第33話
桐原の屋敷が襲撃され、愛美が何者かに連れ去られた。
桃から聞かされたその事実は、織を動揺させるのに十分すぎる威力を持っていた。屋敷が襲撃されたことよりも、あの愛美が連れ去られたのだ。
だから有澄と葵に断りを入れ、直ぐに屋敷へと桃の転移で飛んだのだが。
転移した先で四人が見たのは、まさしく地獄絵図といって差し支えない光景だった。
「答えてください。母さんをどこへ連れ去ったのですか。主犯は? その目的は?」
「待て、頼む……助けてくれ……」
「助けて? バカなことを言いますね」
屋敷の庭のあちこちで揺らめいている銀色の炎。そんな屋敷の中で倒れている、魔物や魔術師の死体。
その中心で。見えないナニカに首を締め上げられている男が一人。男の左脚と右腕は己の身体を離れており、ただの肉塊として地に転がっていた。
男の脚と腕を切断したのは、間違いなく彼女だ。苦しそうに喘ぐ男の前で、短剣と銃を持ち、両の瞳を橙色に輝かせ、銀の炎を灯している織の娘。
「誰の前で、誰に手を出したと思ってるんですか。それすら理解できずに攻めて来たなら、哀れとしか言いようがありませんが」
激しい怒りが込められた静かな声で言い放ち、朱音は銀色の炎を放った。
炎に包まれた男は苦悶の声を上げ、やがて炎が完全に消え去った時には、干からびて皺だらけの老体へと変貌していた。
これが、転生者桐生朱音としての力。時を操る銀色の炎。
銃を持つ手を軽く振れば、周囲の銀炎は瞬く間に掻き消えた。同時に、転がっていた死体の全てがどこかへと転移させられる。
この場の誰もが、彼女の存在に圧倒されていた。織も、桃ですら例外なく。屋敷の中に避難していた桐原組の面々は、もはや恐怖を抱いているかもしれない。
「朱音!」
だが、そんな中でも織は娘の名前を呼ぶ。他でもない、自分の子供だ。家族だ。ならばここでたじろいでいてはいけない。
織に呼ばれてハッとしたのか、朱音は二つの得物を収め、織たちの方へ駆け寄って来た。
「父さん……ごめん、母さんが……」
「桃から聞いてる。取り敢えず、お前は落ち着け」
シュンと項垂れてしまった朱音の頭を優しく撫でてやり、一先ず状況を確認する。
屋敷自体に被害はない。目に見える範囲だが、桐原組の人たちも無傷のようだ。恐らく、襲撃して来た魔物と魔術師は、朱音が一人で片付けたのだろう。
「オヤジさんはいないのか?」
「それが、丁度兄貴と外に出てる最中でして。その兄貴になりすました何者かが、お嬢を攫ったようです」
織の疑問に答えたのは、転移して来た一行に近寄って来た桐原組の一人。最年少の竜太だ。少なくとも織よりは年上なのだが、自分が一番下っ端だと思っているのか、織にも敬語を使う。
「虎徹さんになりすまして……」
「その直前に、変な魔導具を使われたんだ。母さんは魔障EMPって言ってた」
「……怪盗か」
織が知る限り、あの魔導具を使うやつは怪盗しかいない。緋桜にもいくつか譲ったと言っていたが、虎徹に変装したこともあり、犯人は間違いないだろう。
ただ、その目的が読めない。やつらは怪盗。であるなら、盗むのは宝だ。
「とにかく、みんなは被害状況の確認をお願い。愛美ちゃんのことはわたしたちに任せてくれたらいいから」
桃の指示に従い、桐原組のメンバーは屋敷の中へと戻っていく。目視する限りではこれといった被害は見当たらないが、結界やらなんやらと、その辺りの確認に、近隣住民へ対処も必要だろう。
庭に残された織たちは、早速愛美救出について相談を始める。
「愛美を攫ったのが怪盗って言うなら、いくつか解せない部分がある」
「うん。わたしも、怪盗アルカディアについては知ってるけど、あの二人が魔物や裏の魔術師を使ったなんて、これまで聞いたことがないよ」
「それもだが、そもそも愛美を攫う理由だな。やつらがグレイと協力関係にある、だから愛美を始末しようとしたってんなら、攫わずにその場で始末すればいいだけの話だ」
「だから、怪盗は主犯じゃない」
ジュナスがこの場に姿を現したのは間違いない。いないはずの虎徹と、魔障EMP。この二つだけであの二人と結びつけるには十分だ。
