第28話

 京都市内某所には、広大な敷地を持つ一族がいる。平安の時代より続くその家の名は、安倍家。かの有名な陰陽師、安倍晴明の末裔たちだ。

 今回の依頼主であり、友人である安倍晴樹はその一員であり、安倍家の次期当主であるらしい。


「おかえりなさいませ、晴樹様。そして、ようこそおいでくださいました、学院の皆様」


 そう言った安倍家のお手伝いさんに屋敷の玄関で出迎えられてから、四人は一先ず客間へと通されたのだが。

 そこに歩いてくるまでで織が抱いた感想は、たったひとつ。


「いや広すぎだろ……」


 その一言に尽きた。

 桐原の屋敷もそれなりに広いが、安倍家はその倍近く広い。まず庭が広い。敷地の入り口から屋敷の玄関まで五分は歩いた。その上で屋敷の中も広いのだから、何も知らないやつはすぐに迷子になるだろう。


 織の右隣に座っている葵も、あまりの広さに絶句している。


「お金持ちの家だ……愛美さんの家より広い……」

「うちが貧乏みたいな言い方ね」


 もちろんそんなことはない。桐原家だって相当広いし、金もかなり持っているだろう。だってヤクザだし。

 ただ、安倍家がそれよりもさらに凄いというだけで。


 魔術師の家が持つ敷地は、それそのままにその家の力を意味する。安倍家や桐原家のように広い敷地を持つ家は、その土地の魔術的な管理を任された家系だ。

 桐原家は関東を中心に、各地に点々と興信所などを持っているが、安倍家は関西圏、京都大阪兵庫の三つに強い影響力を持っている。

 古い家ではあるが、平安から続いている力は今もなお衰えていない。


「まあ、家がデカイとそれ相応に面倒ごともあるんや。桐原んとこみたいに、血に頼らんとやってける家やったらええんやけど、うちは古いだけあってその辺重視しとるからな」

「うちの場合はちょっと特殊だから、比較するのはおかしいと思うわよ。でもまあ、面倒ごとが多いのは事実ね。無駄に敵も多いし」

「その敵さん黙らすんも一苦労やで。敵わんって分かっとるのに、なんで楯突くんやら」

「全くよ」


 全く理解の追いつかない二人の話に、織と葵は苦笑いを浮かべるほかない。金持ちは金持ちで苦労しているようだ。


 などと話していると、部屋の襖が開かれた。そこから入ってくるのは、和服姿の女性。若く見えるが、女性の放つ存在感はこの部屋の中でも圧倒的なものだ。

 自然と萎縮してしまう織だが、三人の前に座っている晴樹は、とても軽い調子で女性に話しかけた。


「久しぶりやな、おかん」

「ええ、お久しぶりですね、晴樹。中々帰ってこないから、心配してましたのよ?」

「そりゃこんな息苦しいとこ、出来れば帰ってきたくなんかないわ」


 へっ、と口の端を歪める晴樹だが、女性はそれに気を悪くした様子もなく、柔和に笑んで対面に座った。

 その笑みのままに、織たちへと視線が映る。笑顔のはずなのに、まるで蛇に睨まれているように錯覚する織。背筋に悪寒が走り、嫌な汗が吹き出そうになる。


「初めまして。安倍家の当主を務めております、安倍あべ晴奈はるなと申します。本日は遠路遥々、当家の依頼を受理してくださりありがとうございます。安倍家を代表してお礼申し上げますわ」


 楚々とした仕草で頭を下げる晴樹の母、晴奈だが、そんな様子に織は逆に気圧されてしまう。葵は言わずもがな、使い物になりそうにもない。

 なにか言葉を返さねばと逡巡してる内に、愛美が代表して挨拶を返した。


「魔術学院日本支部所属の桐原愛美です」

「もしや、桐原組のお嬢様で?」

「恐らく、そのもしやで合っているかと。うちをご存知なのですね」

「ええ。一徹さんには昔、随分とお世話になりましたから。お父様はお元気なさってますか?」

「しばらく引退しそうにはありません」


 全く物怖じせず、肩を竦めて返す愛美。


 いや、誰だお前。

 と、心の中で突っ込まざるを得ない織。こんな丁寧な口調の愛美、見たことがない。


「愛美さんって、こうしてみるとお嬢様って感じですよね……」

「だな……普段からは想像つかん……」


 隣の葵と小声で言い合えば、ギロリと鋭い視線が飛んできた。この地獄耳め。


「早速ですが、依頼の話を聞いてもよろしいですか?」

「もちろんですわ」


 晴奈の説明は、蒼から聞いていたのと大体同じだった。

 安倍家の陰陽師たちの占星術により、近い未来、怪盗が禁術を盗みに来ると予見された。そしてそれに違わず、先日予告状が届き、学院に依頼したとのこと。


 どうやらやはり、占星術では詳細な未来まで予測できるわけではないらしい。ただ、怪盗が来る。その事実だけがハッキリしている。

 しかしそれだけ分かっていれば十分だ。安倍家は大きな力を持った家であり、魔術の名門。関西圏では大きな影響力を持つ。

 更に学院からも人員を派遣してもらい、万全の体制で怪盗を迎え撃つ。


「後ほどご覧になって頂きますが、禁術を封印している場所には、何重もの結界を張っております。外敵に対する魔術トラップも仕掛けてありますので、侵入は容易ではありません」

