第19話 秘めた想い

「お前みたいな才能ない奴が夢とか見んなよ」

 そういってコーディはマークの書いた原稿を投げ捨てた。

「叶うわけねぇだろ付き合わされる身にもなってみろ。邪魔なんだよ」

 マークは苦笑いを浮かべながら床に散った原稿を拾い集める。 

「なぁ、聞いてる?」

 そう言いながらコーディはマークの目の前の原稿を踏み、靴底をこすりつける。

「お前が何書いてもゴミ、自覚しろよ。分不相応なんだよお前みたいなのが身内だってだけで虫唾が走る」

「兄さんが見せろって言ったんじゃないか」

 マークは重い声で呟く。

「あ?なんか文句あるのか?」

 マークがコーディの顔を見るとその反応が欲しかったとばかりに下卑た笑いを浮かべていた。

「誰の金で誰の家に住んでるのかわかってて文句が言いたいんだよなぁ?」

 それは何度も何度も繰り返されてきた事だった。コーディはまだ18という若さで社会的に認められ、天才と呼び名も高い新進気鋭の作家であった。しかし彼の自尊心は作品の評価では満たされることがないという事をマークは知っている。自分の立場を利用して他人をいたぶる時だけ彼の心は薄暗い満足感を得る、その対象は彼と一緒に暮らしているマークが担う事が圧倒的に多い。

 コーディはマークの顔をつま先で蹴り、マークはその衝撃で床を転がった。鼻から口に伝う違和感に鼻をぬぐうとマークの手に血がこびりつく。

「昔はこうじゃなかったのに」

 マークはそう言って壁に飾られたの家族の肖像画を見る。そこには幼いマークとコーディそして彼の父と母の姿があり、みな幸せそうな笑顔を浮かべている。

 今から数年前、ヴァリス皇国の大臣をしていたマークの父は、戦時中シャムシールに対する機密漏洩の疑いをかけられ社会的に弾劾された末に暴漢に刺されて死んだ。そして母は父に起きた悲劇に耐え切れず精神を病み今は入院している。

 その時コーディとマークはいつか自分たちがお母さんの好きな舞台を使って父の汚名を濯ぎ、元のお母さんに戻してあげようと互いに約束した。

 そして今あるのがこの状況だ。

 兄は目的に近づき自分はいまだどこにも行けないでいる、それが彼にとって許せない事なのかもしれない。しかしマークはコーディがどこか本来の目的を忘れているようにも見えた。その様子からあの日の約束自体彼の方便だったんじゃないかとすら思えてしまう自分が許せなくなり、マークは唇を噛む。

「ごめん、兄さん。俺具合が悪いから部屋に戻る。台所に今日の晩飯作ってあるから、よかったら食べて」

 コーディはマークが歯向かってこなかった事が不満で舌打ちをするとその場を後にした。


 自室に戻り、マークはくしゃくしゃになった原稿を並べ直しながら、靴跡や破れを見かけるのが耐え切れなくなり涙をこぼしていた。全ての原稿を元通りに束ねた後、マークは汚れた原稿を見て吐き気を覚え、原稿を握りくずかごに放り捨てようとした。その瞬間彼の耳にウィルの言葉が蘇る。

「自分の作品を自分で否定する事だけはしちゃいけない、それさえ守れば作品は完成する」

 マークにとって作品を作ることは未来を創ることだった。忘れもしない幼いころの約束を果たすため、そして一縷の望みを叶えるための願いでもある。だからこの作品を完成させた先には彼にとって今より前に進んだ明日が必ずある。

「そうだよなウィル、俺馬鹿だから諦める所だった」

 マークは服の袖で涙をぬぐい原稿を机に戻して皺を伸ばすと、その文字の一つ一つに込めた想いが輝いているように見えて笑顔を浮かべた。

「負けねぇぞー!!」

 彼はそういうとペンを取り、執筆を始めた。


 くしゅんっ

 くしゃみをしたウィルに寝巻に着替えたレミアが心配そうな顔を浮かべる。

「ははっ大丈夫風邪じゃないよ、誰かに噂でもされたかな……ってこの迷信この世界にもあるのかな?」

 そう尋ねるウィルにレミアは首をかしげる。

 ウィルの向かっている机の上に原稿は二束、彼は羽ペンを置き窓に向かう。雲一つない満天の星空がそこにあった。

「マークも今頃原稿書いてるのかな」

 お互い頑張ろうな、夜空に向かってそう言うとウィルは窓を閉じる。


「もう夜も遅くなってきたしそろそろ寝ようか」

 ウィルがレミアにそういうと彼女は頷きベッドで布団をかぶる。子供みたいな子だなと笑いながらウィルは明かりを消すと、床に敷いたマットレスに横になった。レミアがなぜ廃墟を自分の家だと言ったのか、そして二人が来るのを待っていたかのように表れたあの集団の正体はなんだったのか。考えなければならない事はいくつかあったが、めったに体を動かすことがないウィルにはあまりにも運動量の多い日だった事もあり、部屋のうっすらとした暗闇の中に彼の意識は溶けるように消えて眠りについた。


 ウィルの寝息を聞いてレミアは目を開き、ベッドの上からウィルの寝顔を見る。

「ウィリアム、ウィル……。私を助けてくれた、優しい人」

 レミアはそう呟きベッドに横になって天井を眺め胸を押さえる。

「アンジェラ、ウィルはとても良い人だね。あなたの言うとおりだった」

 レミアは意識の端に鋭い赤い光が走るのを感じた。

「今は……ダメ」

 レミアは布団をかぶり震える。

「もう少しだけこの気持ちでいたい……だから……」


 その夜ある人物が殺された事をウィルが知るのは翌日になってからの事だった。

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