第74話
問いを投げられて、どれだけ時間が過ぎただろうか。何も答えられないまま、沈黙だけが通り過ぎる。
鎌を向けた碧は、キツい瞳で見つめている。その目を正面から見ていられなくて、葵は逃げるように顔をうつむかせていた。
そもそも、この空間において経過時間など意味を持たない。視覚の共有を行なっているのならまだしも、それすらない今となっては正常に時間が動いているのかも謎だ。
「答えられない? まあ、それも当然よね。あんな写真見せられて、あんなこと教えられて。我がことながら同情するわ」
言葉とは裏腹に、その声音はどこまでも他人事のようで。
どうして。なんでそんな風に言えるのか、分からない。だってこれは、碧自身の話でもあるのだ。その口で碧も言ったじゃないか、我がことながら、と。
なのになんで。
「なんで、そんな他人事なの……私だけじゃない、私たちの話なんだよ⁉︎ 碧はあんなこと知らされて、なにも思わないの⁉︎」
「思わないわね」
即答。葵の悲鳴じみた叫びを切り捨てるように、同じ顔の少女は酷く冷めた表情を向けている。
「あたしと葵はもう関係ないわ。これは、あなた一人の問題よ。黒霧葵は、あなたなの」
「違う……私はッ……! 黒霧葵として生まれたのは……あなた達なんだよ……!」
「違わない。あたしもあの子も、あなたの一部に過ぎないもの」
違う。違う、違う、違うッ!
繰り返される自己否定は、まるで自らの手首に刃物を通すような自傷行為。それで楽になれると信じて、ありもしない救いをそこに見る。絶望を希望と履き違える。
私は黒霧葵だと。半ば自分に言い聞かせるようにしていた。
糸井蓮の友人である黒霧葵。
消えた二人の妹から、人生の全てを託された黒霧葵。
自分一人では立っていられないから、そうやって誰かに自身の存在理由を依存させて寄りかかった。
でも、こうして二人が戻って来たのなら。
それらは全て、意味のないものへと変わってしまう。
だって、蓮の気持ちはあの子に向いているんだから。
託されたものの全てを、二人に返せるんだから。
私が黒霧葵である必要は、ない。
プロジェクトカゲロウ。その末に生み出された、グレイの遺伝子を持つ人間と吸血鬼の混ざり者。シラヌイ。
「そうだ、そうだよ……みんな、その方がいいに決まってるんだ……蓮くんは大切な女の子が、朱音ちゃんは未来で一緒に過ごしてた二人が戻ってくる! 愛美さんと織さんだって、きっと──」
大鎌が、振るわれた。
言葉は最後まで言わせてもらえず、碧が容赦なく振り抜いた大鎌は、葵の体を胴体から真っ二つに裂く。
痛みはない。ここは『黒霧葵』の精神世界なのだから当然。ならば碧が鎌を振るったのはなぜか。
「いただけないわねぇ。さすがにそれは、言わせるわけにいかないわよ」
欠損したはずの下半身は勝手に再生する。いや、再生というよりは構築と言った方が正しい動きで、体は元に戻った。
そのままへたり込んでしまった己自身を、碧は冷たく見下す。
「なんでか分からないでしょ。今のあなたには、あなたが吐こうとしていた言葉の意味が、その重さが分かってないもの」
「そんなこと……!」
「あるのよ」
だって、単なる事実じゃないか。
望まれてるのは私じゃなくて、あなた達なのだから。
だから私は、もう──。
「逃げ出したい?」
見透かしたような言葉が、葵の胸を穿つ。
どこまでも、どこまでも冷酷な瞳の中で。怒りの炎が、僅かに揺らめいている。
「逃げ出して、消えていなくなりたい? ええ、まあ、それもそうよね。実年齢が幾つであろうが、精神的にはまだ子供のそれだもの。色々と真実を目の当たりにして、そう思うのは無理もないこと。その上で、あなたは本当に消えることができるんだから」
