第81話

 桐生織と桐原愛美。

 日本支部において、その二人を知らぬものなどいないだろう。魔女の力を受け継ぎ、今や世界を巡り戦う二人だ。


 織は今年の四月に学院へ来たばかりだが、愛美はそれ以前から有名だった。

 風紀委員長として、殺人姫として。その殺人姫のパートナーたる織も、学院中に存在を知られるのは時間の問題だったが。


 そんな二人が、学院本部から敵と、反逆者と見なされたことは、全生徒に通達された。

 一年や二年の中には、やはりいるものなのだ。ありもしない噂話をどこからか引っ張ってくる、口さがない連中が。


「やっぱり、力に目が眩んだとか?」

「本当に冤罪か疑わしいよな。それで俺らにまで迷惑かけるとか、マジで勘弁して欲しいわ」

「あの吸血鬼に助けられたってことは、裏切ったってことでしょ? ならあの子も実は敵なんじゃないの?」


 ヒソヒソと聞こえてくるのは、先輩を侮辱する内緒話。

 仕方ないこと、なのだろう。

 ここは魔術学院日本支部という一つの組織で、擁する人数が多ければ多いほど、こう言う類のものは出てくる。本人達に悪気があろうとなかろうと。


 三年生の人たちや教師たちは、二人がどんな人間かも理解しているし、なにより裏切りという行為の無意味さも理解している。

 それは即ち、人類最強を敵に回すということなのだから。

 それがなんと愚かなことなのかを、大人の皆様方はしっかり分かっているのだ。


 それにしてもイライラする。

 それっぽい理由をいくつも並べたところで、黒霧葵の心情はただ一つ。大好きな先輩たちをバカにされて許せない。それだけだ。


「実際、どういうやつらなんだよ。その二人は」


 イライラを通り越してもはや殺気すら漏らす葵に、カゲロウが宥めるように質問した。

 今の二年生の中で二人と交流があったのは、葵くらいだろう。蓮も一度話したことはあるが、その程度。


 カゲロウの質問に対して、フフンとなぜかドヤ顔の葵は、薄い胸を張って自慢げに答えた。


「愛美さんはね、そりゃもうめちゃくちゃにカッコいいんだよ。強くて、正しくて、優しい人なの」

「殺人姫なんて呼ばれてんのに?」

「あー、それはまあ……」


 言葉を濁す葵に、カゲロウが怪訝な目を向ける。桐原愛美を象徴する二つ名。殺人姫。

 これに対して、葵はちょっと複雑な気持ちを抱いているのだ。


「そのあだ名広めたの、お兄ちゃんなんだよね」

「緋桜さんも風紀委員長だったんだっけ?」

「うん、そうだよ蓮くん。その繋がりで、私も風紀委員に入ったんだ」


 葵はほんの少し話に聞いている程度だが、当時の風紀委員も色々と一悶着あったらしい。

 委員長の緋桜に、今よりもストイックに生きていた殺人姫と、復讐以外に何も考えていなかった魔女。


 いや、愛美が風紀に入った頃は、まだ殺人姫なんて呼ばれていなかった。

 だってそのあだ名を考えたのは、まさしく。


「多分だけど、殺人姫って最初に言ったの、私なんだよね……」

「葵が?」

「うん。お兄ちゃんに、愛美さんのことで相談されたことがあってさ。殺人鬼みたいだーって言うから、女の子なんだし鬼じゃなくて姫じゃない? って」


 当時の葵、正確には碧が何気なく発した言葉だったのだけど。学院に入ってからは驚いたものだ。まさか二つ名として定着してしまっているとは。


「……」

「どうした蓮?」


 葵をしげしげと眺める蓮。カゲロウが不思議そうに問いかけるが、本人はなんでもないと薄く笑って被りを振るだけ。


 だが、葵にはわかった。多分だけど、葵があの子たちのことを、はっきり自分と発言したから。

 ほんの少しの寂しさと、感慨深さのようなものを感じているのだろう。


「それより、俺は朱音が心配だよ」

「だな。あいつ、一人で勝手に思い詰めるタイプだろ」


 サラッと織の方は流されたのだが、まあ織だし別にいいや。朱音が心配なのは、葵とて同じことだし。


 それに、カゲロウの言うことは間違っていない。あの子はなんでも一人で抱え込んで、それを全部一人で解決出来てしまう。だからタチが悪い。

 気づいた頃にはもう手遅れで、助けを求めるタイミングを完全に失ってしまう。だからこちらが目を光らせておくしかない。


