第50話

「どうだ、愛美とは上手くやれてるか?」


 12月に入り、更に寒さが酷くなってきたある日。風紀委員会室で書類とにらめっこをしている緋桜が、ソファに座る桃に話しかけた。

 攫われた子供を救出したあの依頼から、緋桜は愛美に同行していない。代わりに桃が付いて行ってるのだ。

 いい傾向だと思う。永い時を生き、人間性すら欠落して他人に見向きもしない魔女が、誰かに興味を示したのだから。

 魔女の目的を、吸血鬼への復讐を否定するつもりはない。他の誰でもなく、緋桜だって考えたことのあることだ。


「上手くやる、っていうのがどういうのを言うのかは知らないけど。上手くやる必要なんてある?」

「仲良くなるに越したことはないだろ?」

「必要ないね」

「そろそろ、生き方を変える頃合いだと思うけどな」


 魔女の鋭い視線が、緋桜を睨め付ける。

 それはつまり、自分に復讐をやめろと言っているのか?

 言葉にせずとも伝わる、その怒り。今の魔女を突き動かしている原動力を、諦めろと?

 だが緋桜は首を横に振る。先も述べた通り、緋桜は復讐自体を否定しようとは思わない。


「グレイを追うのはいい。でもな、もう少し余裕を持て。周りに目を向けろ。あの殺人姫でも出来たんだ、お前にだってそれくらい出来るだろ」

「あの子は、まだ子供だからだよ。それはあなたも一緒。まだ若いから、外れた道から戻ることができる。わたしには無理。そのつもりもない」


 これはまた、随分と手強いな。眉根を寄せる緋桜だが、裏腹にその口角はやや上がっていた。

 たしかに、彼女の中からは人間が持っていて当たり前の常識、倫理観が欠けているのかもしれない。でも、残っているものだってある。殺人衝動に身を苛まされ、それでも根本にある優しさを損なわなかった愛美と同じ。

 復讐に身も心も捧げていようと、魔女の中にもそれがある。


 どうして、優しくあれるのか。

 愛美にそう聞いたそうだ。魔女にはきっと、あの苛烈なまでに優しい少女が眩しく映ったに違いない。緋桜ですら、たまに彼女のそれを直視できなくなる。

 そこに興味を持ち、そんな疑問を投げたと言うことは。魔女もまた、そう在ろうと心のどこかで思っているからではないか。


 なんてのは、桃瀬桃という人間の善性を信じすぎか。

 けれど悪人にも見えない。魔女が本当に復讐に全てを注ぎ、手段を選ばなくなれば。きっと学院の秩序なんて百年は前に消えている。人類最強の男が生まれるよりも、ずっと前に。

 選択肢の中にはそういうものもあったはずだ。それを選ばなかったのは、単なる効率の問題か。はたまた別の理由からか。


「これでも桃には、期待してるんだけどな」

「なにを」

「愛美の友達になってくれることを」


 鼻で笑い飛ばす魔女。まあ、当然の反応だ。予想通りすぎて笑ってしまいそうになる。


「わたしが? 殺人姫の? 冗談も大概にしときなよ、霧の魔術師」

「過去の妄執に囚われたお前じゃ、愛美の隣に立てないか?」

「それ以前の問題だよ。わたしは友人なんて求めてないし、それは殺人姫も同じでしょ」

「さて、それはどうだろうな」


 少なくとも。

 今ここで、こうして緋桜と会話に興じてくれている桃が。初めて来た時と変わっていることに、本人は気づいているだろうか。


「俺は美少女二人が仲良いと、目の保養になってありがたいんだが」

「あっそ」



 ◆



 そうしてまた、暫くの時が流れた。

 相も変わらぬ日常。愛美の依頼に桃が付いて行って、たまに緋桜も同行して。風紀委員会室では緋桜が愛美にセクハラ紛いの発言をして、二人の喧嘩を無感情な目で眺める桃も、時たま会話に混じるようになって。

