湖畔の誓い

菱潟 八千穂

序章

001 オリバーの決断 前

 夏至を過ぎたばかりの強い日差しが、西から鉱石加工場を照らしている。一次鉱石から魔石を削り出す作業場の端の検品台には、色とりどりの魔石が木箱の中に小分けされて並んでいた。

 太ってはいないがやや体格のいいオリバーは、硬い木の椅子に座って背を丸めるようにしながら慣れた手つきで秤を動かしていた。髪の色と同じ濃い茶色の瞳をこらしながら、木箱の中身を一つひとつ量っていく。

 一日の終わりに削り出した魔石を検品するのが、作業場の班長であるオリバーにとって日常の最も重要な仕事だ。個々の工員だけでなく班全体の成果に直結する作業なので気を抜けない。

 一度に30人ほどの工員が作業を行える広い作業場には、今はもう班長のオリバーと補佐のデニスしかいない。窓から差し込む西日が作業場の壁に反射し、木箱の中に小分けにされた魔石を鈍く光らせていた。


「今日は多いですね」


 線の細い骨ばった手を動かしながら、隣で同じ作業をしているデニスが声をかけてくる。オリバーよりも明るい茶色の短髪で、朗らかな印象の好青年だ。


 総量はいつも通りな感じだが、目立つとしたら……


「……浮遊石ふゆうせきか?」

「ええ、数はいつも通りだけど粒揃いな感じじゃないですか?」


 全部で6色ある魔石は、工員ごとに木箱に入れて提出されている。今やっているのは、これが申告された成果量と合っているかどうかの確認作業だ。

 普段一番多いのは黄色い発光石はっこうせきで、この加工場で出荷される石の三割ほどを占める。逆に一番少ないのが青の浮遊石で、発光石に比べると十分の一にも満たない。そしてその分価値も高い。それが今日はいつもの五割増しほどはあるように見える。


「そうだな。今日のはゴルドルラが掘った分だったのかもしれんな」

「ですね」


 ここの鉱山にはドワーフが何人かいるが、この加工場の契約鉱夫にも腕のいいドワーフが一人いるのだ。魔石が混じった一次鉱石の箱は番号で管理されていて、オリバーたちには誰が削り出したものなのかは分からない。ただ今日削り出した石は明らかに浮遊石が多かったから、きっと彼が削り出したものだったのだろう。


 どれくらい多いかな。まあ、明日聞けばいいか。


 実際にどれくらい多く採れてるのか少し興味が湧いたが、確認するのは諦めた。合計を算出するのは算術のできる上役の役目だ。オリバーが確認するためには全員の分を混ぜて秤に載せなければならないが、もちろんそんなことはできない。


「お先にあがるよー」


 作業場の脇を風呂から上がった工員たちがガヤガヤと声をかけてながら通りかかる。盗難防止も兼ねたポケットのない作業着はやや厚手で夏はかなり暑苦しい。まだ作業中のオリバーには着替えてさっぱりした工員たちが羨ましい。


「どうだった? 今日、青いのいっぱいだっただろう?」


 少し年配の工員が窓越しに訊いてきた。


「ああ、いつもより多いな。明日も同じ箱の石だからけっこう出るんじゃないかな」


 浮遊石は単価が高い。工員にとっては稼ぎに直結するから一次鉱石の質の良し悪しは興味の対象になっている。


「よっしゃ!」

「よしっ! 前祝いだ!」

「大地の神に感謝だな!」

「そこは人々の神だろう!」


 それぞれに喜びの声をあげて、挨拶もそこそこに手を叩いてはしゃぎながら帰っていってしまう。陽気な工員たちだった。彼らは工場街に住んでいるのですぐにでも一杯飲んで寝てしまうだろう。

 作業員のうち何人かが作業場の外でおしゃべりしながら待っている。彼らは日雇いの人夫だ。

 削り出しの作業は本来、歳をとって採掘の効率が落ちた鉱夫か日中に手の空いた鉱夫の妻が請け負う。工場街に住む妻たちが子育てや家事を分担しながら交代で作業に就くのだ。ただ、それだけだと作業台が余ってしう。せっかくの設備を遊ばせておくことになってしまうのだ。それでは勿体無いので、毎日空いている作業台の分だけ人夫を雇っている。


