第48話

「ちょっと緋桜。これ、間違えてるんだけど」

「え、マジ?」

「あとこっちも、見落としがある。あんた、こんなんでよく今まで委員長なんてやってこれたわね」

「おお、マジだ。悪い悪い」


 依頼先で謎の男と対峙してから数日。風紀委員会室では、これまでと異なる光景が広がっていた。

 緋桜が書類仕事をしているのは変わらないのだが、愛美も同じく、数枚の書類をペラペラめくりながらパソコンに何事か打ち込んでいるのだ。


 愛美が風紀委員に入ってから、一ヶ月が経とうとしていた。それだけの時間が経過して、ようやく愛美は少しだけ、緋桜に心を開いてくれた、ということなのだろうか。


「しかし、どういう心境の変化だ?」

「なにが」

「ここに来た時と比べて、随分態度が軟化したじゃないか」


 あの日、森であの男と戦った日からだ。

 緋桜としては言い過ぎたと思っていたし、翌日からはまた無視されるんだろうな、と考えていただけに、ある意味拍子抜け。

 もちろん今の方がいいに決まってるが、逆になにか企んでそうで怖い。


「別に、大した理由はないわよ。ちょっと周りを見る余裕ができただけ」

「余裕、ね」

「あんたに色々言われて、ちょっと考えてみただけ。それに言ったでしょ。私は別に、人との繋がりを無駄だと思ってるわけじゃないって」

「家族だけで十分だったんじゃないのか?」

「そのはずだったんだけどね。あんたにとっての私は、守るべき対象に入ってるんでしょ? そうやって言ってくれるやつを無碍にしたりはしないわよ」


 笑みはなく、いつものようにドライな無表情。けれどその声色は、これまでよりも余程柔らかなものだ。

 また、桐原愛美という少女の新たな一面を見た。優しいのだ。どうしようもないくらい揺るがないほど。

 それは恐らく、彼女が求めた正しさや、欲した強さなどとは違って。むしろ彼女を苛ませる殺人衝動に似た類の。

 桐原愛美の芯の部分に根ざしている人間性。


 とんだ矛盾を孕んでいる。その優しさと殺人衝動は、本来同居できないものだ。

 もしくは、だからこそ。彼女は過剰なまでに、正しさを求めるのかもしれないけれど。


「ま、仲良くやるつもりがあるんなら、こっちとしては大歓迎だ。欲を言えば、もう少し可愛げがあって胸がデカイ子がいて欲しかったんだが」

「こんな美少女を前にしてふざけたこと言ってんじゃないわよ」

「ははは、豊胸してから出直してこい貧乳」

「殺す」


 懐からナイフを抜こうとした愛美の手首を、緋色の桜で押し止める。ナイフを抜かれたらヤバいが、それさえ止めてしまえばこちらのものだ。


 そうやって小競り合いをしていると、部屋の扉がノックされた。さすがの愛美も、来客が来たとなれば大人しくなる。不機嫌そうに鼻を鳴らして殺意を抑えてくれた。

 どうぞ、と声をかければ扉が開かれ、入ってきたのは隻腕隻眼の人類最強と、愛美や緋桜とそう歳の変わらなそうな、お下げ髪で学院の制服を着た少女だ。


「やあ緋桜。お邪魔するね」

「蒼さん? どうしたんですか?」

「最近噂の殺人姫がどんな子か気になったってのと、紹介しておきたいやつがいるんだよ」


 自分の通り名を出され、怪訝そうに眉を寄せる愛美。どうやら魔術師のくせして、蒼のことを知らないらしい。


「この人は小鳥遊蒼。人類最強の魔術師って呼ばれてるほど強い人だ。聞いたことないか?」

「ないわね」

「だと思った。お前、その辺りは興味なさそうというか、そもそも教えてくれるような友達いないもんな」

「うるさい」

「おっと」


 無造作にナイフを投擲されたので、素手で持ち手のところをキャッチする。期せずして得物を没収することができた。


「仲良いね、君たち」

「最近ようやく懐いてきたところですよ」


 肩を竦めて答える緋桜だが、愛美が爆発してしまう前に本題へ入った。


「で、その子が紹介したいやつですか?」

「ああ。ほら魔女、自己紹介しなよ」


 言われても全く口を開こうとしない少女に、蒼はため息をひとつ。ちょっと前までの愛美と似てるな、と考えていれば、後輩から睨まれた。怖い怖い。


 しかし、聞き捨てならない単語が。

