景が、また目の前で繰り広げられようとしている。

 そばにいた愛美が動くが、一歩遅い。間に合わない。空中にいる織や葵と翠の回収に向かおうと踏み出していた朱音では、なにもできない。


 ゆっくりと動く景色の中。魔女と赤黒い槍の間を、桜の花びらが遮った。


「残念、今のわたしをそう簡単に殺せると思わないでよね。あいつに守ってもらってるんだから」

「チッ、緋桜め。厄介な置き土産をしたものだ」


 槍を防いだ花びらが蠢き、そのままグレイへと殺到する。そちらに気を取られてい隙に、朱音が落ちてくる二人を回収した。


 葵も翠も、自分の身に起きたことを自分でも理解できていないのだろう。

 吸血鬼の、魔物の生命線とも言える魔力が、完全に消えているのだ。異能は使えるのか、手にはそれぞれ得物を持っているが。翼もドレスも稲妻も、神氣だって例外なく。


 一度地上に降りた織は、膝をつく二人を庇う様に立つ。


「どうなってんだよ……」

「あいつがなにかした、ってわけでもなさそうね」


 隣に並び立つ愛美は、チラと気遣わしげに背後を見やる。朱音が銀炎で二人を包んでも同じ。時界制御が機能しない。

 すなわち、二人の体を過去の状態に戻そうとしても、魔力は戻らない。


「葵さん、翠、怪我は?」

「ありません……しかし、これは……」

「やっぱり……」


 互いを見合う葵と翠の目には、その異能によりお互いの情報を視認しているのだろう。なにかに気づいた様な葵は、その視線をグレイへと移す。


 夥しい緋色の桜を槍で捌くグレイは、力を解放してそれら全てを崩壊させた。

 これで状況はリセット。しかし葵と翠の二人が戦線離脱を余儀なくされた。


「全く……そんなところまで、あいつに似なくてもいいものを……」


 どこか遠いところを見る、寂しげな目。

 違和感を覚えつつも、織と愛美は構えを解かない。今すぐにでも斬り込める。

 しかしそれを遮ったのは、刀を杖代わりにして立ち上がった葵だ。織と愛美の前に一歩出て、あまりにも無防備な姿を晒す。


「葵⁉︎」

「なにしてるの、下がりなさい!」

「ごめんなさい、織さん、愛美さん。少しだけ、時間をください」


 今の葵は、本当にただの少女と変わらない。魔力がなければ魔術を使うこともできず、吸血鬼としての力も失ってしまう。残された異能だけでは、なにもできない。


 それでも、灰色の吸血鬼は槍を収めた。

 この戦闘が始まって最も大きな、明らかな隙を見せている。

 殺人姫や魔女の前でそんなものを晒すのは、すなわち自殺行為に等しい。

 だと言うのに、誰も動けないでいた。


「教えて、グレイ。私たちの身に何が起きたのか。この体に刻まれたもう半分の遺伝子が、誰のものなのか。あなたは知ってるんでしょ?」

「教えて何になる? 貴様らが戦えない事実は覆らん」

「それでも、私は知りたい」


 ジッと葵から見つめられ、グレイが僅かにたじろいだ。

 灰色の吸血鬼が、ことここに至っても捨てきれない弱さ。己の子供たる三人を、自ら手にかけられない甘さ。


 ツインテールの少女もそれを理解しているのだろう。だからこそ、それを利用して。戦えずとも強気に出られる。


 やがて、ため息がひとつ落とされた。

 呆れた様なそれは、なぜか親愛の情を感じられるもので。


 こいつの話を、聞かなければならない。

 その場の誰もが、直感的にそう感じ取った。対話の先には、避けようのない戦いが待っていても。今から語られる話は、聞かなければならないと。


「本当に……貴様は彼女とよく似ているよ、黒霧葵」

「彼女って……」

「貴様ら、プロジェクトカゲロウによって生まれた我が子らの体に刻まれた、人間の遺伝子。魔力を使えなくなったのはその影響だ」


 その予兆のようなものは、たしかにあったのだ。

 例えば葵は、魔力の放出が苦手だ。

 纏いを発動させている時に限り、対応する元素の放出は可能とするが。それ以外の際は、うまく魔力を放出することができない。つまり、魔力弾や砲撃を使えない。


 一方でカゲロウは、異能がなければそもそも魔術を使えない。

 魔力を練ること自体はできる。しかし術式を構成しようとしても、途中で瓦解してしまうのだ。戦闘になれば朱音の血を摂取して異能も使うので、あまり目立つことはなかったが。それでも十分に異常である。


