第56話

「カゲロウはともかく、なんで蓮くんまで一緒に暴れるかな! 私闘禁止って言ったばっかだったよね⁉︎」

「ごめん……」

「おい、オレはともかくってなんだ。喧嘩売ってきたのは向こうだし、先に手出したのは蓮だぞ」

「止めなかった時点で同罪でしょ!」


 風紀委員会室にて。地べたに正座させられている男が二人。

 先ほど乱闘騒ぎを起こし、介入した葵によって氷漬けにされてたカゲロウと蓮だ。他の四人は医務室送りとなったが、カゲロウは吸血鬼としての再生能力で、蓮は朱音の治療で無事に済んでいる。


「まあまあ、葵さん。その辺にしときましょうよ。久しぶりに風紀の仕事で、ちょっとワクワクしてたのは事実でしょう?」

「それが知り合いじゃなかったらね……」


 理性的だと思っていた友人と、学院生活初日の半吸血鬼。ワクワクするわけがない。今だって頭痛がしそうなのに。


 そう、そんな蓮が、なぜあんな騒ぎを起こしてしまったのか。先に手を出したのは蓮だと言うし、一部始終を見ていた朱音から訂正がないと言うことは事実なのだろう。

 怒りの代わりに湧いてくるのは疑問。蓮とは二年分の記憶があるけど、その中に彼が自分から手を出したなんてことはなかった。


「それで、どうしてあんな騒ぎを起こしたの? 志波たちのことなんて無視してたら良かったのに」


 騒ぎを起こした残りの四人は、全員クラスメイトだった。彼らが葵のことをよく思っていないことは知っているし、そんな葵と蓮が一緒にいることも、彼は好ましく思っていない。志波海斗の性格は知っていたが、蓮はいつものらりくらりと躱していたはずだ。

 それが今回に限って、なにがあったと言うのか。


 眉を寄せる葵に対して、蓮は少し拗ねたような、普段は決して見せない幼く感じる表情で、不満げに呟いた。


「葵のことをあんなに悪く言われたんだ。怒るに決まってるだろ」


 傍に立つ朱音が、なぜか「おぉ!」と瞳を輝かせている。そちらはさて置いて、蓮の言葉を聞いた葵はしかし、ため息を一つ落とす。


「そんなことで……」


 自分のために怒ってくれるのは嬉しいが、だからと言って手を出していい、ルールを破っていい理由にはならない。

 友人だからと言って、ルール違反を許すわけにはいかないのだ。

 あの二人も、きっとそうする。蓮のことをちゃんと叱って、けれどその後に礼を言うはずだ。葵もそれに倣おうと思ったのだが、しかしカゲロウが横から口を出してくる。


「おい、そんなことってなんだよ。蓮はお前のために怒ってたんだぞ」

「分かってるよ、それくらい。その上で、そんなことって言ってるの」

「尚更悪いだろうが。礼も言えねぇのか?」

「あんたが口出ししてこなかったら言うつもりだったわよ。ていうか、私は蓮くんと話してたんだから、邪魔しないでくれる?」


 苛立ちから口調も荒くなってしまう。この半吸血鬼とは、どうにもウマが合わない。案外いい奴だったりするのだろうけど、それはそれ。相性の問題だろう。


「なんにせよ、ありがとう蓮くん。でも、あんまり気にしなくていいからね? 私がみんなに怖がられたり、色々言われたりするの、今更でしょ?」

「葵は、それでいいのか?」


 正座のまま、真摯な瞳に見つめられる。

 だから、分かってしまう。蓮は他の誰でもない、今ここにいる葵に尋ねているのだと。

 彼が黒霧と呼んだあの子ではなく、私自身を見て、聞いている。


 それでも葵は、首を横に振った。


「いいの。私には周りに目を向ける余裕なんてないからさ。蓮くんと、朱音ちゃんと。ついでにカゲロウと、それから私。これだけで精一杯」


 蓮の気遣いは、本当にありがたいし嬉しい。でも、それとこれとは別だ。葵はあの先輩のように、周りに目を向けるだけの器用さもないし、余裕もない。ただでさえ自分のことで精一杯。ちょっと無理してみても、手の届く範囲にいる親しい人たちと向き合うことだけで。