「なるほど……警備は何人ほど?」

「我が安倍家の精鋭が五十人と、あなた方三名です」

「三人?」

「はい。晴樹には、他にやることがありますので」


 晴樹の方を見ると、随分つまらなさそうな顔をしていた。やること、というのはそんなに面倒なことなのだろうか。

 まさか次期当主を前線に出すわけにはいかない、なんて馬鹿げた理由ではあるまい。


「俺はここ近辺の結界の維持や。今は三人一組の術師に交代でやらせとるけど、俺やったら一人で済む。その分、警備の目を増やせるってことやな」

「え、お前そんなことできんの?」

「当たり前やろ。ここは俺の実家やぞ。せやったらいつもより力も出せるわ」


 土地による恩恵、とやつだろうか。

 織の聞きかじった程度の知識にも、陰陽術はその土地の力が重要視される、とある。陰陽術の大家、その本家本元だ。晴樹になにかしらのバックアップがあるのも当然だろう。


「後は、実際に見てもらいましょうか。禁術が封印されている場所に案内します」


 立ち上がった晴奈に続いて、織たち四人も腰をあげる。

 広い屋敷の中を歩き庭に出て、そこからまた暫く歩けば、異様に魔力が集まり、歪んでいる納屋へと案内された。

 ここだけ、明らかに魔力の流れがおかしい。

 そして周囲には、多数の魔術師が配置されている。この中に目的の禁術があると、こちらから教えているようなものだ。しかし、そればかりは仕方ないのだろう。


 納屋の入り口に詰めている二人の魔術師が恭しく頭を下げ、晴奈や愛美はそこを素通りする。織としては居心地悪くて仕方ないのだが、愛美は肝が座りすぎだ。


「結界とトラップは一時的に停止させております。予告状にあった時間は、深夜の一時。それまでは何事もないと思いますが、我々が出た後はまた正常に作動するでしょう」

「で、あれが件の禁術、と」


 納屋の中には大規模な魔法陣が張り巡らされている。その中心の台座に置かれているのは、一見なんの変哲も無い巻物だ。

 だが、この納屋近辺の魔力の歪みは、間違いなくあの巻物が中心だ。


「東洋風の魔導書ね。その中に術式を封印して、更に魔導書自体も封印してある」

「はい。情けない話ですが、我々安倍家の人間でも、あの封印を解ける者はおりません」

「さすがは稀代の陰陽師が遺した禁術、ってところかしら。葵、ここまででおかしなところはある?」


 突然葵に話を振ったことで、安倍親子は首を傾げている。それもそうだろう。このツインテールの後輩は、さっきまで織と一緒にずっと萎縮しっぱなしだったのだから。


 だが、彼女の異能を知っている織からすれば、ここで愛美が葵に確認を取るのは当然のことだ。


「特にないですね。術式自体にも綻びは見えないし、ここに来るまでに安倍家以外の人間はいませんでした。結界もトラップも、正常に作動します。安倍家の許可した人間以外は立ち入れませんね」

「あなたが言うなら確実でしょうね。後は、侵入経路の予測」


 独り言のように呟くが、愛美の視線はしっかりと織を捉えている。


「俺にやれと?」

「それ以外に受け取れる?」

「残念ながら受け取れないな」

「ならよろしく」

「へいへい」


 なんだかんだで頼られるのが嬉しい織は、愛美の期待通りに右の瞳をオレンジに輝かせた。



 ◆



 納屋を出て少しの打ち合わせをした後、織たちは用意された部屋で時間まで休ませてもらうことになった。晴樹には自室があるはずなのだが、なぜかそちらには行かず織たちについてきた。


