第42話

 日本全土が謎の現象に襲われていた。

 青く染まっていた昼の空が、突如夜の闇に覆われたのだ。多くの国民が慌て、怯え、テレビやSNSはその話題で持ちきり。番組を中断してまでの緊急特番は、しかし大した情報を発してくれない。


 しかし、全ての人間がなにも理解していないわけではなかった。

 都内某所に広い敷地を持つ屋敷、桐原組の組長、桐原一徹はテレビに流れている番組を見て、渋い顔をする。


「親父、こいつは……」

「ああ。間違いねェだろうな」


 ヘリを飛ばして撮影しているのだろう。テレビの画面には、空中からの富士の樹海、だった場所が映っている。

 屹立していたはずの木は無残に切り倒され、地面は所々がひび割れている。それだけではない。五メートルはあるだろう巨大な鷲のような生物と、それに対峙しているらしき人影。その少し離れた場所では、黒いドレスと三角帽子を被った少女が、空中を縦横無尽に駆けている。


「これ、桃さんだよな……」

「学院でなにが起きてるんだ……」

「お嬢たちの無事を早く確認しろ! なに? 学院と連絡が取れないだと⁉︎」


 巻き起こる爆発。衝撃で揺れるヘリ。

 桐原組の構成員たちも、屋敷の中で状況を確認しようと動き回っている。


 しかし問題はそれだけで終わらない。

 闇に覆われた空。一徹たちは知らないことだが、学院では吸血鬼の力が倍以上に増している。つまり、だ。

 つまり、吸血鬼以外の魔物も、活性化してしまうということで。


「親父! 街に魔物が出現しました!」

「チッ、厄介なことになってきやがったな。全員、戦闘準備だ! 市民の避難誘導と魔物の排除に回るぞ!」


 号令をかけて立ち上がる。それぞれの得物を手に外へ出て行く己の家族。一徹はその先頭に立ち、一人願った。


 頼む。全員無事に生きててくれ。



 ◆



「あああああああ!!!!!」


 絶叫が響き渡る。地獄の業火が、氷の薔薇が、深淵のいかづちが、鎮魂の風が、ただ一人の吸血鬼に向けて放たれる。

 己の放った魔術で傷を負うことすら厭わず、朱音は怒りのままに短剣を振るった。銃の引き金を引いた。両目に橙の瞳を灯していた。銀の炎を煌めかせていた。


 届かない。それでも、吸血鬼の命を奪うには足りない。


「お前はッ、何度私から奪うつもりだッ!!! 何度、私の大切な人たちをッ!!!」

「俺にはあずかり知らぬところだな。それは未来の俺であって、今の俺じゃあないだろう?」

「黙れェェェェェ!!!」


 まともな理性すら残らず、朱音は怒りのままに術式を構成する。ゼロ距離で放たれる魔力砲撃。グレイの体を飲み込んだ光が晴れるよりも早く、次の術式を。

 向けた銃口に展開された巨大な魔法陣に、一切の容赦なく魔力が吸収されていく。この場に存在している、全ての魔力が。

 空気中に漂っているものも、グレイのものも。織と愛美、桃の三人を除いた全ての魔力が、そこに収束された。


超絶時空破壊魔砲エーテライトブラスターァァァァァ!!!」


 時空すら破壊する光の奔流が、再生を終えたグレイを飲み込む。だがまだだ。この程度で死ぬはずがないことを、朱音はその命でもって思い知っている。

 賢者の石を焼き切れるほどに稼働させ、魔力を無理矢理精製する。肉塊と成り果てた吸血鬼に肉薄し、再生が終わるよりも前に塵一つ残すことなく斬り刻んだ。


 それでも、終わらない。

 橙色の瞳は、まだ未来を映している。影も形も残さなかった吸血鬼は、なにもないそこから出現して、不敵な笑みを浮かべている。


「無駄なんだよ、ルーサー。貴様の力じゃ、俺は殺せない。未来で何度も思い知らされたんだろう?」


 放たれる赤黒い魔力の刃。濃密な弾幕となったそれを避けることはできない。朱音が避けてしまえば、背後で倒れている三人へと殺到してしまう。