「だから、あんなやつら放っておいたらいいよ。蓮くんもカゲロウも、今日からは風紀委員に入ってもらうんだから、もう騒ぎは起こさないでよ?」

「は?」

「え、俺たちが?」


 サラッと言ってのける葵に、蓮もカゲロウも目を点にする。


「今日、生徒会長に呼び出されてさ。メンバーの補充しろって。今後は今日みたいな騒ぎも、また増えてくるかもしれないから」

「なんでオレまで」

「監視」


 カゲロウの抗議の声は、その一言だけで封殺された。眉を顰めて苦々しい顔をしているが、それ以上反論するつもりもないらしい。物分かりがよくて結構。

 そして蓮も、異論は特にないようで。


「俺は構わないよ。たしかに、葵一人じゃキツイと思うし。助けになるなら風紀に入る」

「ありがと、蓮くん」


 ホッと安堵するように笑顔を浮かべれば、蓮も優しい笑みを返してくれる。

 やはり、持つべきものは友人だ。生徒たちを相手にするだけなら、蓮もカゲロウも実力的には申し分ないし。いや、カゲロウは実際どの程度かは分からないけど。半分とは言え吸血鬼。過度な期待はしないでおこうと思うが、それでも頼りになるのは事実だろう。


「どうやら決まりみたいですね。この後はどうします? お二人もうちに来ますか?」

「私は遠慮しておこうかな。蓮くんとカゲロウが風紀に入るから、その関係で書類仕事もあるし」

「俺も手伝うよ。だからカゲロウだけ連れて行ってくれ」


 頷きを返した朱音は、カゲロウを伴って事務所へと転移する。

 残された葵と蓮の二人は、これから軽くお仕事だ。


「手伝うようなこと、あんまりないよ?」

「じゃあ終わるの待ってるから、この後軽くお茶でもして帰ろうか」

「そだね」



 ◆



 現在の桐生探偵事務所は、殆ど開店休業状態だ。織と愛美がいた頃はそれなりに依頼人もいたのだが、朱音が一人になってからは誰も来ない。やることと言えば、日課の見回りくらい。それも仕事ではなく、半ば慈善活動のようなもの。おまけに魔術師としての、ルーサーとしての朱音はこの街から望まれない存在だ。

 いくら朱音が魔物や裏の魔術師たちからこの街を守っているとは言え、街の住人からすれば朱音もやつらと変わらない。


 少しつらくはあるけれど、それでいいのだと開き直っている。

 事務所に依頼人が来ないことに関しても、それは即ち、困っている人がいないということだ。探偵だけではなく、警察や自衛隊なども、こう言った人たちは仕事がなければないほど、世間にとっては喜ばしいことなのだ。


