第81話「坊っちゃんの『彼氏』さんですよね」

「それでお話というのは?」


 いつものように、居間のテーブルの向かい側に座らせたウィメンズ・ティー・パーティーの3人に、俺は用件を尋ねた。


 12時頃になると、チカさんがお昼ご飯を作りに来るから、さっさと話をすませて、帰ってほしかった。


「そんなことよりサトシくん、もうすぐお昼なのにパジャマのままだなんて……いくら夏休みだからってダラダラするのよくないよ」


 なのに、サアヤさんは余計な話をしたがる人だった。


「いやー、サアヤさん。今日の池川くんは体調が悪いらしいんですよー」


「え? そうなの?」


「え? ええ、そうなんですよ、夏バテかな? なんか全然元気が出なくて……」


「だ、大丈夫?」


 しめしめ、このまま体調悪いことにして、早めに話を切り上げさせて、さっさと帰ってもらうことにしよう……珍しくグッジョブだぞ、パーラー……


「いやぁ、今日はちょっと、本当に体調悪くて、できれば早く帰ってもらいたい……」


「でもサアヤさん、これ仮病ですよー!」


「うぐ……」


「お芝居が下手くそすぎてバレバレよね……」


 しかし、俺の小細工はパーラーとマッチにあっさりと看破かんぱされてしまった。


「そんな……仮病を使って追い返したいぐらい、私のことイヤになっちゃったんだ……」


 その上、サアヤさんが今にも泣き出しそうな顔をし始めた。


「あ……いや……その……」


 俺としては、サアヤさんのことを避けているのは事実だが、だからと言って、顔も見たくないとか、口も聞きたくないとか思うほど憎んでいるわけでもないし、とにかく人の恋路を邪魔しないでいただきたいだけなのだが、なんと言えば納得してくれるのかわからず、言葉に詰まってしまった。


 久々に見たサアヤさんはやっぱり美女だから、絶縁まではしたくないと思ったけど、でもカレンさんと仲を深めるのを邪魔してほしくはなかった。


 二律背反した感情を言葉にするのは一苦労、ああ、サアヤさんが大人しく「友達」でいてくれればいいのに、他の女の話をしたり、ちょっと避けたりしただけですぐ泣くんだもの、そんなものは「友達」とは呼びませんことよ……おわかり? サアヤさん……


 などと思っていても、口に出せるわけもなく、俺はやはり黙っていた。


「わかったよ、じゃあ手短に話すよ! 今度の週末に夏祭りがあるよね!」


 俺が黙っているものだから、サアヤさんが話を先に進めたが、泣くのをこらえているからか、語気は無駄に強かった。


「ああ、駅の辺りでやってるあれですか?」


「そう! その夏祭りのステージでアマチュアバンドが演奏できる時間ってのがあって、そこでウィメンズ・ティー・パーティーがライブをするから、ぜひ来てほしいなって、今日はそのお誘いに来たの!」


 サアヤさんはとんでもない早口で、一気にまくし立ててきた。


 さすがボーカルをやっているだけあって、息は長くもつようだった。


「え? それだけのためにわざわざ3人で押しかけてきたんですか? 別にラインでよくないですか?」


「だって、助兵衛すけべえ。あなた、ラインだったら往々にして、既読無視するじゃない」


「そうですよ、ボクたちは絶対に来るという言質げんちを取りに来たんですよ。さあ、来ますよね? 来るとおっしゃい!!」


「お願い! サトシくん! 絶対に来て!!」


 3人がかりで俺のことを責めてきたウィメンズ・ティー・パーティーだが、今回ばかりは断る正当な理由がある俺の勝ちだった。


「うん、無理だね」


「無理? なんでよ?」


 マッチにギロリとにらまれようとも関係ない、俺には断れる理由がある。


「なんでって……この土日は一泊二日で家族旅行に行くからね、土曜の夜は防府ほうふにいないんだよ」


 見えないからわからないが、俺は勝ち誇ったようなドヤ顔をしていたことだろう。


「またまたー! 誘いを断るために嘘ついてるんでしょう?」


「なんで嘘つく必要があるんだよ? 俺だってウィメンズ・ティー・パーティーのライブ、見れるんだったら見たいよ。でもしょうがないじゃない。今週末は本当に旅行なんだから……」


 パーラーにあらぬ疑いをかけられたが、週末に旅行に行くのは事実なのだから、俺はいっさい動じない。


 ライブを見られるなら見たいというのも嘘ではない、俺は音楽ファンだから、タダでライブを見られるのならばぜひ見たい、しかし、今週末は本当に家族旅行なのだ、残念でした……