 ああ、そう言えば。一度だけ緋桜と二人で行った依頼があったか。桃が付いてこなかったその時は、怪盗を名乗る二人組を相手にしたのだった。

 とはいえ、基本的に変わらない日々。そんな毎日の繰り返しに変化があったのは、年が明けた頃だった。


「お前の家、凄いのな……」

「他と違うっていう自覚はあるわ」


 桐原の屋敷にお邪魔していた緋桜と桃。愛美の父親、桐原一徹が挨拶をしておきたいというから、せっかくだし新年の挨拶も兼ねてと思いお呼ばれしていたのだ。


「でもまあ、みんないい人たちだった。お前がどうして正しさを求めるのか、分かった気がするよ」


 家族のことを褒められて、愛美は照れたようにそっぽを向く。頬が若干熱い気もするが、気のせいだ。

 そして緋桜の言うことは正しい。この家族がいたから、愛美は決定的に道を踏み外さなかった。どこまでも真っ直ぐに生き、正しいと思うことを欲して、強さを求めて来た。

 今となっては緋桜だって、そんな愛美の在り方を決定付けた一人ではあるのだが。

 癪なので、本人には絶対に言ってやらない。


「それで、私はこれから仕事があるけど、二人はどうする?」

「新年早々よく働くな……俺も付いてくよ。お前になにかあったら、親父さんに顔向けできなくなる」

「わたしはいつも通り」

「じゃあ決まりね」


 魔術師に休みなどない。悪さを企んでいる裏の魔術師は、こちらの事情など構わずに暗躍しているのだ。

 おまけに正月が近いとあれば、魔術的にも優れた日にちだ。なにかしら大規模な儀式や術式を構成するなら、やつらは逃さない。


「緋桜、座標教えるから転移お願い」

「はいよ」


 緋桜に頼み、早速転移して依頼先へと向かう。

 三人がやって来たのは、とある無人島。いつぞやの時とはまた違う場所だ。だが雰囲気は似通ったもの。ゴーストタウンと化した集落があり、それ以外は自然に囲まれた、まさしくと言った風な無人島だ。


「懐かしいな。愛美と初めて行ったのも、こんな感じの無人島だった」

「あんたが勝手に付いて来ただけでしょ」

「お前が一人で全滅させて、その後俺にこっ酷く負けたんだよな」

「喧嘩売ってんの? 今なら高く買ってあげるわよ?」

「依頼終わったらいくらでも相手してやる」


 適当にあしらわれ、不満げに緋桜を睨む。今なら勝てるかもしれないから、その時はボコボコにしてやろうと心に決めて、愛美も依頼の方に集中した。


 内容自体も以前のものと似通っていた。複数人の魔術師がここに潜んでいるから、全滅させればいいだけだ。


「ほら、ぞろぞろとおいでなすったぞ」


 朽ちかけた民家から、多数の魔術師が出てくる。数はそれなり。五十人近くいるだろうか。しかしこの三人にかかれば、その程度の数は多いうちに入らない。

 だが、ただ一人。魔女の反応は違った。


「ちょっとマズイね……」


 依頼に同行しても、愛美の戦い方を観察するだけ。直接介入したのは、それこそあの日子供を救出した時くらい。

 その魔女が。

 表情こそ変わらずとも、多少苦しそうなニュアンスで呟いた。


「島全体に張り巡らされた魔法陣……魔力の流れも歪だし……擬似的な地脈を無理矢理繋げてる? いや、それにしては綺麗すぎる。本当にそうなら、もっとめちゃくちゃになってるはずだし、地脈の滞りもない。そもそも現代魔術ですらないの……?」

「よく気づいたな、女」


 敵集団の中から、ひとりの男が前に進み出た。不敵な笑みを浮かべ、三人を見下すような目で。自慢げに両腕を広げる。


「この島は、俺たちが長年かけて作り出した叡智の結晶だ! 繰り返してきた儀式や実験、その犠牲となった仲間たちの悲願! これさえあれば、学院の敷くつまらん秩序を破壊できるんだよ!」


