決戦

第176話

 空が晴れた。

 燦々と照りつける太陽に、澄み渡る青空。

 それが誰の手により、どのような経緯を辿って訪れたものなのかを、理解できてしまって。


「織」

「分かってます……分かってるけどッ……」


 魔術学院日本支部跡地。そこに聳え立つ塔の前で。

 桐生織は空を見上げながら、内側で荒れ狂う激情を、必死に抑えていた。


 別れはいつだって突然だ。両親の時も、魔女の時もそうだった。けれど今や、その魔女は蘇り、この空に青を取り戻してくれて。


 代償が、大きすぎる。


「全部終わってから、好きなだけ泣けばいい。今はまだその時じゃない」


 優しい声音に諭されて、前を向く。

 入り口なんて見当たらない塔の前に、最強の悪魔が立っているから。


「カカッ! 見違えたな、探偵賢者! 以前よりも魔力が練り上げられておる!」

「序列一位……」

「やはりここを守ってましたね。蒼さん」

「ああ、こいつの相手は僕たちがする。織、君は隙を見て塔の中へ入るんだ」

「つっても……」


 蒼が刀を、有澄が杖を取り出して構えるが、対するは悪魔は、棍棒を構えもせずに立っているだけ。それだけなのに、隙なんて寸分も見当たらない。少しでも織が動けば、その瞬間に殺されるような。そんな錯覚すら抱いてしまう。


 しかし、バアルの口からは予想外の言葉が出てきた。


「ここを通りたくば好きに通れ」

「なに?」

オレは世界の行く末などに興味がないからな。そこの最強と戦えれば、それでいい」


 その言葉を証明するように。

 振り返ったバアルが、塔の壁を棍棒で突き破壊した。


「そらどうした。さっさと行けばよかろう」

「こいつ……」

「それとも、貴様がオレの相手をするか、探偵賢者?」


 どう言うつもりだと言いたくなるが、バアルが語った以上の意味はないのだろう。

 強いやつと戦いたいだけ。

 序列一位はただそのためだけに、召喚に応じた。


 しかし、素直に通っていいものかと悩む。騙し打ちのように後ろから攻撃されるなんてことは、この悪魔に限ってあり得ないだろうが。問題は、蒼たちを残していいのかどうかだ。


 なにせ人類最強の男は、一度バアルに負けている。その敗因たる槍は朱音が破壊したが、それがなくとも互角以上に戦っていた。今回は有澄もいるとはいえ、そう簡単に勝てる相手ではない。

