幕間 灰の生誕

第175話

 ありふれた話だと、灰色の吸血鬼は自嘲する。戦争で妻を亡くし、醜い人間を呪った男の、ありふれた目的だと。


 事実、それ以上でもそれ以下でもない。

 約千年前、彼の身に起きた出来事を語るには、あまり多くの言葉を必要とはしないだろう。


 だからこれは、どこにでも存在する悲劇を、まるで世界の終わりかのように捉えた、バカな男の話。



 ◆



 時は十一世紀初頭。まだ人々の生活に、魔術の存在が根ざしていた時代。

 当時、人間だったグレイの住んでいた東ローマ帝国は、過去の栄光を取り戻すために連日連夜戦争に明け暮れていた。


 魔術師、あるいは学者として地方の領主に仕えていた十八歳の彼は、領主の娘の教師役にも任命されていた。


「算術の勉強は飽きたわ。ねえグレイ、そろそろ私にも、魔術を教えてくださらない?」

「エルーシャ、何度も申していますが、あなたに魔術は教えられません。あなたは魔術を使えないんですよ」

「もうっ。私だって、魔法使いになりたいのに」


 エルーシャ・アルマキリス。

 この近辺の国には珍しく、黒く艶やかな髪をツインテールに結った、美しい少女。

 同い年の彼女は、事あるごとに魔術を教えろとせがんで来る。しかしグレイの言葉通り、エルーシャは魔術を使えない。


 かなりレアなケースだ。魔術を使うための魔力とは、魂、生命力と呼ばれるものから汲み出される。生きている者であれば、誰だって使う事自体はできるようになるはずだ。

 しかし、エルーシャは生命力を魔力へと変換する機能を有していなかった。


 魔術師同士の交流が薄いこの時代において、未だ少年と呼ぶべき魔術師は、そのような例

 を聞いたことがなかったのだ。

 だが聞いたことがなくとも、情報はその目に映し出される。


 グレイの異能、情報操作。

 その副作用による情報の可視化によって彼女の欠陥を見破り、エルーシャには魔術が使えないと、随分前に本人にも話している。


 それでも関係ないとばかりに、お嬢様は何度も何度もせがんで来た。


「じゃあこうしましょう。魔術を使うのは諦めるけれど、そのお話を聞かせてくださるかしら?」

「というと、魔術理論や歴史などですか?」

「ええ。聞くだけならよろしいのではなくて?」

「構いませんが……」


 使えもしない魔術の話を聞いて、一体なにが面白いのか。

 不思議に思いつつも、グレイはその日から、勉強が終わった後に彼女が望む話を提供し続けた。


 魔術の仕組みや成り立ち、東ローマ帝国の歴史との関係性、時には実演もしてみせ、その際はエルーシャが大いに喜んでくれた。


 そうやって積み重ねた日々。まだ若い彼が貴族の令嬢へ淡い気持ちを抱くには、十分すぎる時間となって。


「グレイ、少し時間を貰ってもいいかな?」


 エルーシャが十八歳の誕生日を迎える前日、ある夏の日のことだ。

 彼女の父親、つまりはグレイの雇用主でありここら一帯の領主でもあるアルマキリス卿から、部屋に呼ばれたのは。


 領民に慕われ、帝国からの信頼も厚い彼は、住み込みで仕えるグレイを本当の家族のように扱ってくれた。それはグレイのみならず、その他の使用人に対しても同じだ。

 親しみやすさと同時に、上に立つ者特有の雰囲気やカリスマも併せ持つ。


 そんな彼の部屋に入って、さてなにを言われるのかと身構える。

 もしかして、魔術について教えたことがまずかっただろうか。心当たりなんてそれくらいしかない。


 だが実際は、そんな予想から大きく外れて。


「君さえよければ、娘を貰ってくれないか」

「は、えっ? エルーシャを、ですか?」


 外れたどころか、斜め上すぎて声が裏返った。まさかまさかである。

 アルマキリス卿からは気に入られてると思っていたし、信頼してくれていたからこそ、娘の教師役に同い年の男であるグレイをつけたのだろうが。


「君は娘を好いているだろう?」

「まあ、そうですが……まずは彼女の気持ちを確認するべきかと……」


 この時代、政略結婚なんてなにも珍しいものではないし、本人たちの望まないものはごまんとあった。

 もしかしたら、エルーシャ本人は望んでいないかもしれない。ほんの少しの恐怖心が、胸に訪れる。

 拒絶されたら、と考えると、怖くてたまらないのだ。


 しかしアルマキリス卿はふっと柔らかい笑みを落として、グレイの背後、扉の向こうへと声をかけた。


