もっと強く

第30話

「任せて、とは言ったけど。どうしたもんかな……」


 学院の自室にて、ベッドに寝転びながら独り言ちた桃は、先程まで盗み聞きしていた話を思い返す。

 賢者の石のコピーに、学院への襲撃計画。グレイには協力者が四人いて、その誰もが実力者だ。うち一人は、半ばこちらの味方のようなものでもあるが。


 しかし、まさかこの学院内に集結するとは。桃の存在は分かっているだろうに、聞かれても問題ないと思ったのか。もしくは、聞かれるわけがないと思ったのか。

 実際、学院長室には結界が張ってあった。内側からの手引きかなければ、盗聴することは難しかっただろう。


 どちらにせよ、それは慢心だ。十分に付け入る隙となる。


 思考を巡らせていれば、部屋の中に魔力の動きを察知して、桃は起き上がる。

 魔法陣の展開もなく転移してきたのは、人類最強の男。


「情報共有が早くて助かるよ」

「そっちこそ、随分と早起きだね。まだ五時だよ? 日も上がってない」

「お生憎様、この体は特に睡眠を必要としてないからね」


 肩を竦めてみせた蒼は、しかしすぐに真剣な表情で目を細める。


「僕たち三人だけで対処出来ると思うか?」

「どうだろうね。魔物だけなら兎も角、小鳥遊には南雲を見ててもらわないと困る。わたしと有澄ちゃんなら緋桜と怪盗には余裕で勝てるけど、そこに魔物の物量まで持ってこられたら、ちょっとキツイかも。愛美ちゃんたちに気づかれず、って言うのは無理だろうね」


 できることなら、織や愛美、朱音に葵たちには悟られずにことを収めたい。あの四人は貴重な戦力に変わりないが、それでもだ。

 せっかくの学院祭。面倒なことは桃や蒼たち大人に任せて、あの子達には楽しんでもらいたい。


 なんて、そんなことを直接言えば、怒られることは決まっているが。

 それぞれがそれぞれ、敵と浅からぬ因縁を抱いている。織と朱音はグレイに、愛美と葵は緋桜に。

 今日は怪盗ともやり合ったみたいだから、そっちにも関わりが出来た。


 だが、全ての始まりは自分とグレイの二人だ。なら、終わらせるのも桃自身の手でないといけない。


「グレイが賢者の石を大量に作れるとして、小鳥遊なら勝てる?」

「勝てる、と答えたいところだけど。こればかりはどうとも言えないな。グレイが僕との戦闘に集中してくれてたらいいんだけど、目的が他にある以上、どんな搦め手を使ってくるかも分からない」

「南雲には?」

「そっちは余裕。力に固執した老人程度なら、何人いようが負ける要素がないね」


 自信に満ちたその言葉は、決して嘘ではない。人類最強とは即ち、彼に敵う人間がこの世に存在していないことを意味しているのだから。

 実に頼りになる限りだが、だからと言って蒼も万能ではない。


「ただ、南雲を即座に始末するって言うのもよろしくない。なにせ学院祭の最中だ。なんの説明もなくトップが消えたら、日本支部どころか本部の方まで影響が出る」

「だろうね。だからこそ、南雲は当日、学院から離れないはず。攻めてくるのは緋桜と怪盗だけだと思う」

「……君はサーニャに声をかけておいてくれ。僕も、何人か協力してくれそうなやつらに当たる。こっちもそれなりの数を揃えておいた方が良さそうだ」

「だね」


 恐らく、学院祭当日に攻めてくる魔物の数は、先日の比ではないだろう。あの時だって召喚陣を壊せたから良かったものの、そうしなければ文字通り無尽蔵に湧いて出ていたはずだ。