 銀炎で体の時間を止めることで一命を取り留めているが、朱音には今の三人を救う術がない。死の間際から救い出す力を持たない。


斬撃アサルト三之項フルフォートレス!!」


 迫る弾幕を斬り捨てる。概念強化で無理な動きも可能とし、一つ足りとも後ろに逸らさない。だが所詮は一人だ。万を超える弾幕を前には、いずれ限界が訪れる。


「そらそら、そんな調子じゃあ後ろを守れないぞ?」

「あっ、くッ……!」


 弾幕の密度が増した。概念強化だけでは足りない。剣を振るうと同時に、魔導収束の術式を構成する。

 けれど、それでも足りない。


「しまっ……!」


 魔力を吸収するよりも早く、赤黒い刃が朱音を通り抜け、背後で倒れる三人へ迫る。

 地を蹴って戻るが、一歩足りない。ただ手を伸ばすことしか出来ずに、ついに三人の元へ死が迫ろうとして。


 赤黒い刃が、霧散した。同じ色の粒子は消えることなく、一ヶ所へと吸収されていく。

 その先を目で追えば、隻眼隻腕の男が空中に立っていて。


魔を滅する破壊の銀槍シルバーレイッ!!」


 人類最強の男、小鳥遊蒼の放ったいくつもの銀の槍が、吸血鬼の身体を貫いた。


 駆けつけたのは蒼だけではない。

 突然漂う冷気。織たちを庇う位置に現れた有澄の足元には、巨大な魔法陣。

 槍の突き刺さったグレイの左右では、金髪の男女が剣を振りかぶっていた。


「ドラゴニック・オーバーロード!」


 魔法陣から聳え立つ光に包まれる有澄。その光が晴れて現れたのは、空色の身体を持つ巨大なドラゴンだ。

 左右の剣を防護壁で防いでいたグレイへと、ドラゴンが襲いかかる。金髪の男女、剣崎龍とルークはその場を離脱。人外同士の激突が起こった。


 そちらに見向きもしない朱音は、織たちの元へ降り立った蒼へ、涙を流して訴えかけた。


「蒼さん、お願いです! 三人を助けてください! あなたなら出来ますよね⁉︎」

「……いや、これは厳しいな」


 しかし、返ってきたのは絶望的な答え。人類最強の男ですら、今の三人は救えないと。


「治癒阻害の呪いがかけられている。龍、たしかそんな槍があったよね?」

「ああ。伝説上の槍だな。たしか、ケルト神話に出てきたはずだ」


 答えたのは、グレイの相手を有澄に任せた龍だ。金髪をポニーテールに結った小柄な女性、ルークと共にここまで下がってきていた。


「君の持つ魔導具の中に、この呪いを解けるものは?」

「ない。こいつはオリジナルと遜色ない力だ。俺の作ったもんじゃ、この呪いは打ち破れねえよ。敵ながらさすがだな」

「呑気なこと言ってないで、どうにかして三人を助けてくださいよ!!」

「まあまあ、落ち着きなって。朱音、だっけ?」

「ルークさんには言ってませんが! 壊すことしか能のない脳筋は黙っててください!」

「ボク、この子になにか悪いことしたっけ?」

「ルークの言う通りだよ。朱音、まずは落ち着いて。方法がないわけじゃないんだ」

「本当ですか⁉︎」


 落ち着けと言われても、そう聞かされれば尚更落ち着けない。方法があるならそうと最初から言ってくれ。安堵しかける朱音だったが、蒼の表情はそれでも浮かばないものだ。


 その顔を見て、朱音も気づいた。助ける方法は、たしかにある。ただし三人ではなく、織と愛美の二人だけを。


「わたしの、石を……使って……」


 弱々しい声がした。蚊の鳴くような、ともすれば聞き逃してしまいそうなほどに、か細い声が。

 しかし、その場の誰も、彼女の声を聞き逃さない。


「賢者の、石、なら……二人は、助かるから……」

「……君は助からないぞ」

「それで、いいの……」

「分かった」

「蒼さん!!」


 つい、声を荒げてしまう。いくら桃が望んでるとはいえ、それで両親が納得するとは思えない。

 愛美にとっては、大切な友人なのだ。この学院で出来た最初の、唯一無二の親友だ。

 織にとっては、命の恩人なのだ。愛美とともにこの世界へと導いてくれた存在だ。