「だそうだが。お前はどうする?」


 まさかと思い振り返る。

 扉が開いて現れたのは、まさしく話の中心人物。頬を赤く染めたエルーシャだ。

 盗み聞きしていた、という感じではない。グレイの返事を最初からわかっていて、上手く嵌められたのだろう。


「その、グレイは、私でいいのかしら……? あなたなら、他にもいい人がいらっしゃると思うのだけれど……」


 濡れた瞳に見つめられると、言い逃れできる気がしなかった。

 いや、最初からそんなつもりはない。

 しっかりと彼女の目を見つめ返し、明確な言葉を告げる。


「私は……いや、俺は、エルーシャがいい。あなた以外には考えられないよ」


 こうして、教師と生徒、お嬢様と魔法使いは、夫婦へとその関係を変えた。



 ◆



 領主の娘の結婚ということで、式は盛大に行われた。あまり広くはない領地だ。住人のほぼ全員がグレイも顔見知りで、二人の結婚を大いに喜んでくれた。


 アルマキリスの屋敷から離れたところに家を建て、妻になったエルーシャと二人暮らし。屋敷に住んでいた頃のように勉強を教えたりしたし、毎日彼女が食事を用意してくれた。寝床も同じにして愛し合うことは当然、引き続きアルマキリス邸に雇われているグレイを、エルーシャは毎日見送ってくれた。


「私、この世界が大好きだわ」


 彼女は、よくそう囁いた。

 グレイには分からないことだ。今の帝国は戦争ばかりで、その他の国だって同じだと聞く。なのにどうしてか、と。一度尋ねたことがあった。


「たしかに戦争が終わらないのは悲しいけれど。青く澄んだ空や、生い茂る草木、私は見たことがないけれど、大陸の向こうには大海原が広がっているのでしょう?」

「自然が好きだ、と言うことかい?」

「ええ。この世界、この星にある大自然、そこに生きとし生けるものたちを、私は愛してるの。けれどもしかしたら、人間という生き物だけは、いない方がいいのかもしれないわね」


 冗談めかして最後に付け足した言葉は、本心からのものではなかったはずだ。

 実際に彼女は、父親と同じく多くの人から慕われた。また、彼女自身も人を疑うことを知らないかのように、周囲の人々を信頼し切っていた。

 家の周りでは花を育て、二人で蕾が開くのを今か今かと待ち侘びたり。よく晴れた休日には、近くの丘でピクニックをしたり。

 間違いなく、この時がグレイにとって、人生の絶頂期だったと言えるだろう。


 そんな幸せな日々も、ある日突然崩れることとなる。


「お義父様と共に、コンスタンティノポリスへ、ですか?」

「ああ、優秀な魔術師や学者を集めているらしい。君にも召集令が出た。エルーシャと結婚したばかりだというのにすまないと思うが……」


 二人が結ばれてから、およそ五ヶ月後のことだ。

 東ローマ帝国は、バルカン半島奪還のために大規模侵攻を画策していた。そこで魔術の力を使おうと言うのだろう。


 皇帝府からの命令とあらば、無視するわけにもいかない。もしも行きたくないと駄々をこねてしまえば、グレイだけでなくエルーシャにまで危害が及ぶ。


「……分かりました。私も同行いたします」


 この時の選択を、千年経っても後悔することになる。

 もしも。もしもこの召集令を無視していれば。戦争なんてものから逃げていれば。


 未来は、大きく変わっていたかもしれないのに。



 ◆



 グレイが皇帝府に召喚されてから、二ヶ月が経った。妻とは手紙でやり取りをしているが、一度も家には帰れていない。

 今頃妻はどうしているだろうか。領民のみんなは元気にしているだろうか。


 あの幸せな日々に戻ることを糧に、この二ヶ月頑張ってきた。

 ここで自分の力を活かし、少しでも早く戦争を終わらせることができれば。それだけ妻の元へ帰るのも早くなる。


 魔術師としてのグレイは、とても優秀だった。

 魔力、術式構成技術、知識。

 時代を問わず、魔術師としての腕をたしかめるにはその三つが基準となる。グレイはそれら全てを高水準で満たしており、その上で情報操作の異能まで。

 帝国は彼を重宝したし、逆に同僚たちはそんな彼をよく思わなかった。


 貴族でもなんでもない平民出身。それだけで下に見られがちだと言うのに、おまけに辺境の領主のところに婿入り。成り上がりだのなんだのと揶揄され続け、時には執拗な嫌がらせも受けた。