「どこに行くの?」


「え?」


「行き先ぐらい教えてくれてもいいじゃん、サトシくん」


 サアヤさんにそう言われて、俺は一月半ほど前の、広島での出来事を思い出して、戦慄した。


「それは絶対に教えられません」


「え? なんで?」


「なんでって、教えたらあんた来るでしょう!? クレナお嬢との日帰り旅行ならまだしも、家族との一泊二日旅行であんたが乱入してきたら、いい迷惑なんですよ!」


「う……」


 俺が思わず声を荒らげた上、「あんた」呼ばわりしたからか、サアヤさんがまたしても涙目になって、しかも、ほっぺたをふくらませた。


「いや、怒ってほっぺたふくらませるとか、あんた、子供かよ!」


「そんな、ひどい……」


 俺のツッコミを聞いたサアヤさんの瞳から、涙が一筋流れた。


「あー、池川くん、泣ーかした、泣ーかした、せーんせいに言ってやろ!」


「いや、お前も子供かよ!!」


 俺は、例の歌を歌い出したパーラーに、的確なツッコミを入れた。


「教えたら来るってことはつまり、防府から気軽に行けるような場所に行くってことよね。行き先は決して、北海道とか沖縄とか、東京、名古屋、大阪とかじゃないわね」


「う……」


 マッチの的確な推理に、俺は思わずうろたえた。


「防府から気軽に行ける観光地と言えば、まあ九州のどこかよね」


「うぐ……」


 あっさり九州に行くことを見破られ、俺はまたまた動揺した。


「そのリアクション……やはり行き先は九州ね……」


「九州で一泊二日ですかー……行き先は別府べっぷ温泉とかですかねー?」


黒川くろかわ温泉かも?」


「それとも、武雄たけお温泉ですかねー?」


由布院ゆふいん温泉?」


 なぜか九州の温泉の名前を連呼するパーラーとマッチ。


 しかし、さしものマッチとパーラーも、今週末の家族旅行の行き先と宿泊先を言い当てることは不可能だった。


 なぜならば、今週末に行くところは、普通の人にとっては「観光地」でもなんでもない場所だからだ……そもそも宿泊場所も温泉じゃないし……


「わかったよ……いくら私でも家族旅行に乱入するなんて、非常識なことはしないし、防府にいないんじゃあしょうがないよね。夏祭りのライブに来てもらうことは諦めるよ、ただね……」


「ただ?」


「お盆は防府にいるよね? お盆にまたあのライブハウスでライブやるから来てほしいの、はい、これ、チケット」


 サアヤさんがチケットを差し出してきたので、俺は素直に受け取った。


 そのライブの日付は、お盆のど真ん中の8月15日だった。


「わかりましたよ、このライブには行きますから、今週末は勘弁してください」


「うん、わかったよ」


「間違っても旅行についてこないでくださいね!」


「わかってるって、そんな非常識なことしないよ……」


「今度ついてきたら、本当に絶交しますからね!」


「わかってるって……私ってそんなに信用ない?」


「ないです!!」


 俺が断言したら、サアヤさんの表情は怒りと哀しみが入りまじった複雑なものになった。


「わかったよ……それじゃあ、もう帰るね。行こう、パーラー、マッチ」


「あ……」


 さすがに言い過ぎたかなと思った俺が引きとめる間もなく、サアヤさんは立ち上がって玄関の方に歩いていき、パーラーとマッチもそれに続いた。


「いやー、まさかここまでこじれてるとは思いませんでしたねー!」


「これをくっつけるのは骨が折れるわね……」


 パーラーとマッチは恐らく俺に聞こえるように、わざとデカい声で意味深なことを言ってから、去っていった。


「あら、あなたたちは?」


「あ、あなたは……」


「おや、こちらの美女はどなたですか? まさか池川くんの新恋人?」


「違うよ、パーラー。この人は池川くんのお父さんの恋人だよ」


「ああ、池川くんのお母さんはだいぶ前に亡くなってたんですよねー、たしか」


「えーと、皆さんは坊っちゃんの友達ですか?」


「プフッ……家では『坊っちゃん』って呼ばれてるの、助兵衛……」


「え? スケベ?」


 居間にいても聞こえるほどの声でやり取りするものだから、3人がチカさんと遭遇したことはわかった。


 わかったけれども、ここで玄関に急行して、むりやり追い出すようなことをすれば、またまたサアヤさんとの関係がこじれることに……ていうか、チカさん、今日は家に来るのがいつもより早くないか? なんで、こんな日に限って……