 おまけにソロモンの悪魔は、実体を持たない概念的存在。死という概念が存在しないから、特定の手段でないと殺し切ることも不可能。


 逡巡し動けない中。唐突に。


 黒い雷が、塔の屋上に落ちた。


「葵か……⁉︎」

「織、悩んでる暇はもうない。早く行くんだ」

「葵ちゃんと翠ちゃんだけじゃマズいかもしれません。わたしたちなら大丈夫ですから」

「……悪い、二人とも!」


 二人への心配を振り切って、駆け出す。バアルのすぐ横を通り過ぎるが、やはり背中から攻撃してくるような真似はしなかった。


 塔の中は見た目以上に広く感じる。一歩踏み出せば、壁の穴は一人でに修復された。

 これで退路は断たれた。元より退くつもりもないが。


 ご丁寧に上へ続く階段も用意されているが、当然のように、その道を阻むための魔物が現れる。


位相接続コネクト


 愛美も、朱音も、まだいない。ここに立つのは桐生織だった一人だ。

 それでも必ず駆けつけると信じて、塔の天辺目掛けて走り出した。



 ◆



「僕たちのことを心配するとは、織も立派になったものだね」

「心配されて当然ですよ」


 塔の中へ駆けて行った弟子。その立派になった背中を見送り、蒼はつい微笑を漏らしていた。

 出会ってからまだ一年も経っていない。最初に凪から話を聞いたのは、十六年前。

 あの時、彼に託された少年を、ここまで導いてやることができた。そう、胸を張って言ってしまっても、いいのだろうか。


 小鳥遊蒼は今日に至っても、やはりそこだけが自信を持てない。


 過酷な運命を背負った教え子が、と同じような結末を辿らないか。

 自分がどこかでなにかを間違えていないか。もっと、してやれることがあったんじゃないか。


 どうしても不安になってしまうのは、魂に刻まれた後悔のせいだろう。


 そんな不安を、隣に立つ己の半身は、この世で最も愛するパートナーは、見透かしてくれる。


「不安になるのは仕方ないですけど、もうちょっと織くんたちを信じたらどうですか? 教え子を信じないのは、それこそ先生失格だと思いますよ」

「……相変わらずキツイね、有澄は」

「昔に比べると、かなりマシになったと思いますけど」


 たしかに、出会った頃の彼女と比べると、とても柔らかくなった。纏う雰囲気やその性格が、歳月を経ていくにつれて、年相応の落ち着きを見せている。


 まあそれも、蒼と二人だけになれば鳴りを潜めてしまうのだが。今でも割と、あの頃の尖ったナイスみたいなギザギザハートの有澄さんが垣間見えるのだ。

 それはそれでありだなぁ、とか思っちゃってるから、蒼も結構重症である。


「さて、お待たせしたね、バアル。君の望み通り、人類最強が全力全開で相手をしてやるよ」

「カカッ、ようやくか! オレを楽しませてくれるのだろうな!」

「勿論、退屈はさせないぜ」


 王であり神であり、なにより戦士である序列一位が、得物を構える。

 全身から漲る闘志は、頂点に立つに相応しい洗練されたもの。果たしてこれまで繰り返してきた転生の中に、ここまでの戦士がいたかどうか。


 だからこそ、宣言通り。

 最強の力を惜しみなく、全力全開で。


誓約龍魂エンゲージ

「ドラゴニック・オーバーロード!!」


 有澄の体が光に包まれ、球体へと変化する。それが蒼の胸に吸い込まれると、失ったはずの左腕が、氷によって形作られた。

 左の眼帯は蒼い炎で燃えて、そのまま眼に灯る。髪は有澄と同じ、龍神ニライカナイの力を象徴した、水色。


 右手に持つのは、有澄が使っていた細剣。豪奢な意匠が施されたスレイプニル。


「こいつを使うのも久しぶりだ。有澄、行けるね?」

『当然です、誰に言ってるんですか』


 異なる世界の二つの最強。

 魔術という概念自体に存在を昇華させた男と、龍神の魂を宿した女。


 文字通り、二人で一人の最強が、序列一位と相対する。


「なるほど、面白い! 小鳥遊蒼、貴様の存在は随分と曖昧なものだと思っていたが、そういう仕組みか! カカッ、なにが人類最強だ、人の体などとうに捨てておるくせに!」

「体がそうなる時に、色々あったからね。そのお陰で、今こうしていられるわけさ」


 概念というのは酷く曖昧なものだ。

 その曖昧なものへと変化してしまった蒼は、実体を持たない。ともすれば、この世界に存在することが許されない可能性だってある。

 しかし、彼方有澄という女性が、蒼の存在をこの世界に繋ぎ止める楔となっていた。


 ミーミルの泉を全て取り込んだ時、有澄もそこに介入してしまったから。

 なんの誇張もなく、彼方有澄は小鳥遊蒼の半身なのだ。


 魔術や異能と言ったものより、より高次のレベルで。あるいは位相と似た力によって、二人の魂は繋がっている。


「さあ、さあ、さあ! 存分に死合うとしようではないか! 最強ッ!」

「受けて立つぜ、序列一位」

『わたしたちの力、その身に刻んであげましょう』


 聳え立つ塔の前で、最大規模の激突が、始まった。



 ◆



 一方その頃、イギリスのロンドンでは。


「なんか今、凄いのが落ちてこなかったか……?」

「アダムって人の魔術ですかね。なんで巻き添えが一つもないんでしょう?」


 もう一人の人類最強、破壊者アダム・グレイスの一撃により、周囲の魔物は殲滅されていた。人々が人面の蛇へと変貌することもない。取り敢えず、ここはひと段落と言えるだろう。