「なんていうか、甘え方とか頼り方が不器用なんだよね。いざとなれば私たちが助けてくれる。そういう確信があるから、あの子は無茶してるんだろうけど」

「それなら、最初から言って欲しいくらいだよ」


 カゲロウよりも朱音との付き合いが長い二人は、ため息混じりに言ってみせる。

 サーニャがついてくれてるから大丈夫だろうけど、それでも心配は尽きないものだ。


 なにせ教室内ですらこの有様。未だに流言飛語があちこちで囁かれている。校内全体を見渡せば、この比ではないだろう。


 しかし心配ばかりしていても仕方ない。葵たちには、葵たちのやることがある。


「カゲロウ、朱音ちゃんのことはお願いね。あの子のこと、見てあげてて」

「ま、仕方ねぇな。お前らも仕事あるんだし」

「本部の人が来るから、その案内。普通こういうのって、生徒会の仕事じゃないのか?」


 どういうわけか風紀にお鉢が回って来たが、学院を代表してとなると、蓮の言う通り生徒会の方が適している。

 言っちゃ悪いが、風紀の方が仕事も多いのだ。最近はかつてのように、学院内での乱闘騒ぎも起き始めているし。案内中に騒ぎが起こったとなれば色々と面倒だろう。


「多分だけど、二人のことを知ってる私たちだから、じゃないかな」


 もちろんそこには、朱音の存在もあるだろう。彼女もなんだかんだで、風紀委員によく出入りしている。


 本部から反逆者扱いされている二人と、縁の深い風紀委員だから。とはいえカゲロウは二人のことなんて全く知らないし、蓮も関わりは薄かったから、葵と朱音がメインだろうが。


「ほーん。まあなんにせよ、まともな奴が来てくれることを祈るしかねぇな」

「ほんとにね」


 それからカゲロウは、あいつの様子見てくると言って教室を出ていった。恐らく、そのまま朱音と事務所に向かうだろう。


 葵と蓮も風紀委員会室へ向かうことにしたのだが。なんと言うか、こう、せっかく二人きりなのに、色気がないなぁ、なんて思ってしまう葵だった。



 ◆



 学院での講義を全て終わらせた朱音は、サーニャとカゲロウの二人を伴って事務所に戻って来た。

 蒼から両親の現状について聞かされたものの、それでも朱音にはやることがある。事務所の仕事もそうだし、なにより街に現れる魔術師と、その対処に出るだろう特殊部隊とやら。その調査。


「その特殊部隊ってのは、別に今日明日にでも出てくるってわけじゃねぇんだろ?」

「そうさな。嘘でも国が関わっているのだ。面倒な手続きやらが必要になっているだろうから、まだ少し先ではないか?」


 留守番していたアーサーから歓迎を受けた二人が、ソファに腰を下ろしつつ今後について話している。

 最近なんだか、アーサーが二人に懐きすぎて、ほんの少し嫉妬してしまう。


「ところで、なぜあなたまで来てるのですか? サーニャさんだけで十分なのですが」


 所長のデスクに腰掛け、当然のような顔でこの場にいるカゲロウへ問いを投げた。別にカゲロウが事務所にいること自体はおかしなことではないのだが、サーニャと一緒に保護者ヅラしてるのが気にくわない。


「蓮とチビから頼まれてんだよ、お前のこと」

「別に、心配される謂れはありませんが」

「心配するのはオレらの勝手だろうが。それともなにか、オレがいたら困ることでもあるか?」

「そんなことはありませんが……」

「ならいいだろ」


 たしかにいて困ることはないけど。

 今の言葉を聞く限り、心配してくれているのは葵と蓮だけじゃなく、カゲロウ自身も、ということになるのだが。


 いや、実際に心配してくれているのだろう。この半吸血鬼が意外と情に熱いことを、朱音も知っている。

 出会ってからまだ数ヶ月、未だに仲良しなどとは程遠いが、それでも朱音は、カゲロウにとって身内の一人に数えられている。


 友人である蓮は言わずもがな、普段からいがみ合ってる葵ですらも。


「話を戻すぞ。魔術師の対処は、しばらくいつも通りだ。少なくとも、今週はまだ我らで相手をせねばなるまい。そして国として発表している限り、各地に配備される際には大々的な知らせがあるだろう」

