第119話

 魔術学院日本支部の周囲を覆う富士の樹海。そこには今、多くの魔術師とネザーのゴーレムが陣形を組んでいた。

 数にして三万。全世界から集められた魔術師が一万に、ゴーレムが二万だ。

 その陣形一つしても、普通の戦争とはまた違った形をしている。


 前面に展開したゴーレム部隊はまだまともな方。問題は、その後ろに控えている魔術師たちだ。

 十人ほどの小隊に分かれ、五つの小隊がそれぞれ五芒星の頂点になるように配置され、それで一つの中隊を作っていた。

 更に五つの中隊が同じように、五芒星を形作る。それで一個大隊。


 アメリカ支部から派遣された魔術師、カレン・ヨハンソンが配属された部隊は、そのように陣形自体をひとつの魔法陣として機能するようにしていた。

 他の大隊も、形は違えど同じように、陣形を魔法陣として組んでいるだろう。


「聞け! もうじきネザーのゴーレムが、日本支部に接触する! 我々も術式の準備を始めるぞ! この世の悪である吸血鬼に与し、学院に仇なす裏切り者どもを、ここで討ち取るのだ!」


 オォーーーー!!!! 大隊長の拡声魔術による声に呼応して、魔術師たちの雄叫びが響き渡る。しかしカレンは、この作戦に納得がいってなかった。


 日本支部を攻め落とすことになった理由はいくつか存在している。

 賢者の石の器である二人の乱心。首席議会の一人を殺し、吸血鬼グレイの子を三人匿っている。日本の地方都市が半壊になる魔物を呼び寄せた、とも報告にあったか。


 だがカレンは、探偵賢者がどのような人間なのかを知っている。たった一度、短い時間ではあったが、あの男と会ったことがあるから。

 彼は、決してそんなことをする人間には思えなかった。


「時間だ、始めろ!」


 小隊長からの指示が飛び、同じ小隊のメンバーが魔力を練り始めた。しかし、本当にこれでいいのだろうか。迷うカレンは動きを止めてしまい、小隊長に目をつけられてしまった。


「カレン・ヨハンソン、なにをしている!」

「僭越ながら、この作戦は本当に正しいのでしょうか? 日本支部が我々の敵であるその証拠は?」

「貴様、首席議会の命令に背くつもりか⁉︎」


 またそれか。

 この場に派遣される前、作戦が始まる前、どこでも同じことを言われる。

 首席議会の命令だから、首席議会が決定したから。


 ここは組織だ。ならば上が決めたことは絶対。それはわかる。

 でも、だからって意見を具申してはいけない理由にはならない。

 各小隊、中隊、大隊の隊長はみんな、しつこいくらいに首席議会の命令だと強調してきた。


 なにかあるのでは、と疑ってしまう。なまじ、日本支部の人間と関わりがあるだけに。


「それとも貴様は、世の安寧を乱す賊徒の味方をするつもりなのか? それがなにを意味するのか、分からないわけではあるまい」

「それは……」


 おまけにカレンは、首席議会の悪い噂をいくつも耳にしていた。きっとカレン以外にも、この作戦に参加している魔術師たちは一度くらい聞いているだろう。


 彼らはその地位を確固たるものにするため、手段は選ばないのだと。


 しかし、こうして声を上げているのはカレンだけだ。小隊のメンバーも、余計なことはやめてくれとばかりにカレンを睨んでいる。

 日本支部は、必要な犠牲だ。魔術世界の平穏のために、延いては個々人の保身のために。だから、おかしいと思っても声を上げない。まちがっているのだと、正しくないのだと理解していても、忠実に命令を遂行する。


 悔しさに歯噛みする。由緒正しきヨハンソン家の跡継ぎとして、こんな作戦は納得できない。それでも、これ以上逆らえば。

 自分だけでなく、家の人間がどうなるか。


 諦めて魔力を練り始めようとした、その時だった。


「なんだ、結構話のわかるやつもいるじゃない。あー、聞こえてる? 各隊の隊長は殺して構わないわ。そいつら、首席議会と通じてるから。どうせネザーの正体も知ってるんでしょうし」