 数には数で対抗するしかない。

 サーニャなら、桃の考えも理解して協力してくれるはずだ。ただし、昼間だからあまり無理はさせられないが。


「詳しいところはまた今度詰めよう。なんにせよ、織たちに気づかれる前に終わらせる」

「了解。頼んだよ」


 頷きを一つ返して、蒼は姿を消した。


 敵の攻勢についてはこれでいいとしても、問題はその後だ。

 やつらは皆、それぞれがそれぞれの目的を持って、互いに協力関係を築いている。グレイ一人を対処すれば全てが終わるわけではない。


 特に、緋桜。一番なにをしでかすか分からないのは彼だ。

 サーニャはなにか知っている様子だったが、妹である葵のために動いているのは間違いないだろう。

 では果たして、具体的にどのような行動を起こすのか。


 考えてるうちに襲ってきた睡魔。それに抗うこともせずベッドに身を沈めた桃は、最後にポツリと呟いた。


「『キリ』の人間が五人、か。そりゃ歴史の変わり目になっても当然だよね……」



 ◆



 安倍家から帰宅し、その日は学院を休んでその翌日。学院内は来たる学院祭に向けて、早速浮き足立っていた。

 まだ二週間は先ではあるが、各クラスが準備に勤しみ、まるで普通の高校と変わらない光景が広がる。


 織たちのクラスもその例に漏れず、どうやら焼きそばの屋台を出店することになったらしいが、どんなメニューにするのかでクラスは議論を白熱させていた。


 のだが、織と愛美はその場から早々に抜け出し、風紀委員室へとやって来ている。

 もちろんクラスの方をサボっているわけではない。二人には当日、風紀委員としての仕事があるのだ。


「当日の見回りだけど、別に私たち三人だけってわけじゃないわ。生徒会と分担するから、そこまでキツイ仕事じゃないはずよ」

「生徒会っていうと、たしかめちゃくちゃ権力持ってるんだったか?」

「それだけ聞くと漫画みたいですね」


 あはは、と苦笑する葵には同意しかない。

 生徒会と風紀委員が大きな権力を持っているとか、一昔前の漫画によくあるやつだ。最近のは結構リアル志向なので、そういう設定も逆に珍しくなりがちだが。

 その辺は今どうでもよくて。


 生徒会が一体何人いるのかすら織は知らないが、風紀委員だけで動くよりかは幾分か楽になるだろう。

 しかし、どうにも聞き逃せない言葉がまだあった。


「ちょっと待て。三人って、この三人か? 桃はどうしたんだよ」

「別件で先生に頼まれごとされてるとかで、当日は使い物にならないわ」

「えぇ……」


 相変わらず、仲がいいのか悪いのか分からない二人だ。


「話を戻すわよ。見回りはそれぞれ一人ずつに担当区域が割り振られるけど、その辺りは生徒会待ち。で、別に見回りって言ってもそこまで気を張る必要はないから。普通に学院祭楽しみながらでも問題なし。当日はインカム渡すから、なにか問題行動を見つけたらそれで知らせてくれたらいいわ」

「問題行動ねぇ……」


 この魔術学院で問題になるような騒ぎなんて、ひとつしかない。魔術師同士による乱闘だ。つまり、普段の仕事となんら変わらないということ。


 今のところはそれくらいかしら、と話を打ち切り、愛美は机の上の紅茶に手をつける。その中身が少ないことを察したのか、葵がソファから立ち上がっておかわりの準備を始めた。


「ああ、もう紅茶はいいわよ。私、この後行くところあるし」

「あ、もしかして短剣ですか?」

「ええ。予備のダガーナイフもジュナスに盗られたから、いい加減龍さんのとこに取りに行かないと」


 元から期待はしていなかったが、ジュナスに盗まれた愛美の制服とダガーナイフは結局返ってこず。制服は予備があるからいいが、ナイフの方はそもそもあれ自体が予備で置いていたものだ。

 素手でも十分に戦える愛美ではあるが、やはり得物があった方が落ち着くのだろう。


 事前にその話を聞いていた織は、カップの中の紅茶を飲み干してソファから立ち上がった。


「よし。んじゃ行くか」

「えっ、織も来るの?」

「えっ、行ったらダメなの?」


 てっきり愛美もそのつもりだったのかと思ったのだが、どうやら違うらしい。いやまあ、たしかに一緒に行く意味はないし、別に愛美と四六時中一緒にいなければならない理由もないが。


「あ、いや、別にダメってことはないけど……」

「……?」


 へどもどしながら言い繕う愛美。らしくない。いつもなら、ともすれば余計な一言すらもスラスラと口から出てくるのに。


 こんな愛美は、なにも今が初めてというわけではない。安倍家から帰ってきてから、何度かあったことだ。朱音と三人で話していたり、さっきのような仕事の話、事務的な会話なら問題なく交わせるのだが。