「と言っても、最近は本当になにもないのですが。サーニャさんは事務所の仕事手伝えって言ってましたけど、適当に寛いでていいですよ」

「その前に、そいつどうにかしてくれ。ずっと威嚇されっぱなしじゃ寛げねぇよ」


 カゲロウとともに事務所に帰って来てから、アーサーはずっとカゲロウに対して威嚇している。恐らく、グレイの息子だからだろう。

 昨日カゲロウと顔を合わせた風紀委員会室には、アーサーもいた。人語を理解できるこの狼は、朱音たちの会話もしっかり聞いていたのだ。


「この子も、生みの親をグレイに殺されてるんです。多少は目を瞑ってください」


 言いながらもアーサーを宥める朱音。

 アーサーも、朱音自身も。グレイと浅からぬ因縁があるとはいえ、それをカゲロウにまで押し付けるのは違う。

 二人が持つ復讐心は、灰色の吸血鬼のみに向けられるべきものだ。カゲロウは関係ない。


 なにより、朱音のいた未来には、グレイの息子なんて存在していなかった。


 気を落ち着かせたアーサーは、所長用のデスクに座った朱音の足元で丸まり、カゲロウの視界から見えなくなる。

 白い毛並みをひと撫でして、ソファに座ったカゲロウに向き直る。


「あとでサーニャさんも来ますから。それまで大人しくしててくださいね」

「暴れるつもりなんてねぇよ。オレのことなんだと思ってんだ」


 だろうなとは思う。数時間前に講義室で起きた騒動。朱音は介入せずに静観していたが、なにも面倒だからそうしていたわけではない。

 カゲロウのことを見極めるためだ。その人間性と、運が良ければ実力まで。

 残念ながら葵の介入によって、カゲロウの実力を見ることは叶わなかったが。しかし、カゲロウという半吸血鬼について、少しだけ分かったこともある。


 彼は粗暴な言動とは裏腹に、かなり思慮深い。たしかに口は悪いし、わざわざ言わなくてもいいことまで言っていたが、それでも自分から手を出すことはない。

 あの時も、蓮が動いたからカゲロウも動いたように見える。

 周りがよく見えているのだ。

 伊達に五十年以上も生きていない、ということか。


「そういやお前、サーニャとはどういう関係なんだ?」

「サーニャさんは私の育ての親、みたいな感じですが。それがなにか?」


 特に考えずに言葉を返した朱音。

 サーニャには、未来でも現代でもかなり世話になっている。

 未来では両親が亡くなった後、まだ幼い朱音の面倒を見てくれていた。現代にやって来たばかりの頃も、なにかと世話を焼いてくれたのだ。

 朱音からすれば、サーニャも家族のようなものだ。現代のサーニャはそこまで思ってくれていないだろうけど。


「育ての親ねぇ……オレから見れば、もっと違うもんに見えたけどな」

「違うものですか……例えば友人とか?」

「にも見えるし、姉妹にも見える。まあ、オレがお前のことをイマイチ知らないからかもしれんけど」


 それこそ、朱音が未来のサーニャと現代のサーニャ、どちらとも親しくしているからだろう。未来のサーニャは、朱音が生まれた頃から面倒を見てくれていた。けれど現代のサーニャは、成長した今の朱音しか知らない。

 朱音が親にするように甘えても、サーニャにとっては歳の離れた友人がじゃれてくるようにしか思っていないのだろう。

 それがたまに、寂しくなる。


「まあ、別に間違ってもいませんよ。私自身、あの人との関係を明確に言葉にしろと言われたら、育ての親くらいしか言いようがないだけですので」

「ほーん」


 どうでも良さそうなニュアンスの相槌は、カゲロウにとっての気遣い。深くまでは踏み込んでこない。明確に一線を引いている。

 それはきっと、葵と蓮に対しても同じなのだろう。


 それ以降会話もなくなり、朱音は術式の見直しを、カゲロウはなにをするでもなくぼーっとしている沈黙の中。

 事務所の扉が開かれた。


「ちーっす、久しぶり朱音ー」

「お姉様方が遊びに来てあげたよ」


 入ってきたのは、近くにある市立高校の制服を着崩した女子高生二人組。どちらも朱音の、延いては織の知り合いだ。


花蓮かれんさん、英玲奈えれなさん! お久しぶりです!」


 派手な茶髪が花蓮、愛美に憧れたといい黒い髪を伸ばしているのが英玲奈。

 二人は織と愛美がいなくなってから、時々こうして事務所に遊びに来てくれている。アーサーも二人に懐いていて、来訪に気づいた狼はてくてくと歩み寄った。


 が、アーサーを構うよりも前に。ソファに座っている灰色の少年に気づく。


「……依頼人?」

「その割には態度でかくね?」

「新しい従業員です」


 軽く会釈するカゲロウを見て、JK二人組はヒソヒソと会話を始めた。


「え、なに、てことはこの男と朱音が二人きりってこと?」

「うわー、織が知ったらどう思うよこれ」

「それな。あのシスコン、朱音のことになると急に煩くなるし」

「それ言ったら愛美さんの方が怖いでしょ」


 いやもう全くもってその通りである。

 表向き、朱音は愛美の妹として紹介されている。何故か織にとっても妹扱いらしいが、あの二人の仲睦まじい姿を見ていたらそれも当然か。

 そしてそんな二人が朱音を溺愛していることは、親しくしている街の人間ならみんな知っていること。朱音自身、あの二人が帰ってくるまでにこの状況をどうにかしたいと思っているほどだ。

