第54話

 目を覚まして一番に襲ったのは、頭に響く鈍い痛みだった。

 またか、と灰色の少年は嘆息する。中途半端にしか使えない異能。命の危機を救ってくれるのはありがたいが、出来るならああなる前に動いてくれないものか。


 ひとまず、現状の把握だ。記憶にある最後は、森から出て崖に落ちたところ。川へと盛大にダイブを決めて、気がついたらここ。カーテンに囲まれたベッドの上。鼻につく匂いは、医薬品のものだろうか。ならここは病院? どこの?

 保険証どころかまともな戸籍すら持っていないのだが、治療を受けても大丈夫だったのだろうか。

 いや、そもそも。半分は人間じゃない自分が、人間と同じ処置を施してここまで回復するか?


「目を覚ましたか」


 カーテンが開いて現れたのは、知り合いの吸血鬼だ。美しく長い銀髪の持ち主は、少年を見て複雑そうな顔を見せる。


「久しいな、カゲロウ。どこでなにをしていた?」

「サーニャ……あんたが助けてくれたのか?」


 五十年ほど前、記憶のない自分の世話を焼いてくれた彼女は、カゲロウに吸血鬼としての生き方を教えてくれた。行動を共にしていたのは、三年ほどだったか。

 もうそんなに時が流れたのかと、カゲロウは苦笑する。半分だけとは言え、吸血鬼。その不死性を中途半端に受け継いでいるカゲロウは、見た目よりもかなり長生きだ。まあ、記憶がないので実年齢がいくつなのかは、自分でも分からないのだが。


「そうさな。我が助けたと言っていいものか。貴様をここに運んだのも、貴様を追っていたやつを退けたのも、我ではない。人間の少女だよ」

「人間が? ……いや、待て。そもそもここはどこだよ。あんたがいるってことは、安全な場所なんだろ?」

「魔術学院、といえば分かるか?」


 ベッドから起き上がり、警戒の構えを取るカゲロウ。無理もない。半吸血鬼の彼は、これまで幾度も学院の魔術師に狙われてきた。例えカゲロウが人間に対する害意を持っていなかったとしても、魔術師側にそんなものは関係ない。

 おまけに、吸血鬼と人間のハーフという、貴重なサンプルだ。学院とは関係なく、その体を解剖しようと狙う輩だっていた。


 学院に狙われたことがあるのは、サーニャも同じなはず。一体どういうつもりだ。


「落ち着け。警戒するのは理解できるがな。少なくとも、日本支部は敵ではない」

「根拠は?」

「二ヶ月前、なにがあったのか。貴様とて知っているだろう?」


 当然だ。この身に流れる血と同じ血を持った吸血鬼が、魔術学院日本支部を相手に大立ち回りを演じたのだから。

 その場に居合わせていなくても、如実に感じ取れていた。ヒトの血肉を喰らえと、湧き上がる本能が叫んでいた。


「グレイの息子であるオレを捕まえて、人質にでもしようってか?」

「バカは死んでも治らんと言うが、死ねない貴様は一生治りそうにないな」

「んだと⁉︎」

「日本支部にそのようなことを考えているやつはおらん。貴様を保護したのは成り行きだ。が、貴様を追っていたグレイの手先には、用があるのでな。しばらくは監視付きで学院にいてもらう。ついてこい」


