『青春欠乏症』と診断されました。余命はどうやら三年だそうです

麺田 トマト

第一話 青い桜の咲く春に

 

 ――青春が、そこにはあった。

 

 高校の中庭、一面に薄紅うすくれないを広げる桜の木の下に、ポツリと置かれたイーゼル。そこに掛けられたキャンバスに、青い春はあった。


 絵の構図としてはよく見かけるものだ。

 大きな桜木に寄りかかる少女がひとり。たったそれだけのシンプルなデザイン。

 

 ただ、その絵を目にした瞬間、俺は金縛りにあったかのように、一切の身動きがとれなくなっていた。

 その絵から目が離せない。

 まるで呪いだ。

 感動で胸が熱いのに、身体から熱が奪われ、総毛立つ。呼吸の仕方が分からずに苦しくなる。

 

 ただただ、俺は圧倒されていた。

 その絵に。

 別に絵画に詳しいわけでは無いけど、これは本物だと断言できる。


 ――これは天才の絵だと。価値ある絵だと。


 しかし、頭の片隅にモヤモヤとした違和感、「そうじゃないだろう」という感想が浮かぶのは何故だろう。

 その原因を探していると、ふと、冬の寒風のような乾き冷め切った声が聞こえた。


「……他人の絵を勝手に見るなんて、どんな教育……いえ、調教を受けたのかしら。ほら、早く動物園にお帰りなさい」


 恐らくこの絵の作者であろう少女が、長い黒髪をたなびかせてやってきた。突き刺すような視線が痛い。

 随分と失礼な物言いをされたが、まぁ彼女の言う通り、他人の絵を盗み見たのは俺なのだから文句は言えない。だからせめて訂正の意を込めて、


「俺の家は普通の一軒家だ……」


「あら、ペットだったの」


「我が家自慢の息子だ!」


 いくら俺が盗み見していたとはいえ、初対面の人間を動物扱いとはなかなか尖った――というか非常識な奴だな。見た目がいいから何しても許されると思ってるタチの人間か。

 まぁ、それはこの世の真理のひとつではあるけども。実際に俺がそこまで不快に思っていないのがその証拠である。

 長いまつ毛に縁取られた冷たい瞳は、暴力的な魅力で瞬く間に俺の美意識を刺し殺した。


「……それで、何かご意見でも」


 ブレザーを着た(高校の敷地内なので当然なのだが)少女は、攻撃的な口調で言った。

 別に俺は彼女に何かを言える立場ではないし、そもそも面識もない。ここは適当に褒めて立ち去るべきだったのだ。


 ……でも、出来なかった。

 圧倒的な才能を前にして、俺は反抗するように言葉を返す。

 この違和感の正体を暴くために。


「――この絵、何の絵なんだ」


「何って見れば分かるじゃない。青春よ、青春。大好きでしょ、青春って」


 そう彼女は吐き捨てるように言った。

 ――青春。

 確かに、桜の木にもたれかかる少女というのはエモーショナルな光景だし、青春っぽいのは間違いが無いのだけれど。第一、俺もそう思ったわけだし。


 しかし、あぁ、なるほど。

俺は違和感の正体を悟る。


 絵の技術の割に、込められた意味が安直過ぎるのだ。

 青春だから、青い春。三流以下のセンス。

 だから俺は単刀直入に指摘する。


「お前――青春したことねぇだろ」


 桜の雨が降りしきる温かい春の中、彼女は呆気にとられた顔をして――。

 こうして俺たちは出会った。

 ロマンチックの欠片も無い、爽やかさの<さ>の字も無い、どこまでも陰気な出会い。

 一生忘れることはないであろう、まったくもって酷いボーイミーツガール。

 