 そんな中、怪盗の片割れであるジュナス・アルカディアは、晴れ渡った青い空を見上げる。さっきの巨大な戦鎚もだが、それよりも彼の目を惹くのは、今も青空を飛ぶ輝くドラゴンだ。


「あのドラゴン、ルミの光を吸収してなかったか?」

「してましたね。びっくりしましたよ、もう。危うくやられちゃうところでした。あ、でもそれはそれでマスターがつきっきりで介抱してくれるからありかも──」

「なしだよバカ」


 バカなことを宣うバカな変態に脳天チョップをお見舞いしていると、そのドラゴンが地上に降りてきた。

 途中で輝きが増し、ドラゴンの巨体が光に包まれる。そうして地面に降り立ったのは、何故か服を着ていない白い髪の女性。

 次の瞬間には服も着ており、肩にローブを羽織った。


「ねえ、そこのあなた」

「へ、私ですか?」


 女性が声をかけたのはルミ。まさか呼ばれるとは思っていなかったのか、ハーフエルフの少女はキョトンと首を傾げる。


「ええ、エルフのあなたよ。さっきからずっと光を貰っていたから、お礼を言いたかったの」

「あ、いえいえ、そんなそんな」


 柔和な笑みの美人に言われて、ルミはだらしない笑顔で応じる。愛美に対してもそうだが、この従者はどうにも美人がお好きなようで。ただ好きなだけなら良かったのだが、変態だからなぁ……。