 緊迫したこの場に相応しくない、どこか気の抜けた、それでいて凛と澄んだ声。

 カレンのみならず、中隊メンバー全員が呆気にとられる。


 長い漆黒の髪を持った日本人。誰もがその顔を知っている。手配書に載せられていたのと同じだから。


 殺人姫、桐原愛美。


 一体いつからそこにいたのか。彼女は構える素ぶりも見せず、そこに立っていた。


「ば、馬鹿め、わざわざ一人でこんなところまで来てくれるとは! 術式の構成は中断だ! 殺人姫を仕留めろ! この数でかかれば──」

「この数でかかれば、なに?」


 居合一閃。

 三メートルは離れた位置にいたはずなのに、中隊長の首が飛んだ。刀を鞘に収めた殺人姫は、表情ひとつ変えない。


「う、うわぁぁぁぁぁ!!」

「待て! 陣形を整えてから──」


 錯乱した一人が魔術を放つ。それを止めようとしたカレンの小隊の隊長だが、飛んで来た短剣が脳天に突き刺さり、静止の言葉は最後まで言えなかった。


「返してもらうわよ」


 殺人姫が駆ける。死体に突き刺さった短剣を抜き取り、近くにいた魔術師たちへ無作為に襲いかかった。

 拳を打ち込まれた仲間たちは一瞬で地面に倒れ、残った四人の小隊長たちは、ろくな抵抗もできずに斬り殺される。


 呆気に取られている場合じゃない。

 この作戦には納得していなかったが、向こうから襲って来たのであれば話は別だ。仲間がやられているのだが、自分も戦わないと。


 腰に差した愛剣を抜いて、体に直接刻んである術式を起動させる。強化もかけた脚力をふんだんに使い、カレンは殺人姫の眼前へと躍り出た。


「そこまでだ!」

「あら」


 全力で振り下ろした剣は、刀の鞘に容易く受け止められた。その攻防だけで、桐原愛美との実力差を理解する。


 絶望的。

 その一言が相応しいだろう。魔力がどうという話ではなく、戦闘経験、技術の冴え、スピード、その全てにおいて、彼女はカレンの遥か高みにいる。


 しかし、それが退く理由にはならない。これ以上学院の仲間を傷つけられてたまるものか。


「今のうちに逃げろ! 何人束になったところで、殺人姫には勝てない!」

「よく分かってるじゃない。でも、全員を逃してあげるわけにはいかないのよね」


 目の前の少女が、消えた。

 いや、そう錯覚するほどに速い。

 カレンの背後で逃げ惑う魔術師たちへ振り返る。空色の軌跡が通った後には、真っ赤な鮮血が舞う。各中隊とこの大隊の隊長たちが、見るも無残に斬り殺されていた。


「なぜ……殺した……⁉︎」

「不思議なことを聞くのね」


 愛剣を強く握りしめ、殺人姫へと斬りかかる。何度剣を振るっても、その全てが躱され、刀を収めた鞘に防がれる。

 向こうから攻撃してくる気配もなく、それがカレンを苛立たせていた。


「攻めて来たのはそっちでしょう? これは殺し合い。戦場で死ぬ覚悟ができてないやつなんているの?」

「殺す必要はなかったはずだ!」

「今後のために、とでも言えばいいのかしら」

「それは……!」


 カレンだって気づいている。

 腐りきった学院上層部。各隊の隊長は、その意思を受けて動いている。その他の魔術師とは違い、日本支部には本当になんの非もないことを知っていながら、作戦に参加して部隊を指揮していた。