 つまりどういうことだ。説明するならもう少し詳しく説明しろ。

 眉根に皺を寄せる愛美に、険しい顔をした緋桜が説明してくれる。


「この島全体が一つの魔術として成立してるんだ。どういった魔術なのか、具体的なところは術式を起動してくれないと分からないけどな。あの口ぶりからして、結構ヤバそうだぞ」


 なにせ、あの魔女ですらマズイ、と表現したのだ。

 なるほど。具体的にどんな魔術なのかは分からないが、それなりにマズイ状況であることは分かった。魔女は未だにブツブツと独り言を呟き、緋桜は笑ってみせてはいるものの、額に汗が流れている。こいつがこんなに焦っているとは。

 そして敵の集団は、その全員がニヤニヤといやらしい笑みを浮かべていて。自分たちの勝ちを信じて疑わず、この場に来た愛美たち三人を見下すような笑みだ。

 たしかに、このままではやばいのかもしれないけれど。


「で、それがどうしたの?」


 分かった上で、言い放った。

 よく通るその声は、敵の集団も緋桜も、魔女ですらも呆気に取らせる。状況が分かっていない愚か者。そう見られておかしくないはずなのに、しかし。


「なんか凄い術式だってのは分かったけど、それがどうしたって聞いてんの。本当に学院の秩序を壊せるとか言うなら、さっさとやればいいじゃない」

「貴様……挑発のつもりか!」

「私は事実を言ってるだけよ。この場に私が来た時点で、あんたたちの目論見が失敗するのは決定事項なの」


 懐から抜いたのは、愛用のダガーナイフ。地面を凝視する愛美の瞳には、この島に張り巡らされているという魔法陣が映し出されていた。たしかに相当大きい。ここに込められた魔力や、関わった魔術師の悲願は計り知れないのだろうけど。


 それら全てを無に帰すべく。愛美はナイフを地面に、その魔法陣に突き刺した。

 たったそれだけで、島と一体化していた魔法陣が消える。魔力が粒子となって空気中に霧散して、太陽に煌めきどこか幻想的な光景となっていた。


「な、にを、した……?」

「斬った」


 簡潔な一言は、敵の魔術師が理解するには至らない。それでも、自分の仲間が理解するには、それで十分だ。


緋桜ひおう一閃いっせん・月華ノ雨」


 緋色の矢が、敵集団の上空へと放たれた。それは巨大な魔法陣へと変貌し、同じ色の矢が容赦なく、無尽蔵に降り注ぐ。

 混乱のまま緋色の矢に身を晒す魔術師たちは、なすすべもなく、悲鳴をあげて矢に貫かれるのみ。


「ちょっと。私の分も残しときなさいよ」

「この程度やられるやつらなら、お前が相手するまでもないだろ」


 死体の山と化したそこを見て、愛美は嘆息する。緋桜の言う通りではあるのかもしれないが、なんというか、暴れ足りない。不完全燃焼だ。

 結局具体的にどんな魔術だったのかは分からないが、なんかヤバそうな魔術を排除した。それだけでも愛美はとても大きな仕事をしている。しかし本人からすれば、いつも通り異能で魔術を斬っただけ。特別なことは何もしていない。


 どのみち、依頼はこれで終了だ。今から屋敷に帰ったら、まだおせちとか残ってるだろうか。せっかくだし、この二人も連れて屋敷に帰ろう。あの家族の中にいれば、魔女だって多少は態度を軟化させるだろうから。