 自分を追っていたあのフードの人物は、グレイの手先だったのか。道理で半吸血鬼のカゲロウが逃げ切れないわけだ。


 その勘違いに気付かぬまま、カゲロウはサーニャの後に続いて、医務室を出た。



 ◆



 ルークによる戦闘訓練を無事に終えた葵と蓮は、風紀委員会室に移動して、紅茶を飲みながら反省会を開いていた。


「ダメだー……なにやっても一撃当てることすらできない……」

「葵は結構おしかったと思うよ。の方がダメダメだった」

「蓮くん、新しい術式試してみたんでしょ? どんなやつ?」

「糸の切れ味全部捨てて、貫通力と打撃力に全振りした感じかな。武器破壊とかに役立つと思って」


 貫通力は分かるが、打撃力とは。まさかあの鋼鉄よりもなお硬い糸を、鞭のように使うつもりなのだろうか。

 やられた時の痛みを想像してみて、葵は顔をしかめる。


「結構えげつないの考えるね……」

「そうか? まあ、結局一発も当たらなかったんだけどさ」

「そこなんだよねぇ……」


 ルークの動きは速いわけではない。愛美のように、特殊な体術を使っていることもない。

 転生者である彼女が持つ、膨大な戦闘経験。そこから齎される直感。それによって、葵たち生徒の攻撃を全て見切っている。


 なにかしらの魔術や異能を使っているのなら、いくらでも対処できた。しかし、ただの勘だけとなれば、こちらが打てる手も限られてくる。


「纒いも全部ダメだったし、異能はあっちの異能で防がれるし。打つ手ゼロじゃん……」


 そもそも、情報操作を空間断裂で防ぐとか、具体的になにをどうやって防いでいるんだ。

 多分、ルークの立っている空間を異能で隔離することで、葵の異能の対象にならないのだろう。

 情報操作は強力だが、その分かなり繊細だ。対象の動きを止めたいなら、相手が存在している座標のデータも演算に組み込まなければならない。断裂した空間の先では、入力するはずの座標データも取得できないのだ。

 その異能ごと情報操作で封じれれば一番なのだろうが、そう簡単にできるものでもない。


 漏れそうなため息を紅茶と一緒に飲み込み、対抗策を考える。例えば蓮と二人なら、勝てはしなくても一撃くらいは入れられるかもしれない。いや、それなりにいい戦いができるだろう。蓮とのコンビネーションには、それだけの自信がある。

 ただ、一対一では全く勝ち目が見えない。


「こんにちはー」


 蓮と二人でうんうん唸りながら考えていると、朱音がやって来た。制服の上からはフード付きのマントを羽織っていて、手には仮面と有名ハンバーガーショップの袋を持っている。そして彼女の足元には、使い魔である白い狼が。


「朱音ちゃん、どうしたのその格好?」

「街に石持ちの魔術師が出たんですよ。適当に殺してきたんで、学院長にその報告と、お腹空いたのでここで食べて行こうかと」


 朱音のいう街とは、桐生探偵事務所のある棗市だろう。昼間にあの街で戦う時や、見回りする時、朱音はいつもこの仮面とフードで正体を隠している。世間から見た魔術師がどういう存在なのか、それを理解しているから。


 ソファの上、葵の隣に腰かけた朱音は、もしゃもしゃとハンバーガーを食べ始める。テーブルの上には種類の違うバーガーが三つと、ポテトのLサイズが三つ。オレンジジュースも三つ乗っかった。


「お二人もポテト食べていいですよ? あとジュースもあげます」

「ああ、うん……」

「よく食うな……」

「何言ってるんですか師匠。これでも少ない方ですよ。あ、バーガーは食べたらダメですよ。それは私のですので」

「いや、言われなくても食べないから……」


 親子揃って健啖家なのは知っていたし、朱音と食事を共にしたことは何度かあるものの。この量には、毎回驚かされる。一体この小さい体のどこに収まっているのか。


「ところで、ルークさんとの訓練はどうでした?」

「丁度その話をしてたんだ。どうやったらあの人に一撃入れられるか、って」

「朱音ちゃん、なにか弱点とか知らない?」

「弱点ですか?」


 足元で伏せているアーサーにポテトを食べさせながら、朱音は考える。狼にポテトとか食べさせていいのかな、と心配になる葵だが、まあ魔物だし問題ないのだろう。


「これと言ったものはないですね。あの人、本当に反則じみてますから」


 やっぱり、そんな美味い話は中々ないか。

 ポテトを摘みながら落胆する葵に、クスリと微笑んだ朱音がアドバイスを送る。


「これは誰が相手でも言えることなんですが。攻撃を当てたいんだったら、相手の選択肢を奪うことが大切ですよ。異能や魔術を使わなくても、その辺りの駆け引き次第では格上も出し抜けます」