「よしっ。今日はぴったり合ったな」


 人のやることなので計量もいつも合っているとは限らない。むしろ多少間違っていることの方が多いのだが、今日は問題なかった。日雇い人夫も経験者ばかりだったのだろう。


「ですね。あとやっときますんで、どうぞあがってください」

「ありがとう、助かるよ。日雇い分これな」


 確認作業をしながら用意しておいた日雇い人夫への支払いをデニスに任せて業務を切り上げる。


 今日は少し早いな、飲みに行けそうだ。


 行水もそこそこに着替えを済ませたオリバーは、作業場のほこらに軽くお祈りを捧げると足早に加工場を出た。




 夕日を追いかけるように西へ向かって家路を急ぐ。工場街から街まで続く森の中の道には、オリバーと同じように街から通う工員や日雇い人夫たちがまばらに歩いていた。

 あまり深くない森の中を半刻ばかり歩いていると、夏の強い木漏れ日がオリバーの顔を火照らせていく。やがて木々の間から、見るからに堅牢な城塞都市が夕日を背にして黒々と姿を現した。


「やあ、おかえりオリバー」


 森を抜けたところで飼い葉を運ぶ森番に出くわした。がっしりとした体格の中年男だ。濃い褐色の髪を長く伸ばした野性味のある風貌は、彼自身がまるで森の獣のようだった。


「ただいま、レオン」


 挨拶しながら思わず笑顔になってしまう。森番のレオンはこの道を通る誰にでも声をかける。また、この道を通る誰もがレオンのことが好きだ。

 森は基本的に領主のものであり、森番は領主の資産の管理人でもある。無断で入って食べ物を採ったり木を切ったりすることはできないし、それをしようとする平民たちは場合によっては泥棒扱いをされたりするのが一般的だ。そのため本来なら森番は平民たちにとって恐ろしい存在だった。

 ただエムスラントではそもそも領主の人気が高く、代々の森番もかなりいい人材をあてがってくれていた。平民との軋轢あつれきは全くと言っていいほどなく、関係は良好だ。


「ヴィーゼの世話かい?」

「ああ、そうだ。だいぶ大きくなってきた。来年には乗れるようになりそうだ」

「今度また会わせてくれ」

「ああ、昼間ならいつでもいいぞ」

「ありがとう。そのうち昼に会いにくるよ」


 レオンの奥さんが夕飯を調理する音が小屋から漏れてくる。あまり長居をすると何かと邪魔になってしまいそうだ。


「じゃあレオン、よい夜であらんことを」

「ああ、おたがいに」


 飼い葉を扱う乾いた音を聞きながら、オリバーはまた歩き出した。

 レオンの住む森番小屋が街と森の境界で、ここからはもう街の圏内になる。ここはオリバーと妻のマーレとその家族が住む街、領都エムスラントだ。




 オリバーとマーレは領都エムスラントで慎ましやかに暮らす平民の夫婦だ。城壁沿いの通りから一本入った木造3階建ての3階に、2人の幼い息子と4人で生活している。隣の住戸には妹のニーナの一家も住んでいた。平民の家族は近くに住んで助け合う必要があるのだ。

 城壁の内側に住んではいるが、上階住まいは城外の住人よりむしろ貧しい。三重に築かれた城壁の一番外側の壁沿いに、ようやくしがみつくようにして暮らしている状態だ。それでも、屋根裏やあばら家の住人よりはずっとマシと言える。


「ただいま」


 出入り口の木戸を入るとすぐに、食卓と竃のある居間がある。広さは縦横それぞれが両手を広げた分の倍もない。部屋は他に寝室が1つと、小さな物置があるだけだ。見渡す部屋の中に生活の全てが詰まっている。