 魔女。それはこの魔術世界において、相当な重要人物だったはずだ。イギリスの本部にいると聞いていたのだが、何故こんなところにいるのか。

 人類最強は知らなくとも魔女は知っているのか、愛美が少女に視線を投げる。


「魔女って、あの魔女? こいつが?」

「そう、あの魔女だ。名前は桃瀬桃。体内に賢者の石を埋め込み、二百年の時を生きてる、正真正銘の魔女だよ」

「ちょっと、なんで小鳥遊がわたしの名前決めるの」

「その容姿にあった名前を考えとけ、って僕は事前に言ってたはずだけどね。考えてこなかった君が悪い」


 紹介された魔女、桃瀬桃は、不機嫌そうに蒼を睨め付ける。

 彼女に関しては、多くの噂が流れていた。その中の一つに、こんなものがある。

 魔女はその石の力で体を作り変え、名前も変えて現代まで生きてきた、と。

 今のやり取りを見るに、どうやらその噂は本当らしい。名前はまだしも、体を作り変えるなんてのは眉唾だと思っていたのだが。

 二百年も生きて、おまけにイギリス人のくせして、日本の女子高生同然の姿をしているのだ。信じるしかない。


「その魔女を俺たちに紹介してどうするんです? こっちはあんたらに比べると、ちっぽけな魔術師でしかないんですけど」

「魔女が緋桜に聞きたいことがあるらしくてね」

「俺に?」


 桃へと目をやれば、視線がぶつかる。仄暗い光を宿した瞳が、ジッと緋桜を見据えていた。

 緋桜自身が言ったように、蒼や桃と比べると愛美も緋桜もちっぽけな存在だ。いくら愛美が特異な体術を使い、おっかない趣味を持っていても。いくら緋桜が、そんな愛美を御すほどの実力を持ち、この学院を実質支配していたとしても。

 この二人にとって、そんなものは関係ない。文字通り、次元が違うのだから。


「ねえ、あんた」

「ん?」


 心当たりを探っていれば、愛美がおもむろに蒼へと話しかけた。


「人類最強って本当?」

「まあ、一応そういうことになってるね」

「なら、私に稽古をつけて」


 愛美が持ちかけた提案に、緋桜は少なからず驚いた。たしかに最近は、以前よりも態度が軟化したし、彼女自身が言った通り余裕みたいなものが出てきていたのかもしれないが。

 プライドの高そうな愛美が、まさか人に教えを請うなんて。


 いや、それは緋桜の勘違いだったのだろう。たしかに彼女はプライドが高いかもしれないが、誰かに頭を下げることに関しては、それが働かない。

 強さを欲していた。正しさを求めていた。そのためならば、手段は選ばないというわけだ。


 顎に手を当て、少し考える素ぶりを見せる蒼。強い眼差しで見上げてくる愛美を見て、人類最強の男は頷いた。


「うん、分かった。僕でよければ相手をしてあげよう。そういうわけだから、そっちはそっちで話しててくれ。僕はこの子と外に出てる」


 途端、音もなく二人の姿が消える。魔法陣の展開すらない魔術行使。相変わらず、馬鹿げた力だ。ついでに没収していたナイフもちゃっかり回収されてた。


「それで、聞きたいことってなんだ?」


 愛美は蒼に任せよう。あんなでも人類最強だ。悪いようにはしないはず。

 目の前に立つのは、少女の姿をした魔女。緋桜程度、赤子をひねるように殺せてしまう存在だ。精々逆鱗に触れないよう、慎重に会話せねばなるまい。


「灰色の吸血鬼、グレイについて」


 しかし、先に逆鱗に触れられたのは、緋桜の方だった。



 ◆



 半殺しにされた。

 稽古するなら実戦が一番だと言われ、全力で来いと挑発され、持ちうるすべての力と技術を出し尽くした末に。

 死ぬ一歩直前まで追い詰められた。


「なるほど、概念強化か。これまた面白い魔術を開発したね」


 富士の樹海の只中で、仰向けに転がる愛美の耳に届く声。大人気なくも少女をフルボッコにした男は、感心したように呟いている。


「通常の強化では、君の身体に追いつかない。だからこそ肉体の強化ではなく、概念の強化に着目したわけか。目の付け所はいいけど、術式自体が粗だらけだな」

「まだ完成してないのよ、これ。だから粗だらけで当然」


 今はまだ制限時間付きで、おまけに自分の身体にしか使えない。だが本来想定していた通りなら、そもそも制限時間なんてないし、このナイフや他人など、自分以外にも使えるはずだったのだ。


