第105話 煩悩を数えて―2
さきほどの返答を最終判断としたのだろう。天使は諦めたように、紙片束をポイと背後へ放り投げる。
それは見事な曲線を描き、音もなく暗がりへと吸い込まれていった。
「……」
不機嫌そうに――いや、もはや明らかに恨めしそうな顔をしている天使に、エッドはパンッと手を打ち合わせる。
「いや、君には本当に感謝してるし、悪いとも思ってる。こんな面倒なヤツの担当なんかやってちゃ、仕事が進まないだろ」
「……いいえ? あなたさまが現世を離れるお気分になるまで、すこーし残業が伸びるだけですから。たった数十年、というところでしょうか?」
ぎこちない仕事用の笑みを浮かべた天使の目元で、分厚い隈がなにかを訴えるようにぴくぴくと痙攣する。
エッドは慌てて背後を指差し、明るい声で言った。
「だ、大丈夫さ! そのために、この人を連れてきたんだ。ほら、遠慮なく持っていってくれ」
「なんだ貴様! 人を土産物のように――」
急に話に引き入れられたジリオは面食らっていたが、天使が真面目な顔で考え込んでいるのを見、鎧に包まれた背を伸ばした。
影も落とさずに浮遊している天の使いは、ゆっくりと口を開く。
「仕事を中断させるばかりか……わたくしに、司令とちがう魂を連れてお戻りになれと……?」
「でも、貴重な魂だぞ! かの“ウェリアン人魔大戦”で活躍した、聖術騎士さまだ! 俺なんかより、ずっと上等な魂じゃないか?」
情けない主張に聞こえるかもしれないが、これしか手札はない。
「ば、馬鹿なことを!」
エッドが真剣に言っているのを見、身を乗り出したのは聖術騎士本人である。
「使命を果たさんがために、いくつもの命を斬った。わたしのような罪人が、今さら天界など行けるはずが――!」
「なんだよ。行きたくないのか?」
率直にそう問うと、鳶色の髪を逆立てるような迫力で騎士はうなる。
「そんなにわたしを苦しめたいのか、亡者……! 天界に召されたいと思わなかった時など、刹那とて無かった。かの地には、わたしの愛するすべての者たちがいるのだぞ! ……っ」
みずからの言葉に傷ついたように、ジリオはうつむく。
その鳶色の頭に、エッドは静かに語りかけた。
「あんたは聞いていたかわからないが、メリエール自身が話してくれたよ。剣に宿っていた、さまざまな聖術師たちの話をな」
腕組みをし、聖術騎士は苦々しい口調で捨て吐いた。
「ふん……あの無垢な顔には謀られたぞ。まさか、同志たちをすべて天界へ送られるとはな」
「でも彼女は、説法したわけじゃない。剣に囚われ続けて忘れてしまっていた思い出を、引き出してやっただけだ」
野営地で聞いた想い人の語りを思い出しながら、エッドは続ける。
「全員、恨みつらみはあるだろう。俺も自分の力不足とはいえ――魔物に殺されて終わった人生だった」
「……知っている。あの子の記憶の中で、もっとも鮮烈なものだったからな」
それを聞いてエッドの胸は痛んだが、今の問題はそこではない。
「あんたの悔しさは、俺とは比べものにならないと思う」
「……」
「奪われたものは大きく、傷も深い。けど……人は、それを癒すことができるんだ。優れた治癒術を持っていなくてもな」
「“時が薬”などと言ってくれるなよ、亡者。この長き歳月で、我が恨みは微塵も薄まりはしなかった」
皮肉っぽく唇を吊りあげた若者に、エッドは頭をふる。
「そんなものより、こっちはもっと効くぞ」
歓迎するように気楽に腕を広げ、ニッと笑った。
「それはな――“楽しむこと”さ!」
「!?」
「悔しかったり恨めしかったりする時は、何もかも忘れて好きなことをするに限る! その場で出来ないことなら、自分からその楽しさを探して歩けばいい」
「……!」
すぐに怒号が飛んでくることも予想していたエッドだったが、騎士が静まり返っているのを確認して続けた。
「あんたの仲間たちも、思い出したんだよ。自分の好きだったもの、愛した人たちのことを。そして次へ進むことで、またそんな“楽しいもの”を手に入れられるかもしれない――そんな、人間らしい希望を持った」
「“希望”……」
そう呟いた聖術騎士は、ハッとして口元を押さえた。
まるでそんな言葉など、百年ぶりに口にしたという顔である。
「あんたも、わかってたんじゃないのか? だから剣の犯す業を、自分ひとりで背負った。あの剣の主なら、とり込んだ魂を逃さないようにすることくらい出来ただろ」
「……。ただわたしは、あの作り手――緋色の術師の言いなりはならぬと抗ったまでだ。甘ったれた誓約を結んだ覚えはない」
「んじゃ、無意識にか。やっぱりあんたは、相当優しいよ」
「なっ――!」
聖術騎士は思わず口を開いたが、エッドの表情を見て黙った。
「そんな優しい騎士さまを、最後までみんな心配していたそうだぞ。もしかしたら、今も近くであんたを見ているかもな」
「そのようなことはないだろう……。わたしは、あの者たちのすみやかな冥福を汚したのだ。彼らにとっては、怨霊以外の何者でもない」
そこまで黙っていた天使が、突然手を挙げて言った。
「その件ですが。ほかの“狭間”を担当している同僚から、通信が入っています」
「通信?」
「あなた方の“思念”のようなものです。流しますよ――」
うるさそうに片耳を押さえ、天使はもう一方の手を空間にかざした。すると、少し離れたところに半透明の人影が現れる。
「これは……」
その光景自体はもう見慣れたものだったが、エッドは目を丸くする――
『ジリオさんだ! おい、ジリオさんが見えるぞ!』
『こりゃすごい魔導だ。どうなっているんだ?』
『おーい、見えますか? こちらからは、よくお姿が見えますよ!』
「お、お前たち――!?」
“記憶”よりもはっきりとした声で喋る人影たちは、エッドの目でも把握しきれないほどの数だった。
歓声にも似た大音響が“狭間”を埋め尽くすのを耳にし、天使は額を押さえている。
「……ほかの“狭間”と繋ぐのは、お骨が折れます。早く済ませてください」
「す、済ませろとは――?」
天使の放つ低い声にやや狼狽していたジリオだったが、ひときわ明るい声を耳にしてふり返った。
『ジリオっ! 見えるーっ? ボクだよ!』
人だかりの先頭に現れたのは、皆の背の半分にも満たない少女だった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます