第60話「サトシという名前の由来」

 あき亀山駅から車で15分か20分ぐらいかかるところに、俺の母方の祖父母の家である、高橋家があった。


 別に特筆することもない、日本のどこにでもあるような木造2階建ての住宅である。庭も特に広くはないし、田んぼや畑があるわけでもない。


 母の旧姓が「高橋」で、親父の名前が「慶彦(よしひこ)」だから、おじいちゃんおばあちゃんはよく「慶彦さんがうちに婿入りしてたら、『高橋慶彦』になってたんだよー」と言って笑っていたが、俺にはそれの何が面白いのか、意味がさっぱりわからなかった。


 車に乗っていたのは、俺とおじいちゃんだけで、おじいちゃんは無口というほどではないが、積極的にしゃべる人ではないので、車の中ではほとんど会話はなかったが、別に気まずくはなかった。


「ああー、サトシ、よう来たねー。お正月ぶりかねー。また少し大きゅうなった?」


 おじいちゃんと違って、おばあちゃんはよくしゃべる人なので、俺が高橋家に入るなり、大きな声で話しかけてきた……まあ、さっきのサアヤさんよりは小さい声だったけども……


「いや、もう高校生だから、そんな急に大きくなったりしないよ」


「そうよねー、サトシが高校生になってからは、初めて会ったんよねー。あんなにちっちゃかったサトシが高校生になるなんて、ばあちゃんも年を取るわけよねー、ハッハッハッ」


「サトシはすごい進学校に入ったんじゃろう? 偉いのう」


 おじいちゃんとおばあちゃんの正確な年齢は知らないが、多分70歳前後のはずで、おじいちゃんは普通のサラリーマン、おばあちゃんはパートだったらしいが、今は二人とも働いていなくて、年金暮らしらしかった。


 俺の記憶が確かならば、おじいちゃんの名前は「高橋孝太郎(たかはしこうたろう)」、おばあちゃんの名前は「高橋咲子(たかはしさきこ)」だったはずだ。


「それじゃあ、まずは仏様にご挨拶を……」


 俺はそう言って、高橋家の仏間にある仏壇の前に行き、お線香をあげて、お鈴を鳴らし、手を合わせた。


「サトシは今時の子にしては珍しく、信心深いんじゃねー」


 おばあちゃんにはそう言われたが、信心深いというよりは、今は亡き母を思慕しているがゆえの行動だった。


 若くしてガンで亡くなってしまった、俺の母・池川遥(いけがわはるか)は、池川家に嫁に来たのだから、当然、位牌や遺影があるのは防府(ほうふ)の池川家の仏壇だし、遺骨も防府の池川家の墓に納められているのだが、高橋家の仏壇にも、母の写真だけは飾ってあった。


 そして仏壇には、母の写真だけでなく、ピ○チュウのミニサイズのぬいぐるみも飾ってあった。


 嘘みたいな本当の話なのだが、俺の「サトシ(漢字で書くと「智」)」という名前の由来はポ○モンなのだ。


 というのも、俺の母が生前、ポ○モンが大好きで、俺を妊娠している時も、ひたすらポ○モンのゲームをプレーしまくっていて、アニメもビデオテープに録画して何度も繰り返し見ていたらしく、それで主人公の名前をいただいて、俺に「サトシ」と名付けたらしいのだ。