「なるほど……」


 恐らくは誰もが、戦いの中で無意識にそう言った駆け引きを行なっているだろう。ルークの直感とてその一種だ。

 それを意識的に行い、より高度な駆け引きができるようになれ。つまりはそういうことである。


「その駆け引きが通じない一部の例外もいるんですけどね。私や母さんみたいに、後出しが出来ちゃったり。駆け引きの余地がないくらいに絶望的だったり」

「因みに朱音は、ルークさんに勝てるか?」

「ドレス使えば余裕ですね」


 薄い胸を張ってドヤ顔を披露する朱音。口の端にバーガーのソースが付着していて、どうにも格好がつかない。そこが可愛いのだが。


 しかし、あのドレスを使うのは反則だろう。

 魔女が奥の手として使い、賢者の石に記録されている最強の力。今は織と愛美の二人に継承されたはずのそれを、どういう原理か朱音も使えるのだ。

 たしか、朱音の体内にある賢者の石はカケラに過ぎず、レコードレスも記録されていないとの話だったはずだが。


 あの二人が去ってからのこの一ヶ月で、朱音は何度かその力を披露した。今は亡き魔女とは似て非なる力を、魔女とは違いなんの制限もなく振るっている。

 実に頼もしい限りなのだが、葵としては心配でもあるのだ。今は制限なく使えていても、いつかなにかの反動が来て、朱音の身体を蝕みやしないかと。


「まあ、あのドレスはそうポンポンと使うもんでもありませんが。それがなくても私なら勝てますよ」

「勝てちゃうんだ……」

「もちろんですが。ルークさんだけじゃないですよ。私にかかれば、サーニャさんだって軽く一捻りです」


 摘んだポテトをフリフリしている朱音だが、彼女は気づいていない。その背後に、銀髪の吸血鬼が立っていることを。


「誰が、誰を軽く一捻りだと?」

「ですから、私がサーニャさんを、軽く一捻りですよ。ドレスを使うまでもないですね。魔力量も質も、なんなら年齢だって通算で言えば私の方が上です、し……?」


 そこまで言い切って、ようやく背後の気配に気づいたらしい。錆びた機械のように、ぎこちない動きで振り返った朱音の頬を、冷や汗が伝う。

 対するサーニャは、これまた見たことないほど綺麗な笑顔で。


「今日は飯抜きだ」

「あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛!!! 待って!! 待ってくださいサーニャさん! 後生ですからそれだけは勘弁してほしいのですが!!」


 乙女が上げてはならない叫び声が、風紀委員会室に響く。一体どこから出したんだ、今の声は。

 サーニャにしがみつく朱音だが、やはり一瞬で引き剥がされて床に放り投げられた。完全に朱音の自業自得である。調子に乗るから悪い。

 まあ、サーニャよりも強いのは事実なのだろうけど。


 床に放り投げられたまま起き上がらず、シクシクとわざとらしい声を上げる朱音を見て、さすがの葵もため息を禁じ得なかった。それが対面に座る蓮と全く同じタイミングで漏れて、顔を見合わせてお互い苦笑い。


「サーニャさん、朱音ちゃんは放っておいて、そっちの紹介してくれますか?」

「ああ。そのつもりで連れて来たからな。ほら起きろ朱音。飯は作ってやるから、いつまでも嘘泣きなどするな」

「そのうち本当に泣きますよ……」

「可愛らしい脅迫だな」


 なんだかんだで朱音に甘いサーニャが、未だ口の端についたままのソースを拭ってやる。その後ろには、灰色の髪を持つ少年が立っていた。

 サーニャと朱音の一連のやり取りを呆気に取られて見ていた彼は、昨日保護した少年で間違いないだろう。


「意外だな。あんたが子供の世話焼いてるなんて」

「我から見たら、貴様とて子供だ。ほれ、自己紹介のひとつでもしてやれ」


 促され、一歩前に進み出る少年。

 やはり、だ。やはり、彼の情報が何一つ映し出されない。以前幻想魔眼について見ようとした時のような、ノイズなどはない。本当に、なにも映し出されないのだ。その時点で、葵にとっては警戒対象。