「問題は、ネザーがどこまで絡んでるかだな。その特殊部隊にネザーの人間が紛れててもおかしくはねぇぞ」


 おかしくないどころか、確実に紛れてる。特に棗市に配備される部隊には。

 ネザーの目的なんて未だに分からないが、報告にあった出灰翠の発言から察するに、位相の力が絡んでいるのは間違いない。


 となれば、レプリカではない本物の賢者の石を持つ朱音とプロジェクトによって生み出されたカゲロウがいるこの街を、ネザーが放っておくわけないのだ。


 ふと、事務所の周りに張っている結界に反応があった。


「この話はここまでですね。人が来ますので」


 朱音が話を締めくくると同時に、事務所の扉が開く。現れたのは、常連となりつつある女子高生二人組。花蓮と英玲奈だ。


「やっほー」

「こんにちはー」


 しかし今日はその後ろに、もう一人男子が付いて来ていた。

 朱音にとっては見覚えのあるどころではない。昨日、己の正体が露見してしまった相手。一緒に野良猫の世話をしていた、大和丈瑠だ。


「丈瑠さん……」

「……」


 一瞬目が合うが、すぐに逸らされてしまう。気まずげに伏せられた瞳には、ほんの少しの畏怖が見て取れた。


 仕方ないことだ。同時に、もし花蓮と英玲奈の二人にも知られてしまったら、こんな反応をされてしまうのだろうと、少しだけ怖くなる。


「お、今日はみんな揃ってるじゃん」

「サーニャさんどうもですー。カゲロウは久しぶり?」

「ああ、そういや最近、こっちには顔出してなかったな」


 そんな朱音の心情など知らず、花蓮と英玲奈、カゲロウの三人は親しげに話し始める。カゲロウが来た当初と比べると、随分仲良くなったものだ。


「んで、そいつは?」


 完全に萎縮しきった丈瑠へ、カゲロウが視線を向ける。

 彼が事務所に来たのは、今日が初めてだ。朱音はいつも、あの公園でしか会っていなかったから。カゲロウとサーニャにも話はしていたが、こうして顔を合わせるのは初めて。


 となれば、なぜ丈瑠が事務所にやって来たのかが気になる。しかも昨日の今日で、加えて花蓮と英玲奈に連れられて。


「えっと、大和丈瑠、です……」

「カゲロウ、知らない? 朱音と一緒にどこぞの公園で猫の世話してるらしいけど」

「ほーん、そいつが噂の」

「そう、噂の。んで朱音とどういう関係なのか問い詰めたんだけど、うちらには口割らなくてねー」


 それで、朱音に直接聞きに来た、というわけか。しかし残念なことに、二人が期待しているような答えは出せそうにない。

 一緒に猫の世話をしていた。本当に、それだけの関係。強いて言うなら友人、程度なのだから。


 が、それも昨日までの話。

 今となっては、彼の友人も名乗れない。


「別に、お二人が思っているような関係ではありませんが」

「ホントに?」

「うちら、織から朱音のこと頼まれてるから、朱音にちょっかいかけそうな男は無視できないんだよね」


 いつの間に、と言うのが真っ先に思い浮かんだ疑問だ。

 両親が出て行ったのは、目覚めてからそう日が経たないうちだったのに。それに、英玲奈の言った色々と、と言う言葉にも、他意が含まれている気がする。


「そんなことより、そろそろ仕事に向かう時間だぞ、朱音」

「え?」


 言われて、気づいた。

 街に張り巡らせた結界に、反応がある。魔物と魔術師両方だ。

 サーニャから言われるまで気づかなかったとは。それほど、丈瑠の来訪に動揺していたということか。


 しかしタイミングが悪い。せっかく花蓮と英玲奈が来てくれたのに。いや、丈瑠もいるから、ある意味で逃げる口実ができたと考えれば、悪いとは言えないか。


「すいません、そう言うことなので、私はそろそろ出ますね。カゲロウとサーニャさんは残るので」

「ちぇー、仕方ないか」

