第51話
多分、嬉しかったのだと思う。
二百年だ。それだけの時間を復讐に費やした。他に見向きもせず、ただその成就だけを目指して。
多くの人に恐れられた。魔女と呼ばれるようになったのは、今から七十年ほど前だったか。明確な名がついたことで、わたしの周りからは人が遠ざかる一方。
名前にはそれ相応の意味がある。魔術世界だけじゃなく、現代社会でも変わらない。
わたしと恐れずに向き合うやつは、人類最強とか抜かす男だけ。そいつともソリが合わなくて喧嘩ばかり。殺し合ったこともある。
それが多分、十年近く前からの話。
だから、いるわけがないと思っていた。わたしを魔女ではなく、一人の人間として扱うバカなやつなんて。
桃瀬桃なんてのも、所詮は小鳥遊がつけた適当な名前。本名なんてどこかに捨てて来たから、今更思い出せもしないし。
それでも、あの二人にとって。わたしは桃瀬桃で、それ以上でもそれ以下でもなかったんだ。あの部屋の中に、わたしもいるんだ。
そう思うと、らしくもなく嬉しくなった。
それでも二人を突っぱねてたのは、半ば意地になっていたんだと思う。でもそれ以上に、一線を引いていたかったから。今を生きるあの二人と、過去に囚われたわたしの間に。
結論から言えば、線の引き方を間違っていたんだけど。
それも多分、二人からすればあってないようなものなんだろう。愛美ちゃんの苛烈なまでな優しさは、緋桜の愚直な正しさは。
わたしには眩しすぎる。羨ましくて、憧れちゃうくらい。
だから、そこに手を伸ばしてみようと思えた。何度もわたしに話しかけてくれて、ただの人として見てくれた緋桜と。わたしなんかを守ろうとして、強く立つ愛美ちゃん。二人がいるそこへ。
二人の隣に並べなくても、二人のそばに立っていようと。この二人との未来を求めてみようと。そう思えたんだ。
◆
「亡裏について、お父さんに少し聞いてきたわ」
愛美ちゃんが急にそんなことを言い出したのは、亡裏垓との戦いから一週間が過ぎた頃だった。
あの頃から変わった日常。緋桜と愛美ちゃんの会話やおふざけにわたしが混ざったり、わたしに少しだけ笑顔が増えたり。そういう変化を経た日々の中で、唐突に。
二百年も無様に生きながらえてるわたしが言うのもなんだけど、その辺は愛美ちゃんにとってデリケートな部分じゃないのだろうか。少なくとも、そんな簡単に切り出していいことじゃないと思うけど。
因みに、わたしとグレイの因縁については愛美ちゃんにも説明済みだ。これから友達として仲良くやっていくのだから、その辺りは共有しておかないとね。
「いやお前、それ俺らに言って大丈夫なやつなのか?」
「なにが?」
どうやら緋桜も、わたしと同じところを懸念したらしいけど。どうやら愛美ちゃんに、その辺りの意識は希薄らしい。
キョトンと小首を傾げて、少し考える素ぶり。ややあって得心がいった様に、ああ、と呟く。
「別に大丈夫なやつよ。だって私、物心ついた頃にはもう桐原の屋敷に住んでたのよ? 実の家族じゃないとは前から知ってたし、亡裏がどうのこうのって言われてもなにも感じないわ。まあ、この衝動だけは困ったもんだけど」
「そんなもんなのか……」
「そんなもんよ」
実感の話なのだろう。愛美ちゃんが亡裏の人間であることは、その体術と殺人衝動がなによりも物語っている。しかしこの子が正しさを欲して強さを求めたのは、その殺人衝動が理由であり、桐原の家族を愛するが故だ。
だから桐原愛美にとって、家族というのは桐原家以外に存在しない。
亡裏はあくまで、今ここにいる愛美ちゃんを形成する要素の一つに過ぎないんだろう。
「で、その亡裏なんだけど。魔術師専門の殺し屋、依頼を受けたら裏表関係なくどんな魔術師でも殺すそうよ。それこそ、依頼主が魔術師であろうと、特に問題なく受けるみたいね」
「それは俺も蒼さんから聞いてる」
「私が捨てられたのは、異能を持ってたから。なんでも数百年ぶりらしいわよ、亡裏から異能持ちが出たのは」
「異能を持ってようが捨てられようが、結局亡裏の潜在意識からは逃げられない、ってわけだ」
異能とも魔術とも言えない、けれどそれらに似た超常のナニカ。この世界には時たま、そういったものが見られる。
目の前にいる二人が持っているカリスマなんかがそうだ。
遺伝子レベルに刻まれた亡裏の潜在意識。人を殺すことに特化しすぎた一族。それも、同じものなんだろう。
「愛美ちゃんさ、その衝動、これからどうするの? 消すことはできないし、だからって完全に抑えることもできないでしょ?」
愛美ちゃんはそれを、自分の弱さだと捉えている。いや、正確には。その衝動に負けて、欲求のままに殺すためだけの力を振るうことこそを、自分の弱さと考えている。
それをひたすらに覆い隠そうとしてきた。学院からの依頼を免罪符に、正しさを欲して。
これからずっとそう在り続けるのは、つらいことだ。人は自分の弱さをわかっていて、それを隠して見て見ぬ振りを続けられるほど、強くはないから。二百年生きてきたわたしは、それを痛いほどに理解している。痛感している。
「どうするって言われてもね。これまで通りにするだけよ。気合いで無理矢理抑えつけて、依頼を受ける時、適度に発散していく感じ?」
だから、そう言えてしまえるこの子は、本当に強い子だ。
わたしにはそれが出来なかったから。己の弱さから目をそらすだけの強さを持てなかったから、あんな風になっちゃってたんだ。
やっぱり、わたしには眩しすぎるや。
「でもいいの? そんなおっそろしいの持ってると、いつか好きな男とか出来たときに苦労するんじゃない?」
「……ふっ」
「ちょっと緋桜? 今、鼻で笑ったわね?」
「気のせいだろ」
必死に堪えているが、緋桜の頬は引きつっている。まあ、言いたいことは分かるけどさ。なんで愛美ちゃんの逆鱗に触れるって分かってて、我慢できないかな。
「わたしだったら嫌だけどなー。好きな女の子の趣味が人殺しとか」
「むしろそんな女を好きになる奇特なやつがいるなら、この場に連れてきてほしいわよ」
「あ、自覚はあるんだ」
「当然でしょ」
「いやいやいや、それ以前の問題だろ。趣味云々よりもその性格をどうにかしろ? 身内以外にトゲトゲしすぎるんだよ、お前は」
「それはわたしも思うなー。殺人姫なんてあだ名が一番大きいとは思うけど、愛美ちゃんの態度にも原因があると思うんだよね」
「なんの話よ」
「愛美ちゃんがぼっちの原因」
「ぼっちじゃないわよ!」
どうやら地雷だったらしい。コメカミに血管を浮かべて、割とガチギレしてる。
たしかに、今はぼっちとは言えないかな?