「だったら、もう許してよ……これ以上、なにも知りたくない……」
「許さない。あたしもあの子も、今みたいなあなたは、絶対に許さない」
なにもなかったのだ。
私には、なにもなかった。黒霧葵という名前も借り物で、みんなとの思い出は本来二人のもので。みんなからの愛情も信頼も、全てはこの二人がいたから。私個人に向けられたものじゃないから。
残されたのは、シラヌイという記号だけ。
「しばらくここで、みんなの様子を見てなさい。それで考えて。あなたが、一体何者なのか。何者のつもりでいるのか」
碧の姿が消え、静寂だけが残される。
遅れて、黒板には映像が。恐らく、この体が今見ている光景だ。
朱音とサーニャがいて、すぐそこで笑い合っている。楽しく会話して、サーニャがたまに朱音のことを叱ったり、葵がそれを仲裁して、朱音を励ましたり。微笑ましくて、眩しい光景。
そこに、私の居場所はない。
◆
学院の校庭に場所を移した蓮とカゲロウ、龍の三人。稽古をつけてくれることになったとはいえ、まずは方針を固めておかなければならない。
「始める前にひとつ、お前の勘違いを正しておくけどな。糸井、お前は弱くない」
「それは、お世辞とかじゃないですよね」
「俺がお前に言う世辞使ってどうすんだよ。客観的事実として、お前は優秀な魔術師だ。魔力量は年相応に少ないが、それは逆に伸びしろがあるってことだし、質は一級品。魔力操作の技術も、戦闘における立ち回り、体の動かし方もよくわかってる」
突然謎のべた褒めが始まって、蓮は照れたように首を掻く。もちろん本当に世辞なんてものではなく、龍は淡々と事実を羅列しているにすぎない。
糸井蓮は、優秀な魔術師だ。
ただ、彼の周りにいるのが規格外ばかりで、自分が弱いと勘違いしがちなだけで。
弱くはない。優秀だ。
それでも、足りない。敵はそれ以上に強大で、葵を守るためにはもっと力が必要だ。
「まずは自分の長所を自覚しろ」
「魔力の質とか、ですか?」
「そいつもお前の長所ではあるが、違う。昨日の、ネザーでの戦いを思い返してみろ。魔力の質がいいってだけで、吸血鬼と張り合えると思うか?」
思わない。魔力の質が良ければ、たしかに複雑な術式を扱えるし、魔力の消費効率も良い。だが、たったそれだけで吸血鬼と張り合えるのかと聞かれれば、首を横に振る。
いや、蓮としてはまともに張り合えたなんて思っていないのだが。
たしかにやつの足を止めることは出来たけど、それだってものの数秒程度。糸はすぐに全て引き千切られたし、それだけで全魔力の殆どを使い切ってしまった。
そもそも、その数秒ですら並みの魔術師には不可能なことに、蓮は気づいていない。
「いや、でもそれ以外にはあまり思い浮かばないんですけど……」
「あ、根性とかか? 蓮はこう見えて、結構根性あるからな」
「それ一つでどうにかなるなら、世界は今頃平和だろうよ」
龍の皮肉げな返答に、カゲロウは眉根を寄せる。自分が半吸血鬼であるからこそ、根性一つで渡り合えるような相手じゃないことは理解しているだろうに。
多分冗談のつもりで言ったのだろうけど、どこかバカにされたようで気に食わなかったのか。
すこし考えを巡らせてみる。
この魔力以外で、自分の長所。誇れるものはなにか。
然程時間を掛けずとも、一つの結論に至った。のだが、どうにもそれを自分の口から言うのは、恥ずかしさがある。
それを龍は察してくれたのだろう。代わりに答えを口にしてくれた。
「お前の一番の長所、最も活かすべき武器は、その思考速度。頭の回転の速さだ。その様子だと、今まではあまり意識してなかっただろ」