「ま、本当に手出されてないなら、それでいいしね。頑張って来なよ、朱音」

「はい」


 最後に笑顔を返して、朱音は事務所を出た。少し歩いて離れてから仮面を被り、街中にあるビルの屋上へと転移する。


 見下ろした先、街中ではすでに魔術師が暴れていた。魔物も何匹か使役している。すぐにそこへ転移すれば、住人たちの悲鳴が耳に響いた。

 それは断じて、敵の魔術師や魔物だけに向けられるものではない。ルーサーとして立っている朱音に対しても。


「やっと来たな、殺人姫もどき!」

「またあなたですか」


 魔物を使役していたのは、先日朱音が取り逃がした魔術師だった。機械の義足と義手。殺人姫への異常な執着。

 朱音が唯一取り逃がした敵。そいつがわざわざやって来てくれた。一度目はともかく、二度目はない。


 ため息混じりに魔力を動かし、今もなお暴れる魔物に魔力の槍が突き刺さった。それだけで魔物は生命活動を停止させ、あっという間に残されたのは魔術師の男一人となる。


「おいおい、そんな簡単に殺して良かったのかよ?」

「妙なことを聞きますね。敵は殺す。おかしなことではないでしょう?」

「そいつが元は、この街の人間だとしても、か?」

「は?」


 こいつは今、なんと言った? 片手間で葬った魔物たちが、元はこの街の住人だと?


 意味がわからない。今朱音が殺したのは、紛れもなく魔物だった。理性を失い、暴れて街を破壊する敵だった。

 それが元は人間で、あまつさえこの街の住人だったと言うのか?


 たしかに、葵たちの報告には似たような事例があった。人里離れた村の人々が魔物へ変えられる。そして昨日、野良猫が魔物へ変えられていた。

 これらを考えれば、あり得ないことではないのかもしれないけれど。


「信じられないか? なら証拠を見せてやるよ」


 下卑た笑みを浮かべた魔術師。その耳には、イヤリングがつけられている。見たことのあるものだ。そう、学院祭のあの日、南雲仁がつけていたものと同じ。


 異能の力が封じ込められている魔導具。

 それが紫の、毒々しい光を発した途端。あたりに転がっていた魔物の死骸が、人間の姿へと変貌を遂げた。


 例えば、スーツを着た男性。あるいは制服姿の女生徒や警官。果ては老人まで。中には朱音も見覚えのある、商店街の住人も。

 的確に心臓を穿たれ、血の海に沈んでいる。


 他の誰でもなく、朱音の手によって、彼ら彼女らは命を落とした。


「こいつらはお前が殺した! 守るべき相手を! お前は手にかけたんだよ!」


 魔術師の笑い声が、頭に響く。

 端的な事実が、何度も脳内で反響する。


 殺した。守らないといけない人たちを。両親から託された街の住人を。

 私が、殺した。


「一つ、尋ねますが」

「あん?」


 けれどどうしてか、自分でも驚くほどに朱音は冷静で。

 仮面の奥の表情は、酷く冷めたものとなっていて。


「あの猫を魔物に変えたのも、あなたですか?」

「その通りだが?」


 怒りが、限界を超えた。



 ◆



 先輩女子二人に無理矢理連れてこられた先には、仲違いのようなものをした友人と、なんかやたら綺麗な銀髪の女性に灰色の髪のちょっと怖い人がいた。


 なにを言ってるのか分からないと思うけど、丈瑠にだって分からなかった。

 おまけに友人は、仕事だと言ってつい先ほど出て行ってしまったし。


 ともあれ、大和丈瑠は非常に肩身の狭い思いをしていた。


 そんな中、である。


「あ、あのっ!」


 勇気を出して声を上げれば、全員の視線が丈瑠へ向けられた。

 花蓮と英玲奈はまだいい。一応学校の先輩だし、親しみやすさのようなものも感じられる。しかし、サーニャとカゲロウの二人。人間離れした容姿の二人から見られると、丈瑠はどうしても萎縮してしまって、言葉が喉に詰まる。