「異能っちゅうのは便利でええなぁ」

「そうでもねぇよ。たまにこっちの意図を外れて勝手に動くし、さっき見た未来だってただの予測だ。なんかの拍子に変わるかもだぞ」

「お前のはそうかもしれんけど、そこの二人のやつなんか便利やろ。桐原のなんかもの切る時にハサミいらんやんけ」

「もっと他にあるでしょ……」


 自分の異能がハサミ程度に例えられ、これにはさしもの愛美も怒りを通り越して呆れている。

 便利な異能と言えば、葵が一番便利そうなのだが。そう思い視線を葵の方へ向ければ、苦笑で返された。


「私のも、そこまで便利ってわけじゃないですよ。使うにも演算が必要ですから」

「頭の弱い俺たちには無理、ってわけだな」

「俺を一緒にすんなや」


 と言われても、学院での一般教養の成績は織も晴樹も似たり寄ったりだ。よくて中の上。ただし周りが頭いいのだらけだから、余計に低く見えてしまう。


 そうして暫く談笑を続けていると、部屋の襖が突然勢いよく開かれた。


「お兄様! 帰ってらしたのですね!」


 現れたのは、中学生ほどの幼い少女。朱音と同い年くらいに見えるその子は、晴樹を見て表情を輝かせている。

 が、とうの晴樹はあちゃーと言わんばかりに、片手で顔を抑えていた。彼をお兄様と呼んだあたり、妹だろうか。だが晴樹に妹がいるなんて話、本人から聞いたことがないし、これまでの晴奈の話にも出てこなかった。


「ああ、会いたかったですわ! どうして中々帰ってこられないのですか! わたくしはいつもいつでもお兄様とお会いしとうございましたのに!」

「お前が煩いから帰ってこんのや……客の前でくらい静かにせえ」

「あら?」


 晴樹に言われてようやく気づいたのか、少女が織たち三人を見回す。それからコホン、と咳払いをして居住まいをただし、上品に微笑んでみせた。

 なんというか、今更そんな笑顔を見せられても手遅れである。


「失礼いたしました。わたくし、土御門つちみかど明子めいこと申します。晴樹お兄様の従姉妹であり、婚約者ですわ」

「えっ、婚約者?」

「はい」


 あれ、従姉妹と婚約者って両立できるものだっけ?