 だが今回は、その制限時間がやってくる前に戦闘が終わった。

 もっとやれると思っていた。人類最強なんてやつに勝てるとは考えていなかったけど、それでも、自分はもっと強いのだと。

 未完成とはいえ、概念強化を使えるようにしたのだ。先日のあの男との戦いで、体術はさらに磨きをかけたのだ。

 けれど、だというのに。


 一つ足りともまともな攻撃が通らず、愛美は呆気なく殺されかけた。

 なるほど、いつも自分が殺してるやつらは、こういう気持ちになるわけか。

 殺人衝動? 欲求? そんなものが湧き上がることもなく、愛美が抱いたのは純粋な恐怖と、死にたくないという強い思い。


 あの男と殺し合った時には、そんな感情生まれなかったのに。


「正直、君は今のままでも十分強い。これ以上を望む必要は特にないと思うんだけど」

「皮肉のつもり?」

「まさか、本心だよ。これでも中々ヒヤヒヤさせられたんだ」


 本心であるのは間違いないだろう。ただ、相手が悪かった。それだけだ。


 その上で、思う。

 私は弱い。


「どうやったら、強くなれるの?」

「それは、力の話かい? それとも、もっと別の話?」

「どっちも」


 起き上がり、制服についた土を軽く払う。怪我は蒼が治療してくれたが、概念強化の反動はまだ残っている。頭の鈍痛も無視して、愛美は言葉を続けた。


「私は、強くなりたい。あんたに勝てるほどだなんて、そんなことは言わないわ。でも、もっと、今よりもっと強くなりたいの。そのために正しいことを成してきた。そうすればいつか、望んだ強さが手に入ると思ったから。だけど……」

「それは間違っていた?」

「……そうなのかもしれない。緋桜に言われたのよ。強がるために正しさを求めるな、正しさを成すために、強くあろうと足掻け」


 気付かされたのだ。いつからか、手段と目的が逆転していたことに。

 家族を守りたい。この身を焦がす衝動を抑えたい。だから、まるで免罪符を振りかざすかのように、正しいと思うことを成そうとしてきた。そのためには力が必要だった。

 けれど気がつけば、強さばかりを求めて。正しさはその手段と化していた。


「教えてほしいの。今の私に何が足りないのか。どうすればいいのか」

「とは言われてもね」


 吐き出したため息は、呆れによるものか。もしくは、別の理由か。


「さっきも言ったけど、君は強いよ。自分の間違いを受け入れる。その上でどうすればいいのかを考え、人に頼ることも知っている。十分すぎるほどだ」

「強がってるだけよ。じゃないと、なにも守れない。本当に強くなれないから」

「だとしても、だよ。いや、そう思えることこそが君の強さだ。弱さを必死に押し隠して、強くあろうと背伸びする。誰にもできることじゃない」


 自身を苛む殺人衝動に抗えない弱さ。家族に甘えてしまう弱さ。強くなるために、正しさを成すために、それら弱さは不必要なものだ。だから強がってみせた。

 現実は残酷で、弱い自分になど合わせてくれるわけもないから。だから、自分が現実に合わせて背伸びしなければならない。

 そうでないと、いつか。大切なものを失いかねないから。


「まあ、その辺りは当人の問題だ。僕がどうこう言ったところで、君は納得しないだろう。だから僕が強くしてあげられるとするなら、君のその力だけ。それでいいなら、この人類最強が君を強くしてみせよう」


 不敵に笑う男。差し伸べられたその手を取ることに、迷いはなかった。



 ◆



 結局六回半殺しにされた。

 怪我自体は蒼がすぐに治してくれたので無傷なのだが、体力の限界や精神的な疲れまではどうにもならない。

 二時間ほど経ってから、きた時と同じように蒼の転移で風紀委員会室へと直接戻ると、室内にはまだ魔女の姿が。


「お、戻ったか。どうだった愛美、人類最強との手合わせは」

「六回半殺しにされた。ふつうにやってたら百は死んでたわ」

「まあそんなもんだろうな」


 あまりにもスパルタというか、脳筋教育すぎてさすがの愛美もヘトヘトだ。おまけになぜか、蒼のことは先生と呼ぶことになる始末。やけにその呼ばれ方に拘っている様だったから、仕方なく受け入れてあげたけど。