 魔力の残っている愛美が転移の術式を構成し始めた、その時。

 三人同時に、全く別の気配を感知した。


「なんだ、もう終わってやがるのか。しかしまあ、予想外の獲物が釣れてるじゃねぇかよ。なあ、お三方」


 振り返れば、死体の山と血の海に佇む男が一人。

 刈り上げの入った髪と、極限まで鍛え抜かれた身体。亡の一文字が入ったその服。無遠慮に振りまかれる殺気は、覚えのあるもので。


「あんたは、あの時の……」

「よう殺人姫、久しぶりだな。お前の噂は、亡裏にまで届いてきてるぜ」


 以前愛美と壮絶な殺し合いを繰り広げた男が、そこにいた。

 緋桜が花びらを展開させ、桃が術式を構成する。愛美も反射的にナイフを抜いていた。

 愛美と緋桜だけではない。魔女ですらも警戒してしまう。その事実は、さきほど愛美が切断した魔術の比ではないほどの驚きだ。


「まあ待て、お前らと殺し合うのはこっちとしても望むところだ。特にそこのお前、魔女だったか? お前を殺せって命令もあるからな」

「わたしを殺す? 随分と大口叩くんだね」

「大口かどうかは、やってみなきゃ分からねぇよ。だがその前に、軽く自己紹介しといてやる。これから楽しく殺し合うんだ。互いの名前くらい、知っとかなきゃなぁ」


 そして、男は名乗った。

 余裕の笑みを携えて、溢れんばかりの殺意を漲らせながら。


「俺は亡裏なきりがい。魔術師殺しの一族、亡裏に名を連ねる者だ」

「殺人姫、桐原愛美。さあ、この前の続きと行きましょうか!」


 同じだけの殺意をぶつけて、愛美が地を蹴る。緋桜と桃が魔術を放つ。

 魔術師殺しの男は、己が拳ただ一つで迎え撃った。



 ◆



「魔術師殺し、ですか?」


 亡裏、というその名について。緋桜は以前、蒼に尋ねていた。亡裏垓と初めて遭遇した後、魔女がやって来た頃の話だ。

 愛美と同じ体術を使うあの男は、その場限りの縁だと切り捨てるわけにはいかなかった。なぜ愛美が同じ体術、同じ技を使えるのか。それが判明しない以上、いつかどこかで再び合間見えるだろうと。たしかな証拠もないが、そんな確信があったのだ。


「そう、魔術師殺し。亡裏っていうのは、元々殺し屋の一族でね。昔はその標的も様々だったんだけど、最近は魔術師に限定されてきてる。表も裏も関係なく、依頼さえあればどんな魔術師でも殺してみせる。それが亡裏だ」

「……じゃあ、そいつと同じ体術を使える愛美は?」

「あの子、元々は桐原の家の子じゃないだろう? つまりはそういうことじゃないかな」


 桐原愛美は、物心つく前に現在の父親、桐原一徹に拾われたという。彼女が生まれたのは、亡裏のもとだったのだろう。

 それにしたって疑問は残る。物心つく前だと言うなら、なぜあの体術を愛美が使えるのか。なぜ亡裏に捨てられた、一徹に拾われたのか。


「あの一族は、超常の力をとにかく嫌っててね。異能持ちの子供はすぐに捨てられる、って聞いたことがある。殺人衝動や体術は、亡裏としての潜在意識だよ」


 愛美の体術は、完全に程遠い。概念強化があればこそその真価を発揮できるが、普段の愛美では十全に扱えていない。それは正しい指導を受けず、ただ己が本能のままに使っていただけだったからだろう。

 殺人衝動に関しても、納得のいくところはある。元が殺し屋の一族だ。生まれてくる子供にそれが備わっていたとしても、おかしな話ではない、のだろう。緋桜としては、理解しがたいことだが。


「もしも次に亡裏と遭遇したら、逃げることをオススメするよ。魔術師殺しは伊達じゃない。やつらはなんの魔術も異能も使わず、こちらの魔術を無力化してくる。その体術ひとつでね」

