第83話 勇者さまの軌跡



「……なあ。ここの記憶って、俺も“摘出”できるのか?」

「はい? ええ、まあ――お出来になるんじゃありませんか。ご本人ですし」

「観ていっても、いいかな」


 ふり向いたエッドの顔を見た天使は、わずかに銀色の眉を上げる。少し人間味のある顔だ。


「エッドさま――それでは、お覚悟をお決めに?」

「そんな崇高なもんじゃないけどな。でもどうせ忘れるなら……少し足を止めても、いいだろ?」

「……。お好きになさいませ。ここの時の流れは、外より穏やかですので」


 天使はそう言うと、エッドと同じ床に降りてぺたんと座り込む。

 上品に小さな膝を抱くと、じっとエッドを見上げた。


「……君も観るのか?」

「いけませんか」

「ちょっと恥ずかしいけど……まあいいか。そうだな、まずは――」


 エッドは目を閉じ、目的の記憶を念じる。


 すべてを正確に覚えているわけではなかったが、その“場面”はまるで舞台の幕開けのように滑らかに開始された。


「うわ! びっくりした」


 本人が念じているからだろうか。声だけではなく、半透明の“記憶の住人”たちがエッドのすぐそばに浮かび上がる。


 二人の男女と、一人の子供。

 家族で囲む食卓には、質素ながらも子供が好みそうな品目がところ狭しと並べられている。



“お誕生日、おめでとう! もう五歳とはねえ”

“おれ、もうオトナだよ。かあさん”

“大人になったら、仕事を選ばなきゃいけないんだぞ”

“そんなのしってるよ、とうさん。もう決めたんだ――ゆうしゃ、さ!”

“ええーっ?”



 父も母も、とても若い。今の自分よりも年下なのではなかろうか。

 にぎやかで懐かしい喧騒にエッドが見入っていると、足元でぼそりとした声が上がる。


「まあ、健気なお子様ですね。ご親戚ですか」

「悪かったな、俺だよ」


“勇者ってのは大変なんだぞ、エッド。大きくてこわい魔物を退治したり……”

“そうよ。さらわれたお姫様も助けなくちゃ”

“ルーニア、それはおとぎ話だろう”

“あら。いいじゃない。でもきっとエッドが勇者様になったら、やってくれるわよね?”

“うん! やるよ、おれ。ゆうしゃって、なんでもできるんだろ?”

“がんばれば、ね。でも、そうだな――エッドはがんばり屋だし、なれるかもな!”


 色んな偶然や幸運が重なって、後々この夢は叶ってしまうのだ。

 なにも知らずに笑う家族に、エッドはそう教えたくなった。


「お……?」


 場面が変わる。とくに念じたわけではないが、無意識のうちに見たい記憶を選んでいるのかもしれない。


“ログレス! どうだ見ろ、卒院したぞ!”


 現れたのは、ずいぶんと手足が伸びた自分だった。力があり余っているといった様子で、懐かしい廊下を一心に疾走している。


“……見ていましたよ。僕だって、卒院式くらい出席します”


 柱に背に待っていたのは、漆黒の友だ。当然だが、こちらも若い。今よりもどこか尖ったような印象を受ける。


 丸めた書簡をかかげ、若きエッドは興奮気味に言った。


“いやー、危なかったな。武技はともかく、座学は落ちたかと”

“まったくですよ……。最初の問いから間違っていたので、肝を冷やしました”

“お前が採点したのか? 書庫の黒クモ、なんて言われてたのに、もうすっかり教術師だな。……あ! ま、まさか?”

“そういう贔屓はしない主義です。――ご卒院おめでとうございます、エッド”

“おう。待たせたな! これでやっと、冒険に出れるぞ!”


 このあと両親に卒院の知らせを送り、その足で冒険者の登録に行った記憶がある。


「懐かしいな……」


 はじめて“少し上等”な武器を買ったのも、熱気うずまく酒場に入ったのもこの夜だった。いきなり活動資金が底をつき、慌てて依頼を探した苦い記憶もある。


「青春ですね。この頃でしたら、あなたさまでもお悪くないのですけれど」

「どういう心持ちで観てるんだ、君は」

「あら。また場面がお変わりになりますよ」



“エッド。任命式はまだ先ですよ。人材探しなら、そのあとでも……”

“いいから、いいから。聖術師は、パーティーの生命線だろ? 自分の足で探しておきたいんだよ、勇者になる前にさ”



 ざわ、と風に吹かれた木立のようにエッドの心が揺れる。


 荘厳な廊下を進む二人の若者。多少の冒険を経てどこか大人びたその二人は、なぜか忍ぶように小声で話しあっていた。


“しかし貴方が勇者に選ばれたことは、すでに誰しもが――”

“見て、勇者様よ! アーテル様だわ!”

“どうして聖堂に? あ、わかった! 勧誘にいらしたのよ、私達を!”

