第38話 沈黙、そして夜へ



「ふう。じゃあ、静かになったところで話を再開するよ」



 不服そうな表情で睨む二つの顔を見回し、アレイアは頬を掻いた。


「そんなこわい顔しないでよ。安心して。あんまり得意な術じゃないから、すぐ解けるだろうし」


 苦痛はないものの、喉に空気の塊を押し込まれたかのような不快感があった。

 ちらとエッドが同じ境遇の友を見ると、忌々しそうに顔をしかめている姿が確認できる。心中でほくそ笑んだが、すぐに自分にたいして嫌気が差した。


「それでね、エッド。時間がないって話は、もちろんログレスだってわかってる。あんたの状態を診ながらも、できることはやったんだよ」

「?」


 声が出ないので、エッドは分かりやすく少女に首を傾げてみせる。

 アレイアはうなずき、話を続けた。


「“密偵”を雇ったの。近くの街に興行で来てた、旅一座なんだけどね。その中にこれくらいの、ませた男の子がいて」

「!」


 エッドの脳裏に、滑らかなお辞儀を披露する少年の姿がよぎる――シュアーナでメリエールの誘拐を手助けしてくれた、セプトール・デオラだ。

 アレイアが手で示したその身長は、記憶にあるよりも少し高くなっている。


「ログレスの思念が届く範囲にいたから呼んだらしいけど、あんまりすぐに来たから使い魔かと思っちゃったよ。でも、賢い子だよね。あたしとログレスのふかーい関係を、すぐに見破ったんだもん」

「……」


 両頬を手ではさんで嬉しそうに語るアレイアには、ログレスのするどい視線も意味をなさない。


「意識がないあんたを見て、すっごく心配してた。密偵の依頼を受けてすぐに行っちゃったけど、起きたらぜひよろしくってさ。たしか――いつでも席を“ふたつ”用意してあげるから、とかってさ」

「……!」


 本当に、大人顔負けの少年である。

 目の前にあの快活な笑顔が見えた気がして、エッドは胸が温かくなった。


「依頼した内容はもちろん、ライルベルたちの尾行と定期的な報告。ちょうど一座を離れて芸修行に出ようと思ってたところだからって、ウェルスに渡るのにも同意してくれた。連絡手段は、手紙じゃ遅いから“魔紙便マナレター”にして……」


 エッドの表情を見て、アレイアはすぐに補足をはさむ。


「魔力を織りこんだ特殊な紙で、術師が秘密のやりとりをする時に使う道具だよ。二つに裂けば、片方に書いた内容がそのままもう片方に現れるんだ」


 さらりと説明するアレイアに、エッドは驚いた表情を送る。

 予想していたのか、少女は肩をすくめて言った。


「なんでそんな便利な道具が、流通してないのかって? そりゃ、いろいろ面倒だから。あいつの契約書もそうだけど、無機物に魔力をそそぎ込んで持続させるのって大変なんだから。技術も時間もかかるし。だから完成品は、とても高価になるの」

「……自作すれば、懐を傷めずに済みますよ」

「簡単に言うけどさあ――って、わ! ログレス、もう喋れんの!?」


 するりと猫のように入り込んできた声に、アレイアは飛び上がった。


 喉をさすり、恨めしそうに少女を睨みながらログレスは息をついている。それを見たエッドも追って口を開いてみたが、相変わらず声は喉から逃げ出してしまったままだ。


 少女は、どこか悔しそうに口を尖らせる。


「うー。やっぱ、この術苦手……」

「実戦では、まだまだ投入できそうにありませんね」

「う、うるさいな。差し支えなければ、続きを話してもよろしいでしょうか? センパイ」

「ええ、どうぞ」


 喉の違和感を流し込みたいのか、ログレスはカップを手にとる。その涼しい顔は、先ほどまでの言い争いなど忘れてしまったかのようだった。


「……」


 エッドはまだ自分に言葉が戻ってこないことを、密かにありがたく思った。

 今術が解けても、また余計なことを口走ってしまいそうだ。


「こほん。えー……その密偵、セプ君から連絡があったんだ。ウェルスに渡る海が荒れていて、船旅は難航しそうだって」

「!」


 報告を続けるアレイアの顔に、にやりと意地悪な笑みが広がる。


「海の都育ちのくせに、勇者様は船がお嫌いでね。きっと今ごろ、さぞ“快適”な船旅を楽しんでると思うよ。陸に着いても、港町で一番いい宿にかけ込むはず」

「それはお気の毒です。さすがの聖女も、船酔いを治すことは出来ませんからね」


 友の軽口に思わず頬がぴくりと跳ねそうになるが、エッドはまだ厳しい表情を保つよう努めた。


 アレイアはちらと心配そうに、エッドに視線を投げる。


「……だからね、エッド。まだ焦らなくて大丈夫。あたしの経験上、“大きな痛手”を受けた御坊ちゃまは、一週間は港に滞在すると思う。海を越えちゃったら、余裕も感じるだろうしね。そこから拠点がある海都ルテビアまでも数日かかるし」


 先輩に倣ってカップを手にとるも、アレイアは口をつけない。

 落ち着きなく指で白磁の曲線を撫でながら、少し小さくなった声で言う。


「もちろん、全部予想でしかない。けど動きがあればセプ君からすぐに報せが入るし、こちらも出立の準備はしておくから」

「……」

「だから、落ち着いて作戦を考えようよ。なによりまず――あんたの身体、どうにかしなきゃでしょ?」


 アレイアの気遣わしげな視線が、エッドでさえしばらく失念していた胸の穴にたどり着く。


 そこに別の視線が注がれたのを感じ、エッドは送り主を見た。


「……まさか胸に空いた穴や失った腕のことを、お忘れではないでしょうね?」


 静かな言葉には、怒りにも近い配慮が込められている。

 思わずエッドは目を逸らした――自身の状態を省みず闇雲に走り出そうとする自分を見て、友がなにを思ったかは想像に易い。


 エッドの牙に、知らずと力が入った。


「……っ」



 周りの意見を聞かないリーダーをもった“とあるパーティー”が歩んだ悲劇――それを、耳にしたばかりだというのに。



「て、てかごめん……。喋りたくても、無理だよね?」

「あの程度の術、もう効果は切れているはずです」

「うるっさいな! そんで、またヤな言い方する! だからエッドだって――」

「……いや」


 自然と喉からこぼれ落ちたつぶやきが、はたと少女の動きを止める。

 エッドは一瞬だけ幼馴染を見、そのむこうにある暗い窓の外へ視線を逃した。


「ログの言ったとおりだよ。俺は……」


 自分の意思なのか魔物の本能なのか、エッドの足は静かに暗闇へと進みはじめる。

 慌てて追ってきたのは、小さな足音。


「待ってよ、エッド! そんな身体で、どこに――」

「……村からは出ない。少し、頭を冷やすだけだ」

「で、でも」


 おろおろとする少女の気配を感じながらも、エッドはふり返らなかった。

 かわりに耳に届いたのは、いつも通りの冷静な声だ。


「……アレイア。先ほど貴女が見せた“見事な技術”について、話があるのですが?」

「うっ!? え、うそ。杖とったの、怒ってんの? ごめんって――あ、エッド!」


 板ばさみの声に手を挙げて別れを告げ、エッドはひとり闇夜へと歩き出す。

 

 最後に、友を送り出すには平坦すぎる声が告げた。



でも、夜道を往けば――凝り固まった思考も、解れることでしょう」


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