 首席議会しかり、殺された隊長たちしかり、そんなやつらは今後の魔術世界にとって、癌にしかならない。


 でも、だからって、殺すことはなかったはずだ。話せば分かるなんて綺麗事は言わない。捕まえて、罪を償わせる。それでよかったはずなのに。


「それとも、こう言った方が納得する? 私が殺したかったから。理由なんてそれだけだ、って」

「……っ!」


 背筋に悪寒が走る。足が竦んで動かなくなった。直接向けられた尋常ならざる殺気に、胃の中のものが逆流しそうになる。


 この少女がなんと呼ばれているのか、どうしてそう呼ばれているのか、ようやく正しく理解できた。


「ぼうっとしてる暇はないわよ」


 ハッと我に返り、体の術式が反応する。

 すぐそこまで迫る拳を愛剣で防ごうとして、その意思とは正反対に、右腕が側頭部を守るように動いた。


 バキボキ、と嫌な音が鳴る。表情を歪めたカレンはを防ぎきることも出来ず、そのまま吹き飛ばされ、近くの木に背中から激突した。


「今のに反応できるのね……その体に刻んだ術式のお陰かしら?」


 悔しいが正解だ。

 ヨハンソン家が代々得意とするのは、感知魔術。カレンの体に刻まれた術式は、生まれたその時に埋め込まれたものだ。

 敵の動きを感知して防御する。そこに術者の意思は介在せず、起動した術式が自動的に体を動かすのだ。


 その術式のお陰で、殺人姫の意味がわからない体術に対応できた。腕一本を折るだけに済んだ。


 逆に言えば、ただの蹴りでこの威力だ。彼女が強化魔術を使っている様子もなく、単純な体術だけで。

 直撃したらどうなることか。そのあたりに倒れている魔術師と、同じ末路を辿っていただろう。


「この辺りに残ってるのはあんただけね。どうする? こっちはもう、戦う必要もないんだけど」

「仲間がやられたのだ。ヨハンソンの娘として、ここで退くわけにはいかない!」

「嫌いじゃないわよ、そういうの」


 クスリと微笑むその顔は、年相応の少女にしか見えない。その余裕が気に入らない。せめて一矢報いなければ。

 折れた右腕を簡単に治療して、剣を握り直す。利き腕を負傷したのは痛いが、今自分の持てる全てを叩き込めば。

 あの少女に、一撃だけでも届くはずだ。

 決意して一歩目を踏み出し。


 世界が、反転した。


「え……?」

「でもごめんなさい。こっちも余裕があるわけじゃないから。お行儀のいい決闘とかは、また後日ってことで」


 地に倒れている。全身に鈍い痛みが走る。右脚と、肋骨も何本か折れているか。


 どうして? いつの間に? 術式はどうした? なぜ反応しなかった?

 いや、まさか、術式の反応速度よりも、この少女の方が速いとでも言うのか?


「……了解。こっちはもう終わったけど、さっさとやっちゃいなさい」


 どこかと通信しているのか、殺人姫が一人で喋っている。

 なにをするのかと恐れていれば、突然地面が輝きだした。ただの光ではない。日本支部の校庭を中心として、超大規模な魔法陣が広がっているのだ。


「なんだこれは……魔力が、吸い取られて……⁉︎」

「ちょっと苦しいかもだけど、これくらいは我慢しなさいね」


 それだけを言い残し、殺人姫はどこかへと転移してしまった。

 残されたのは、あの少女一人に倒された魔術師たち。唯一意識があるカレンも、怪我と魔力の枯渇で体が動かない。


「私は、なにをしているんだ……!」


 こんな馬鹿げた作戦に参加し、歳下の少女に手も足も出なかった無力さに、カレンは一人涙を流した。



 ◆



「あークソッ! キッツい!」

「二人掛かりでも結構だね……」


 学院の校庭を中心として広がった超大規模な魔法陣は、織と朱音による魔導収束のものだ。

 幻想魔眼による補助もあったが、それでも樹海全体への展開はかなりキツかった。


 しかし、これで戦況は一転する。


「待たせたなカゲロウ!」

「翠、下がってて!」

「遅いんだよ織!」

「朱音、あとは頼みました」


 校庭のすぐそこで異能による不可視の壁を張り、ゴーレムの侵攻を食い止めていたカゲロウと翠。二人のお陰である程度数は減り、魔力を吸収した影響で完全に動きが止まっていた。