 あまりの衝撃にそんな常識すら頭から抜け落ちる織だが、明子の笑顔を見てみると、そこに嘘はないように思える。

 なにより、晴樹の疲れたような顔が、彼女が婚約者である証拠だろう。


「呆れた。未だに近親婚なんてしてるのね」

「言うな桐原……俺かて呆れとるわ……」

「力を残すには一番でしょうけど、よくもまあこの時代に」


 従姉妹であれば、日本の法律上は結婚しても問題ない。ここで本物の妹やらが出てこない辺りが救いか。

 それにしたって、明子は少々幼いと思うが。


「晴樹お前……ロリコンだったのか……」

「ちゃうわ! 勝手な風評被害やめろや!」

「いや、いいんだ。大丈夫。友人として、どんな趣味でも受け入れてやるからな」

「お前桐生ええ加減にせんとシメるぞ!」


 と、冗談はこの辺にしておいて。


「婚約者言うても、家が勝手に決めとるだけや。こいつに好きなやつが出来たら、俺は喜び勇んで譲ったる気でおるからな」

「いやですわお兄様。わたくしがお兄様以外を愛するなんてあり得ませんのに」

「ええいひっつくな鬱陶しい!」


 ポッと頬を赤らめて晴樹の腕に抱きつく明子と、嫌な顔して引き剥がそうとする晴樹。

 けれど、晴樹の瞳には、たしかに親愛の色が見て取れる。言葉の上では拒絶していても、この少女を大切に思っているのは間違いないだろう。


「相変わらずいけずですわお兄様。もっと素直になってよろしいのですよ?」

「素直になった結果がこれや」

「皆さま、学院でのお兄様はどうですか? ご友人はたくさんいらっしゃいますか?」

「おかんか! てか無視すんなや!」


 パシン! と明子の頭を叩く晴樹だが、まあ、うん、大切に思ってるのは間違いない、はず……。

 あまりにもぞんざいな扱いすぎて、段々と疑わしくなって来たが。


 一通り騒いで満足したのか、それとも晴樹と話せて満足したのか、明子は暫くもせずに立ち上がり、部屋を退出した。


「皆さま、どうかこれからもお兄様と仲良くしてあげてください」

「余計なこと言わんでええ!」


 本当に母親みたいなことを言う子だった。

 明子が出て行った後、盛大なため息を吐く晴樹。表情にはこれ以上ないほどの疲れが滲み出ていた。


「すまんの、騒がしいのが来てもうて……」

「私はいい子だと思いますよ? 可愛い子だったじゃないですか」

「明日はクラス中この話題で持ちきりね」

「アイクにはラインでもう教えたぞ」

「お前ら夫婦は黒霧を見習え。むしろ爪の垢を煎じて飲ませてもらえ」

「夫婦じゃねぇよ……」

「あんたとあの子よりかは夫婦っぽいと思うけど」

「いやそこは否定せえや」


 ほんとだよ。否定してくれよ。だから揶揄うように笑ってこっち見ないで可愛いから。


 そんな織の思いが通じるわけもなく、愛美はクスクスと微笑むばかりだった。



 ◆



 日付が変わって三十分ほどした頃。

 織と愛美、碧の三人は、狙われている禁術が封印された納屋の入り口に立っていた。


 納屋の周りには他に十人ほどの魔術師が見回りをしている。晴樹は事前に言っていた通り、別の場所で結界の維持に努めているだろう。


「あと三十分ってとこね」

「桐生先輩の見た未来の通りだと、正面から堂々と、だっけ?」

「変装して、な」


 ダガーナイフを手元で弄ぶ愛美と、巨大な鎌を杖代わりにもたれ掛かっている碧。織も既に銃を抜いて、いつ戦闘になっても対処できるようにしていた。


 織が見た未来では、怪盗の二人は安倍家の魔術師に変装してこの納屋へと入っていた。

 普通の変装ではなく、魔術による巧妙な変装だ。一目見ただけでは分からない。だから、碧をここに配置した。彼女の異能の前では、例え変装であろうが認識阻害であろうが関係ないから。


 そこから戦闘が生じても、この二人なら難なく対処してくれるだろう。あとは織が、変わり続け更新されていく未来を、確実に捕まえられる未来に変えて引き寄せるだけ。


「今のうちに一つ言っておきたいんだけど」

「なんだ?」

「やつらに結界とトラップは通用しないと思っておきなさい」


 改まってなにかと思えば、愛美が口にしたのはわかりきった事実だ。変装してやってくる時点で、外敵用のトラップは当てにならない。結界にしたって、予告状まで出しているのだから、あちらもそれなりの対処法を持ってくるだろう。


 だがどうやら、愛美が言いたいのはそう言うことではないらしく。


「トラップどころか、場合によってはこっちの魔術も全部封じられるわ。あいつら、魔力用のEMPみたいなのを持ってるのよ」

「なんだそりゃ……」

「電磁パルスのこと。簡単に説明すると、電子機器を使えなくするの。先輩、そんなことも知らないの?」

「それは知ってる。一々バカにしないと気が済まないのかお前は」

「まあね」


 まあねじゃないが。舌出しても許されないぞおい。


 魔力用のEMPということは、まんま魔力の流れを阻害する魔導具かなにかだろう。もしくは、そのような魔術を使うのかだ。

 それを使われれば、たしかに織たちは打つ手がなくなる。てか何故それをもっと早く言わなかったのかと言いたいが、その辺は安倍家への配慮だろう。

 あれだけ自信満々に結界も罠も張ってますと言われたら、それ全部無駄ですよ、なんて言いにくい。


「でも、安倍家が使うのって魔術じゃなくて陰陽術だろ?」

「同じよ。魔力を使うという点で言えば、魔術も陰陽術も変わらないわ。ていうか、あんたその辺の歴史とか講義で聞いてないの?」

「実戦で使えなさそうなのは聞き流してる」

「ちょっとは興味を持ちなさい……」


 怒られてしまった。でも知っていたところで実戦に役立つわけでもなく、特に講義による単位があったりするわけでもないから、別にいいかなぁと思う織である。


 そもそも、魔術の歴史というのは神話の時代まで遡る。

 北欧や西洋、インド、メソポタミア、中国大陸、そして日本。それぞれの神話により独自の魔術体系があり、各地で呼ばれ方も異なっている。日本以外では主に魔術と呼ばれるが、日本では妖術やら陰陽術やらと、様々な分類の力があった。