 そんな相手の命と引き換えに、自分が助かる。この二人が、そんなこと望むわけがない。


「これしか方法はないんだ。それとも君は、両親を見殺しにするのか?」

「他にもなにあるはずです! そうだ……私の石を使ってください! そしたら桃さんだって助かる!」

「そしたら君がどうなるか分からないんだぞ! それで、もしも君が死んだら! 娘を失った二人はどうする⁉︎」

「……ッ」


 分かっている。一度その体に定着した賢者の石を抜き取れば、宿主は命を失うだろう。

 でも、それでも、両親が助かるなら。


「君は二人に、幸せな未来を迎えて欲しいんだろう。そこに君がいないと意味がないことを理解してくれ」

「それは、でも、桃さんだって……」

「いいんだよ、朱音ちゃん……」


 桃が力を振り絞り、手を伸ばす。その先には、血塗れで倒れている二人の友人が。

 掌の上に、半透明の石が出現した。しかしそれは二つに割れていて、魔女自身の血で赤く汚れてしまう。


「二人とも、バカだよね……わたしより弱いくせに……こんなとこまで出てきちゃって……」


 蒼が織と愛美の体の上に、魔法陣を広げる。朱音は涙を流しながら、三人を包む銀炎を解いた。

 二つになった石は、そこへ吸い寄せられるように動き始める。


「こんな、とこで……死なないでよ……全部、わたしの全部、あげるから……」


 伸ばした人差し指に、淡い光が灯った。

 それは、魔女が行使する、最期の魔術。


 ──生きて。


 願いのろいの一言を遺して、二百年を生きた魔女は、眠りについた。



 ◆



「朱音、君は二人と桃の体を中に」

「私も……まだ戦います……」

「いいから」


 有無を言わさず、蒼は四人の体を学院の中へと転移させた。


 いつぶりだろうか。こんなにも怒りが湧いてくるのは。

 誰かの死に直面して、平静じゃいられないのは。


「どうする蒼? どうやってあれを殺す?」

「殺せねえだろ、あれは。ひとまず追い返すことを考えようぜ」

「そうだね。取り敢えず、再生に時間がかかるくらには追い詰めよう。今の僕らには、時間が必要だ」


 竜の姿をした有澄が、蒼たちの元へと退がる。空色の身体には傷一つなく、しかしそれは吸血鬼も同じだった。


「ふむ。異世界の巫女に、転生者が三人か。少し分が悪いかな?」

「少し分が悪い? おい吸血鬼、思い上がるなよ」


 小鳥遊蒼として生まれ、人類最強なんてものになってから十年。思えば、魔女とはその十年間の付き合いだ。色んなことがあった。

 殺しあったことも、共闘したことも。出会った時は人間性が欠落していたのに、失ったそれを取り戻していくのも、間近で見ていた。


 たしかに桃瀬桃は嫌いな部類に入る。

 それでも蒼にとっては、大切な仲間の一人に違いなかった。


 湧き上がる怒りを乗せ、力を解放する。

 転生者としての全力を。


「ソウルチェンジ・オーディン」


 かつて生きた、魔術の神としての力。

 蒼たち転生者のみに許された、魂の変質。


 神槍を隻腕に持ち、吸血鬼へと向ける。

 ただそれだけの行為で、グレイの身体が爆ぜた。


「たしかに、僕たちじゃお前を殺せないかもしれない。だからって、僕たちに勝てるとでも思ってるのか?」

「貴様ッ……やってくれたな、小鳥遊蒼!」


 再生した吸血鬼が怒りの声を上げれば、蒼の隣に立っていたルークがおもむろに剣を振るった。

 瞬間、グレイの立っていた空間ごと、その体が切断される。


「精々、消耗してもらうとしようか。ソウルチェンジ・ルー」

「ま、恨むんなら蒼の逆鱗に触れた自分を恨むんだな。ソウルチェンジ・アーサー」

「チィ!!」


 転移と見紛うほどの速さで肉薄した龍に、再生を終えたグレイが再び両断される。

 大きく後退しながら再生するが、それすら許さずルークが剣を投擲した。