 壁を消して離脱したのを確認して、織と朱音は新しい魔法陣を展開する。


 富士の樹海にいた一万の魔術師と二万のゴーレム。その全てから吸収した魔力は、なぜか樹海の中に現れた、灰色の吸血鬼へと放つためのもの。


位相接続コネクト未来を創る幻想の覇者レコードレス・フューチャー!」

位相接続コネクト略奪せし時の敗北者レコードレス・ルーサー!」


 なぜやつがこの場にいるのか。蒼たちはどこでなにをしているのか。ネザーの代表はどうなったのか。

 何もわからないが、しかし。グレイがここにいると言うのであれば、この機を逃すわけにはいかない。


「術式解放! 我ら蒼穹を往く未来ときの開拓者!」

「輝かしき空の光よ、その意思と力をここに示し、我らの明日を照らし導け!」


 遠くの樹海に、太陽の光が降り注いだ。

 轟音と衝撃が離れた位置にある校庭まで届き、その威力の絶大さを物語る。


 未来視も使った。龍とルークがグレイと戦っていたみたいだが、あの二人は咄嗟に離脱してくれる。

 親子二人掛かりで放った空の元素魔術だ。

 直撃すれば、今度こそ。あの吸血鬼を倒せる。


「織さん! 朱音ちゃん! やりましたか⁉︎」

「多分、な……」


 方々で魔術師たちの相手をして時間を稼いでくれていたメンバーが戻ってくる。愛美、葵、蓮、緋桜、サーニャだ。

 四人が倒した魔術師たちは、葵の異能によってどこぞへ転移させた後だ。巻き添えはないはず。


「まだだ、桐生織」

「来るぞ、構えろ」


 サーニャと緋桜が警告した、その直後。

 目の前に、灰色の吸血鬼が現れる。


「そう何度も同じ魔術は食らわんよ、探偵。その目を使った不意打ちなら、私を殺せると思ったか?」

「ハッ、この程度で死んでくれなくて安心したぜ、吸血鬼。一度この手でぶん殴ってやりたかったところだからな」


 皮肉げに口の端を歪めながらも、内心で舌打ちをする。

 絶好のチャンスをフイにした。もし直撃させていれば、間違いなく殺しきれたのに。


 後悔している暇はない。状況は変わった。次の手を考えろ。

 必死に思考を巡らせる中、どこか遠くから槍が飛来し、吸血鬼の胸を穿った。続け様に、黄金の斬撃がその体を飲み込む。


「おいおい、お前の相手は俺らだろうが」

「ボクを無視するとはいい度胸だ! よほど愉快な死に方をしたいらしいね!」


 織たちの前に現れたのは、先程までグレイと戦っていた龍とルークだ。

 龍は苛立たしげな表情を浮かべ、ルークは狂気じみた笑顔を見せている。


「おい織」

「はい?」

「俺らごとやろうとしたのは、取り敢えず不問にしといてやる」

「ハハ……」


 ドスの効いた声で言われ、乾いた笑いが出てしまった。別に巻き添えにしようと思ったわけじゃない。離脱できると信じて、というかそういう未来を見たから、安心して撃てただけだ。


 だがそう弁明する暇もない。転生者の二人の攻撃を受けたにも関わらず、無傷のグレイがそこに立っているのだから。


「いい加減に邪魔だな、転生者」

「お褒めに預かり恐悦至極。お前の邪魔をするのが目的だからな。蒼が帰って来るまでのあいだ、精々時間稼ぎはさせてもらうぜ」

「ボクもまだまだ満足していないからね! もっと楽しませなよ!」


 転生者の二人が駆ける。心強い援軍に織たちも続こうとしたが、踏み出した足は止めざるを得なかった。それは龍とルークも同じ。


「今の私は、虫の居所が悪いんだ」


 空が、黒く塗りつぶされる。紅い月が浮上する。

 あの日と同じ。空を夜に変える魔術を、万全の状態にないはずのグレイが発動させた。


「なんで、今のお前が……⁉︎」


 ただ、本気を見せていなかっただけだというのか? 魔女から受けた傷なんて関係なく、空の元素のダメージは最初からなかったのも同然で、手を抜いていただけ、だと?


「勘違いするなよ、人間。私は万全の状態と程遠いさ。認めよう。魔女はたしかに、私の体に傷を負わせた。太陽の力は、今もこの身を苛んでいる。桃瀬桃はまちがいなく、私の天敵だったよ」

「なら……!」

「それでもッ! この怒りさえあれば! 俺にそんなものは関係ない!」


 なんの話だ。この吸血鬼に、一体なにがあった?