「おかえりなさい!」


 長男のブルーノが飛びつきながら大きな声で迎えてくれた。オリバーと同じ濃い茶色の髪をクシャクシャと撫でてやる。

 5歳のブルーノは普段から近所の子どもたちを引率して森に出かけているのでよく焼けた肌をしている。力もだいぶついてきた。


「ふふ。あまり大きな声を出さないで、ブルーノ。さっきダニロが寝たところなのよ」


 オリバーから離れてパッと両手を口に当てて目を見開くブルーノ。少し年の離れた小さな弟のことを、いつもとても大事にしてくれている。

 そのブルーノを優しく叱ったマーレがお腹に手を当てながら出迎えてくれる。まだ臨月までは間があるが、華奢なマーレのお腹はずいぶん重そうに見えた。


「おかえりなさい、オリバー」

「ただいま、マーレ。お腹はどうだい?」

「大丈夫。いつも通りよ」


 そう言って軽く頬を寄せると、ひっつめた褐色の髪から溢れた後れ毛がこめかみをくすぐる。濃い灰色の瞳で少しだけオリバーと見つめ合いわずかに微笑むと、体を揺らすようにして歩きながら夕飯の支度に戻っていった。


 やっぱりマーレは最高に可愛いな。


 オリバーは一日の疲れが吹き飛ぶような思いでしばらく戸口に突っ立ったまま、家事をするマーレの後ろ姿に見とれていた。

 食卓では両手を口に当てたままのブルーノが天井を見上げている。屋根裏の住人のドタドタと動く音が聞こえていた。


「(ダニロが起きちゃうよ!)」


 小声で抗議するブルーノが可愛らしい。

 オリバーとマーレの家の上の屋根裏には、クァトロの家族が住んでいる。城下のこの辺りの屋根裏に住んでるのは大抵クァトロたちだ。異人種のクァトロを忌み嫌う領地もあるらしいが、エムスラントでは良き隣人として受け入れられている。

 そもそも異人種といっても、少しばかり背が高くて手足の指が4本であること以外は自分たちとほとんど変わらない。彼らは活発でよく働くし、楽天家なので付き合っていても気が楽だ。真下に住む身としては少しうるさいが、まあ賑やかなのはいいことだと思う。


「大丈夫。普通に喋ってていいぞ」


 頭を撫でてやりながら食卓の脇を通って寝室に移動する。ブルーノが振り返って聞いてきた。


「今日ももらってきたの?」


 オリバーはいつも持ち歩いてる小さな手提げをポンポンと叩いて答える。


「ああ、ちょっとだけな。見るか?」

「ううん、あとで見る。ダニロが起きちゃうからね」


 少し足音を忍ばせて寝室に入ると、寝台の上でダニロがスヤスヤと眠っていた。少しだけ寝顔を眺めると、振り返って自分の棚に鞄を置く。

 寝室の奥と右側に寝台があり、左側の壁には数段の棚がある。棚の脇には室内用の小さな祠があり、供物が置けるように小さな板が壁に取り付けられていた。祠といっても壁に絵を描いただけだった。それでもここで全ての神に祈っていいらしい。便利なものだ。

 普段から手ぬぐいや財布程度しか入ってない鞄から、今朝がた上役からもらった皮袋を取り出した。袋を開けて中の色を確認すると、鈍く緑色に反射して見える。


 木霊石こだまいしか、いいぞ! 安産祈願といえば森林の神だからな。


 ほとんど粉のような魔石の欠片かけらを色別に小分けされた蓋つきの木箱に移す。棚には浮遊石以外の5色分の木箱が並んでいた。

 日々の計算が合わない時のためにわずかに取り置いてあるこうした欠片を、たまに上役がくれることがある。ちょっとした賞与のようなものだが、帳簿には当然記載されていない。厳密には規約違反だが、きっと上役自身がくすねているから口封じの意味もあるだろう。いつもありがたくいただいている。

 美しく貴重な資源でもある魔石は、粉のような欠片でも売れば少しは金になる。ただ一度に渡される欠片は10エンスにも満たない。一月に酒一杯ほどにしかならないが小さな役得だった。


「森林の神よ……」


 棚の脇に設えてある小さな祠の前に木霊石の箱を置いて、軽く祈りを捧げる。

 一番簡単な祈りは、神の名を呼ぶことだ。もう少しちゃんとしようとすると、まず手を合わせ、その後両手のひらを肩の幅で上に向けて顔の高さまで戴きあげる。だがものぐさな男たちは大抵の場面で神の名を呼ぶだけで済ましてしまう。


 しばらくここにお供えしておこう。


 そのうち売ってしまう魔石をちゃっかり供物がわりに扱うオリバーだった。

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