報復せよ、異界の支配者フラガラッハ・マグメル!」


 剣は一筋の細い光と変貌し、再生途中の吸血鬼を貫く。

 神話に存在した、太陽神ルーの持つ剣。それは治癒阻害の能力を有し、グレイは上半身の再生を終えずにどこかへと転移した。


 しばらくして、空が晴れる。

 夜の闇は消え、元の青さを取り戻した。


 それを見てグレイが完全に撤退したことを悟り、蒼は呟く。


「おやすみ、桃。ゆっくり休んでくれ」



 ◆



 三対の黒い翼をはためかせていた葵は、この身を支配する激情を乗せて神鳥と相対していた。


 ガルーダと戦うのは二度目だ。

 しかし、その時とは違う。二人の妹から託された想いがある。自分がここにいるのは、その思いを無駄にしないためだ。


「お前の攻撃は、もう見切ってる!」

「■■■■■■!!!!」


 進化した、いや、元の力を取り戻した異能を使って、広げた翼から魔力弾を放つ。


 情報操作の異能。それが黒霧葵の力だった。

 だがその真価はただの操作にあらず。解析した情報を元に演算、構築と消滅までをこなしてこそ、この異能は本領を発揮する。

 葵の放った魔力弾はただの攻撃にあらず。ガルーダの存在そのものを消してしまう絶死の一撃だ。


 しかしそれは、ガルーダにのみ効果を発揮するもの。やつの放った風の刃は魔力弾を相殺してしまう。


 やはり一筋縄ではいかない。簡単に倒せる相手ではないのは百も承知だ。

 神氣を纏ったガルーダを倒せるのは、何故か同じ神氣を纏う葵のみ。

 なぜ神の力を使えるのかなんて、今の葵ですら分かっていない。けれど、使えるものならなんでも使う。そして、両親の仇を討つ。


 刀を構えて斬りこもうとして、その寸前。

 空が、晴れた。

 闇に覆われていた空が、元の青を取り戻そうとしている。


 その一瞬に気を取られた隙に、ガルーダは足元に魔法陣を広げ、姿を消してしまった。


「終わった……?」


 ガルーダは倒せていない。逃してしまった。

 しかし、戦いが終わったのは事実だ。

 きっと桃がグレイを倒したに違いない。織や愛美も無事で、誰も死ぬことなく終わった。そのはずだ。


 兄と親代わりの吸血鬼の元へ駆けつけたい気持ちを抑えて、葵は桃たちがいるはずの場所へと飛んだ。


 その先に、残酷な事実が待っているとも知らずに。



 ◆



「終わったんか……?」

「その様だね」


 目の前の魔物たちがどこかへと転移し、空が晴れたのを見て、安倍晴樹は脱力してその場にへたり込んだ。

 友人のアイクが差し伸べてくれた手を取り立ち上がるが、彼には一つだけ心配なことがあった。


「……桐生らは無事なんやろか」


 織と愛美がこの中にいないのは、学院内での騒動をこの目で見ていた晴樹も知っていた。

 朱音とともにどこかへ転移した二人は、しかしその後一切姿を見ていない。

 彼らには、彼らのやるべきことがあったのだらう。朱音だけでなく愛美もいたのだ。無事に決まっているが、心配は尽きない。


「ミスター桐生なら心配いらないさ。なにせ彼には、ミス桐原がついている。彼女がいれば安心だろう」

「お前の桐原に対する信頼はなんやねん。まあ、その通りやろうけどな」

「それを確かめるためにも、とりあえず学院に戻ろうではないか」


 周りで戦っていた魔術師を見る限り、死者は出ていない。大なり小なり怪我人はいるだろうが、それにしてもあの魔物たちは強かったというのに。


 ならば織たちも無事だろう。ここにいる魔術師なんかより、あの三人は強い。織だけはそれを聞けば微妙な顔をするだろうが。


 その顔を拝んでやるためにも、さっさと学院に戻ろう。

 そして、祭りの続きを始めるのだ。明日からでもいい。誰も死んでいないなら、それも可能だろう。

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