「蒼さんも戦ったことあるんですか」

「何度かあるよ、割と危なかった」


 肩を竦めてみせる蒼だが、緋桜からすれば驚愕する他ない。人類最強と言われるこの男に、割と危なかった、なんて言わせるとは。

 そんな相手から逃げおおせたのだ。運が良かったのだろう。


「恐らくだけど、君たちが遭遇したその男も、なんらかの理由で本領が発揮できなかったんだろうね。愛美と戦って消耗したのか、君たちと戦う準備が整ってなかったのか。なんにせよ、やつらは僕たち魔術師に対するジョーカーだ。君や愛美だけじゃなく、もしかすると魔女ですら危うい」

「肝に命じておきます」


 これまでの常識が通用する相手とは思わない方がいいだろう。実際、緋桜の魔術に対して拳だけで抵抗し、無傷で切り抜けている様を見ている。


 だが逃げる隙など微塵もないことに、緋桜は再び遭遇してから、漸く気づくのだった。



 ◆



 魔術師殺しと殺人姫。互いの脚がぶつかり、行き場をなくした衝撃が余波となって撒き散らされる。

 常人ならば骨まで粉砕されるような一撃を受け止め、しかし愛美は怯むことなく次の攻撃へと移る。右から袈裟懸けの一撃。そのナイフは絶死のものであるが、故にフェイントとしてはこの上なく効果を発揮する。

 攻撃動作の途中キャンセル。それが亡裏の体術の真骨頂。概念強化を纏うことで、ようやく発揮できるその動き。


 だが相手も同じ体術を使う以上、そう簡単にことは運ばない。そのフェイントすらも見抜かれ、右腕の動きを止めた瞬間に手首を掴まれた。

 マズイ。そう直感すると同時、足元に魔法陣が広がる。愛美の身体のみ転移させられた次の瞬間、緋色の矢と魔力弾が降り注ぐ。


「無駄無駄ァ! 俺に魔術は通用しねぇよ!」


 それら全てを躱し、叩き落とし、亡裏垓は無傷のままで立っていた。


「この前と全然違うな……!」

「手加減されてたみたいでムカつくわね!」


 緋桜の隣へ転移させられていた愛美が、再び亡裏垓に肉薄する。同時に殺到する緋色の桜と、魔女の放つ魔力弾。

 しかしそれが魔術で、そこに魔力が込められている以上、その流れを拳一つで操る亡裏には通じない。唯一の突破口は、愛美の異能のみだ。


「どうした殺人姫! こんなもんか⁉︎」

「くっ……」


 拳と脚の応酬。以前と違って、愛美の方が若干不利だ。スピードが上がっている。

 愛美の概念強化は、現状だと一つの概念しか対象にできない。亡裏の体術を十全に振るうために脳を強化しているが、それだけではやつのスピードに追いつかないのだ。


「我が名を持って命を下す。其は永久に狂い万象を焼く生きた炎」


 魔女の詠唱が響く。顕現するは、外なる神と同質の力。いくつもの小さな光球が桃の周囲に展開され、魔術師殺しへ向けて放たれた。

 愛美が離脱するのに少し遅れて、光球が亡裏へと殺到する。他愛なくそれを拳で迎撃するが、光球に触れた瞬間、その拳が発火した。


 さしもの魔術師殺しもこれには驚いたのだろう。残る光球全てを回避するが、背後の着弾地点ではやはり炎が吹き出している。


「やるじゃねぇか。さすがは魔女、お陰で治したばかりの右腕が、もう使いもんにならなくなった」

「次はその身体ごと、使い物にならなくしてあげるよ」


 術式構成を始める魔女を横目に、愛美は再び果敢に攻めた。

 今のままでは足りない。脳だけじゃなく、全身を強化しろ。身体だけじゃない、このナイフすらも、己が動き全てを。

 より速く、より鋭く。

 もっと感覚を研ぎ澄ませ。この男の命を刈り取るためだけに!