 当時と今の魔術では、なにもかもが違う。要はその他の学問や文明と同じなのだ。時代を経るごとに進化し、より洗練され、より使いやすくなる。

 今では神話の時代のような、世界各地での差異なんて殆ど見当たらない。現代に存在している魔術師の全てが、魔術史では『現代魔術』と呼ばれるものを使用している。


 中には、古くから伝わる魔術を使用する者たちも存在している。北欧の神話に存在した魔術や、西洋の神の名を冠し、当時から現存している魔導具など。

 陰陽師もそんな魔術師の一角だ。

 平安の頃より続く陰陽術は、本来ならば時代と共に淘汰されてもおかしくないはずの術。そうされなかったのは、古き良きを重んじる日本文化の影響か。


「そういうわけだから、魔術も陰陽術も同じなのよ。ただ時代が違うってだけ」

「へー」

「先輩、興味ないって顔に書いてるわよ」

「いや、そんなことねぇよ?」

「まあ、詳しいことを知りたかったら桃にでも聞きなさい。あの魔女なら無駄に歳食ってるから無駄に知識あるし」

「本人聞いてたらまた怒るわよー。っと、はいストップ」


 雑談の最中、碧が急に鎌を右手側に突き出した。そこには今まさしく、納屋の中へと入ろうとしていた安倍家の女性魔術師が。

 手にはなにかの魔導具だろうか。以前晴樹が使用していたようなお札を持っている。


「なんでしょうか? 私は晴奈様より、この札で結界を強化するよう仰せつかっているのですが」

「残念、アタリよ。そういうわけで、下手な芝居はいいから、さっさと変装解いてくれる?」


 女性魔術師の言うことなぞ全く聞く耳持たず、愛美と碧はそれぞれ得物を構える。突然すぎてついていけなかったが、状況を察した織も銃を構えた。

 三人からそれぞれの得物を向けられた魔術師は、下手くそな愛想笑いを浮かべている。


「あらら、思ったより早くバレちゃいましたね。マスター! 作戦失敗ですよー! もうここで使っちゃいますけど、文句は言わないでくださいねー!」

「まさか……!」

「碧! 止めなさい!」


 愛美の指示を碧が実行するよりも、早く。魔術師が持っていた札が、強く発光する。


「まぶしっ……!」

「くっ、ただのフラッシュバンよ! EMPじゃない!」


 織たち三人のみならず、その場にいた魔術師全員が視界を焼かれる。

 白く染まった世界の中、誰かが動く音と気配がたしかにあった。


「全員その場から動かないで! 碧! さっさと異能使いなさい!」

「分かってるわよ!」


 二人の怒号が響いた次の瞬間には、織の視界は元の色を取り戻していた。碧の異能によるものだろう。他の魔術師達も視力を回復させ、愛美の指示通りその場から動こうとしない。


「ああもう……こんなに大人数の改変したのは初めて……頭痛い……」

「しばらく異能切ってなさい」

「言われなくてもそうさせてもらうわ……」


 片手で頭を抑える碧は、苦しげな表情をしている。たしか、異能の使用は演算が必要だと言っていたか。かなりの規模で発動させたはずだから、その反動だろう。


 さて、と周囲を見渡す織。視力を奪われていたのは何秒ほどだったか。三十秒にも満たなかったはずだが、話に聞いている光化の異能を使われていたとしたら、十分すぎる時間だ。既に盗まれて離脱されていてもおかしくはないが、納屋の中からはまだ禁術の気配と魔力が残っている。

 もしくは、またこの中に変装して紛れたか。異能のことは晴奈に話してあるが、この場にいる魔術師にとっては変装していると言われた方が現実味のある説に思えるだろう。


「何事ですか⁉︎」


 誰もが疑心暗鬼になりながら一歩も動けない中、屋敷から晴奈が出てきた。先ほどの閃光の被害には遭っていないのか、状況も掴めていなさそうだ。

 晴奈に対して、愛美が状況を説明する。


「敵が来ました。警備の魔術師に変装していたみたいなのですが……」

「今の光はそういうことなのですね……それで、取り逃がしてしまったと?」

「申し訳ありません。念のため中を確認したいのですが、よろしいですか?」

「ええ、そうですね。桐原さんだけついて来てください」


 納屋の結界とトラップを解き、愛美を伴ってその中へと向かう晴奈。

 だが、織は僅かな違和感を覚えた。なにかがおかしい。直感的にそう思っただけ。


「待て」


 それだけの理由で、二人を呼び止める。

 振り返った晴奈は織に怪訝な目を向け、愛美はため息を吐いていて。


「なに? あんたに呼び止められる時間も惜しいんだけど」


 その言葉で、違和感が確信に変わった。未来視なんぞ使わずとも分かる。


「本物の愛美と晴奈さんはどこにやった?」

「……チッ」


 舌打ちがひとつ。それが答えだろう。


 状況を瞬時に理解した碧が、愛美の姿をした誰かへと肉薄し鎌を振るう。それを懐から取り出したダガーナイフで弾き、二人の敵は跳躍して納屋の屋上に飛び移った。


 それと同時に、二人の顔は既に変わっていて。

 愛美だった誰かは、織と同い年くらいの金髪の男に。晴奈は、同じ金髪の女に。


「なーんでバレちゃうかな」

「詰めが甘いんですよ、マスターは」

「最初にバレたやつに言われたくない」

「だってあんなの反則じゃないですか! どんな異能かは知りませんけど、一目見ただけでバレるとか想像できませんって!」


 そのまま言い合いを始めてしまった二人に、織も碧も、その場にいる魔術師も呆気に取られてしまう。この二人は状況を理解しているのだろうか。

 どう言った手段で、いつの間に愛美と入れ替わったのかは知らないが、それでもこの場には大勢の魔術師がいる。碧の異能についても知っているようだし、自分たちが危機であると理解しているのだろうか。