 それ以外となるとどうにも様子がおかしい。


「お前、今日なんか変だぞ。体調悪いのか?」

「いえ、体調は大丈夫よ。ええ、大丈夫。本当になんでもないから」

「ならいいんだけどさ」


 安倍家から帰ってきてから、ということは。その前後でなにかあったということなのだろうが。

 もしかして、あの布団での一件か? いやでも、愛美ならむしろ、それをネタにこちらを揶揄ってきそうなものだ。


 しかし本人が大丈夫というのだ。余計な詮索をし過ぎるのもよろしくないだろう。

 織はそこで思考を打ち切ったのだが、傍らからため息がひとつ。


「朱音ちゃんも呼んで、三人で行ってきたらいいんじゃないですか?」

「そうね。それがいいわ。ナイスアイデアよ葵。そうしましょう」


 これ幸いとばかりに乗っかる愛美だが、そんな彼女を見て、ツインテールの後輩は再びため息を落とす。

 織としては愛美の様子がおかしい原因も、葵のため息の理由も見当がつかず、首をかしげるばかりだった。


「じゃあ、私は先に行きますね。せっかくだからもちゃんと習得したいし、有澄さんに見てもらうことになってるので」

「纒い……ああ、この前のあれか」

「頑張りなさい」


 どこか呆れたような口調と表情のままで、葵は部屋を出て行った。

 残されたのは織と愛美の二人だけ。なんとなく気まずい無言の時間が出来てしまう。織に気まずくなる様な理由など一つもないのだが、相手がこんな調子なのだからさもありなん。


 何故かソワソワとして視線も落ち着いていない愛美に、このままではダメだと織は声をかけた。


「さっきの、葵の魔術って雷纒とか言う名前じゃなかったのか?」

「え? ……ああ、あれね。纒いって言うのは、その雷纒と他にも二つあるのよ」


 やはり、この手の会話なら特に詰まらず話せるらしい。さっきまでが嘘の様に、愛美はペラペラと説明を始める。


「元素魔術を纏ってるって言ったでしょ? 雷の他にも、あとは火と氷があるの」

「へぇ。火はともかく、雷と氷って地味に凄いな」


 現代魔術における元素は四つ。火、水、土、風だ。このうちの二つ以上を組み合わせることにより、また別の元素へと変換することができるのだが、それは地味に高度な魔術だってりする。