 それでもどうにか、声を振り絞って尋ねてみた。


「みなさんは、桐生の正体を知ってるんですか……?」


 反応は、綺麗に二つ別れた。

 サーニャとカゲロウからは細めた視線で見つめられ、花蓮と英玲奈はキョトンとしている。もしや後者の二人は、なにも知らないのでは。

 ミスったかと思ったのも束の間、しかしその二人が最初に切り出す。


「正体って、あれのこと?」

「織から聞かされてるやつでしょ、多分」

「それしかないよね」

「なんだ貴様ら、もしや知っているのか?」


 サーニャがまさかと言った様子で花蓮と英玲奈を見やるが、どうやらこの様子だと、この四人の中でも意思の疎通が出来ているわけではないようだ。


「てことは、やっぱサーニャさんも?」

「じゃあカゲロウもってことじゃん?」

「待て待て、お前ら、なんのこと言ってんのか分かってんのか?」


 少し焦るカゲロウとは対照的に、花蓮と英玲奈は、なんでもないことのように、その言葉を口にした。


「朱音が魔術師ってやつだってことっしょ?」

「サーニャさんとカゲロウ、あとたまに顔出す葵だっけ? あの子もお仲間なんじゃないの?」


 絶句した。まさか、この二人は分かっていて朱音と付き合っていたとは。

 その上で、サーニャとカゲロウまで、魔術師なんて呼ばれる連中の仲間だと。


「織と愛美さんから聞かされてんだよね、全部」

「うちらのこと信用してくれてるからだとは思うけど、まあ最初は疑ったよね」

「でもあの子、ふつうにデスクの上に仮面置いてるもんだから、そりゃ気づくっての」


 認識阻害という魔術がある。

 丈瑠には知る由もないことだが、この街の住人は基本的に、桐生探偵事務所について正しく認識することができない。

 中学生の歳である朱音が一人で事務所を開いていることを始めとして、本来ならおかしいと思うことをそう認識できないようにされている。

 本来なら、テーブルの上に置いてある仮面なんかもその一つだ。


 認識を、意識をズラす魔術。

 ただしそれは、一度正しく認識してしまったものには作用されない。

 花蓮と英玲奈は、織と愛美に全てを聞いていた。二人が街を離れる前、自分たちが魔術師であることも、朱音が自分たちの娘であることも、一人残される朱音が無理を重ねて戦うであろうことも、全て。


 以前、占い師の件をここに持ってきたのも、そういう経緯があるからだ。


「あ、これ朱音にはオフレコでお願いね」

「過保護な親に言われてんのよね」

「それは構わぬが……」

「お前ら、知っててよくオレらと普通に付き合えるな」


 そう、そこなのだ。

 カゲロウが今言ったことこそ、丈瑠が聞きたかったこと。


 だって、魔術師というのは街の住人にとって、テロリスト同然の連中で。

 猫たちの住処を奪った張本人で。

 朱音やこの二人も、そいつらと同じ魔術師で。


 なのにどうして、花蓮と英玲奈は怖がることなく、普通に接することができるのか。


「そりゃまあ、順番が違うからっしょ」

「うちらは、魔術師なんてやつらが街に出てくるよりも前から、織と愛美さんに聞いてたわけ」

「その順番が逆だったら、まあ普通になんていられないし」


 この二人は、最初から桐生朱音という少女を知っていた。彼女が、その両親らしい二人がどんな人間なのか。

 だから、世の中に魔術師と呼ばれるテロリストが現れても、朱音と普通に接することができた。


 丈瑠との差は、知った順番。ただそれだけだと。とても軽い調子で言ってしまう。


「僕には、無理です……」


 気づいた時には、言葉が漏れていた。

 ハッとなって場を見回し、注目されていることに気づく。けれど一度出した言葉は戻るはずがなくて。

 言葉は、勝手に続きを口から垂れ流す。


「桐生が……ルーサーがどんな人間だとしても、僕は許すことができそうにないんです……だって、猫たちの住処を奪ったのは、ルーサーだって同じで……でも、桐生と一緒に過ごした時間が、嘘とは思えなくて……」