 これまで遭遇した時と明らかに違う。グレイがここまで怒り狂うなんて、想像したこともなかった。


「織!」

「……っ」


 不意に肉薄してきたグレイが、眼前で槍を振るう。愛美の声で我に帰り咄嗟に防護壁を張るが、それは容易く破られ、赤黒い槍が織の肩を抉った。


 前に棗市で戦った時よりも速い。

 この空の影響なのだろうが、その恩恵を受けるのはなにもグレイだけじゃない。


「よくもっ!」

「どいてろ織!」


 紅い瞳を輝かせた葵が斬りかかり、カゲロウが織の首根っこを掴んで後ろへ雑に放り投げる。

 葵の刀は槍に受け止められ、背後へ回り込み大剣を振りかぶるカゲロウは、不可視の衝撃に吹き飛ばされた。


 バチッ、と火花の散る音。全身にいかづちを纏った葵が、そのまま放電する。

 しかしグレイの体は無傷だ。葵の華奢な体を蹴り飛ばして、入れ替わるように突撃してきた翠とサーニャは魔力砲撃に呑まれた。


「無事ですか、サーニャ」

「なんとかな」


 翠の異能でなんとか防いだらしい。二人は大きく後退して、その隙に聖剣の輝きが迸る。

 悪しき者には絶対の力を発揮する黄金の力。それをあろうことか、グレイは腕の一振りだけで逸らした。


「なっ……!」


 驚愕を隠せない蓮。聖剣の力は、いわば異能と同じだ。愛美の切断能力と同じく、殆ど問答無用の力。そのはずなのに。

 涼しい顔で受け流したグレイが、蓮へ腕を向けた。


「蓮くん!」


 蓮の足元から、赤黒い槍が伸びる。翼をはためかせた葵が蓮を突き飛ばし、槍は少女の脇腹を穿った。


「葵!」

「大丈夫、これくらいなら……!」


 槍を引き抜くと、夥しい量の血が地面に落ちた。

 吸血鬼の力が活性化しているお陰で、再生はすぐに始まる。蓮が無言で腕を差し出し、意図を察した葵は躊躇わず牙を突き立てた。


 そうしている間にも、愛美と龍、ルークの三人がグレイへ肉薄している。

 だが全方位に衝撃波が放たれ、近くことすらままならない。


斬撃アサルト二之項フルストライク!」

殺戮せよ、雷鳴の絶槍アラドヴァル!」

剣戟投射ソードバレル幻想崩壊エクスプロージョン!」


 後退しながらも愛美は異能を乗せた斬撃を飛ばし、ルークは手元に出現させた槍を投擲。龍が異能で作り出した大量の刀剣を弾丸のように放つ。

 愛美の斬撃が情報操作の守りを切り裂き、ルークの槍が心臓に突き刺さって龍の刀剣が殺到、大爆発を引き起こす。


 それでも、殺せない。

 爆発の余波による煙が晴れ、そこに立っているのは完璧に再生している吸血鬼。

 この夜の影響で増した力に、情報操作の異能。更には体内に宿している大量の賢者の石が、やつに無限にも等しい力を与えているのだ。


「無駄なんだよ、ルーサー」

「ァ……ガッ……」


 正面に突き出した右腕が、銀の炎を纏いいつの間にか接近していた朱音の首を掴んだ。


「朱音!」

「桐生織、貴様に分かるか⁉︎ 愛した者の尊厳を貶され、辱められ、その上で殺され、死してなお弄ばれる、その気持ちが!」

「朱音を離せ!」

「動くな」


 全員が朱音を救おうと動き、その一言で止まった。

 誰かがグレイの腕を斬り落とすよりも、朱音の首が潰される方が早い。あの吸血鬼は、容赦なくそうする。

 だがそれよりもっと、殺人姫の方が早い。


「全て、無駄なんだよ」

「ぐッ……」


 グレイへと刀が振るわれるよりも前に、愛美の腹へ赤黒い槍が突き刺さった。それでも彼女は、娘を取り返すために止まらない。


「娘を、返しなさいッ!」


 ため息すら漏らして、吸血鬼は殺人姫を蹴り飛ばす。血を流しているせいで、愛美の動きは精彩が欠けた。普段なら躱せる攻撃も躱せない。


 なにもできない。織が引き金を引くより、魔術を発動させるより、魔眼を使うより、グレイの手が朱音の首を握りつぶす方が早い。

 少しでもおかしな動きを見せれば、娘の命は容易く摘み取られる。


 誰もが歯痒い思いをしながら動けない中。


 それでも、ただ一人。

 首を掴まれた朱音だけが、笑っていた。


「望み通りの未来だよ、クソ吸血鬼」


 銀色の炎柱が、夜空の下に聳え立った。

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