 雷は火と土を。氷は水と風を組み合わせた元素だ。


 火と水、土と風は組み合わせることが出来ないが、水を一つに風を二つ、なんて更に高度な技術も存在している。

 以前朱音が使った氷の魔術が、丁度この例に該当するだろう。水と風で氷の元素を生み出しつつ、もう一つ風の元素を組み合わせることで、あの氷の嵐が完成した。


 と、元素魔術は広く使われていることから、一見簡単に見えるが、これでかなり奥が深いのである。


 そんな魔術を体に纏わせる。

 一体どのような術式、どのような原理の魔術かは分からないが、元素魔術の中でも最高位の難度を誇るのは間違いないだろう。


「まあ、私の後輩なんだから、これくらい出来て当然よね」

「なんでお前が自慢げなんだよ」


 勝気に笑む愛美は織もよく知っている表情で。安心してつい苦笑が漏れた。

 うん、こんな感じでいいのだ。いじらしくソワソワとしている愛美も可愛らしくていいとは思うが、やはりこういう見慣れた表情が一番落ち着く。


「んじゃ、俺たちもそろそろ行くか」

「そ、そうね、行きましょうか」


 あ、いやこれやっぱダメっぽい。


 せめて朱音と合流する頃には、元の調子に戻っていてくれ。そう願うしかない織だった。



 ◆



 黒霧葵という少女は、然程才能に恵まれているわけではない。

 異能の中でも特別恐ろしいものを持っているが、しかしそれすらも、全ての力を発揮できているとは言えないのだ。


 魔術の腕も悪くはないが、やはり凡人止まり。蒼や桃は言うに及ばず、愛美のような特殊な魔術を扱えるわけでもない。

 生まれ持った魔力の量も質も、精々が織より多少は良い程度。異能をうまく使えば、量はどうにか誤魔化せるが。

 そもそも、魔力の放出が苦手な魔術師なんて、葵自身も聞いたことがない。

 魔術を使う以前の問題だ。


「向き不向きの問題だとも思ってたんですけど、葵さんの場合はちょっと違うみたいですね。そういう体質というか、原因は明確に存在してるみたいです」

「とは言われても、その原因が私にもわからないんですよね……」


 学院の外。富士の樹海で葵が向き合っているのは、図書室の司書であり小鳥遊蒼のパートナーでもある、水色の髪の女性。彼方有澄だ。


 さすがは人類最強のパートナー、魔術学院の司書を任されているだけはあり、彼女の持つ知識は膨大と言うには足りないほどだ。

 既存の魔術に関するあらゆる知識が、その頭に詰め込まれている。それは現代魔術のみならず、神話の時代まで遡ることができる。


 そんな有澄をしても、葵が魔力放出を苦手とする理由は判明しなかった。


 基本的に、魔術とは術式を構成し、そこに魔力を流し込むことで魔法陣を展開、発動されるものが多数を占める。

 葵の場合は術式構成から魔力を流すまでは問題ないのだが、それを現出させることができない。結果、魔法陣の展開も上手くいかず、魔術が発動されない。


 これが例えば、自身に対する強化魔術であるのなら話は違ってくる。あの魔術はあくまでも、自分の体一つで完結するものだから。

 術式を構成して魔力を流すまでは同じだが、その術式を体内に固定、魔力を循環させることで発動される。

 もちろん、なにをどう強化するかによって術式は変わってくるが、基盤はどの強化魔術も同じだ。


 だから葵も、この魔術ならば上手く使える。そしてそれ一つあれば、戦いに支障はきたさない。

 姿を変形させる独特な武器に、愛美から教わった戦い方。さらに不完全とは言え異能もあるのだ。


 しかし、葵はそれで満足しなかった。

 才能がないのだったら、努力で補うしかない。兄の行方を追うためには、もっと力が必要だから。


「分からないものは仕方ないです。出来ることをやって行きましょう」

「はい」

「とりあえず、纒いを使ってみましょうか。実際にどんな術式なのか、わたしも見てみないことには分かりませんから」


 頷いて、宙に伸ばした右手に鎌を現出させる。術式を構成して魔力を流せば、右腕と鎌に稲妻が迸り、右の肩から先だけが帯電した。


 これが、今現在の本来の実力。

 愛美からは全身に纒いを発動させていたと聞いたが、葵にはこれが限界だ。それはもう一人の自分も同じ。


 ふむと頷いた有澄に、もういいですよと声をかけられ、術式を解く。


「葵ちゃん、最初に言っておきますね。あなたの纒いという魔術は、既存の魔術法則から大きく逸脱しているものです」

「逸脱?」

「ええ。だからこそ桃さんや愛美ちゃんでも、手に負えなかったんでしょうね。わたしもまさか、蒼さん以外で多重詠唱出来る人がいるとは思いませんでした」

『聞き慣れない言葉が出てきたわね』


 脳内で声が響く。碧だ。

 彼女の言う通り、多重詠唱なんて言葉は聞いたことがない。それはこの魔術を考えついた時に居合わせた桃からも。

 ただ、その語感でなんとなくの意味は察せられる。