 だって確実に面倒なことになるんだもの。


 気を遣ったカゲロウがソファから立ち上がって奥のティーテーブルに移動し、花蓮と英玲奈の二人がソファに座る。朱音がお茶を淹れて、その対面に腰かけた。


「実は今日は、遊びに来ただけじゃないんだよね。ちょっと相談があってさー」

「お仕事の依頼ですね!」


 困ったように茶髪をくしくしと掻きながら言う花蓮に、朱音が身を乗り出す。両親がいなくなってから初めての仕事だ。気合いが入らないはずもない。


「ちょっと落ち着きなよ。正直、相談してどうこうなるもんじゃないんだよね」


 朱音を宥めた英玲奈は、困ったように眉根を寄せている。二人ともダメ元でここに来た、と言った感じだ。


「最近ここらで流行ってる占い師、知ってる?」

「占い師、ですか」

「毎日この街のどっかでやってるらしいんだけどね。どうも絶対に当たるとかで有名になったらしいんだ」

「怪しさ満点じゃねぇか」


 鼻で笑い飛ばしたのは、後ろから話を聞いていたカゲロウ。魔術は使えずとも、神秘の世界に身を置いているからこそだろう。その気持ちは朱音にも分かる。

 絶対に当たる占い、なんてこの世に存在しない。織や朱音の未来視ですら、絶対とは言えないのだ。

 魔術の中にも、未来を言い当てる類のものはある。例えば占星術なんかがそうだが、あれはあくまでも数ある分岐する未来のひとつを示すだけだ。それは未来視も同じ。


 だが、こうして二人が話を持ってくるということは、実際にその通りになっているのだろう。


「まあ本当に言い当てるだけだったら、うちらとしてもありがたい話なんだけどね」

「そうそう。あたしも恋愛運とか占って欲しいくらいだわ」

「それだけじゃないんですね?」


 こんな美味しいだけの話、この世にあるわけがない。必ずどこかに落とし穴が存在している。それはこの占い師についても同じ。


「こないだ、交通事故があったのは知ってる?」

「駅の近くでしたっけ? 先週女子高生が車に轢かれたって。商店街の人が言ってましたね」

「轢かれた子、同じ学校の子なんだよね。脚折っただけで済んだんだけど、聞けば前の日に、その占い師のとこ行ってたらしいんよ」

「事故のことも言い当てられてた、と?」

「言い当てられたのはそうなんだけど、事故に遭う前、体が言うことを聞かなくなったとか言ってんの」


 決まりだ。間違いなく、魔術師の仕業。

 その存在が明るみに出てから、街の人たちはただでさえ魔術師を恐れている。この二人も、轢かれた子のおかしな証言に魔術師の影を見たのだろう。


「それ、わざわざここに相談しに来ても意味なくないか? 警察とかに行けよ」

「警察にこんな話したって、信じてくれるわけないじゃん。バカなの?」

「つーか、こう言う不思議な話はここに持ってこいって、所長から言われたしね」


 たしかに織は、この二人を始めとした色んな人にそう触れ回っていた。こいつらが解決してくれますよ、と朱音と愛美の名前を使って。

 そこは自分で頑張れと思った朱音だったが、実際朱音と愛美がやれば手早く終わるのも事実だった。


「花蓮さんと英玲奈さんは、この噂をどうにかしたいんですか?」

「まあね。いくらうちらが結構顔のきく方だって言っても、一回流れた噂はどうにも出来ないしさ」

「せめてその占い師に、文句の一つでも言ってやりたいわけ」


 高校生というのは、常のゴシップに飢えている。例えば誰と誰が付き合ってるだの、どこぞに美味しいタピオカの店が出来ただの。

 そう言った噂は、基本的に時間と共に風化する。だが、即座に鎮火させる方法は二つある。

 一つは新しい噂のネタを持ち込むこと。そしてもう一つは、噂の元が消えることだ。


 と、朱音は最近読んだ学園ラブコメのライトノベルから学んでいた。この前最終巻が出て、来月にはアンソロジーが控えているから結構楽しみにしているのは別の話。


「分かりました。その占い師について、私も調べてみます」

「あんま無理しなくていいからね?」

「朱音になんかあったら、あたしらが織と愛美さんに顔向け出来ないしさ」


 花蓮と英玲奈の気遣いはありがたいが、二人にこそ同じ言葉を投げたい。

 事が魔術師絡みである以上、完全に一般人の二人にはあまり踏み込んで欲しくないから。


「報酬は駅前のケーキ屋さんでいいですよ。次来た時に持ってきてください。皆さんで食べましょう」

「オッケー。あそこのケーキ美味しいもんね。朱音はチョコケーキだっけ?」

「はい!」


 この二人に連れられて何度か行ったことのあるケーキ屋。あそこのチョコケーキは絶品なのだ。

 その味に思いを馳せていると、不意に英玲奈がカゲロウへと話を振った。


「あんたはなにがいい? 特に要望なかったらあたしらで決めるけど」

「オレもか?」

「ここの従業員なんでしょ? だったら報酬受け取る権利はあるじゃん」


 肩肘で頬杖をついているカゲロウは、まさか自分も相伴に預かれるとは思わなかったのだろう。一瞬呆気に取られたようだったが、すぐに我に返って言葉を返す。


「あー……んじゃなんでもいい。適当に決めてくれ」

「りょーかい。んじゃ行こっか花蓮」

「ん。よろしくね、朱音」


 話もひと段落して、二人の女子高生は帰っていった。

 となれば、早速仕事だ。魔術師絡みである以上、手早く終わらせるに限る。

 だがカゲロウは、未だに不思議そうな顔をしていて。


「なんつーか、変なやつらだったな」

「なにがです?」

「いや、普通は色々と突っ込みどころあるだろ、この事務所」


 例えば、元々織と愛美、朱音の明らかにまだ学生な三人だけで経営していたり。そのうちの二人がいきなり居なくなったり。不思議な話を持ってこいとか言われてたり。いきなり謎の従業員が増えてたり。

 怪しさ満点で言えば、今回の占い師に負けず劣らずだろう。


 そんなカゲロウの疑問に対して、朱音は悪戯な笑みを浮かべて答えた。


「認識阻害、って知ってます?」

「騙してんのかよ……」


 騙しているとは人聞きの悪い。

 ただ、ちょっと認識をズラしているだけだ。朱音の持つ仮面のように、正体を分からなくするものではない。この事務所に対して、違和感を持たせなくする。本来ならおかしいと認識するそれをズラしている。

 ただそれだけの話。


「さて、早速お仕事です。アーサーはちょっとお留守番しててくださいね」


 それに、誰かを騙すことには慣れている。

 自嘲気味な笑みを浮かべた朱音は、仮面とフードを持ち、カゲロウを伴って転移した。



 ◆



 転移した先は、いつも街の見回りで一番にやってくるビルの屋上。ここから街全域に魔力探知をかけるのだ。

 しかし、朱音の顔は浮かないものだ。


「反応がありませんね」

「いないのか?」


 カゲロウに言葉を返さず、もう一度精査してみる。だが結果は同じ。この街にいる魔術師の反応は朱音のみ。

 概念強化の術式を応用させることで、魔術師という概念自体を探知しているのだが。それでも反応がないということは、相手は相当な手練れだろう。石持ちということもあり得る。