 それらに耐えて、グレイは戦争の準備を推し進める。任された仕事を、誰よりも早く、誰よりも上手くこなす。

 一日でも早く、妻の元へ帰るために。


 そうして皇帝府へ召集されてから三ヶ月が過ぎ、グレイたちの開発していた大規模術式の完成が見え始めた頃。

 事件は起きた。


「グレイ・アルマキリス。貴様らアルマキリスの者には、間者の疑いがかけられている。我々に同行してもらおうか」

「な、なにかの間違いです! お義父様がそのような真似をするはずが!」


 コンスタンティノポリスの宿に踏み込んで来た憲兵隊は、なんの説明もなくグレイを捕らえようとした。

 はいそうですか、と捕まるわけにはいかない。かと言って応戦すれば、本当に反逆者となってしまう。

 とにかくその場は逃げることを考え、街の路地裏に身を隠した。


 憲兵隊に、裏はない。彼らは本当にグレイたちアルマキリスの人間が間者だと思い、こちらを捕らえようとしていた。

 ならばこの帝国のどこかに、グレイたちを嵌めようとしたやつがいるはずだ。


 グレイ自身のみならず、地方貴族のアルマキリスをよく思わないやつらはかなりいたはず。そいつらをしらみ潰しにしていくか。いや、その前にまずは、共に皇帝府へ来ていた義父の無事を確認しなければ。


「グレイ様」

「あなたは、お義父様の……」


 路地裏に身を隠すグレイのそばに、一人の男性がやってきた。アルマキリス卿の秘書をしていた男だ。

 護衛も兼ねて同行していた彼は、元は精悍な顔つきの老人だったはずなのに。今では見る影もないほど痩せこけ、傷だらけになっている。


「ご主人様からの伝言でございます。領地へお戻りください……領民たちが……エルーシャ様が危ない……!」

「ど、どういうことですか! お義父様はどこに⁉︎」


 聞けば、随分前からアルマキリスを目の敵にしていた中央貴族数人が、ありもしない証拠をでっち上げて彼を間者に仕立て上げたのだと言う。それが三ヶ月前。

 つまり、元々アルマキリスが皇帝府に召集されたのは、その容疑についての裁判を行うためだったのだ。そこにグレイまでも召集令が出たことは、因果関係があるはず。


 嫌な予感がした彼は執事をその場に残し、異能による転移でアルマキリス家の治める領地まで飛ぶ。


 すでに遅かった。


 道には多くの死体が転がっていた。子供も老人も関係ない。臓腑と赤い血が飛び散って、女は明らかに犯された跡が残っている。


 目を逸らしたいその光景に、グレイの異能は残酷なほど淡々と、情報を映し出す。

 中央貴族に雇われた盗賊くずれの傭兵たちが、数日前にここを襲ったこと。現在ここに、生きている者はいないこと。屋敷の使用人や領民の中に、中央貴族の間者がいたこと。


 いや、それでも。まだ希望はある。もしかしたら、彼女はどこかへ逃げているかもしれない。

 アルマキリスの屋敷から離れた位置にある自宅へ駆け出す。道中で倒れてる死体は、そのどれもが見知った人たちだ。中には首が飛ばされたり顔が潰れてるものもあったが、一目見ればグレイには誰かわかる。


 それら全てを振り切って、辿り着いた先。

 家の周りにあった花壇は踏み躙られ、扉は乱暴に壊された、エルーシャと暮らしていた我が家。


 心臓が高鳴る。大丈夫だと何度も自分に言い聞かせて、その中へ足を踏み入れた。


「あ、あああ……」


 本当は、とっくに気づいていたのだ。生き残りなんて誰一人いないことに。


「ぁああああ……!」


 それを認めたくなくて、けれど起きてしまったことは変わらなくて。


「ああああああああああああ!!!!」


 外にいた人たちと同じく。

 犯され、辱められ、殺された妻の亡骸を抱いて、男は絶叫した。



 ◆



 どこにでも存在する悲劇。

 特にこの時代、戦乱に包まれた世の中では、当たり前に蔓延っていたそれを、世界の終わりかのように錯覚した。


 当たり前じゃなかったのは、その悲劇に見舞われた男だ。

 彼の執念は、憎悪は、元凶となった人間を殺しても収まらず。その醜さを何度も見せつけられ、むしろ増すばかりだった。


 君の言う通りだったよ、エルーシャ。

 この世界に、人間は必要ない。

 だから、私が全て滅ぼす。何百年、何千年とかかろうが。

 君が愛した、この世界の未来を求める。

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