『魔術を重ねる、別の魔術同士を掛け合わせる、ってところかしら?』

「そんなことできるの?」

『あたしに聞かれても知らないわよ。あなたが知らないんだから』

「それもそっか」


 記憶や知識を共有しているのだ。片方が知らなければ、もう片方も知らない。逆に、どちらか片方が知ってるならば、その知識も共有されるのだが。


 コホン、と目の前から咳払いが一つ。


「あ、ごめんなさい」

「いえ、大丈夫ですよ。というか、解決の鍵はまさしくそこなんですよね」

『そこってどこよ』

「碧ちょっと黙ってて……有澄さん、とりあえず多重詠唱っていうのがなんなのか教えてもらってもいいですか?」

「もちろん。これは出来れば、他の人にはあまり言わないで欲しいんですけど」


 葵がこくこく頷いたのに笑顔を返し、有澄は説明してくれた。


 多重詠唱とは、大体は碧の言った通りのものだ。別の魔術同士を掛け合わせる。

 片方の術を軸にして、もう片方の術の効果を取り入れるのだ。


 織の魔術を例に出してみよう。シルバーレイを軸にして、連鎖爆発を掛け合わせた場合。爆発能力が付与された魔力の槍をカウンターで放つことになる。

 発動の仕方は連鎖爆発に則る。つまり、敵の攻撃をチェイン用の魔法陣で受けた後、魔力を吸収してシルバーレイの槍が出現。着弾地点で大爆発を起こすことになる。


 このように、異なる二つの魔術の要素を取り入れた、別の一つの魔術として完成させることができるのだ。

 言葉にしてみれば随分と簡単そうに聞こえ、実際にこの例の場合は、蒼でなくても織なら可能だろう。なぜなら、連鎖爆発もシルバーレイも、魔導収束という同じカテゴリの魔術だから。

 同じカテゴリであれば、術式構成の基盤も殆ど同じだ。ならば別の術式同士を重ねても問題はない。


 しかし多重詠唱の真価は、別カテゴリの魔術すらも掛け合わせることが出来る点にある。

 葵の魔術、纒いは、強化魔術と元素魔術の多重詠唱になる。


 こうなると難易度は一気に跳ね上がる。というか、そもそもが不可能だ。

 元素魔術の場合でも、火の元素と水の元素ではもちろん術式構成に差があるが、一番根底にある基盤は殆ど差異がない。元素魔術という一つのカテゴリに属する。だからこそ違う元素同士を掛け合わせ、別の元素を生み出すことが出来る。

 そういう観点から見れば、多重詠唱とは桃や朱音なども使っているとも言える。


 なら、別カテゴリ同士の魔術を掛け合わせた場合はどうか。

 術式はその基盤からして全く違うし、構成の仕方も異なる。そもそもの使用用途が違いすぎる。文字通りバフを掛けるための強化と、主に攻撃手段に用いられる元素。

 通常の魔術師がその二つを掛け合わせようとしても、互いの術式が拒絶反応を起こして即瓦解するのがオチだ。


 ならどのようにして可能とするのか、なのだが。


「蒼さんの場合、あの人は存在がちょっと特殊ですから。純粋な人間とも言えませんし、蒼さんが多重詠唱を使えるのはその辺りが絡んでくるんですよ」


 人類最強なのに純粋な人間じゃないとは、これいかに。


「まあ、その辺は今は置いておくとして。葵ちゃんの場合ですけど、まずはその異能ですね。それがあれば、異なる術式同士の橋渡しが出来る。本当なら片腕だけですら不可能なはずなんですけど、無意識下で異能が発動してるからこそ使えてるんだと思いますよ」

「でも、私の異能って演算が必要だから、無意識に使ってるってことはないと思うんですけど……」

「それこそ、無意識下の演算なんでしょうね。織くんの未来視、引き寄せる方じゃなくて、普通の未来視も、多分同じですから。全くあり得ないという話じゃないんですよ」

「じゃあ、異能を使えば纒いも上手く使えるってことですか?」

「それがそう単純な話でもないんですよね」


 問題は異能の方ではなく、魔術の方にある。そもそも、現段階でも不完全とはいえ、発動自体は出来ているのだ。ならば葵の異能は、術式同士の橋渡し役を立派に務めていると言えるだろう。


 なら注視すべきは異能ではなく、術式の構成だ。


「纒いを使う時、どういうイメージで使ってますか?」

「えっと、雷で強化する、って感じかな。強化魔術の方が得意ですし」

「だったら強化が軸になってますね。逆にしましょう。自分が雷になる、くらいのイメージにしてください。元素を軸にして、強化を掛け合わせる。強化を軸にしてしまうと、元素の方が若干出力不足かもしれません。で、碧ちゃんと分担しましょう」

「分担?」

「はい。せっかく一つの体に二人いるんです。強化と元素、術式構成を二人で分担すれば、上手く使えると思いますよ」


 なるほど、ここでようやく話が戻るのか。

 二つの術式を掛け合わせるのだとしたら、たしかに葵の二重人格は都合がいい。表に出ていない方が術式構成のサポートをしてやる。記憶や知識は共有しても、思考は別なのだから可能だろう。