「ええ、まあ……」
「お前や緋桜のような、遠隔操作系の魔術を使うやつに多いんだけどな。状況を俯瞰して把握し、数手先まで読んで動ける。これは立派な武器の一つだ」
それこそ昨日の戦いで、蓮が吸血鬼の動きを止めた時のような。
リアルタイムで変わっていく情報を全て把握し、その上で未来予測を立てて魔術行使する。異能も何もなく、ただその脳みそひとつで行うのだ。
蓮や緋桜の魔術の場合、特にそれが求められる。糸や桜の花びらを遠隔操作する彼らは、もちろん敵との距離も開く。遠隔操作である以上、操作対象との距離も。
距離が開けばそれだけ、操作そのものにラグが生じる。どう操作するかを思考し、実際に魔力を動かして、命令コマンドを打ち込む。それから魔術が命令通りに動くのだ。
一定以上の思考速度を有していないと、遠隔操作系の魔術はろくに扱えない。
「お前みたいなタイプとは真逆の戦い方をするやつ、そこのカゲロウや俺みたいに、接近戦をメインに戦うやつってのは、反射速度に優れてる。瞬間瞬間の状況判断を、思考に委ねず反射に委ねる。これは戦闘経験や勘の良さがモノを言う」
龍なら転生者ゆえの膨大な戦闘経験、カゲロウなら持ち前の勘の良さ、といった具合だろう。それらを反射的に発揮する。
咄嗟の判断とか、一瞬の判断とか。ハイスピードな接近戦だと思考の暇など殆どなく、そう言うのを求められるという話。
「だが、ひとつ上の規格外なやつらになると、その限りでもない。思考で反射を補う。あるいは、反射で思考を補う。その二つの融合とでも言うべきだろうな」
「えっと、どういう意味ですか……?」
「お前らでも分かりやすいところで言えば、朱音の戦い方だな」
首を捻る蓮とカゲロウに、龍が分かりやすい例を出してくれる。
朱音の、延いては桐原愛美の戦い方こそがそれらしい。彼女らの戦闘スタイルは、その根底に特殊な体術が組み込まれている。二人は詳しい原理や理屈を聞いたことがあるわけではないが、たしか後出しが出来るとか、そんなことを言っていたか。
「結局なにが言いたいんだよ。蓮は俺らと違うとこが優れてる。それは分かったけどよ、なら目指すのはどこだって話になるだろ」
「まあ待て。今の話は、あくまでも意識の問題だ。最初に言ったろ、自分の長所を把握しろって」
思考だの反射だのと説明したが、ようはそれも向き不向きの問題だ。それを実際に伸ばして活かすためには、やはり実戦しかない。
こうして話しているだけでは、なにも始まらないのだ。気持ちは急いてばかりになる。焦ったところで直ぐ手に入るものではないと、そう分かっているのに。
「お前の長所を把握した上で、だ。幸いにも、糸井みたいなタイプは正しいやり方さえ教えてやれば、後の成長率ってのは結構なもんでな。自分で考えて色々とやってくれるもんだから、教師役としちゃ楽なもんなんだよ」
「たしかに、最近の蓮は勝手に成長してる感じあったな」
「勝手にって……まあ、色々と考えながら戦ってはいたけどさ」
妙に保護者目線なカゲロウだが、蓮が名目上は自分の監視役ということを忘れてないだろうか。これでは立場が逆だ。まあ実際、カゲロウは蓮の親と同じか、それ以上の歳ではあるのだろうけど。
なんだかんだで葵も朱音も監視役とか忘れてそうだし、今更どうでもいいか。
「で、だ。朱音からは選択肢を増やせ、と言われたんだろう?」
「はい。戦い方を学んで、選択肢を増やす。大雑把ですけど、それが目標です」
「ならこいつだな」
言って、龍の目の前に剣が現れ、地面に突き刺さった。なんの変哲もない西洋剣だ。
特別な力が宿っているわけでも、魔力が込められているわけでもない。果たしてどこから取り出したのか。