「ああ、そう言えば、今週末、池川くん、家族旅行に行くって言ってたんですけど、本当ですか? 本当だとしたら行き先はどこですかー?」


 パーラーのこの言葉を聞いた俺は、迷わず玄関にダッシュした。


 目的はもちろん、チカさんの口を封じるためだ。


「ええ、本当ですよ、行き先は……」


「ちょっと待って、チカさーん!!」


小倉こくら競馬場です」


 俺の猛ダッシュ、まく追込おいこみはギリギリのところで届かなかった。


 俺はまるで、最後まで諦めない高校球児のように、玄関にヘッドスライディングしてしまっていたが、そんな俺のことを、みんな無視して、話を続けていた。


「小倉競馬場ですか?」


「ええ、池川家では毎年、小倉記念を家族で見に行くのが決まりなんですよ」


「そうなんですかー」


「なるほど、小倉競馬場ね……」


 家族旅行の行き先を知ったパーラーとマッチのことを見上げると、いかにも悪そうな表情をしていた、何か悪巧みを思いついたみたいな……


「それじゃあ、おじゃましました」


「あら、もうお帰りになるんですか?」


「ええ、もう用はすんだので……失礼します」


「おじゃましました」


 サアヤさん、パーラー、マッチの3人は、わざわざ玄関までやって来た俺のことを無視して、さっさと帰っていった。


 俺は何も言えず、とりあえず立ち上がった。


「どうしたんですか? 坊っちゃん」


「いや……なんでもないよ……」


 まさか、「なんで言っちゃうんだよー!」などと、チカさんのことを責めるわけにもいかず、さっさと部屋に戻って着替えようとしたら、チカさんに呼び止められた。


「ところで坊っちゃん。さっきの坊っちゃんの『彼氏』さんですよね、女の子の格好してましたけど……」


 そうだった……俺のことを「ゲイ」だと勘違いしている人がここにもいるんだった……


「安心してください、坊っちゃん。私、わかってますから、今はトランスジェンダーってのがいるんですよね……」


 もう、いい加減、誤解とかないとな……


「いや、チカさん。それ、誤解だから……」


「あ、ごめんなさい。坊っちゃんの『彼氏』さんはトランスジェンダーじゃなかったんですね……じゃあ、なんて言うんですか? 私、不勉強なものですから、ぜひ教えてください」


「いや、だから、そうじゃなくてー! あの人は松永サアヤさんと言って、生まれた時から女! ずっと女! 立派な女! 俺とキスした時は髪切ってベリーショートにしてただけ!」


「え? そうなんですか?」


「そう! だから俺はゲイじゃない! ノンケもノンケ、超ノンケ!!」


「そ、そうだったんですか……じゃあ、坊っちゃんにできたのは『彼氏』じゃなくて、『彼女』だったんですね……」


 ああ、それはそれで誤解なんだよな……もうここまで来たらヤケだ、ヤケ……


「違う! サアヤさんは俺の『彼女』じゃない!」


「え? でも、ここでキスしてたじゃないですか? それなのに『彼女』じゃないって、どういう……」


「いやだなぁ、チカさん! 今時の高校生は友達同士でもキスしたりするんだよ! それぐらい普通! 普通!!」


 正直に「サアヤさんにむりやり唇を奪われた」と言えばよかったのかもしれないが、なぜか言う気にならず、豪快に嘘をついた。


「え? そうなんですか?」


「そうなんだよ! 今そういうのが流行ってるの!!」


「本当ですか?」


「本当だよっ!! ていうか、もうその話はいいでしょ! 所詮俺は彼女のいない童貞高校生なんだよっ!! それでいいじゃん、もうこれ以上、あれやこれや詮索してこないでよっ!!」


「あ……ど……童貞……」


 俺の捨て身の勢いに気圧けおされたのか、チカさんはもはや何も言ってくることはなかった。


 しかし、チカさんのせいで、今週末の楽しい家族旅行に暗雲が立ち込めたのは事実だ。


 だからと言って、小倉記念を見に行くのは池川家の伝統行事だから、行き先を変えてもらうわけにもいかないし、どうすれば……って、別にいいか……小倉競馬場と言えどもめちゃくちゃ広いんだから、仮にサアヤさんが来ちゃったとしても、偶然出会う可能性なんて極めて低いさ、大丈夫、大丈夫……多分……大丈夫……


 俺は様々な想いを抱えながら、自分の部屋に戻って、服を着替えた。

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