 思い出される彼女の絵。やっぱりあれを青春の絵と呼ぶのは間違っている。


 だって。


 ――彼女のえがいたはるは、深い青色で塗りたくられていたのだ。


 だから青い春、それ故に青春。

 それはあまりに陳腐ちんぷだろうさ、天才画家よ。






 ***『余命三年。病名・青春欠乏症』***






「余命三年といったところだろう――」


 真っ白い部屋。匂いも温度も何もない無機質な空間。

 俺は診察室の固い椅子に座っていた。

 そして向かいに座る白衣を着た黒ぶち眼鏡のおっさんは、風呂上りの洗面所を想起させるほどの冷たさでそう告げたのだった。


 デスク上のモニターには『青春不足!!』の赤文字が点滅している。その文字を『格安マッサージ!!』にしても違和感のないチープさだ。

 このUIを考えた奴はきっと馬鹿かバカだ。俺は確信した。

 

「あの、それはどういう意味でしょうか……?」


 俺の隣に座る母が震える声で問う。


「……つまり、あなたの息子さんはあと三年で死ぬということです」


 もっとオブラートに包めよ……、なんてツッコミを喉に押し込める。流石にお医者さんにツッコむ勇気はない。

 でも、普通そこは『余命はあくまでも参考ですので』みたいフォローするとこだろ。

 というかそもそも余命宣告を本人の前でするものかね。ちと残酷過ぎない?


「そんな……!」


 悲痛な叫びとともに泣き崩れる母親。

 当の俺はというと……、正直実感が湧いていなかった。

 今日初めて会った人間にそんなことを言われても信じられる訳がない。だから、これといった感情は浮かんでこなかった。自分でも意外ではあったけど。

 これだから、俺は……。


 だからひとまず、せめてこのシーンだけでも進行させるべく、俺は医者に問う。


「……原因は、なんなんですか」


 医者は眼鏡をくいっと上げて答える。


「――『青春欠乏症せいしゅんけつぼうしょう』。人生に青春成分が不足すると発症する病です。これといった治療法は確立されていない……が、絶望する必要はありませんよ。これは青春を送ることが出来さえすれば治るものですから」


 利口ぶってお前は何を言っているんだ。そう言いたいところだが、俺は口をつぐむ。


 『青春欠乏症』。その単語はあまりにも有名だった。


 最近のワイドショーでよく取り上げられているその病名。

 医師の言う通り、青春不足により発症する病気。人生をかえりみ始める三十代から四十代にも発症すると言われるが、大半は俺の世代、つまり十代中盤から後半にかけての思春期に発症することが多いという。


 数十人に一人の割合で罹患りかんはしているらしいが、こうして俺のように息苦しさを感じる、頭が重い、などの実際の症状が出るのはかなり少ないという。

 致死性の病気だとは言うが、実際に死者が出たって話は聞いたことがない。俺が知らないだけかもしれないけど。


 だがまぁ、余命宣告されたのは事実なわけで。


「いやはや、ここまで重症な患者は見たことが無いよ。どんな中学校生活を送っていたのやら……。どうせプールでものもらいをして、保健室で貰った眼帯にテンション上がってたりしたんでしょ」


 やけに具体的だった。そして実際にそんなことがあったものかはさておき、俺は恥ずかしなって俯いた。


「……自分ではそれなりにをつけて生活していたつもりなんですけどね」


「そうかい。とにかく青春しないと死ぬからね。青春、とにかく青春が大事なのだよ。窒息死したくなかったら、とにかく青春を送ることだ。明日高校の入学式とか言っていたね。髪を紫とかに染めてみたらどうだい」


「それ絶対に青春が遠ざかると思うんですが」


 この医者、発想が大阪のおばちゃんレベルらしい。


「そうかね、はは。すまんね、昨日は私の小学校の同窓会でね」


「はぁ……」

 

 飲み過ぎて二日酔いだとか言わねぇよな。


「これで小中高、すべての同窓会に招待されなかったというめでたい記録が出来たわけだ」


 乾いた笑い声を漏らす医者。その眼鏡のレンズに、モニターの『青春不足』の文字が写り込む。

 医者のおっさんも、どうやら同類だったらしい。こうはなりたくない。


わたる……青春よ、どうか青春を送って……っ!」


 母もまた、その言葉を吐いて俺の肩にすがりつく。親にそこまで青春を求められる息子は俺くらいなものだろう。

 俺は見たことの無い母親の泣き顔を眺めながら、<青春>という単語を脳内で反芻はんすうしていた。


 どいつもこいつも、青春青春青春青春。ただでさえ字面が似ているのに連呼なんてするもんじゃない。

 CMでもドラマでも小説でも漫画でも映画でもアニメでも、皆口を揃えてその単語を口にする。そうやって物語ひとは青春を求める。

 そんな曖昧で抽象的な言葉ばっかり使いやがって。青春しなきゃ死ぬのかお前ら。いやまぁ、青春しないで死ぬのは俺の方なんだけどさ。情けない話。

 