魔力の動きはなかったから、転移というわけでもなさそうだし。つまりは、龍が持つなにしらの異能か。
「持ってみろ」
促されるがまま、その剣を手に取る。
柄を覆う革は硬く、あまり馴染みのない感触だ。普段使っている魔力の糸とは違って、たしかな重みを感じる。陽の光を反射して煌めく刀身は綺麗だが、これは人を殺すための道具に他ならない。
それを意識すれば、重さは余計に増した気がした。
葵もカゲロウも朱音も、この重さを手に戦っているのだ。
「お前にはまず、剣の使い方を覚えてもらう。現状でも接近戦は十分できるとは思うが、使える武器が一つでも増えれば、それだけ選択肢も増えるからな」
「分かりました」
「よし。カゲロウ、相手してやれ。ついでだから、お前も見てやる」
「オレは別にいいだろ」
「お前は逆に、基礎の動きができてない。勘で動きすぎだ。あの馬鹿でかい剣を片手で振り回すだけじゃ、勝てる相手にも勝てないぞ。剣道ってのをちょっとは教えてやる」
西洋剣をもう一本出現させる龍。カゲロウは眉根を寄せながらもそれを受け取り、蓮から距離を取った。
剣道を教えると言うのなら、素振りからやらせた方が良さそうなのだけど。
「いいか、技を磨け。それを体に覚えさせろ。思考だの反射だのとプロセスは問わない。淀みなく体を動かせるようになればそれでいい」
そうなるのに、果たしてどれほどの時間が掛かることか。
分かっている。一朝一夕で力が手に入るわけがない。地道な努力で少しずつ。それがなによりの近道でもある。
俺は他のみんなのように、強力な異能も特別な魔力も持ってないけど。
それでも、決めたから。
守るために、強くなると。
「やろう、カゲロウ」
「よっしゃ、いつでもいいぜ蓮!」
◆
「あらサーニャさん! 今日も朱音ちゃんにご飯作ってあげるのかい?」
「ああ、こいつの兄と姉はまだ帰って来そうにないのでな」
「全く、こんな可愛い妹放ったらかして留学なんてよくやるよ」
「そう言ってやらないでくれ。二人にとっては大切なことなのだ」
「分かってるよ。無事に帰って来てくれたら、それでいいさね。それよりほら! 今日の夕飯はなににする予定なんだい?」
「今日は客も多いのでな。色々と作ろうと思っている。一通りの野菜を包んでもらってもいいか?」
「任せなさい!」
「お、サーニャさんじゃねぇか! 相変わらず美人さんだねぇ!」
「ふふっ、褒めてもなにも出んぞ。むしろいい肉を出してもらわねばな」
「言われなくても、今日もいい肉揃ってるぜ!」
「ほう……ではこれと、あとこの二つも貰おうか。それぞれいつもより多めに欲しいな」
「いつもより? なんだ、宴会でもすんのかい?」
「似たようなものだ。少し豪勢にすると、朱音と約束してしまったからな」
「よし、そう言うことならここら辺も包んでやるよ! 値段はこんくらいでどうだ!」
「安すぎないか? もう少し払うぞ」
「いいってもんよ! 美人と可愛い子にはサービスすんのが信条なもんでな!」
「すまぬな。では頂こう」
「あ、サーニャさんだ」
「ちわーっす」
「花蓮と英玲奈か。先日のケーキは二人が持って来てくれたらしいな。いつもすまない」
「いいっていいって!」
「そうそう。うちらが朱音に食べさせてあげたかったから、サーニャさんとカゲロウの分はそのついで」
「ふむ、そうか。礼になるかは分からんが、困ったことがあれば我らを頼れよ」
「もちろん! 織より頼もしいし!」
「事務所と可愛い妹放ったらかしにしてる所長様なんかよりね」
商店街を歩く銀髪の吸血鬼。その後ろをついて歩く葵は、あんぐり口を開けている。