「ま、今はわたしがいるもんねー」
「……まあ、そうね」
ちょっと頬を赤くして、照れたようにそっぽを向く愛美ちゃん。はー、なにこの可愛い生き物。なめてんの?
「魔女と殺人姫とか、それこそ周りが近づかない要素にしかならないと思うけどな。おまけに二人とも風紀委員だし」
「そこ、余計なこと言わないで」
「そりゃ失礼」
でも、愛美ちゃんもまだまだ子供だから。いつか本気で好きになる相手とか、できるかもしれない。それは緋桜も同じ。わたしと違って、この子たちの未来は無限に広がっている。なにが起こるのかは、誰にも分からないんだ。
◆
緋桜が消えたと知らされたのは、年度が明けてすぐのことだった。
可愛い妹が入学して来るから、と耳にタコができるほど聞かされていたけど。その可愛い妹の口から、兄の行方不明を聞かされたのだ。
「お二人なら力になってくれるって、お兄ちゃんは前々から言ってたんです。だからお願いします、お兄ちゃんを探すの、手伝ってもらえませんか⁉︎」
今にも泣きそうな顔で頭を下げた葵ちゃん。断る理由はなかった。
わたしにとっても、愛美ちゃんにとっても、緋桜は恩人だ。あいつがいなかったら、今のわたしたちはない。本人には卒業してもついぞ言うことはなかったけど。
愚直なまでの正しさで愛美ちゃんを導いてくれた緋桜。彼の実力は、わたしも認めるところだ。男としてはともかく、人間的にもかなりできたやつ。
余程のことがない限り、死んだりとかはないと思うけど。
心当たりがあるとすれば、一つ。
「緋桜のこと、何か思い当たる節でもあるの?」
二人だけの風紀委員会室で、あの男から委員長を託された愛美ちゃんに声をかけられた。
「ないことはない、かな。ただ、それにしたって緋桜がどこに行ったのかを直接知る手がかりにはならない」
「……グレイ?」
無言で首肯すれば、愛美ちゃんからはため息が返ってきた。またそいつか、と顔に書いてある。
わたしが二百年も追いかけてる、灰色の吸血鬼。復讐すべき相手。
具体的なところまで聞いたわけではないけど、緋桜もやつと因縁がある。だから多分、グレイを追っていれば緋桜の所在も判明するかもしれない、んだけど。
「残念なことに、グレイの居場所は未だ知れず。二百年近く追いかけてきて影も形もないんだよ」
「緋桜は別口で探した方がよさそうね」
今もこの身を焦がす復讐の炎。それをぶつけるべき相手は、わたしの前に現れることすらなくて。
平和すぎる毎日が、それから一年も続いた。
そして、やって来る。
わたしと、愛美ちゃんと。あの男の子の運命が絡まり始める、あの日が。
◆
「グレイの情報を掴んだって本当⁉︎」
愛美ちゃんが二年生の春休み。新学期から三年生になるというそんな時に、わたしはグレイの尻尾をようやく掴んだ。
風紀委員会室で驚いた様子の愛美ちゃんを宥めつつ、自分自身を落ち着かせる意味も込めてゆっくりと説明する。
「とある地方都市で、それらしき人物を見たって魔術師がいたの。丁度いいことに、そこは桐生っていう探偵の魔術師がいてね。そこに協力を求めればいい、って南雲から助言があった」
南雲のことはイマイチ信用ならないけど、こんな嘘を吐く必要もないだろう。やつが学院長であるうちは、わたしたちの味方だと思うことにしている。
「早速今から向かおうと思うけど、準備はいい?」
「もちろんよ」
いつからかダガーナイフから持ち替えた短剣を懐にしまい、愛美ちゃんは立ち上がる。
その瞳に、強い光を宿して。
この一年、この子はずっと。強く正しく、真っ直ぐに生きてきた。己の弱さをひた隠し、現実な残酷に向き合って。
そんな愛美ちゃんが眩しくて、羨ましくて。それ以上に、この子がいつまでもそう在れるように、他の誰でもないわたしが支えてあげたくて。
「さあ、行こっか。悪いけど、わたしの復讐に付き合ってもらうよ」
「悪いことなんてなにもないわよ。だって、友達でしょ? あんたの復讐を成し遂げる様を、私がこの目で見届けてあげる」
だからわたしは求める。正しさなんてのはかなぐり捨てて。復讐を成し遂げた、その先。
無二の親友との未来を。
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