 短い時間ではあったけど、桐生朱音は優しい少女だとは理解できた。

 でも、そんな彼女と、街に現れた魔術師を屠る仮面の魔術師とが、重ならない。


 丈瑠の知っている朱音なんて、ただの一側面でしかないのだと理解していても、あまりにもかけ離れているじゃないか。


「あるいは、そのように否定してくれる人間が、朱音には必要なのかもしれぬな」


 銀髪の美しい女性が、どこか遠い目をして呟いた。

 けれど今の丈瑠がしているのは、否定なんて生易しいものじゃない。


 拒絶だ。


 桐生朱音を、ルーサーの存在を、否定するだけでなく拒絶する。受け入れることもなく、深く知ろうともせず、ただ怖がって目を逸らして。

 それではダメなのだと、頭では分かっていても感情は言うことを聞いてくれない。


「……すいません。今日はもう、失礼します」

「待て」


 事務所の扉に手をかけた時、サーニャに呼び止められた。首だけで振り返ってみれば、彼女は美しい顔を苦々しく歪めていて。


「今すぐにとは言わん。いつかでいい。朱音のことを、ちゃんと受け入れてやってくれないか。肯定することも、許すこともしなくてもよい。それでも、あやつを受け入れてやってくれ。この街のために戦っていることだけは、間違えようもなく事実なのだ」


 ああ、この人は、桐生のことをとても大事に想っているんだな。


 嫌という程に、今の言葉だけでそれが通じた。けれど、なにも返すことができず、丈瑠は事務所を後にする。


 もう、なにがなんだか分からない。

 分からない中でも、足は自然と街の方に向いていた。おそらくそこでは、今まさしく、朱音が戦っているのだろう。

 ただもう一度、見ておきたかったのだと思う。彼女が戦う姿を。そうしたら、もしかしたら朱音のことを、受け入れられるかもしれないから。


 辿り着いた先。駅よりも南側の繁華街の中には、仮面を被った少女が一人。血の海に佇んでいた。


「うっ……」


 ルーサーの前には、首と胴体の離れた死体が横たわっている。思わず吐き気を催して、しかし寸前で耐えた。

 見れば他にも、彼女の周囲には街の人たちであろう死体が、血に沈んでいた。


「桐生……」


 呟きが聞こえたのか、ルーサーがゆっくりと振り返る。

 仮面に隠れた表情は、見えるはずもないのに。どうしてか、泣いているように思えて。


 仮面の少女は、前触れもなくどこかへと姿を消してしまった。程なくして警察が現れ、丈瑠もその場から離れる。


 許すことも、肯定することも、出来そうにない。だって、人の命が失われたのだ。

 それでも、受け入れることは出来るだろうか。拒絶せず、彼女のことを否定してやることは。


 ただの高校生である丈瑠には、答えを出せそうになかった。



 ◆



「殺した……私が、街の人を……」


 転移した先のビルの屋上で、両膝をついた桐生朱音は仮面を外し、嫌な脂汗を掻いていた。


 知らなかったとはいえ。本来なら守るべき人たちを、この手にかけてしまった。

 私自身が、その命を奪ってしまった。


 押し寄せる後悔と自責の念。

 桐生朱音は強い。それは実力的な意味でも、精神的な意味でも。これまで転生した回数を考えれば、生半可なことじゃ心は折れない。

 でも、今回ばかりはダメだ。


 朱音の心が折れなかったのは、守りたいと思った人がいたから。

 かつては両親だけだった。けれど今となっては、この街の人たちを、自分に優しくしてくれたみんなを守りたいと。そう願い、戦い続けてきたのに。


「朱音!」


 呼ばれた声に顔を上げれば、そこには銀髪の吸血鬼が。街の惨状を見てきたのだろう。

 今まで許さなかった死者を出してしまったことも、サーニャはすでに知っている。その顔には焦りと心配が。


「大丈夫か、なにがあった?」

「サーニャさん……私……私が、街の人を……」


 たった一度だ。

 たった一度、ヘマをやらかした。


 今まで一人も死なせなかったのに。大きなけが人も出さなかったのに。

 他の誰でもない、この手で。


「私……もう、戦いたくないです……!」


 その一度だけで、朱音の心は完全に折れてしまった。


 泣き叫びしがみついてくる少女を、銀髪の吸血鬼は強く抱き締める。

 ここにいない敵を、怒りに染まった紅い瞳で睨みながら。

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