まあ、そんな反応にもなるか。葵の隣で肉屋で買った牛肉コロッケを頬張りつつ、朱音は内心で頷いた。
だって、明らかに浮いてるのだから。
下町感溢れるこの商店街と、異国の人間にしか見えないサーニャは、あまりにもミスマッチ。しかしこうも受け入れられているのは、この商店街の持つ雰囲気と、織が築き上げた事務所のイメージ。なによりサーニャの人間性があってのことだろう。吸血鬼だけど。
「凄いね、サーニャさん。ふつうに馴染んじゃってる」
「サーニャさんですから。これくらいは当然ですが」
「なんで朱音ちゃんが得意げなの……?」
袋の中から新しいコロッケを取り出して、朱音はふふんと胸を張る。
こればかりは、葵も知らないサーニャの一面だ。何度か事務所で夕飯を共にしたことはあったけれど、こうして買い物まで一緒に来たことはなかったのだから。
共有されている記憶にはない、朱音しか知らないサーニャの顔。
別にサーニャが褒められて得意げになったわけではなく、葵に勝った気になってるだけである。葵は勝負してるつもりなんて全くないが。
「まあ本当のことを言ってしまえば、これも認識阻害の影響ではありますが」
「街全体に掛けるなんて聞いたことないけどね」
朱音が事務所に住んでいる、サーニャやカゲロウが当然のように事務所を出入りしている、などなど。世間一般に照らし合わせたらおかしなところも、そういうものなのだと認識させている。
「使い方の問題ですよ」
はむはむと牛肉コロッケを頬張りながら歩く朱音は、口の中のものを嚥下して、ピンと人差し指を立てた。
「この街一人一人に魔術を掛ける、あるいは結界でこの街を覆ってしまうのは効率が悪いので。概念強化の応用で、棗市という概念そのものに作用させているのです」
「なんでもありだね、概念強化」
「そんなことはありませんが。出来ないことだってありますよ」
口元を自嘲気味に歪めて、朱音は新しいコロッケを袋から取り出す。いくつ入っているのかと葵が半ば引いているのには気づかない。
事務所への道を歩いていれば、少し前を行くサーニャがおもむろに振り返った。俄かに赤く染まる夕日を背にしていて、綺麗な銀髪を焼いている。
「朱音、そろそろ蓮とカゲロウを迎えに行ってやってくれ」
「んー、いや、その必要はなさそうですが。カゲロウがまだ異能を使えますので」
橙色に瞳を染めて呟く。事務所の前で二人と合流する未来が見えた。魔法陣も見えた辺り、龍に送ってもらっているのか。なんにせよ、このまま歩きていればその通りの未来になるだろう。
ならいいか、とサーニャが頷きを返し、また歩き始める。道中街の子供たちに朱音も話しかけられたりしながら辿り着いた事務所前。
しかしそこに蓮とカゲロウの姿はなく。唐突に、葵がなにか呟いた。
「え? あー、そっかぁ……思ったより重症だなぁ……碧の言い方が悪かったんじゃないの? ……うん、分かった。顔出しとく? ……ん、りょーかい」
「葵さん?」
突然の独り言。いや、独り言ではなく、まさしく文字通りもう一人の自分と会話しているのだろう。
久し振りに見たそんな姿に、朱音はなにかあったのかと首を傾げる。
「碧か?」
「はい。碧があの子と話してたんですけど、あの子、まだいじけちゃってるみたいで」
サーニャへ苦笑気味に返す葵。こればかりは本人たちでないと分からないが、他の二人の間でなにかしらの話し合いをしていたのだろう。この様子だと、あまり上手くいってなさそうだが。
早く戻って欲しいという気持ちはあるけど、そうすると今度は、今表に出てる葵と碧が消えることになる。本人の言葉を借りれば、消えるのとはまた違うらしいが。
それでも、会えなくなるのは同じだ。だから朱音は、軽々しく言葉を発せない。