なら、ここに魔物と魔術師をけしかけた黒幕がいる。
だが、その黒幕は一先ず放っておこう。今優先すべきは、そっちじゃない。
「で、愛美がどこに連れ去られたか、だな」
こればかりはなんの手がかりもなかった。朱音が敵に聞こうとしていたが、それも叶わなかったようだし。
思考を巡らせる織だったが、不意に目眩に襲われる。視界が歪み、平衡感覚が失われる。
覚えのある感覚だ。そう、まだ未来視を制御できていなかった時に、それが発動される前兆。何故今になってと疑問に思うのも束の間、次の瞬間に織の視界はどこか別の場所へと変わっていた。
目の前には見覚えのある金髪の二人組。怪盗アルカディアを名乗る二人だ。そして、そこは織も見覚えのある場所。忘れるはずもない、生まれてから十七年、ずっと暮らしていた家なのだから。
「どう言うことだよ……」
「父さん?」
気遣わしげな朱音の声に、織の視界が現実へと戻される。
未来視に移された場所もさることながら、そもそも今発動した未来視自体に対する呟き。
あの時と同じだ。両親が殺されてしまった夜に見た未来と。
「……愛美の居場所が分かった」
「未来視、ってわけじゃなさそうだね」
「いや、多分未来視だと思う。詳しく説明してる暇はない。桃はここを頼む。朱音、転移お願いできるか」
「どこに?」
どこか苦しげに、自分でも呑み込めていないその事実を、織は口にした。
「旧桐生探偵事務所。俺の実家だ」
◆
目が覚めた時には、見覚えのある場所で寝かされていた。
自分が寝ているのは黒い革のソファ。そう広くない室内には二つのデスクがあり、窓ガラスは無残にも砕け散っていて、その向こうには綺麗な月が輝いていた。しかしガラスの破片が周囲に飛び散っていることもなく、本来そこに存在したであろう書類の数々も、今では既にない。
「あ、マスター。愛美さんが起きましたよ」
聞き覚えのある声がして体を起き上がらせようとすれば、全身に言葉にできない倦怠感が襲った。頭も痛い。身体が思うように動かせない。
せめて首だけでもあたりに巡らせてみれば、そこには金髪の男女が。
「あれをモロに受けて無事とか、さすが愛美さんってとこだな」
「ジュナス……」
気を失う前に聞いた声とここにいる人物が合致して、愛美は忌々しげにその名を漏らす。
先日、安倍家で対峙した怪盗。その隣にはルミの姿もある。
「ルミ、起きるの手伝ってやれ」
「はいはーい」
ルミの肩を借りて上半身を起き上がらせれば、ジュナスは向かいのソファに腰を下ろした。聞きたいことは山ほどあるのに、頭が上手く回らない。
あの魔障EMPの仕業だ。作動した瞬間、愛美の体内に魔障が入り込み、全身の魔力をぐちゃぐちゃにされた。
「とりあえず、安心してくれ。僕たちはあなたに危害を加えるつもりはない」
「信用できると、思う……?」
「まさか。我ながら、ここまで信じられない一言は中々無いと思うよ」
自嘲気味に肩を竦めるジュナス。だが、手足を縛られていないのを見るに、あながち嘘というわけでもないだろう。もしくは、動けるわけがないと高を括っているのか。
視線だけで周囲を見渡す。やはり、ここは織の実家、旧桐生探偵事務所だ。なぜこんなところに連れてこられたのか。そもそも、なぜ自分が攫われたのか。
この怪盗の目的が、イマイチはっきりとしない。
「マスター、まずは愛美さんに、順を追って説明したらどうです?」
「それもそうだな」
隣に腰掛けたルミの提案にジュナスが頷き、あの屋敷でなにがあったのかの説明を、わざわざ始めてくれた。
「まず最初に、あの屋敷に襲撃を掛けたのは僕たちじゃない。あれは南雲仁の仕業だよ」
「学院長が?」
「ああ。そしてあの魔導具は、緋桜さんが改造したものだ。緋桜さんは南雲仁とグルだろうね。あの魔導具、あなたの言葉を借りるなら魔障EMPか。緋桜さんは、改造した魔障EMPの力を試したかったんだろう」
「それで、あんたたちの目的は?」
「それは屋敷で言ったはずだけど。もしかして、聞いてなかったか?」
まさか、本当に愛美自身が目的、今回彼らが盗むべきお宝とでも言うつもりなのか。