 そう、そうだ。愛美はどこへ行った。あのフラッシュバンよりも前から入れ替わっていたと考えられるが、本物の愛美はどこへ行ったのか。


「おいお前ら!」

「っと、愛美さんのことか? あの人なら心配いらないぞ。制服を拝借したのは、ちょっと申し訳ないけど」

「女装姿のマスターも最高ですよ!」

「うん、ルミはちょっと黙ってろ。ああそれと、制服拝借したっていっても、身包み剥いだのは僕じゃなくてルミだから。そこんとこ勘違いしないように」

「愛美さん、相変わらず暴れん坊でしたからねぇ。隙を突くのも大変でしたよ」

「とまあ、ここらで名乗っておいた方がいいかな」


 愛美の制服を着たままの金髪少年と、晴奈の和服を着た金髪少女が、改まって織たちに向き直る。

 特に少年の方はイマイチ格好がつかないが、本人達にそこを気にする素振りはない。


「僕はジュナス・アルカディア」

「私はルミ・アルカディア!」

「僕たち二人で、怪盗アルカうおぉっ⁉︎」

「危ないっ⁉︎ ちょっと! 人が名乗ってる最中は攻撃禁止ですよ!」


 名乗り口上の途中で、碧が投擲した鎌が二人を掠めた。直前で避けられ、鎌は後方へと飛んでいく。


「お生憎様、そんなルールよりも先輩からの命令の方が、優先順位は上なのよ」


 しかし、ジュナスとルミの背後に、何者かの影が。碧の鎌をキャッチしたその人物は、そのまま鎌を横薙ぎに振るう。

 大ぶりなその一撃は屋敷の屋根へと後退した二人に躱されたが、納屋から遠ざけることは出来た。


「ジュナス! 私の服とナイフ返しなさい!」

「ぶふっ!」


 現れたのは、行方不明になっていた愛美。

 だがその姿を見て、織は思わず吹き出してしまう。


「おまっ、なんて格好してやがる⁉︎」

「仕方ないでしょ! あいつに服取られたんだから!」

「だからってタオル一枚巻いたままで出てくるやつがあるか!」


 そう。制服を奪われた愛美は、適当にひっ摑んだであろうタオル一枚を体に巻いているのみで、おそらくその下は下着のみとなっているだろう。


「愛美さーん、乙女がしていい格好じゃないですよ、それ」

「あんたが私の身包み剥いだんでしょうが……!」

「てか、僕が服返したとしても、直ぐに着ないでしょ」

「私の服をあんたが着てるってことに耐えられないのよ!」


 以前も戦ったことがあると言っていたが、随分とまあ親しげに話しているものだ。

 しかし、そう感じられるのも会話をしている間だけ。


「碧、鎌は使いにくいからなし」

「はいはい」


 愛美の手にしていた鎌が、長剣へと変形する。魔術的な変化ではなく、機械的な変形。これも碧の異能の一端だろうか。

 得物であるダガーナイフすらも奪われている愛美は、急拵えの長剣を構えて詠唱を開始した。


「集え、我は疾く駆けし者、万物万象悉くを斬り伏せ、命を刈り取る者」

「こりゃまずい、愛美さん本気じゃないか。ルミ、相手は任せた。僕はお宝を盗りに行く」

「了解です!」


 愛美が納屋の屋根を蹴り、屋敷の屋上へと駆ける。タオルから伸びた太腿に目を奪われそうになる織だが、今はそんな場合じゃない。

 その相手をルミに任せたジュナスは、悠々と地面に降り立った。


「さて、と。改めて、初めまして、探偵。僕はその奥にある禁術に用があるんだけど、素直に通してくれるか?」

「そう聞いて通してくれると思ってるんなら、お前の脳は腐ってるな。一度病院に行った方がいいぞ」

「一応、どうして変装がバレたのか聞いてもいいか? こう見えて、盗む前にバレたのは初めてなんだ」

「お前が大根役者だからだよ!」


 織の叫びが、開戦の合図となった。

 いつの間にかジュナスの背後に回っていた碧が、愛美に渡したはずの鎌を袈裟にかけて振るう。それを片手で展開した防護壁で防ぎながら、もう片方の手を上に伸ばして魔法陣を展開。出現した光球から、あちこちに魔力弾が放たれる。


 周囲にいた安倍家の魔術師たちは防御するも、断続的に降り注ぐ魔力弾に耐えきれず脱落する者が何人かいる。

 織も防護壁で身を守りつつ、チラと上の戦いを見やった。


 愛美が話していた光化の異能は、まだ使われていないらしい。愛美がその体術で有利に立ち回っているが、相手も中々のもので辛うじてではありつつも、愛美の動きに対応している。