 デュヘヘ、と気持ち悪い顔したルミを小突いて、代わりにジュナスが会話に応じる。


「こっちこそ、あのデカブツを倒してくれて助かったよ。僕たちじゃ、どうにも倒せそうになかったしさ」

「ふふっ、別に構わないわ。シキたちを助けるためだもの」


 ふむ、なるほど。あの探偵の知り合いか。異世界に行ったとか聞いた気がするし、なによりあいつが持っている銃。あれはこの女性と似た力を持っていた。


「織さんのお知り合いですか?」

「ええ。シキとマナミ、それにアカネは、あたしの友達なのよ!」


 何故か自慢げに、豊かな胸を張って言い切る女性。その言い方から、なんとなく察してしまうものがあった。

 多分だけど、友達少ないんだろうな……。


「そういうあなたたちこそ、シキたちのお友達かしら?」

「いや、僕たちは──」

「そうですそうです! 織さんたちとは友達ですよ!」


 ジュナスが否定する前に、バカが勝手に答えやがった。


「……おいルミ、僕は探偵と友達になった覚えはないぞ。やめろよ、あいつと仲が良いみたいに聞こえるだろ」

「えぇー、でも最近のマスター、織さんと仲良いじゃないですか」

「どこをどう見たらそうなるんだよ」

「ほら、メイド服着せた時とか」

「よし僕が悪かった、だからその話はおしまいだ」


 思い出したくもない記憶を掘り起こされ、降参の意を示す。あの時ばかりはたしかに、あいつと変な友情が芽生えてしまったが。


 なんていつも通りなやり取りをしていると、不意に微笑が届いた。

 そちらへ視線をやれば、女性が微笑ましそうに二人を見ている。


「ごめんなさい、あまりにも楽しそうだったから。異世界とは言え、やはりあなたたちのような子はいるのね」

「私たちのような?」

「ええ。その心を、どこまでも輝かせる強い子。シキたちもそうだったけれど、あなたたち二人も負けていないわ」


 そりゃそうだ。僕があの探偵に負けるなんて、天地がひっくり返っても有り得ない。


「申し遅れたわね。あたしはシルヴィア・シュトゥルム。アリス・ニライカナイ様の従者にして、天龍アヴァロンの娘。輝龍シルヴィアよ」

「ジュナス・アルカディア。怪盗だ。あいつとは断じて友達じゃないけど、よろしく」

「ルミ・アルカディアです! よろしくお願いします、シルヴィアさん!」

「ええ、友達の友達は友達だもの! よろしくお願いするわ!」


 また友達が増えちゃった、なんて嬉しそうに言うシルヴィアを見ていると、探偵とは友達じゃないと訂正するのも憚れる。

 ジュナスとルミ、それぞれが握手を交わせば、地面に伸びるシルヴィアの影から、ヌッと男性が出てきた。


 それに驚く二人に見向きもせず、男はシルヴィアへ話しかける。


「シルヴィアさん、そろそろ他に向かった方がいいですよ。ナイン様とクローディア様はともかく、エリナ殿下が心配ですから」

「あらダンテ。第二王女殿下なら心配ないわ、先代ニライカナイ様直々に鍛えられてるんだから。それよりあたしたちは、他の場所を叩くわよ。たしか、ロシアだったかしら」

「それ、どこか分かってるんですか?」

「ここから東の方って言ってたし、適当に転移したら見つかるんじゃないかしら」


 どうやら、彼女らはロシアに出現した黙示録の獣を叩くらしい。

 しかしここはシルヴィアたちにとって異世界。当然、この世界の地理なんて知るよしもない。


「だったら、私たちが案内しますよ!」

「だな。向こうの雑魚を散らす人員も必要だろうし、ここの魔物が消えた以上、僕たちだって他のところに向かわないとだ」

「それは助かる。ダンテ・クルーガー、アリス様の従者で、シルヴィアさんのパートナーだ」

「パートナー?」

「この世界風に言うと、シルヴィアさんの婚約者、かな?」

「違うわよ」


 違うんだ。


「あたしたちの世界のことは、機会があったら教えてあげる。今はそれより、戦場へ向かいましょう」


 その言葉に頷いて、転移の魔法陣を広げる。向かう先はロシア。そこにいる黙示録の獣の元へ。


 雑魚はこっちでなんとかしてやる。

 だから、さっさと決着つけろよ、探偵。


 たしかな信頼と共に、ジュナスは胸の内で呟いた。