宝だなんて言われるほどの価値が自分にあるなんて、到底思えない。愛美はただの人間だ。二百年を生きた魔女でも、人類最強と呼ばれる存在でもない。ただ人よりも殺しが上手いだけの、ただの人間。
「ちなみに、マスターはなんて言ったんです?」
「今回のお宝は私だって、それは聞いたわね」
「あー、それだとちょっとした誤解がありますね。正確には、お宝に繋がる鍵があなたなんですよ、愛美さん」
「ちょっと痛い目に遭うかもだけど、まあ僕たちの目的のためだ。我慢してくれよ」
「そう言われて、はいそうですかってなると思う?」
「思わないな。だから僕たちは、このタイミングを狙ったわけだし」
「なら、あてが外れたわね」
バカにするような笑みを見せる愛美に、怪盗の二人は怪訝な目を向ける。
今の愛美は、まともに動けないはずだ。体内の魔力はぐちゃぐちゃになって、魔術の一つも発動できない。ご自慢の体術だって使えないはず。それどころか、魔障を体に取り込まれたのだ。ここまま放っておけば、命の保証はできない。ジュナスとしてはそうなる前にどうにかしようとは思っているのだが。
だと言うのに、なぜそんな表情を浮かべて、余裕ぶっていられるのか。
そんな疑問は、二人の意図せぬ形で解消されることとなった。
「おい」
背後から声。咄嗟に振り返って抜剣する二人が見たのは、いつの間に入り込んだのか、月を背にして立つ、両目を橙色に輝かせた探偵だった。
ああ、やっぱり。絶対に来てくれるって、分かってた。
「お前ら、俺の家族になにしてやがる」
◆
織の登場から間を置かず、四人は強制的に転移させられていた。
とある地方都市、その北にある山の中。近くには銀髪の吸血鬼が根城としている廃墟もある。ならばその本人がこの場にいても、なんらおかしなことではない。
「チッ、思ったより勘付かれるのが早い上、予想外の闖入者だな」
「それは我のことを言っているのか?」
「その通りだよ吸血鬼」
怪盗の二人を取り囲むのは、事務所に姿を見せた織と、愛美を支えている朱音。そして、吸血鬼サーニャの三人だ。
織と朱音は予想できたものの、吸血鬼の介入は完全にジュナスの予想外。
少しでも時間を稼ぐためにサーニャへ声をかけようとして、しかし放たれた魔力弾に遮られた。ギリギリのところでルミが斬りはらい、魔力弾を放った本人、桐生織を睨む。
「こりゃまた随分と物騒だな、探偵」
「黙れ」
怒りに震えた声。屋敷では冷静を装っていた織だが、本当にそうあれるはずがない。朱音から聞けば、愛美は魔障の力でかなり危ない状態にあるという。その上で攫われた。
そんな時に、冷静であれだと? 馬鹿を言うな。無理に決まってる。
「お前らが誰に手ェ出したのか、身を以て教えてやるよ」
瞬間、織の姿が消えた。
転移ではない。魔力の動きは感じられなかった。ジュナスとルミの二人が驚愕する間にも、織は既にその懐へと潜り込んでいて。
「ガッ……!」
「マスター!」
右の拳をジュナスの顔面目掛けて思いっきり振り抜いた。吹き飛び、勢いそのままに木へと背中から激突するジュナス。
ルミが咄嗟に細剣を袈裟に振るうが、左手にもつ銃でそれを受け止めた。
「この前と、動きが違う……!」
「ルミ! 退くぞ!」
「逃すと思うか?」
口から血を流したジュナスが叫べば、いくつもの氷の刃が殺到した。サーニャの氷結能力による攻撃だ。それを転がってかわせば、ルミの剣を受け止めている織の右手が、ジュナスへと差し向けられている。
展開される魔法陣。そこから放たれるのは、本来の織ならば使えるはずもない、極大の魔力砲撃。
咄嗟に張った防護壁で防いだものの、この一瞬の攻防で消耗が激しい。ジュナスはルミや愛美のような異能もなく、桃や朱音のように魔術師として強いわけではない。あくまでも凡人の域を出ないのだ。
それはあの探偵も同じだと思っていたのに。あの攻撃は、いや、あの異能は、一体なんなんだ。
「くそッ……完全に予定が狂った……!」
懐から魔障EMPを取り出すが、次の瞬間には乾いた音が鳴り、魔導具は容易く弾丸に撃ち抜かれていた。愛美を支えて立っている朱音の仕業だ。
織と同じ色を瞳に宿しているが、違う。織が使っている異能は、未来視なんかじゃない。