 一方の少年は葵の警戒など意に介さず、どころか少し驚いたような表情をしていた。


「カゲロウだ。まさか本当にただのガキに助けられるとは思ってなかったが、まあ、礼は言っとく。助かった、ありがとう」


 どうやら、葵たちの幼さに驚いたらしい。半吸血鬼と言うくらいだし、見た目は同じ高校生程度でも、実年齢はかなり高いのだろう。


 律儀に礼を言われたことで、葵たちも名乗り返す。しかしお互いに自己紹介して、じゃあよろしく、とはならない。


「それで、いい加減に聞かせてもらいたいのですが。グレイの息子、というのはどういうことですか?」


 単刀直入。あからさまな敵意すら見せ、朱音は尋ねる。

 昨日は結局、サーニャから詳しい説明がなかった。葵と蓮の二人だけ、つまりは蒼たちからすれば、守るべき対象である生徒の二人だけが聞かされていないと思っていたのだが。どうやらこの様子だと、朱音も聞かされていないらしい。


「話せない事情がある、は通用しませんよ。私も、葵さんも、師匠も、みんなグレイに大切な人を奪われてるんです。サーニャさん、話してくれますね?」


 懇願ではない。半ば命令じみたものだ。それ以外の選択肢など最初から存在しないと、朱音はそう言っている。

 チラリと葵を一瞥するサーニャ。その視線の意味がわからずにいれば、銀髪の吸血鬼は驚くことに、首を横に振った。


「すまんが、ここでは話せない」

「何故ですか」

「我が言えるのは、カゲロウには五十年前より以前の記憶がないこと、こやつがグレイの息子であるのは事実であることの二つのみだ」

「何故言えないのかと聞いているのですが」

「すまぬ、朱音。だが、我を信じてくれ」


 まさに一触即発。今この場で剣を抜いてもおかしくないほどの剣幕を、サーニャはただ真摯に見つめ返す。


 今の葵にも、かつての二人にも、サーニャはとてもよくしてくれた。両親がいる頃からなにかと構ってくれて、グレイに殺された後も面倒を見てくれたのだ。


「朱音ちゃん。ここはサーニャさんを信じよう」


 その思い出があるから、葵はサーニャのことを無条件で信じる。

 それはきっと、朱音も同じはずなのだ。


「……ズルいですね。私がサーニャさんのこと、信じられないわけがないですよ」


 緊張の糸が切れ、室内に弛緩した雰囲気が戻った。葵と朱音はそれで納得した。けれど後一人、蓮には、サーニャを信じるだけの根拠を示されていない。


「この流れで、俺だけノーって言うのも躊躇われるよ。でも、二人が信じるなら俺も信じる、なんてことは言えない。この目でカゲロウのことを見極めさせてもらう」

「ああ、それで構わない。カゲロウのことは、元より貴様ら三人に任せるつもりだったからな」

「はあ⁉︎ それは聞いてねぇぞオイ!」


 声をあげたのは、カゲロウ本人だ。抗議の目をサーニャに向けているが、残念ながら受け流されている。


「小鳥遊からも許可を貰っている。しばらく日中は葵と蓮のクラスで共に過ごしてもらい、放課後は朱音の事務所を手伝わせるつもりだ」

「私達が監視してろ、ってことですね。分かりました。怪しい動きを見せたら四肢を切断してダルマにさせます」


 全く冗談の色が感じられない声音に、葵の方がビビってしまった。とうのカゲロウは、まさかそんなこと出来るわけがないとタカを括っているのだろう。余裕そうな表情でむしろ朱音を挑発する。