「碧、出来そう?」

『んー、多分大丈夫。まあ、やってみないことには分からないわね』

「じゃあ早速やってみよっか。強化の方お願いね」

『りょーかい』


 術式の構成を始めれば、同時に、自分の中にもう一つ別の術式が構成されていくのを自覚する。魔力を二つの術式に流し込めば、それらは一つに溶け合い、全く別の術式へと変貌した。


 パチッ、と。右の指先に火花が散る。そこだけではない。葵の身体の周囲、その至る所で火花が散り始め、やがて稲妻へと変わっていく。


「行けそうかも……!」


 更に魔力を動員させた瞬間だった。


 背中から雷の翼が吹き出し、鎌と全身が帯電したのだ。ツインテールの髪は青く染まり、先日織たちが目撃したものと寸分違わぬ姿に変貌した。雷纒の完全体だ。

 違うのは、持っている武器が鎌のままなとこだけだ。


 おおっ! と葵たち二人が感嘆の声を上げるのも束の間、しかし次の瞬間に全身の雷と翼は消えてしまい、雷纒は強制解除されてしまった。


「えっ、なんで⁉︎」

「一度目であそこまで出来たら十分ですよ。あとは繰り返し練習あるのみです。まずは全身じゃなくて、さっきみたいに片腕だけを長く維持できるようにしてみましょうか」

「一応聞きますけど、具体的にはどうやって……?」


 なぜか唐突に嫌な予感がして聞いてみれば、有澄はニコリと綺麗な笑顔を浮かべて、その両手に長杖を出現させた。


「もちろん、実戦あるのみです」


 デスヨネー。



 ◆



 葵が有澄からスパルタ教育実戦編を受けている、一方その頃。

 朱音と合流した織と愛美は、秋葉原に訪れていた。先日、ゴールデンウィークの際に二人が喧嘩してしまった場所だ。


 しかし今日の二人は喧嘩どころか、いつもより口数少なくなっている。二人というか、主に愛美が。


「ねえ父さん」

「なんだ?」

「母さんになにかした?」

「なんもしてねぇよ……」


 愛美の様子がおかしいのは、朱音も気づいていたらしい。声を潜めて話しながら、前を行く愛美の背を見つめる織。


 本当に、どうしてしまったのだろうか。いつもならこうして歩いている時でも、何気ない会話を振ってきたりしていたのだが。

 たまの口を開いたと思えば、それは織ではなく朱音に対してで。これでは、風紀委員室にいた時よりも酷くなってる気がする。


「考えられるとしたら一つだけど……でも母さんだしなぁ……」

「心当たりあるのか?」

「あるけど、父さんには教えない」

「なっ……!」


 ぷいっとそっぽを向いてしまった朱音に、織は愕然とする。

 まさか、これが反抗期……?

 父さんと私の下着一緒に洗わないでとか、父さんと同じお湯に浸かりたくないとか、なんで父さんと一緒に寝なきゃダメなのとか、そんなこと言われたりするんだろうか……想像しただけで泣きそうになる。


 そうか……娘を持つ世間のお父さん方は、こんな気持ちを経験しているのか……理解したくなんてなかった……。


 織がショックを受けている間にも、朱音は前を歩く愛美に追いついて、その耳元でなにごとか囁いている。

 途端、顔を真っ赤にしてあわあわしだす愛美。朱音はそんな愛美に揶揄いまじりの笑みを向けていて、どうにも楽しそうだ。


 そんな様子を後ろから見て、疎外感を覚えてしまい余計に泣きたくなる織。やっぱり反抗期なのかなぁ……普通の女の子っぽくていいとは思うが、やっぱり悲しい。というかつらい。


 そうこうしてるうちに辿り着いたのは、路地裏を奥へ奥へと進んだ先。付近に人っ子一人いないのを見るに、どうやらこの周囲には人払いの結界を張ってあるらしい。

 剣崎魔導具店、と書かれた看板が立ってある三階建ての古ぼけたビルに入って行く愛美と朱音。織もそれに続いて中へ入れば、その光景に圧倒された。


 店内には多くの魔導具が展示されてある。刀や槍のような武器の形をしたものから、ただの箱や紐のような、一見魔導具には見えないもの、そもそもなんと形容すればいいのかも不明なものまで。