「マスター、この状況から、お宝を盗めると思いますか?」
織に蹴り飛ばされ、ジュナスの隣まで下がってきたルミが苦しげな表情で問う。
「無理だな。あの事務所にあるっていう賢者の石のデータ。出来るなら回収して、グレイとの交渉に使おうと思ったけど。逃げないとまずい。普通に死ぬ」
「ですね」
二人が相対するのは、妙な異能を使う探偵と、グレイに匹敵する力を持った吸血鬼。桐生朱音は愛美がいるから参戦してこないものの、もし彼女まで入ってきたら、いよいよジュナスたちに逃げ道はなくなる。
しかし勿論ながら、織たちは彼らを逃すわけがない。
「オーケー、クールに行こうぜ探偵。僕たちの目的を知りたくないのか?」
「んなもん知ったこっちゃねえよ」
「それが賢者の石、延いてはお前の両親の死と繋がっていても、か?」
「それがどうした」
わざわざあの事務所を、織の実家を選んだくらいだ。あそこに何かがあるのは察しがつくし、彼らがグレイの協力者であるならば、そのあたりが関係してくることも、容易に推測できる。
その上で。それが分かっていながらも、織にとってそんなことはどうでもいい。
気にならないと言えば嘘になる。でも、そんなことよりも。今はこの怒りをぶつける方が優先される。
「勘違いすんなよ。俺はお前らに対してキレてるんじゃない」
「はっ! じゃあなにをそんなに怒ってるんだよ!」
「いつまで経っても好きなやつ一人守れない自分にだよ! 悪いけど、八つ当たりさせてもらうからなッ!!」
恥も外聞もなく腹の底から叫び、ジュナスたちへ向けた銃口に魔法陣を展開する。
こみ上げる怒りに呼応して、両目の輝きは増していた。
「父さん……⁉︎」
「桐生織、止まれ!」
何かに気づいた朱音とサーニャが、織へ制止の声を投げる。それもそのはずだろう。彼女ら二人の魔力が、強制的に吸い上げられているのだから。二人だけではない。ジュナスとルミも、この場に漂っている魔力も。愛美を除いた、ここにある全ての魔力が、織の元へと収束されていく。
だが二人の声は織に届かず、織は自身が使えるはずもない魔術を唱えた。
「
濃密な魔力を宿した一筋の光が、轟音と共に放たれた。
射線上に存在する悉くを蹂躙し尽くす一撃。その名の通り、時空すらも破壊してしまう程の力を秘めた、極限の光。
魔導収束の基礎を究極まで突き詰めた魔術。いつだか朱音から説明されたことのある魔術を、到底使えるはずもない織が。
光が収まった頃にはジュナスとルミの姿はそこになく、恐らくは直前でルミが異能を発動させ、無理矢理離脱したのだろう。手応えを感じなかった。
ただし、その射線上にあった木々は消え去り、地面は抉り取られていた。これが、織の行使した魔術の威力。
その光景を、まるで信じられないものを見る目で眺めながら、織はその場に膝をついた。
当然だ。今の魔術は周りの魔力だけではない。自分の魔力すらも全て使ってしまうのだから。
それでもなんとか立ち上がり、朱音に支えられている愛美の元へと向かおうとして。
「バカか貴様は!」
「痛いっ⁉︎」
すぐ近くにいたサーニャに頭を殴られた。吸血鬼の怪力を思いっきり使ってグーで殴られた。
「とんでもない魔術を使いおって……! この山はどうするつもりだ!」
「いや、俺もなんで使えたのかよくわかんないし……」
「余計にタチが悪いわ! 己の身の丈に合わぬ魔術は、その身を滅ぼすぞ!」
「まあまあ、サーニャさん。落ち着いてください」
キレ散らかすサーニャを諌めるのは、愛美に肩を貸したまま間に入った朱音だ。
サーニャがこの場にいるのは、朱音の提案によるものだった。相手が怪盗だけならいいが、もしもグレイや南雲が出張ってきていたら。朱音一人ならともかく、動けない愛美と役に立ちそうもない織二人を庇っては戦えないから。
実際に、朱音の出る幕はなく。殆どが織一人で片付いてしまったのだが。
「父さんがなんであの魔術を使えたのから気になりますが。今は、ここをどうにかする方が先です。手伝ってくれますか?」
「……仕方ない」
朱音に言われて怒りを収めたのか、サーニャはため息を一つ落としてそれ以上はなにも言わなかった。