 ――人生の春にたとえられる時期。希望をもち、理想にあこがれ、異性を求めはじめる時期。



 青春と調べると、こんな解説がページの上に出てくる。

 青春がこの通りのものだとすれば、俺には二度と青春は送れないだろう。

 俺の人生に四季などなく、変わり映えしない日々。

 希望は既についえ、理想は俺を置いて国外逃亡。そして俺の辞書に<くノ一おんな>という文字はなく、その漢字を組み立てる気も無い。

 はたして、俺は世間で言うところの陰キャラであり、青春弱者であり、スクールカースト最底辺であり、つまるところは圧倒的な敗北者なのである。


 そんな俺が青春を送るだなんて、東京でオリンピックが開催されるくらいあり得ない話なのだ。


「とにかく、青春を過ごしなさい。それが唯一の治療法なのだから」


 医者は知った風にそんなことを言う。いや、知った風というか、この医者の場合そもそも知らないんだろうけど。

 本当に、どいつもこいつも勝手だ。

 俺は適当に頷いて席を立つ。

 スライド式のドアを滑らせて診察室を後にしようとした時、後ろから声がかかる。


伽藍ときあいわたる君、といったね。君は芸能活動か何かをしていたことはあるかい?」


 医者は、突然そんなことを言ってきた。


「いや、一切していませんが」


 俺は正直に答える。芸能活動なんてしたことが無い。俺の顔面はそこまでイケていないのだ、残念なことに。


「そうか。どこかで名前を聞いた――いや、気がするのだが……まぁいい。青春を謳歌したまえよ。この私でも、こうして今生きているのだから」


 その言葉に俺は軽く頭を下げて、診察室を後にした。

 

 こうしてその日、四月六日。

 俺は心臓に時限爆弾を仕掛けられたのだった。

 タイムリミットは三年。

 俺は羽生結弦の五輪三連覇を見られずに死ぬのだ。別に特別スケートのファンってわけじゃないけど、そう考えるとなんか胸にすっと穴が開いたような気がした。

 これが死の恐怖というやつなのだろうか。


 ――だとしたら、うん、大したことは無い。

 この程度なら、耐えられる。慣れってものは怖いな。死の恐怖でさえと比べればマシだと思えてしまうのだから。

 

 病院を出ると、まだ冷たい風に運ばれた桜の花びらが舞っていた。視界一杯を薄紅に染め上げる桜は春の風物詩だ。

 決してそれは青色ではない。


 青い春。

 やっぱり意味が分からない。


 そこで、ふと思う。

 桜の花弁を青色に塗れば、俺は青春を過ごせるのだろうか。そうしてやってきた青い春の風に吹かれれば、俺は青春を過ごせたと言えるのだろうか。俺は死なずに済むのだろうか。

 一年後に同じような発想をした人間と出会う予感がしたけれど、きっと気のせいだろう。



 俺は青春の正体を探して、時は過ぎ。


 ――再び、春が訪れた。


 ちょうど昨日、開花宣言を受けた桜は一年前と変わらず咲き誇り、俺はその下を何の感慨も無く歩く。美しいと思えない光景を、美しく表現することは出来ない。

 成長も無く変わり映えのしない春。それの何が面白いのか、俺は全く分からない。

 

 ……気分が晴れるかと思ってわざわざ桜並木をくぐってみたものの、無駄足だったみたいだ。

 俺は始業式に向かうべく、校舎の方へ足を向け、見つける。発見する。


 昇降口へと向かう道の、その向こう。

 中庭の桜の大樹の下に放置された、古びた画架に立てかけられた絵画を。


 ――青い桜の花弁が咲く、間違いだらけのキャンバスを。


 俺の予感は、どうやら的中したらしい。

 

 


 


 



 

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