「安倍家の魔術師も大したことないな。問題は、愛美さんとこの子か」

「戦闘中に独り言とは随分余裕じゃないの!」

「おっと」


 碧によって防護壁が破られ、ジュナスは攻撃を中断せざるを得なくなった。愛美のダガーナイフで上手く碧の鎌を弾いているが、こちらを忘れてもらっては困る。

 ハンドガンから魔力弾を放てば、それを防御するジュナス。しかし一瞬気をそらしたその隙を碧が逃さず、魔力を纏わせ肥大化した刃がジュナスを襲った。


「ぐっ……!」

「もう一撃!」


 直前で一歩後ろに下がったのか、胴体を浅く斬っただけだ。態勢を崩した隙に畳みかけようとする碧だが。


「させませんよ」


 追撃の一手を止めたのは、上空で愛美と戦っていたはずのルミ。ジュナスと碧の間に躍り出た彼女は、手に持っている細剣で鎌と鍔迫り合う。


「碧、一旦退きなさい!」


 織の隣に降り立った愛美が指示を飛ばせば、碧の姿がその場から消え、次の瞬間には織の隣に立っていた。

 魔術ではなく、これも情報操作の異能か。本当になんでもありのようだ。


「マスター、大丈夫ですか?」

「なんとか。あのツインテの子、強いな」

「マスターが弱いんですよ」

「僕はルミや愛美さんみたいな戦闘民族じゃないんだよ。てか、いい加減着替えたいんだけど?」

「ダメです」

「いや、僕だって男なんだし」

「ダメです」

「はい……」


 戦闘中に漫才とは、本当に余裕のようだ。

 しかし三者三様に警戒は解かず、愛美はチラと視線だけを二人に向ける。


「二人とも大丈夫?」

「なんとか」

「あたしは余裕」

「ならよかった。とっとと決着つけるわよ」


 長剣を構え直す愛美だが、その前に一つ。織にはどうしても言っておきたいことが。


「その前に愛美、お前なんか着ろ」

「なにもないんだから仕方ないでしょ」

「いや、仕方ないで済ますなよ……」


 織以外にも、この場には男性が多くいる。ジュナスはもちろん、既に戦意喪失している安倍家の魔術師の中にも。

 そいつらに愛美のこんな格好を見られるのは、面白くない。


「ところで先輩方。演算終了したけど、どうする?」


 会話に割って入ってきた碧の言葉に首を傾げる織だが、愛美はその意図を察したのだろう。やりなさい、と一言告げれば、碧が指を鳴らす。


「っ……!」

「これは、ちょっとまずいですね」


 一切の動きを停止させたジュナスとルミ。織は以前にも学院で一度見ていた。碧の異能によるものだ。敵の自由を奪い、その動きを停止させる。


 ニヤリと嫌な笑みを浮かべながら、愛美と碧の二人はジュナスとルミに歩み寄る。


「手間取らせてくれたわね。さて、どうしてくれようかしら」

「男の方は死刑でいいんじゃない? 女の子の身包み剥いで、あまつさえその服を着るとか。こんな変態、生きてる価値ないと思うけど」

「すごい言われようだけど否定できない……!」


 いや落ち着け。身包み剥いだのはルミじゃなかったのか。そう突っ込みたかった織だが、それよりも早く、ルミが口を開いた。


「黒霧碧さん、でしたっけ? さすが、緋桜さんの妹なだけありますね」


 その言葉に、今度は碧の体が硬直する。

 しかしそれも一瞬のこと。すぐに再起動した彼女は、しかし中身が入れ替わっていて。


「お兄ちゃんを知ってるんですか⁉︎」

「おお、多重人格ってのも本当だったのか。緋桜さんの言ってた通りだな」

「ですね。それも、ちょっとばかりややこしい感じの」

「答えてください! お兄ちゃんとどう言う関係なんですか!」


 動けない二人に鎌を突きつける葵。その表情は、普段の幼さのかけらも見せないほどに鬼気迫っている。

 予想外のところから兄の話が出てきて、彼女も困惑しているのだろう。


「葵、落ち着きなさい。私は緋桜と一緒にこいつらと戦ったこともある。知っててもおかしなことじゃないわ」

「でも……今の口ぶりは……!」

「知りたいなら教えてあげましょうか?」


 口の端を歪めたルミに、嫌な予感がする。そこから先は葵が聞いてはならない。


「私たち怪盗アルカディアと緋桜さんは、ある吸血鬼と協力関係にあるんですよ」


 だが無情にも、ルミの口からは言葉の続きが。その視線は、織の方へ向いている。

 ある吸血鬼、なんて。視線の先にいる織にとっては、いや、この場の三人にはやつしか思い浮かばない。


「吸血鬼グレイ……!」