「それじゃあ父さん、母さんと先に屋敷に戻っててくれる?」
「おう。悪いな、後始末押し付けちゃって」
「いいのいいの。父さんはそんなことより、母さんとちゃんと話さないとだし、母さんの魔力も、父さんがどうにかしてね」
はい、と愛美を半ば放り出すようにして、織へと預ける。まだ自分の力でちゃんと立てない愛美を抱きかかえるようにして受け止めたのだが。
さっきから、どうして愛美はなにも言わないのだろう。心なしか顔も赤い気がするし。
というか。
「いや、どうにかってどうすればいいんだよ」
「父さんの魔力を分けてあげればいいんだよ」
「どうやって?」
分けてあげればいい、なんて簡単に言うが、織はその方法を知らない。愛美とアーサーのように、パスが繋がっていれば簡単なのだろうけど。
「どうやってって、そんなの一つしかないじゃん! 魔力供給はキスで、って古来から決まってるんだよ!」
「なっ……!」
「じゃ、そういうことで、母さんのことよろしくねー」
「おい朱音お前っ……!」
文句は最後まで言うことが叶わず。愛美を抱えたまま、織は屋敷まで強制的に転移させられた。
「いい性格をしておるな」
「なんのことですか?」
「魔力供給など、別にほかに幾らでも方法があるだろう」
「ああ、それですか。こうでもしないと、あの二人はまた色々と有耶無耶にしてしまいそうなので。これも親を想う子供の心ってやつですが」
「その割には強引すぎるだろう……」
「元はと言えば、あんなでかい声で叫ぶ父さんが悪いのですが。それより、私としては父さんの眼と、怪盗の目的の方が気になりますが」
「賢者の石と凪たちの死に関係している、と言っていたな」
「事務所になにかあるんでしょうか?」
「それは間違いないだろう。とにかく、今はここを直すのが先決だ。頼んだぞ」
「あ、やっぱり私が一人でやらないとダメなんですね」
◆
屋敷に強制転移させられた二人は、まず愛美を部屋で休ませてから、桃や桐原組の一同に愛美の無事を知らせた。一徹と虎徹の二人も屋敷に戻っており、朱音のおかげで被害も殆どなかったようだ。
桃なんて見るからにホッとしていたから、本気で友人の身を案じていたのだろう。
そうして一通りの報告を終えた後、織は愛美の部屋に戻ってきたのだが。
「えっと、体、大丈夫か……?」
「え、ええ……今はとりあえず……」
部屋に敷かれた布団で横になっている愛美。顔色はお世辞にもいいとは言えないから、本当に大丈夫というわけではないのだろう。
なにせ、魔障を体内に取り込まれたという話だ。
魔力の動きを阻害する魔力。それが魔障。
魔術師にとって、自身の体内に有する魔力は、生命力にも等しい。織も何度か、父に魔導収束で魔力を限界まで抜き取られたことがあるけど、その時は熱にも似た症状が出た。
普通ならば休んでいるうちに自然と回復するのだが、魔障を取り込んでしまった愛美は話が別だ。
魔力が抜け落ちたわけではなく、そこにあるのに動かすことができない。血液で例えれば分かりやすいだろうか。身体中を循環している血液が、その動きを滞らせれば。織は医学に精通しているわけではないから、詳しいことは言えないが、命の危機に晒されてもおかしくないだろう。
だから、新しい魔力をどこからか供給してやる必要がある。それだけでは足りない。愛美の代わりに、他の誰かがその魔力を全身に循環させてやらないといけない。
と、さっき桃から追加で説明があった。
そうすれば体内の魔障も消えるだろうが、その為になにをしろ、と言われたのか。
「……」
「……」
互いに顔を赤くして、沈黙の時間が続いてしまう。こうしている間にも、愛美の体は魔障に蝕まれ、命の危機に瀕しているのだ。
悩んだり迷ったりしている暇はない。これは人命救助、いわば人工呼吸と同じ。
織がそう心の中で覚悟を決めていると、赤い顔のままの愛美が口を開いた。
「ねえ、織。さっきジュナスに言ってたの、本当?」
赤くなった顔を見られたくないからか、掛け布団で顔の半分を隠しながら。けれど、その目はしっかりと織を捉えて。