「花蓮さんと英玲奈さんは、この街のどこか、と言ってました。つまり、特定の場所を持たないんでしょう。日によって場所を変えてる」

「時間になるまでこの街に来ない、ってことじゃねぇの?」

「その可能性もありますね。ですが、高校生が噂にする、実際に占ってもらうほどです。あまり遅い時間というのも考えられませんが」


 言いながら、探知魔術の術式を切り替える。魔術師や魔力を探知するのではなく、この街にいる人間全員を対象としたもの。更にそこから条件を絞り込んでいく。

 占い師といえば、路地裏。もちろん占いをするのだから、その場から一歩も動いていない人間。複数人ではなく一人で。


「……いた」


 駅より南の繁華街に、ポツリと反応があった。その反応に魔力探知を集中させると、微かながらも魔力を感じ取れた。

 これは果たして、どう取るべきか。探知に引っかからないほどに魔力が弱いのか、朱音の目を欺けるレベルの魔術師なのか。

 それも行ってみれば分かるか。


「あなた、魔術は使えないんでしたね?」

「おう。全く使えねぇぞ」

「分かりました。では私が認識阻害をかけておくので」


 アーサーにするのと同じく、カゲロウに認識阻害の魔術をかけておく。これで周りからは、カゲロウの姿は認識できない筈だ。

 朱音も仮面を被り、転移の術式を起動させる。


 そして二人がやって来たのは、高いビルとビルに挟まれた路地裏。太陽の光もあまり届かず、表の通りに比べてかなり薄暗い。

 棗市には、この繁華街を始めとして、駅を中心とした一帯には似たような路地裏がいくつかある。裏の魔術師が姿を隠すにはうってつけというわけだ。


 そんな路地裏の一つ。朱音とカゲロウが立っているその奥に、件の占い師はいた。


「客、じゃなさそうだね。学院の使いっ走りかい?」


 聞こえて来たのは、若い女の声。その口振りからするに、やはり魔術師のようだ。しかし魔力は隠しているのか、そう大きな反応は見られない。


「どちらでもありませんが。あなたを排除しに来た、という点においては同じですね」

「ということは、この街を守る正義の味方だね? 私の元にもその話は届いているよ」


 仮面の奥で、朱音は眉を顰める。

 この占い師が噂になるように、ルーサーの存在もまた、この街では噂の一つとして流れていた。

 魔物や魔術師がいる場所に現れ、やつらを倒して颯爽と消える仮面の魔術師。その正体の一切が不明で、ゆえに街の味方だと単純に喜べない存在。


「どうでもいいけど、こいつを倒しちまえばいいんだろ? さっさとやろうぜ」


 そんな噂など知る由もないカゲロウが、一歩前に出る。好戦的に拳を鳴らし、鋭い眼光で占い師を睨め付けている。

 だが慎重にいかねばならない。花蓮と英玲奈の話から察するに、相手は恐らく、精神系魔術の使い手。

 占いが当たるというのも、相手の潜在意識に介入して、占い通りの行動をさせたからだろう。事故にあった女子高生の証言も、それで辻褄が合う。


 いや、仮に朱音の推察通りでなかったとしても。魔術師の前では、手段なんてあってないようなものだ。神秘の力があれば、完全犯罪など簡単に成立してしまう。

 だからこそ、知るべきは相手の目的だ。


「なぜこの街に手をつけたのですか? 魔術的に優れた土地ならば、ここ以外にいくらでもあるでしょう」


 昨日に続き、今日もまた。いや、この占い師に限ってはそれ以前から。

 朱音の言う通り、わざわさこの街を選ぶ理由などないはずだ。あるとすればそれは、朱音の存在か。


「さて、何故だと思う?」

「教えてくれないなら、無理矢理吐かせるまでですが」

「それは怖い。だから、さっさと退散するとしようかね」


 占い師の体が、揺れる。

 それを見て駆け出すカゲロウだが、その頃には既に姿が消えていた。

 分身ではない。先ほどまではたしかにそこにいた。魔力も生体反応も、間違いなく感じ取れていた。

 となれば、考えられるのは一つ。


「おい! 逃しちまったぞ!」

「落ち着いてください」


 懐から取り出した短剣で、空を切る。

 パキッ、と。なにかが割れる音がした。同時に朱音の背後には、逃げ出そうとしていた占い師が驚愕の表情を浮かべて立っている。


「やはり、精神魔術ですね。今のは幻覚ですか。私が気付けないとは、中々の腕をお持ちのようで」

「なにをしたのかな……?」

「なにって。斬っただけですよ、あなたの魔術を。術式ごと」


 それが、朱音の異能。斬れると思ったものならなんでも斬れてしまう、反則じみた力。

 それが魔術や概念的なものでも、関係なく。


 自身の相対する魔術師が、いかなる相手かをようやく悟ったのだろう。この場から逃げられないことも、同時に。

 占い師は魔力を解放する。ただの人間ではありえない、濃密な魔力を。


「やはり石持ちでしたか。あなたは下がっていてください」

「お前、こんなんを一人で相手にするつもりかよ!」


 叫ぶカゲロウを意にも介さず、朱音は目の前の敵に集中する。

 どのような目的があったのかは知らないが、この街に手を出したのだ。生かして帰すわけがない。


「悪いけど、捕まるわけにはいかないからね! あんた達には死んでもらおうか!」


 占い師の体が、再び揺らめいた。先ほどと同じだ。その姿は完全に消えてしまう。

 しかし先ほどと違い、それだけでは終わらない。占い師の立っていた場所に、あり得ないはずの男が立っている。


 灰色の髪を持ち、不敵な笑みを浮かべている吸血鬼。


「なんで、あいつが……」


 背後でカゲロウが困惑する気配を感じたが、彼は魔術師でもないのだから無理もない。いや、仮に魔術師であっても、目の前に立つあの男を見れば困惑してしまうだろう。


 だがそれは、普通の魔術師。普通の人間の場合。桐生朱音に、そのような常識は通用しない。


位相接続コネクト略奪せし時の敗北者レコードレス・ルーサー


 黒いロングコートを纏うと同時に、カゲロウへと銃口を向けた。思わぬその行動に目を剥くカゲロウだが、それに構わず引き金を引く。

 しかし弾丸はカゲロウの顔を横切り、その背後から悲鳴が。


「くっ……なぜ、わたしの幻術が……!」

「幻術って言うのは、いわゆる初見殺しなんですよ。相手の手の内が分かっていないうちは絶大な効果を発揮しますが、それが幻術だと分かっているなら、なにも問題はないでしょう?」