「そこっ……!」

「……ッ、やるじゃねぇか!」


 亡裏の猛攻を掻い潜り、掌底が腹にヒットする。立て続けにナイフを振るい蹴りを放つが、どちらも容易く対処されてしまった。

 まだだ。まだ速くなれる!


「こっちも忘れてもらっちゃ困るぞ!」

「いい射撃の腕だ!」


 愛美と拳を交えながらも、音を超えて飛来した緋色の矢を掴み砕く亡裏。右腕一本使えなくなっているというのに、この動き。

 これが亡裏。これが魔術師殺しの実力。


「我が名をもって命を下す。其は無限の中核に棲む原初の混沌」


 その詠唱が聞こえた瞬間、亡裏の動きが変わった。目の前の愛美から、離れた位置にいる桃へと、優先順位を変えたのだ。


「させるかよ」

「しまった……⁉︎」

「桃! 下がれ!」


 瞬きの間にその姿は愛美の前から消え失せ、亡裏は桃の懐へと潜り込んでいた。振るわれる拳。咄嗟に展開した防護壁は容易く砕かれ、魔女の華奢な身体を穿つ。


「カハッ……」


 まだ詠唱の途中だったのだろう。練り上げられていた魔力が霧散し、桃が地面に片膝をつく。そこへ追い討ちの蹴りが突き刺さり、勢いよく民家の壁へと激突した。その周囲には、桃自身が放った炎が未だ揺らめいている。


「やっぱ魔女は厄介だな。先に殺しておくか」


 軽い調子で言い放った亡裏。

 その言葉を皮切りに、愛美の中で何かが切れた。


 目で追うことすら困難なスピードで、魔術師殺しが立ち上がれない魔女へと迫る。魔力も、異能すらも帯びていないただの拳。だがそれは、人を殺すのに余りに特化しすぎている。愛美のナイフと同じく、絶死の一撃となるだろう。

 その拳を振るうよりも前に、亡裏は反射のみで一歩後ろに下がった。


「誰の前で、誰に手を出してんのよ」


 愛用のダガーナイフを構えた、殺人姫が立っていたから。


 亡裏の服が斬れ、筋肉質な肌が露わになる。皮一枚でその肉には届かなかったが、あと一歩だ。まだ、もっと早く。もっと速く。

 勘違いするな、履き違えるな。これは殺すための力じゃない。守るための力だ。

 こんな私でも、正しくあるために。今以上の力を求めるんだ!