「その人間は特異体質でな。この世界に存在する生命は、すべからく魔力を生成することができる。生命力から魔力を汲み取ることができる。しかし、そいつは出来なかった」

「有り得ない……そんなの、生命力そのものが存在しないのと同じだよ」

「それが有り得てしまったのだよ、魔女。まるで位相の扉が開く前、超常の力がこの世界に存在しない時代の人間だ」


 そう、魔術や異能といった超常の力は、そもそも本来この世界には存在しなかったはずのものだ。

 もしも位相の扉が開かれず、幻想魔眼や賢者の石がこの世界に齎されなければ。その人間の体はなにもおかしなことはない。寧ろ正常と言える。


 しかし実際、世界は今の形へと変貌した。

 あらゆる人間は生命力から魔力を汲み取る資格を持っている。それは魔術なんてものとはなんの関係もない、平和に暮らす一般人であっても同じだ。


「千年も前の人間だがな。どの様にして遺伝子を保存していたのから知らんが、貴様らの体に刻まれている遺伝子は、そういうものだ。今このタイミングでその遺伝子が覚醒した理由については、私の方が聞きたいよ」

「その人が、あなたの……」


 葵が漏らした呟きに笑みをひとつ見せ、吸血鬼は再び槍を取り出す。


「黒霧葵。貴様は本当に、エルーシャとよく似ている。その髪も、顔つきも、性根もな。だからこそ、貴様を殺すことはできない。あいつが生きた証があるなら、それがなんであろうと残したい」

「自分勝手ね」


 吐き捨てたのは、鞘に収めた刀へ手をかける愛美だ。しかしその声にはバカにする様な色がなく、どこか親しみの籠ったもの。

 隣に立つ織も、愛美に全く同感だった。


「ったく、嫌になるぜ。まるで鏡を見てるみたいだ」

「ええ。こんなだったら、世界の救済だとか作り変えるだとか、大仰な話は最初から必要なかったじゃない」

「ふっ、ごもっともだな。私も、貴様らも、結局のところは同じなのだよ」


 そして、同じだからこそ分かり合えない。譲れない。

 共に大切な誰かを想うからこそ、ぶつかるしかないのだ。


「お前がどこの誰のために、世界の救済なんてもんを掲げてんのかは知らねえけどよ。俺たち家族の未来に、そいつは邪魔だ」


 愛美と二人で後ろを見やれば、そこには大切な娘が立っている。仮面の奥に秘された瞳は、今も強い光を湛えているだろう。

 両親に並んだその立ち姿は、我が娘ながらなんと頼もしいことか。


「だから私たちは、お前を倒して私たちの未来を掴み取る。家族と、みんなといられる、どこにも記録されていない未来を、私たちが創る!」

「ああ、それでこそだとも。それでこそ、私の前に立ち塞がるにふさわしい。ならば今一度宣言しよう。はこの世界を救済する。人間という種の絶滅を以てしてな!」


 頭上に、魔法陣が広がる。

 複雑に絡まり合う幾何学模様は、一瞬目を奪われてしまうほどの美しさ。だがすぐにそれがまずいものであると理解し、それぞれが動く。

 葵と翠は端へ避難させ、殺人姫と敗北者が駆けた。探偵と魔女が術式を構成する。


 そもそもこの塔は、何のために建てられたのか。それを読みきれなかった時点で、織たちは既に詰んでいた。


響け、崩壊の調べカタストロフ・マグナ


 世界が、白く塗り潰された。

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