第11章(3)過去 〜茨木童子〜

其の昔、列島の寒さ厳しい村落の農家で身重の女子おなごが全身から偽りの無い苦悩と悲痛な叫びを放ちながら狂乱していた。女子の想いとは裏腹に十四か月経っても胎内に留まり生まれ落ちない胎児がいたからである。


人知を超えた出来事に災いの前触れだと村人たちから恐れられ、そのことだけを理由に家へ投石するものまで現れた。


村の存亡のために禍根を断つように妻と胎児を殺害することを迫られた胎児の父親が闇夜に姿を消し去った翌日の黄昏時、生まれ落ちた赤児は見るに絶えない異形な姿をしていた。


出生間もないにも関わらず、髪は長く、禍々しい妖気を放った鋭い眼光をしており、牙があるだけではなく赤児の額には短い二本の角が生えていた。


その姿を目の当たりにしておそれた慈母は、狂喜乱舞しながら我が子を自らの手で殺めようと刃物を握り締めて赤児目掛けて振り下ろそうとした。


しかしながら、慈母は赤く閃光する乳児の双眸を見た途端、意識を失ってしまい、その場に倒れて帰らぬ人となった。


村人たちが女の死体を見たときには赤児は自らの足で歩いており、その腕力は成人の男と変わりないまでに力強く、母親のしかばねとともに赤児が逗留していた空間は異様な雰囲気に包まれていた。


為す術もない村人たちは、乳飲児の行く末を案じて地域の有力な神社に稚児として預けることを決意した。


神社で育てられた赤児は、神々の恩恵により大きな災いを呼び起こすことなく成長して童子となった。


人並みはずれた腕力の持ち主である童子は、朝夕の神社での奉仕を続けていたのであるが・・・


ある日のこと、薪を取りに先輩たちと山へ入った際に根性を試すためだと崖端から谷底を覗くように命令された童子が前のめりになった時、数人の同僚が遊び半分に童子の体を押したところ、童子は崖下へ落ちて絶命したのである。


それなのに躊躇ためらうことなく全員が口を閉ざし、童子が自ら石につまずき足を滑らせて崖から落ちた不慮の事故として真実を伏せたのであった。


道理に反した神職者たちの邪念を一身に受けた童子の魂は復讐心の塊となり、未成仏な霊となった童子は、遺恨を晴らすために異形な姿とは似付きもしない美男子に憑依して、自身が殺された神社へ再び赴いて奉仕するようになった。


崖下へ転落した男が美男子として帰って来たと過ぎた冗談を言う者までがいる始末に、優美な男に憑依した未成仏な童子は内なる獰猛どうもうさを増幅させると同時に人を欺く周到な知恵を習得するのである。


峻烈しゅんれつを極めた怒りを胸に絶世の美男子へと変貌した童子は出逢う女子たちの強欲を貪るように心を奪い弄んだ。


武勇、端整、博識に優れた良人を装う童子・・・強力と才気に溢れる童子へ言い寄る女性は数知れず、受け取る恋文は絶えることがなかった。


そんな童子は男たちからの数えきれない恨み辛みを全身に浴びせられるあまり、集積された怨念の力が封印されていた魔を更に呼び覚ましてゆく。


そんなある日、童子に宛てられたものにも関わらず、先輩たちに隠し持たれていた「血塗りの恋文」を童子は見つけ出した。


人面獣心じんめんじゅうしん奸物かんぶつたちに対する怒りが頂点に達した童子は、血塗られた恋文に触発されるかの如く、生き血をすする猟奇的な行動を求めて加虐的な醜い魔獣へと形相を変えてゆく。


美男子に憑依した童子の身の丈は七尺五寸を超え、頭には黒色の2本の角があり、ボサボサの髪の毛や髭を携え、顔色は血のような色をしており、黒い血管が浮き出たような面構えになっていた。


大きく左右に裂けた口には突き出た牙、顎にも短い二本の角が生え、足元は黒色の体毛に覆われた強大な鬼と化したのであった。


荒れ狂う大鬼は神社境内や村の田畑を荒らし、神職者たちは勿論のこと村人たちの首を次々に刎ね、手足を手荒くちぎり残忍な性質を忌憚きたんなく発揮しながら汚れた灰色と白の入り混じった服装を人々の血しぶきで染めてゆく。


聞くに堪えない残酷で奇怪な事件が各地で勃発し、人々は恐れ戦いた。ある村で年端も行かぬ女の子が大きな鬼を見たと言い出したことから、茨木童子という名が囁かれるようになった。



時を経て、京の都に辿り着いた茨木童子は美男子から憑依する餌を乗り換え、物言う花に取り憑いて男たちを手玉に取り骨の髄まで吸い尽くしていた。


ある夜、京域の北を限る通りに架かる橋のたもとで馬に乗ったひとりの武将と遭遇した。


男が身に纏った束帯そくたいから名立たる武官であることが窺え、恰好の餌食と言わんばかりに声色を使い武官に擦り寄った。


ひとり出歩き道に迷っている間に夜更けになってしまい困り果てていたところであると伝えたうえで、手助けして欲しいと哀願の眼差しで馬上の男を見上げた。


「夜更けに女子がひとりでいるとは物騒である。良かろう、其方を送ってやる」


そう言って馬に乗せてくれた武官を嘲笑うかのように豹変した茨木童子は、男の髪を掴み腕力にものを言わせて生き血を啜ろうと牙を突き立てた。ところが次の瞬間、男の髪を掴んだ腕の感覚が無くなった。


御神気が宿っている名刀を右手で握る剛の者は、斬り取られた女子の腕に憑依している自らの腕を左手に持っているではないか・・・


武官にはこちらの姿が見えていないようではあるのだが、清らかな名刀があるが故に不用意に近づくことも出来ない。


茨木童子は使い物に成らなくなった女子の肉体から抜け出し、自らの腕を取り返すために男の様子を窺うことにした。


仲間の陰陽師に相談したところ鬼の仕業であると聞かされた武官は茨木童子の腕が憑依している女子の腕を屋敷に持ち帰り、数日の間、屋敷から一歩も外へ出ることはなかった。


茨木童子は武官には年老いた伯母がいることを知り、その伯母に憑依して屋敷へ近づくものの鬼の襲来を警戒する武官は事情を話すだけで伯母に対しても毅然とした態度を崩さず、どうしても屋敷内へ通してはくれなかった。


そこで茨木童子は妙案を想い付いた・・・泣き落としである。伯母の姿をした茨木童子は「幼少の頃に世話してやった報いがこの仕打ちか」と、その場で膝を曲げ、腰を落として慟哭しながら男の表情を窺って隙を見ていた。


哀れな姿を見た男は仕方なしに伯母を屋敷内に通した。茨木童子は名刀で攻撃だけはされないように注意を払いながら屋敷内にある斬り落とされた自らの腕の場所を確認する。


男が他の部屋へ移った瞬間を待っていた茨木童子は、老婆とは思えない猛烈な速さで屋敷内を移動して自らの腕のある部屋へ行き、木箱に納められた腕を取り返すと奇声を上げて屋敷内を荒し回った後に、その場から雲隠れした。


茨木童子の腕を斬り落とした男は勇猛な武将であったのだが、清らかで繊細な体感力を持ち備えていなかったが故に鬼の悪巧みを見抜くことが出来ず、姑息な手段に嵌まったのである。


清らかな気と穢れた気を繊細に感じ分けることが出来なかった男は、茨木童子の嘘を感じ取り見破れなかったのであった・・・

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