「ふふ、ははははは!」


 笑い声は正面ではなく、背後から。振り返ることはせず、立ち上がったその気配だけを感じる。


「やっぱり変な子だよ、魔女を守るなんてさ。二百年生きてきて、初めてだ」


 もはや聞き慣れた、けれどこれまでとはどこか違う魔女の声。それはどこか、嬉しそうな色を帯びていて。

 そういう声を、私は聞きたかったんだ。陰気な表情は似合わない。今みたいに笑っている方がいいに決まってる。


「わたしが折れてあげる。どっかのお節介焼きの言う通りになるみたいで癪だけどさ。といたら、退屈しなさそうだし」


 殺人姫の隣に立つ魔女。

 その顔は、どこか憑き物が落ちたようで。


「どういう風の吹き回し?」

「さあ? わたしにも分かんないよ。そこのセクハラ委員長がしつこかったり、愛美ちゃんの優しさに絆されたりしたんじゃないかな」


 魔力が渦巻き、術式が構成される。

 それを見て取り、好戦的な笑みを深める亡裏。ここからの殺人姫と魔女は、一味も二味も違うと、肌身に感じていた。


「好きに動いていいよ、愛美ちゃん」

「なら援護は任せたわよ、桃」


 短く言葉を交わして名前を呼び合い、命の奪い合いが再開された。

 地を駆け肉薄する殺人姫と、その背後から魔力の槍を放つ魔女。迎え撃つ魔術師殺しは、槍を叩き落とした後に殺人姫と対峙する。


「いいじゃねぇか、動きのキレが増してる! 戦いの最中で成長するか!」

「悪いけど、そこまで長引かせるつもりはないから。覚悟しなさい」


 動きのキレだけじゃない。一撃の重さも増している。その自覚が、愛美にはあった。

 でもまだまだ、もっと先へ。こんなものじゃないはずだ。リアルタイムで術式構成を書き換えろ。自分の身体に最適化させろ。そうしなければ、このスピードに置いていかれる。


「我が名を持って命を下す! 其は大海を割る嵐の剣!」


 空へ腕を伸ばした桃。その先に、巨大な剣が現出する。愛美が離脱したその瞬間、振り下ろした腕と連動して、亡裏の頭上に剣が落とされた。


「ぐッ、ぬ、おおぉぉぉぉぉぉぉ!!!」


 焼け爛れた右腕と健在の左腕を頭上に交差させ、驚くべきことにその剣を受け止めてみせた。そして身体のバネを全力で使い、右脚で大剣を蹴り砕く。


 それが致命的な隙に繋がると分かっていても、そうせざるを得なかった。


「集え、我は絡み取る者、万物万象悉くを斬り伏せ、命を刈り取る者!」


 一秒を経るごとに洗練させる概念強化。ついにナイフにまで纏わせた愛美が、魔力の刃を帯びたそれを手に、亡裏の懐に入り込んだ。

 それに反応できないはずもなく、愛美の側頭部目掛けて既に蹴りが放たれている。ここから躱すのは不可能だ。いかに亡裏の体術とは言え、人間の人体構造を完全に無視しなければ、回避へと繋げられない。


 ならばそんなもの、無視してしまえばいいだけである。


斬撃アサルト一之項フルカウンター!」


 愛美の姿が消えたと思えば、亡裏の左腕は身体を離れ、地に落ちていた。

 切断された腕。肩の断面からは大量の血が吹き出して止まらない。


 斬るという行動、概念に掛けられた愛美の概念強化は、敵が射程距離にいるなら術者にどのような動きをさせようと、必ず敵を斬る魔術だ。人体構造なんて完全に無視。その負荷すらも考えられていない。

 敵の攻撃を避けて斬る。唱えたその名の通り、なにがなんでもカウンターを決める魔術。


「ったく、恐ろしいやつだな。まさか俺が腕を二本とも持っていかれちまうとは」


 地に落ちた己の腕を見て、亡裏垓は嘆息する。もしかしたら自分は、とんでもないものを生み出してしまったのかもしれない。殺人姫単体の話でもそうだが、この同族と魔女のコンビネーション。こいつは中々に厄介だ。


「まさか亡裏の同族が、殺すためじゃなく守るために力を使うなんてな。いやはや、驚いたぜ殺人姫」

「……まだやるつもり?」

「バカ言え。ここまでボロクソにやられたんだ。意地汚く生き延びてやるよ。だから、次は勝つ。お前ら二人にな」


 その言葉を残し、亡裏垓は姿を消した。

 ここは無人島だ。やつらは魔術も異能も使わない。しかし完全に気配が消えたことから、手段は分からずともどこかへ離脱したのは事実だろう。


 概念強化を解けば、反動の頭痛がやってきた。今までの比にならない。頭が割れそうなほど痛い。頭痛だけでなく、全身あちこちの関節が痛む。フルカウンターで無理な動きをしたからだろう。


「お疲れ様。あんな動きするから反動が酷くなるんだよ。ちょっとは改良してみたら?」

「出来るならとっくにしてるわよ。その辺は諦めてるわ」


 差し出された手を取り、立ち上がる。

 そんな二人を見ていた緋桜は、妙な感慨に耽っていた。最後は出る幕がなかったが、色んなことが丸く収まりそうだ。


 殺人姫と魔女。

 互いに異なる狂気を身に秘めた二人が、無二の友人となったのは、間違いなくこの日からだ。

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