まあ、当然聞こえてたよな。胸の内で嘆息する。出来れば隠していたかった想いを、怒りのままに叫んでしまった。それ自体は織の過失だ。聞いてしまった愛美を咎めることは出来ない。
だからこそ朱音は、こうして二人の時間が出来るように取り計らってくれたのだろう。
なら、こちらも覚悟を決めるしかないか。
ひとつ深呼吸をして、それから愛美の目を見返して。
「ああ、本当だ。俺は、お前のことが好きだよ。家族としてなんかじゃない。ひとりの女の子として、俺は桐原愛美が好きだ」
ハッキリと、胸の中で燻っていた想いを、織は口にした。してしまった。
ずっと怖かった。この想いを伝えてしまえば、家族として過ごす日常が壊れるんじゃないかと。
それだけで嫌われるようなことはないと思っても、それでも、言いようのない不安はどうしても拭えなかったのだ。
でも、こうしてその日が来てしまった。もっと違う伝え方があったのかもしれない。こんな状況じゃなくて、愛美が好きな少女漫画のような、ロマンチックなシチュエーションとか。互いのことを今よりも知った、いつかの未来とかに。
それでも、一度口から出た言葉が戻ることはない。たしかに告げてしまったのだから。聞き間違いのないように、出来る限り真摯な想いを込めて。
「私、面倒な女よ……」
「知ってる」
「可愛げもない」
「そうだな」
「家事はなにも出来ないから、いつもあなたに任せてばかり」
「ちょっとでいいから、覚えて欲しいもんだよ」
「それに……平気で人を殺すような人間よ。誰かの命を奪うことに、カケラも躊躇いがない」
「俺たちはそういう世界に生きてるんだ。ならそれがおかしいなんてことはない」
「あなたには言っていない過去だって……」
「いいよ。それでも、いい」
強く発して、愛美の言葉を遮った。
力なく投げ出されていた手を取り、優しく握る。少し力を込めただけで折れてしまいそうだ。先日のモールでは、それが錯覚だと分かっていたけど。今の愛美には、本当にそう思わせるだけの儚さがある。
「全部とは言わないけど、お前がどういうやつなのかは知ってる。俺が知らない過去ってのもあるんだろうけど、それでもいい」
愛美がどれだけ自分を卑下しても、織はそれ以上に、この少女の素敵なところを知っている。この短い時間で、それでも沢山知った。そしてこれからも、知りたいと願う。
「過去は過去だろ。今の愛美を形作ったひとつの要素かもしれないけど、これから先の、未来の愛美には関係ないことだ」
「そんなの、ただの綺麗事よ……過去がなかったことになるわけじゃない……」
「そうだな」
「それでも……それでも、私のことを好きでいてくれるなら……」
体を起き上がらせた愛美。織が咄嗟にそれを支えようとすれば、ストン、と胸の中に収まった。
躊躇いを覚えつつも、けれど織も、愛美の背中に腕を回してから、彼女の言葉を継いだ。
「それでもお前のことを好きでいるから。だからいつか。俺がお前を守れるくらい、もっと強くなったら。いつか、本当の家族になってくれるか?」
「断るわけないじゃない……」
拗ねたように呟いた愛美の、濡れた瞳が見上げてくる。顔は熟れたトマトよりも赤く染まっていて。
そこにある桜色の小さな唇に、自分のそれを触れあわせた。
すぐに離れようとして、けれど後頭部に回された愛美の手に抑えられて、それもできなくなる。
その求めに応え、より深く繋がり、絡まり合う。彼女との境界が、曖昧になるほど。
自分の中の魔力が、唇を通して彼女へと伝わるのが分かった。
これは誓いだ。
何があっても、絶対に守ると。その為に強くなると。
魔力と一緒に、そんな想いまで流し込めたらいいのに。
一体、どれだけの時間そうしていただろう。もはや時間の経過は曖昧で、永遠とも須臾とも感じられる逢瀬は、やがて終わりを見せてしまう。
深く絡めていた粘膜を今度こそ離せば、互いの間に淫らな橋が架かった。それに羞恥心を煽られたのだろう。愛美は再び織の胸に顔を埋めて、強くその体を抱きしめる。
「魔力、足りてるか?」
「……バカ」
シンプルな罵倒の言葉は、けれどたしかな愛情が込もっていた。
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