 休憩しようとソファに近づけば、いつも座っている定位置には既に魔女が腰を下ろしていた。こっちは疲れているというのに。無言で睨んでも反応はなし。退く気はないらしい。


「ちょっと、そこ私の定位置なんだけど」

「それが?」

「退けって言ってんのが分からないの? 二百年も生きてるから耳が腐ってるんじゃないでしょうね」


 疲れのせいで少し苛立ってるから、喧嘩口調になってしまった。後悔する愛美だが、一度口から出た言葉が戻ることはない。

 謝ろうと思って、その前に。桃はなにを言うでもなく、向かいのソファへと移動した。


 今のは普通、怒るところだと思うのだが。そうしなくとも、なにかしらの感情が見えてもおかしくないものを。


 二百年だ。

 ただの人間として生きるには、あまりにも長すぎる。聞かずとも、何か理由があるのはわかりきったこと。

 それを揶揄した発言。あまりにも無神経だった。気まぐれで殺されてもおかしくはない。


 だがこの魔女は、なんの反応も示さなかった。言葉にではなく、愛美自体に。

 繰り返すが、二百年だ。それだけの歳月があれば、人一人からその人間性を奪うのには十分すぎる時間、というわけか。


「ごめんなさい、今のは言いすぎたわね」


 だとしても、それが謝らない理由にはならない。相手が求めていなかったとしても、愛美自身が過失だと感じた。謝る理由なんてそれだけで十分だ。その上で相手がどう感じ取るかは、それこそ相手次第。


 ピクリと。僅かに揺れた体。仄暗い光を宿した瞳が、愛美に向けられる。

 自分の持つ殺人衝動なぞ可愛く見えるほどに、深く暗い瞳。その奥にほんの少し覗く、どす黒い炎。


「……変な子だね。これが本当に、殺人姫なんて呼ばれてるの?」

「おや、興味はなかったんじゃないのかな?」

「ないよ、興味なんて」


 蒼の言葉に、桃は吐き捨てるようにして返す。まあ、魔女からすれば十六年しか生きていない小娘なんて、眼中にないのだろうけど。イラッと来るものがないことはないわけで。


「やめとけよー愛美。バストサイズ負けてるからって僻むな」

「違うわよ! てか、どうせこいつも私と対して変わんないでしょ!」

「さっき聞いたら85だってよ。お前は?」

「……っ」


 顔を赤くして目を逸らした。つまりはそういうことだった。

 というかこのバカは、私が何回も殺されかけてる時になにを聞いてるんだ。やっぱり一度殺しておかなければ。


「俺の見立てによると……」

「ちょっと、それ以上胸を凝視するなら本当に殺すわよ」

「75、ってとこか?」

「78はあるわよふざけんな死ね!」


 半ば涙目でナイフを抜き、座っている緋桜に襲いかかる愛美。来客の前だとかはどうでもよくなった。

 とにかくこのセクハラクズ野郎を殺さないと気が済まないッ!


「はいはい、そこまで。二人とも一旦落ち着いて」


 邪魔をする桜の花弁を斬り捨てていた愛美が、突然ソファの上に戻される。今日一日で何度も見た、蒼による魔法陣の展開すらない転移魔術だ。

 恨みがましく蒼と緋桜を睨むが、その二人はどこ吹く風。まともな男はいないのか。いなさそうだなぁ。


「桃にはとりあえず、しばらく二人の下にいてもらうことにするよ」

「ちょっと小鳥遊。なんであんたが勝手に決めてるの? わたしにそんな余裕なんて」

「二百年も生きといて、今更時間がどうとか気にするなよ、魔女。どうしても嫌って言うなら、呪いの一つでもかけてやろうか?」

「ちっ……」


 脅迫めいた言葉に対し、桃は舌打ちするだけだ。力関係は蒼の方が上らしい。


「この二人と接するのは、君にとってもプラスになるだろうからね」

「いや、俺ら置いて勝手に決めるの、やめてもらえません? これ以上問題児増えるのは委員長的に無理なんですけど」


 誰が問題児だ、と言おうとして、心当たりしかないのでやめておいた。沈黙は金である。


「そうかな。魔女がいるのは、緋桜にとっても悪い話じゃないと思うけど」

「……分かりましたよ。元から拒否権なんて与えるつもりないでしょ」

「よし、決まりだね。んじゃ後は若い者同士でよろしく」


 魔女がいるのに若い者同士はおかしいだろう。突っ込もうとしても、蒼は既にどこかへ姿を消していた。

 残されたのは、愛美と緋桜、桃の三人だ。

 二人はさっきなにか話してたようだし、自己紹介すべきは自分だけか。


「桐原愛美よ。いつまでいるのかは知らないけど、とりあえずよろしく」

「わたしはよろしくやるつもりないけどね。小鳥遊の顔を立ててここにいるけど、不必要に干渉して来ないでよ、殺人姫」


 このクソ女……! せっかく人が下手に出てやったのに!


「愛美も似たようなもんだったけどな」

「うるさい、緋桜うるさい」


 今は違うからいいだろう。心の中で文句を言いつつ、セクハラクズ野郎を睨んだ。

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