「お前みたいなガキにやられるほど弱くはねぇよ。出来るもんならやってみろ」

「言いましたね?」

「ストップストップ!」

「朱音、ちょっと落ち着こう。あんな安い挑発に乗るなって」


 葵と蓮が間に入ることで朱音も引っ込んでくれたが、これでは先が思いやられる。

 朱音は母親に似て変なところで短気だから、今後もこう言った衝突は避けられないだろう。

 自分たちが緩衝材になるしかない。主にカゲロウの命のために。


 どうして初対面の相手の心配をせねばならないのか。目に見えて前途多難な二人に、葵は小さくため息を零した。



 ◆



 あとは若い者同士で。というわけでもないのだろうが、サーニャは早々に風紀委員会室を出て行ってしまった。

 残されたのは、未だに警戒心バリバリのままで残っていたハンバーガーを食べる朱音と、向けられる視線を受け流し、我関せずと押し黙ってしまったカゲロウ。そんな二人をどう取り持つべきか悩む葵と蓮。以上の四人である。

 ポテトが冷めてしまって美味しくない。


「それ、オレにもくれよ。起きてからなんも食ってねえから、腹減ってんだ」


 おもむろにポテトへ手を伸ばすカゲロウ。返事くらい待ったらどうなのかと思う葵だったが、銀色の炎がカゲロウの手を遮った。


「危なっ!」

「なに勝手に食べようとしてるんですか? それは私のポテトですが」

「そこの二人は食ってるだろうが!」

「お二人は私が許可したので。あなたには食べていいなんて一言も言っていませんが?」

「テメェ……」


 頬を引攣らせるカゲロウ。コメカミに怒りマークが見えるようだ。

 朱音の態度も分からなくはないが、ここは大人な態度で接するべきだろう。蓮に宥められる朱音に代わり、葵がカゲロウへ話しかけた。


「まあまあ。そんなムキにならないでさ。朱音ちゃんはまだ子供なんだし、一々腹立てても仕方ないでしょ?」


 葵さんまで私を子供扱いですかー! とか憤慨した声が聞こえるけれど、今は無視。

 ごめん朱音ちゃん、あとでなにか食べ物おごってあげるから。


 しかし物腰柔らかに接した葵に対しても、カゲロウはフッと鼻で笑い。


「お前も対して変わんねぇだろ、ちんちくりんだし」

「よし殺す」

「葵⁉︎」


 突然黒い鎌を出現させて振りかぶる葵を、蓮が咄嗟に糸で止める。

 この男は今、言ってはならないことを言ってしまった。地味に気にしてるコンプレックスを、なんの躊躇いもなく口にしやがったのだ! ならば殺すほかあるまいて!