 吸血鬼の姿が消え、カゲロウの背後には占い師が蹲っている。弾丸を咄嗟に防護壁で防いだのだろう。そうでなければ、今頃眉間に穴が空いていたはずだ。


「あなたの幻術は、精神魔術によるもの。対象によって見る光景も変わる。それを使ったのが仇でしたね」


 その声を聞いて、占い師は理解した。自分は、踏み込んではならない領域に踏み込んだのだと。


 朱音が説明した通り、占い師の幻術は対象によって見る光景が変わる。

 相手が恐怖を抱いているものを、幻覚として見せる魔術。賢者の石を取り込んだその魔術は、普通の魔術師であれば見破ることすらできない。

 それが幻術なのだと理解していても、術の中へと溺れてしまう。


 しかし、未来からやって来た敗北者は違う。

 たしかに灰色の吸血鬼は、ある種恐怖の象徴だ。でもそれ以上に、憎むべき相手だ。


「さて。せっかく奪った術式です。精神魔術は苦手ですし、どうせなので有効活用させてもらいましょうか」

「どうするつもりだ?」

「見てもらった方が早いかと」


 カゲロウの隣に並び、占い師を魔力の鎖で拘束して身動きを封じる。奪った術式に手を加えて、それを本来の持ち主に対して使用した。

 精神魔術を用いた自白術式だ。占い師は虚ろな目をして、朱音の質問に淡々と答える。


「どうしてこの街に?」

「灰色の吸血鬼、グレイに命令された」

「なんと命令されましたか?」

「最初はルーサーの排除。二日前、カゲロウとシラヌイの捕獲も」


 やはり、目的はカゲロウか。ではシラヌイとは、一体誰を指しているのだろうか。

 狙われていた当の本人であるカゲロウは、占い師の自白を聞いて苦い顔をしている。


 恐らく、昨日現れた老人も同じ目的だったのだろう。こうして裏の魔術師を送り込むということは、グレイ自体は動けないということ。蒼たちのお陰だ。


「それが分かれば十分です。あとは自分の魔術で苦しんでてください」


 悲痛な叫びが路地裏に木霊した。占い師は泡を吹いて倒れ、失神してしまう。

 幻術が本来以上の効果を発揮したのだ。今頃彼女は、終わりのない恐怖と苦痛の幻覚を見ていることだろう。


「やっぱ、狙われてんのはオレなんだな……」

「あなただけではありませんよ。私もですし、正体のわからないシラヌイとやらもです。因みに、心当たりは?」

「ねぇよ。記憶がある限りの五十年、聞いたこともねぇ」


 手がかりはなし。ただ、カゲロウがこの街にいることを知っているのは不可解だ。

 単純に、彼が事務所の前で倒れていたから、まだここにいると踏んでいるのか。もしくは、居場所が既に露見しているのか。

 あの日の悪魔のこともある。ルーサーである朱音がカゲロウの手がかりになると考えている、という可能性もある。

 そしてそのどれもが間違いではないから、手に負えない。


 実際にカゲロウは今この街にいるし、朱音がカゲロウの手がかりになるのも事実。

 どちらにせよ、今後もグレイの手先は街に現れるだろう。


「これからどうするんだ? 街から離れるか?」

「それは最終手段です。私は、この街から離れるわけにはいきませんから」


 朱音がいなくなれば、魔物の脅威から街を守る魔術師がいなくなる。だが朱音がこの街に留まることは、同時に別の脅威を呼び寄せてしまうことにもなってしまう。


 なんの問題もない。その全てを、私の手で叩き伏せればいいだけなのだから。


「帰りますよ。そろそろ、サーニャさんが事務所に来るはずです」


 転移の術式を構成する敗北者を見て、カゲロウは思い知った。

 この少女は紛れもなく強い。葵の忠告通り、逆らえばどうなるか分かったもんじゃない、と。

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