「そんな……なんでお兄ちゃんが……」

「チッ……! 葵、しっかりしなさい!」


 ショックを受けて、鎌を持っていた手は力なくさげられる。同時に異能も解除されたのか、アルカディアの二人が動き出した。


「ルミ!」

「わかってますよ!」

「行かせない!」


 一瞬体が発光しかけたルミに、愛美が一歩踏み込む。光化の異能を発動させようとしたのだろうが、即座に愛美が対応したことでそれも失敗に終わった。


「碧! 聞こえてるでしょ! 無理矢理でもいいから主導権奪いなさい!」

「余所見してていいんですか?」

「まずっ……」


 愛美と鍔迫り合っていたルミの体が、再び発光した。次の瞬間に愛美が弾き飛ばされ、ルミの姿は消えている。

 光化の異能を発動させたのだ。それなりの準備が必要だと思っていたが、まさかあの愛美と戦っている最中に発動させられるとは。


 光の速度を舐めてはいけない。織が一歩動くよりも、更に何千倍も速いのだ。今こうして呆気にとられている間にも、ルミは納屋の中へと侵入を果たしている。

 そのはずだった。


 ガギィィィ!!! と鈍い金属音が大きく響き、その異能で光と化していたルミが納屋の前で元の体を取り戻している。

 そのルミを止めたのは、ここで頽れていたはずの葵だ。いや、その顔つきを見るに、碧が再び体の主導権を握ったのだろう。


「なんですか、その魔術……」

雷纏らいてん。知らないのも当然でしょ。あの子たちが創り上げた、だけの魔術なんだから」


 青く染まったツインテール。全身に迸る稲妻。刀に形を変え、電撃を纏わせている得物。そしてなにより目を惹くのは、その背中から伸びている雷の翼だ。


「私たちは、魔力の放出が苦手なの。でも、こうして魔力を纏うことが出来る。悪いけど、光速はあなたの専売特許じゃないから」

「なら、どちらが速いか勝負ですね!」


 二人の姿が消えたと思えば、上空から立て続けに轟音が鳴り響く。こうなってしまっては、織たちに手の出しようがない。

 しかしそれは、ジュナスとて同じことだ。


「さて。どうするジュナス。あんた一人で私たち二人に勝てるかしら?」

「まあ、まともに戦えば無理だね。僕は愛美さんやルミみたいに、戦闘特化の魔術師ってわけじゃないから」

「じゃあ降参するか?」

「そう言われて降参するって思ってるなら、お前の脳みそは腐ってるな。病院に行くのをオススメする」

「こいつ……!」


 自分の言葉をそっくりそのまま返され、怒りが湧き上がる織。まるで子供の喧嘩だが、とうのジュナスは不敵に笑うのみ。


「だから、まともに戦わないことにするよ」


 ジュナスが懐から取り出したのは、なんの変哲も無い、野球ボールほどの大きさの球体。

 だが、そこにはたしかに魔力が感じられる。


「緋桜さんに何個か渡しちゃったから、手持ちはこれしかないんだよな。だからしっかり食らってくれよ!」

「織! 魔導収束!」


 瞬時にそれがなんなのか察した愛美が叫び、織も遅れて理解する。術式を構成させるが、その遅れが命取りだ。

 球体が無造作に投げられ、愛美が長剣で斬ろうとする前に、勝手に破裂した。


 そこに込められた術を発動するのに、それだけで十分。

 組みかけていた織の術式も、発動したままだった愛美の概念強化も、この敷地内に張り巡らされていた結界も。

 全てが、強制的に解除された。


「EMPか!」


 それは上空で戦っていた碧も例外ではない。突然魔術が解けて地面に落下してきた後輩を、愛美がなんとか受け止めるが。


「ルミ!」

「もう確保してますよー!」


 禁術の記された巻物を手に持つルミが、納屋の屋根に立っていた。


「さすが僕の従者だ! 後で褒めてやる!」

「やったー!」


 ルミの隣へと転移したジュナス。

 魔力が上手く練れない。これが魔力用EMPの力か。歯噛みする織だが、魔術が使えなくては二人を追えない。


「それじゃあ、盗るもん盗ったし、さっさと帰るか」

「ですね!」

「じゃあな探偵。次会う時は、もうちょっと強くなってるのを期待してるよ」

「待て!」


 織の呼びかけも虚しく、怪盗は転移で姿を消してしまった。


 蒼に託され、朱音に期待されたというのに。終わってみれば、随分あっさりと。織たちは敗北を喫したのだった。

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