なんと返したものかと悩んでいれば、目の前に魔法陣が広がった。
「おお、結構出来るもんだな」
「転移って結構難しい魔術なんだけど、異能様々ってとこ?」
「だな。何回も術式見てたから、異能のサポートありゃなんとかいけるわ」
魔法陣の上に現れたのは、蓮とカゲロウ。異能ではなく、あくまでも魔術主体で転移してきたらしい。
わざわざそんな遠回りなやり方を取ったのは、カゲロウ自身も異能に対して色々と手探りだからだろう。
「糸井くん、カゲロウさん、おかえり」
「おう」
「ただいま。って、俺が言うのはちょっとおかしくないかな?」
葵が二人の元へ駆け寄り、五人揃って事務所の中へ入る。出迎えてくれたアーサーに残りの牛肉コロッケを食べさせてあげた。美味しそうに食べるアーサーは、やはりどこか人間臭い。
「それ、アーサーに食べさせていいのか?」
「大丈夫ですよ師匠。アーサーは好き嫌いありませんので、なんでも食べてくれます」
「そう言う意味じゃないんだけどなぁ……」
どう言う意味だとしても、魔物だから基本なんでも食べれるのだ。だから問題はない。
「葵、それと蓮も。すまんが夕飯の準備を手伝ってもらうぞ」
「はい! サーニャさんと料理するの、久し振りですね!」
「サーニャさん、私も! 私も手伝いますが!」
「貴様は黙って待っとれ」
すげなくあしらわれ、肩を落とす朱音。だがまあ仕方ない。母親譲りの壊滅的な家事スキルは自覚あるのだし。
「ま、当然だわな」
「煩いです」
フッと小馬鹿にしたような笑みをカゲロウに投げられた。普通にムカつく。
「それより、師匠はどうでした?」
「蓮か? オレがどうこう言えたもんじゃねぇとは思うが、まあいい感じだったぞ。教師様からのお墨付きだ」
「そうではなくて」
「そっちは見てたら分かるだろ」
わざわざ言うまでもない、ということだ。
数時間前の蓮と比べれば、かなりいい顔になっていた。
似たような顔を見たことがある。自分の母親と同じなのだ。
正しさを求めて強さを欲する、殺人姫と呼ばれたあの少女と。
みんなを、大切な人を守れるヒーローになりたいと、彼はそう言った。
だから己の弱さを許せず、それでも弱い自分を認めて、克服しようと努力している。
たしかに愛美と似た決意を秘めてはいたけど、己の弱さに対する向き合い方はまるで違う。それは織とも、朱音とも違うもの。
弱さを覆い隠して強がるわけでもなく、弱いままでもそれでいいと受け入れるわけでもなく、弱い自分を許せないからこそ戒めとして仮面に変えるのでもなく。
真正面からぶつかり、強くなろうと足掻いている。
あるいは、それこそが糸井蓮の強さだ。
「男が一度やるって決めたんだ。あいつはもう心配いらねぇよ」
「となると、問題は……」
「チビの方だな」
彼女に関しては、今のところ葵と碧に任せるしかない。朱音にはなにも手助けできなくて、それが歯がゆい。
葵のことは大好きなのだ。力になりたい。でもそれが出来ない。
「ま、大丈夫だろ。最後にはなんとかなる」
「楽観的ですね。万が一ということもあると思いますが」
「ねぇよ」
朱音の言葉を笑い飛ばしたカゲロウには、なにが見えているのだろう。
人の心の機微に聡い彼には、葵や蓮の気持ちも、もしくは朱音の心配すらもお見通しなのかもしれない。
「チビが自分一人でどうにかならなくても、蓮がいるからな。言ったろ、男が一度やるって決めたんだってな」
なんの根拠もないのに。力強いその言葉は、朱音の不安を払拭するには十分だった。
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