 織が見たこともない魔導具が、多く取り揃えられていた。


 そして店の奥。レジカウンターに立っているのは、長い髪を一つにまとめた、鋭利な雰囲気を纏う男がエプロン姿で立っていた。


「おう、来たか」

「こんにちは、龍さん。短剣出来た?」

「丁度昨日完成したところだ。で、後ろの二人は?」


 鋭い眼光に射竦められ、織は一瞬たじろいでしまう。敵意や害意を感じるわけではないのだが、どうにもこの男性からは圧を感じるのだ。しかし、愛美と朱音の前で情けない姿を晒すわけにもいかない。

 今更そんなこと考えても無駄とかは言ったらダメだ。織だって自覚はある。


「桐生織です。初めまして」

「剣崎龍だ。ってことは、そっちの愛美とそっくりなのがルーサーだな?」

「桐生朱音です。龍さんからそう言われるの、変な感じがするのでやめて欲しいのですが」


 朱音は未来の龍と知り合いと言っていたか。龍の方は初対面とはいえ、朱音からすれば知り合いからその名前で呼ばれるのは、あまり好ましくないのだろう。むず痒そうに苦笑を浮かべている。


 しかしすぐ何かに気づいたのか、朱音はキョロキョロと店内を見渡し始め、その視線が龍の元で落ち着いてからキョトンと首を傾げた。


「ルークさんはいないんですか?」

「なんだ、あいつのことも知ってんのか」

「はい。二人は大体いつも一緒にいましたが」

「呼ぶか?」

「面倒なことになりそうなのでいいです」

「だな」

「間違いないわね」


 三人だけで完結してしまった会話。やはりここでも疎外感を覚える織。仕方ないこととは言え、若干寂しい。


「で、これがご注文の品だ」


 早速本題だと言わんばかりに、龍はカウンターの下から鞘に収まった短剣を取り出した。

 愛美がそれを受け取り、鞘から剣を引き抜く。デザイン自体は前の短剣と変わらない。つまり、朱音が今持っているものと同じだ。


「お前の注文通り、ある程度は魔力を貯蔵できるようにしておいた。使い心地も大差ないように調整したつもりだが、まあその辺は実戦でたしかめてくれ」


 軽く短剣を振るう愛美。出来れば外に出てやってほしい。店内は狭いということもないのだが、四人が一箇所に集まっているのだ。危なっかしいというか、見ててちょっと怖い。


「うん、いい感じね。やっぱり龍さんの作ったやつだと、しっくり来るわ」

「予備で使ってたダガーナイフも奪われちまったしな」

「まあ、あれはあんまり使い心地良くなかったし、代わりに捨ててくれたとでも思うわよ」


 ナイフの使い心地というのもよく分からないが、愛美にとっては重要なのだろう。こう、柄の手触りとか、そういうのがあるのかもしれない。


「ありがと。お金はいつもの口座に振り込んでおくわね」

「おう。ちょっとは熨斗つけてくれてもいいからな」

「考えとく」


 短剣を鞘に収め、満足そうな顔で懐にしまう愛美。刃物買って満足する女子ってのもどうなのかと思うが。


「そういやお前ら、ちゃんと仲直りしたんだな」


 不意に言った龍の視線は、愛美と織の二人に向いている。一瞬なんのことかと首を傾げ、それが先日ここに来る途中のことだと思い至り、織は曖昧な笑みを浮かべた。


 この近辺には結界が張ってある。それは龍が張ったものなのだろう。ならその結界内で起きたあの喧嘩が、彼に筒抜けでもおかしくはない。


「ええ、まあ。仲直りしたつもり、だったんですけどね」


 チラと愛美を見やれば、気まずそうに視線を逸らされた。自覚があるようで結構。

 今のやり取りだけで龍もある程度察したのだろう。ため息を零した口からは、呆れたような言葉が続いた。


「本当、まだまだガキだな、お前ら」


 え、俺も?

 なにやら織が思っている以上のことを察してそうなのだが、うんうんと一緒になって頷く朱音を見て、それを聞く元気は失った。


 やっぱり反抗期なのかなぁ……。

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