“あ。しまっ……”


 黄色い声をあげる聖術師の一団に、あっという間に若きエッドはとり囲まれてしまう。驚くべき速さで、友は柱の暗がりに逃げていった。


“勇者様っ! ぜひ、あたしを冒険に連れていって下さいまし!”

“いえいえ、わたしのほうが! どんな傷も治してみせますわ”

“あ、いや。俺は――”



「そう言いながらも、まんざらでもないお顔ですね」

「やめてくれ……若かったんだよ……」



 天使に冷静に観察されエッドは頭を抱えたくなったが、澄んだ声が聞こえて顔を跳ね上げた。


“騒がしいわよ。神聖なるディナス大聖堂で、なにを――”

“メル! あなたもご挨拶なさいよ。新しい勇者様よ”


 大きな麻袋を運んでいた若い女は、冷ややかな翠玉の瞳で一団を見遣る。肩上で切りそろえた銀髪が、巨大な天窓から落ちる陽光に輝いていた。


“勇者様? でも任命式は、来週だわ”

“そうよ。でも、まもなくじゃないの。相変わらず細かいわね。今、顔を覚えていただかないと、あとでお誘い頂けないかもしれないわよ”


 穀物の皮と雑草がついた作業着を揺らし、女は重そうな麻袋を抱え直した。

 一団の中央にいるエッドをちらと見、少し考えたあと小さく頭を下げる。



“鶏たちに餌をやる時間ですので、失礼します――暫定、勇者様”

“……!”



 それが皮肉ではなく、彼女が精一杯考えた今の自分の“呼称”であることに若き青年は気づいただろう。そしてすぐさま、凍りついている彼女の同輩たちに訊いた。


“いっ、今の子は!?”

“もっ、申し訳ありませんアーテルさま! あの子――メリエールは、少し変わった子でして。どうか、私たちみんながそうだと思わないでくださいましね?”

“貴方達! 何をそこで塊になっているのです!? 昼食は終わったでしょう!”


 怖い顔の老聖術師が通りかかり、一団はあっという間に解体される。

 友と同じ柱のうしろに飛び込んだエッドは、胸を押さえて言った。


“見たか、ログ? 俺は、あの子――あの子にするぞ!”

“あの子って……まさか、鶏の? たしかに、抜きん出た聖気を持っているようでしたが”

“そりゃ、さらにいい! 早速、勧誘の申し出をしなくちゃな”

“……。これは、素敵な冒険になりそうですね……”


「そうそう、この日のことは忘れられないな。任命式後に正式にメルと顔を合わせたが、結局俺のことは欠片も覚えてなかったんだ」

「なるほど。勇者とはいえ、世の女たちを意のままにできるわけではないと」

「ほんと、その印象どうにかならないか? 何度、迷惑被ったか……」


 エッドが歴代の豪気な勇者たちに恨みを向けていると、また場面が変わる。



“わあ……! こ、これが海? すごいです!”



 潮騒の音とともに現れたのは、メリエールだ。

 今と変わらず美しいが、まだあどけなさも抜けきってはいない。そんな彼女のとなりに立つ過去の自分が羨ましいほどだ。


“海、見たことないのか?”

“あ――はい。幼い頃に山間の聖堂に入門してからずっと、修行でしたから”


 そう答える若き聖術師の大きな瞳は、広大な海原に釘づけになっている。

 若き日の自分は笑い、伸びやかな声で背後に呼びかけた。


“おーい、みんな! 今日はここで野営するぞ”

“はあ? ちょっと、まだ昼過ぎじゃないの。急げば、崖下の森も抜けられるわよ”

“ニータ姫はさっさと風呂に入りたいだけだろ。オイラは構わないぜ。なあゲイル”

“うんうん。それに、ここなら魔物避けの術も敷きやすいんじゃないかな、ログ?”

“そうですね。ちょうど、海水から塩も採れますし”

“げ。今晩はお前が飯担当かよ……オイラの屍は、母なる大海に流してくれよな”


 懐かしい仲間たちの声。

 いつも、こんなかけ合いが絶えないパーティーだった。


“え、エッド? べつに私、そんなに海を見ていたいわけじゃ――”

“なに、俺が疲れたんだ。それに、知ってるか? 今夜は満月だ”

“……それが?”

“凪いでる海に月が近づくとな――くっつくんだ”

“月と海が? そんな、あり得ません。馬鹿にしないでください”


 ムキになる姿も可愛い。

 当時もまったく同じ感想を抱いていたことをエッドは思い出した。


“本当さ。暗い海の中から昇る月は綺麗だぞ”

“海から月が? なにを言っているの、エッド”

“なら、夜にまたここに来てみるといい。俺も来るからさ”

“……分かりました。約束ですよ”


「ふむふむ。多少、女の扱いを心得てきたようですね」

「だから君は一体どこを観て……いや、待てよ。この記憶って」

「あら、これは続きがあるようですよ」

「うわ!? ちょ、ちょっと止めろ! さすがに、この先は――! どうやって止めるんだこれ!」



 手をふり回して記憶の住人たちを霧散させようとするエッドの背後で、無情にも“その場面”は流れはじめた。


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