 ◆



 魔術学院日本支部跡地に聳え立つ塔。天井は崩壊し、青い空に晒された最上階。

 黒霧葵と出灰翠は、たった二人で灰色の吸血鬼と相対していた。


 結論から言おう。

 無謀。その一言に尽きる。


「なんだ、もう終わりか? かたや私と同じ力を使い、かたや魔女のドレスを継いだ我が子らが、この程度で終わりなのか?」


 倒れ伏した二人を見下し、グレイは落胆したように言う。

 終わりなわけがない。ダメージなんて、異能でいくらでも誤魔化せる。傷だらけの体に鞭を打って、刀を杖にして立ち上がる。

 背後でも、翠が立つ気配があった。


「終わるわけっ、ないでしょ……!」

「わたしたちが、あなたを倒す……あなたの遺伝子を継いだ、わたしたちがッ!」


 バヂッ、と。火花の散る音。

 次の瞬間にはグレイの懐へ葵が肉薄していて、容赦なく刀を振るう。黒い稲妻を纏わせ、『崩壊』の力を情け容赦なく。


 それもグレイの持つ赤黒い槍に受け止められ、直後背中から迫った翠は柄の底で横っ腹を殴られた。

 隙は見逃さない。意識が翠に割かれたところで、さらにもう一歩、前へ踏み出す。


 が、しかし。直上から真っ逆さまに落ちてきた槍に肩を貫かれ、葵の動きは止まった。


「ガッ……!」

「甘いな」

「姉さんっ!」


 蹴り飛ばされ、無数の魔力弾が殺到する。苦痛に顔を歪めながらも、黒雷で迎え撃つ。

 互いの間でぶつかる両者の魔力。

 グレイの魔力弾はその全てがパラパラと崩壊し、黒い雷は術者本人を穿つために突き進む。

 だが吸血鬼が右腕を掲げ、その先から放たれた無形の衝撃が、逆に黒雷の全てを崩壊させた。


 魔力が砂のように崩れ落ち、消えていく。

 さっきから、ずっと同じ。こちらの攻撃は一つたりともまともに通ることなく、全て無力化される。

 一方でグレイの槍は神出鬼没だ。あれは異能と魔術を掛け合わせたもの。この空間内を支配する灰色の吸血鬼は、あらゆる座標に槍を出現させることができる。


 不意に直感が働いて、その場を飛び退く。

 葵が立っていた場所には、無数の槍が外側へ飛び出すようにして出現していた。あのままそこに留まっていれば、どうなっていたことか。


「ふむ、今のを避けるか。戦闘センスはずば抜けているな」

「我が名を以って名を下す!」

「馬鹿正直に詠唱するものではないよ」


 魔力を練り上げ詠唱する翠に、槍が迫る。魔術行使は中断せざるを得なくなり、回避に専念することしかできない。


 ああ、あまりに無謀だった。

 力の差がありすぎた。


 灰色の吸血鬼と同じ力を使えるようになり、いつかよりもずっと強くなったと思っていたのに。蓋を開けてみればこのザマだ。

 どう足掻いても届かない。絶望的な現実が、目の前に横たわっている。


「安心しろ、貴様らは殺さない」

「情けをかけるつもり……?」

「似たようなものだ。彼女が生きた証は、もう貴様らの中にしか残っていないからな」


 寂しげな色を帯びたその声に、違和感を覚える。葵の中にある灰色の吸血鬼と、目の前にいる男が、上手く像を結ばない。


 この違和感は、今に始まったことだったか? 思えば、黒霧葵を、シラヌイを取り巻く状況や過去を考えれば、グレイに対する違和感は常に付き纏うのだ。


「グレイ、あなた──」

「……ッ!」


 声をかけようとした、その瞬間。吸血鬼が槍を構える。首を目掛けて鋭く振るわれていたのは、空色に輝く刀だ。

 誰にも視認されることなく現れたのは、口角を釣り上げた振袖姿の殺人姫。


「ようやく、あんたを殺せる日が来たわよ!! グレイッ!!」

「チッ、お遊びはここまでのようだな」


 後退しようとした吸血鬼だが、殺人姫の刃からは逃れられない。退けばその分だけ、愛美は距離を詰めていく。

 スピードというその一点を見れば、いくらグレイでも追いつけない。ついにその刀が吸血鬼の体を捉え、右肩から先をバッサリと斬り落とす。


 自身の周囲に赤黒い槍を数本出現させ、それを愛美へ射出しながら距離を取ろうとする。それすらも殺人姫の足を止めるには至らない。光に届くほどの速度で以って再び肉薄し、袈裟斬りが見舞われる。

 槍でそれを防ごうとして、しかしグレイは側頭部を思いっきり蹴り飛ばされた。


 続いて、乾いた銃声が青空の下に響く。

 体勢を立て直したグレイの脇腹に、銀の炎を帯びた銃弾が。


時界制御アクセルトリガー

「ルーサーかッ!」

銀閃永火バックドラフト!!」


 銀の炎を纏った朱音が、魔力の刃で刀身を伸ばした短剣を振りかぶり、上空から降りてきた。

 縦に一閃。

 半歩後ろに下がり辛うじて躱したグレイだが。仮面に秘められたオレンジの瞳は、激情を伴い未来を見ている。


「望み通りの未来だよ、クソ吸血鬼」


 吸血鬼の全身に迸る、幾重もの剣閃。

 しかしそのほとんど全てが『崩壊』の力に掻き消され、唯一残った一筋が、グレイの左腕を落とした。


 舌打ちしながら下がる朱音。本来ならこれで八つ裂きにしていたのだろうけど、そう上手くいかない。


「フッ、なにが望み通りの未来だ? 私はこの通り、まだ生きているぞ。そして死ぬつもりもない。貴様らが望む未来が、訪れることもだ」

「いいや、お前はここで、わたしたちに倒されるんだよ、グレイ」


 緋色の桜が、花びらを散らしている。

 葵が知らないわけがない。大切な家族が、大好きな兄が使っていた魔術だ。


 鼻の奥がツンとして、眦に溢れる感情は抑えられない。

 上空で弓に矢を番える、緋色のドレスを着た魔女を、見上げる。


「綺麗な魔術でしょ。わたしがこの世界で一番大好きで、一番美しいと思う魔術」


 桜の花びらが舞い散る中。どこか自慢げに話す魔女は、けれど裏腹に、いつかよりもより深い憎悪の炎を滾らせて。


「緋桜一閃」


 短く、詠唱を紡いだ。

 大気を突き破り、空間を裂いて進む緋色の矢が、グレイの胸を穿つ。

 風穴を空けて尚、それでも吸血鬼は不敵な笑みを絶やさないままだ。


「心臓を的確に狙ってきたか。さすがは魔女、相変わらず容赦というものを知らない。しかし、この程度で私が──」


 ゴバッッッッッ!!!

 グレイが最後まで言い切る前に、その足元の床から、巨大な光に飲まれた。

 光の正体は魔力砲撃だ。遥か階下から放たれたそれは、別に狙って撃ったわけじゃないのだろう。たまたま、運悪く、そこにいたグレイが飲み込まれた。


 そして抜けた床の底から、シルクハットにテールコートの探偵が現れる。


「あぁクソッ! 数が多いんだよ数が! どんだけ魔物隠し持ってやがったんだクソ野郎! ……って、あれ。グレイは?」


 キョロキョロと周囲を見渡す織に、その場の全員が思わずため息を吐く。

 この人は、どうしてこう、イマイチ締まらない登場の仕方をするのか……。


「織くんの砲撃にしっかり巻き添え食らってたよ」

「え、マジ?」

「しかもご高説垂れてる真っ最中にね」

「なんか、悪いことしたな……」

「悪いわけないよ。むしろナイスだよ父さん。ざまあ見ろだよ」

「そもそも、この程度で死んだら苦労はしません」

「あ、ほら。そろそろ再生しますよ織さん」


 葵が指差した先。五体満足の状態で現れたグレイは、どこか呆れた顔をしている。やはり彼もため息を我慢することなく、胡乱げな目を織へ向けた。


「緊張感に欠けるな、探偵」

「それに関しちゃ全面的に同意だ、吸血鬼」


 肩を竦めてそう返す探偵は、どこか親しげだ。あるいは、両者の間にある因縁が、そう見せているのかもしれない。

 それも、今日この日まで。


 探偵が、殺人姫が、敗北者が、魔女が。

 灰色の吸血鬼の前に並び立つ。


 その背中を見ることしかできなくて。葵の目の前には、いつも頼もしい先輩たちの背中があって。

 けれど今は、私もそこに立つ。


「姉さん」

「うん、翠ちゃん。私たちも、まだ戦えるよね」

「当然です。こんなところで倒れてしまえば、緋桜に笑われてしまいます」


 黒と灰。

 二色の異なる翼が加わった。


 桃や愛美と話したいことは、山ほどある。兄のことについて、桃自身の心境について。

 でもそれは、全部終わった後だ。

 彼女ら自身も何も言わず、並び立った二人を見て微かに笑むのみ。


「さあ、始めようぜ吸血鬼。俺たちの未来を、創るための戦いを」

「ああ、始めようか探偵。貴様らの未来を、終わらせるための戦いを」


 正真正銘、最後の戦いが、始まる。

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