「誰がちんちくりんですってもっぺん言ってみなさいよ!」

「どっからどう見てもちんちくりんだろ、お前。チビだし、胸もケツも小さいし」

「胸の小さいことのどこが悪いんですか! 需要だってあるんですよ⁉︎」

「ちょっ、朱音まで……! 頼むから落ち着いてくれ二人とも!」


 朱音も立ち上がって短剣を抜き、蓮がそちらも糸で止める。別にそんなことしなくてもいいのに。


「やめて蓮くんこいつ殺せない!」

「殺したらダメだ!」

「師匠! こいつは女の敵です! 放っておいたらダメなやつです!」

「事実を口にされただけで怒りすぎだ!…………あっ」


 失言に気づき、思わず糸の力が弱まってしまった。そうなれば当然、二人の拘束が解けてしまうわけで。


「へー。蓮くん、そんなこと思ってたんだ。へー」

「師匠も女の敵でしたか」

「いや待て、今のは違うんだ。その、つい言葉が滑って……」


 しどろもどろになる蓮。ジト目を向ける葵と朱音。葵からそんな目を向けられるだけでも、蓮的にはかなりキツイのに。

 トドメとばかりに、カゲロウが余計な一言を放つ。


「ちょっとはその胸くらい慎ましやかにしろよな」


 プツン、と。室内に、なにかが切れた音が響いた。



 ◆



「加減されててよかった……」

「これで加減されてんのかよ……」


 頭に大きなタンコブを二つ作った蓮とカゲロウ。二人は風紀委員会室を追い出されてしまい、蓮がカゲロウに学内を案内していた。

 タンコブは言わずもがな、色々と慎ましい女性二人によるものだ。本当、加減されててよかった。じゃなきゃ今頃死んでる。


「お前、毎日あんな暴力女どもの相手してんのか?」

「普段は二人ともあんなじゃないよ」

「あー、そうか。オレらが怒らせたんだったな、そういえば」

「そこは忘れるなよ」


 どうでも良さそうに言うカゲロウに、蓮は苦笑を浮かべる。とは言えカゲロウだけが悪いわけではなく、蓮の失言も一因ではあるが。


「でも、本当。普段はあんなんじゃないんだ。あの部屋も、もっと静かでさ。二ヶ月前までと比べたら、静かすぎるくらいなんじゃないかな」

「二ヶ月前?」


 蓮は直接面識があったわけではない。それでも、いなくなってしまった友人から、話は聞いていた。いつも楽しそうに、面白おかしく、あの部屋で起きた出来事を話してくれていた。

 魔女がいなくなって、あの友人がいなくなって。今度は、先輩二人もいなくなって。


 かつての風紀委員会室の喧騒を知っているのは、黒霧葵ただ一人となってしまった。

 けれど今の葵だって、彼女自身の記憶というわけではない。彼女が妹と共有した記憶に過ぎないのだ。


「そういや、なんか言ってたな。クソ親父に大切な人を奪われた、だっけか?」

「まあ、うん。俺はまだしも、多分あの二人は、結構ダメージ大きいと思うんだ」


 友人を失ってしまっても、黒霧葵は生きていてくれた。蓮にとっては、それだけが唯一の救いで。

 俺が想いを寄せていたあの子は、たしかにここで生きていた。

 その気持ちを共有できる友人がいるだけでも、まだマシな方なのだ。


 けれど、二人は違う。

 自分の身代わりに二人の妹が消えてしまった。大切な友人を、三度も目の前で失った。

 かと思えば、朱音の両親であり葵の先輩であるあの二人は、使命を果たすために旅立った。

 あの小さな少女たちは、蓮には到底計り知れない悲しみを、その身に宿してるはずだ。


「まだ二ヶ月しか経ってないからさ。やっぱり二人とも、どっかで無理してたところもあるんだよ。でも今日は、ちょっと違ったかなって」

「へぇ……」


 こんなこと、カゲロウに言っても仕方ないと分かっている。

 カゲロウは昨日までの二人なんて知らないし、グレイの息子とは言えど彼が悪いわけではないのだから。


 だが灰色の少年は、蓮の話を真摯に聞いていた。決してバカにしたりせず、そこに乗せられていた二人への親愛の情を、彼はたしかに感じ取っていた。


「お前、あの二人のこと好きなんだな」

「変な意味じゃなければ、たしかに好きだよ」


 なんだかんだ言いつつ、蓮だって色々と引きずっている。いなくなったあの子への想いを断ち切るのは、もう少し時間が掛かりそうだ。

 でも、今の黒霧葵と桐生朱音のことは、たしかに好きだと自信を持って言える。


 葵は大切な友人であることに変わりなく、朱音は可愛らしい妹分みたいなもの。

 そんな二人を好きじゃないなんて、間違っても言えない。


「自分に素直なやつは嫌いじゃないぜ」


 差し出された手。握手を求めている、のだろうか。戸惑いながらも控えめに応えれば、しっかりと手を握られた。

 そしてカゲロウは、笑顔を見せてくれる。嘲笑でもなんでもなく、実年齢を忘れてしまいそうな程に。いや、外見年齢よりも幼く見えるような、純粋な笑みを。


「これからよろしくな、蓮」


 釣られて、蓮も笑顔になった。

 カゲロウの父親が憎き吸血鬼であろうと、カゲロウ自身と関わる上では関係ない。だって、こんな笑顔を見せられるのだ。いい奴に決まってる。


「ああ。よろしく、カゲロウ」


 あの二人の前でも、こんな風に笑ってみせればいいのだけど。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る