 なんでも陣痛が来ている時も、ゲームボーイを手放そうとしなくて、お医者さんに怒られるほどにハマっていたらしい。


 だから仏壇に、母が好きだったらしいピ○チュウのぬいぐるみが置いてあるのである。


 俺はその話を物心ついてからわりとすぐに知らされて、「そうなんだー」とは思ったが、別に不快には思わなかった。


 でも、だからと言って、特に嬉しいわけでもなく、俺は母とは違って、ポ○モンにハマることなく、高校生になってしまった。


 だから、有名なピ○チュウ以外のポ○モンはまるで知らなかった。


 ポ○モンを見る度に、かすかな記憶しかない母のことを思い出してしまうから、逆にプレーすることができなくなってしまったのかもしれない……


「あの子が亡くなってから、もう12年も経つんじゃねー、お父さん」


「そりゃあサトシも大きゅうなるわけよ」


 そんな、仏壇でのご挨拶を終えたのち、俺は居間で、おじいちゃんおばあちゃんと談笑した。


「今日は残念だったねー、せっかく野球見に来たのに中止になってー」


「うん」


「ところでサトシ、お腹空いてない? 何か食べる?」


「あ、そう言えばお昼ご飯食べてない……」


「そうなん? じゃあ、ばあちゃんが作ってあげるけえ、待っとって……」


 いつもはおばあちゃんの「お腹空いてない?」攻撃は、正直うざったかったりもするのだが、今日は実にありがたかった。


 おじいちゃんおばあちゃんにとって、俺の母は一人娘で、当然、孫も俺一人だけなので、二人は俺のことを溺愛していて、子供の頃から叱られたり怒られたりしたことは一度もなく、常に全肯定されていた。


 俺としても、池川家の方のおじいちゃんおばあちゃんはすでにお空の上なので、高橋家のおじいちゃんおばあちゃんにはとことん甘えることにしていた。


 そういう関係だからこそ、試合が中止になったのをいいことに、いきなり来ちゃったわけで……


「最近のカーズは強いからテレビで試合見てても楽しいんよねー」


「でも強すぎるせいで、全然チケットが取れんくなってのう。サトシ、よくチケット取れたのう」


 俺はおばあちゃんが作ってくれた和食のお昼ご飯を食べながら、おじいちゃんおばあちゃんと談笑していた。


 もし、試合が中止にならなかったら、もしくはクレナお嬢たちと一緒に広島観光していれば、もっと豪勢な昼食だったのだろうが、おばあちゃんの手料理はとてもおいしく、俺は充分に満足していた。


 特に味噌汁がうまい。


「ああ、高校生になってから、カーズにコネのある子と友達になってさ、チケットがなくても試合を見られるようになったんだよね」


「あらー、それはよかったねー」


「そうか、そんなすごい友達ができたんかー」


「うん、なんでもヤマダ自動車の社長令嬢らしくて……」


「はあー、そんな上流階級の人と、お友達になったんかねー。すごいねー、サトシ」


「うん、同じクラスの前の席の子がそうでさ……」


 おじいちゃんおばあちゃんたちと積もる話をしていると、時間はあっという間に過ぎていった。


「あ、宝塚記念、見んと……」


「もう、お父さん、サトシがいるのに競馬なんか見んでも……」


「いや、おばあちゃん、俺も競馬好きだから見たいよ」


「そう、じゃあ、みんなで見ようかー」


「おう、サブちゃんの馬が勝つとこ見ようで」


 そんなわけで、おじいちゃんが競馬好きだったので、テレビでリアルタイム視聴できた宝塚記念。


 俺とおじいちゃんは当然、単勝1.4倍のキタサンブラックが勝つと思ってレースを見ていたのに、キタサンブラックはなぜかまったくいいとこなく9着に敗れ、勝ったのはサトノクラウンだった。


「あらまあ、サブちゃんの馬、負けちゃったねー」


「まったくいいとこなしじゃったのう……」


「ホント、まさかあんな負け方するなんて思ってなかったからビックリだよ……」


 本当に世の中何が起こるかわかったもんじゃないな……


 宝塚記念を見終わったあとも、おじいちゃんおばあちゃんととりとめのない話を続けたが、クレナお嬢たちと18時に広島駅で待ち合わせしているので、16時半頃にはもう高橋家を出ないといけなかった。


 せっかく来たのに、わずか2時間ほどしか滞在できなくて、残念だった。


「あらー、もう帰るんかねー、ばあちゃん、さみしいよー」


「うん、本当はもうちょっといたいんだけど、友達と広島駅で待ち合わせしてるから、ごめんね」


「こっちこそ、ごめんねー。もうちょっと広島駅に近いところに住んどったらよかったんじゃけど……」


「うん、まあ、それはしょうがないよ……それじゃあ、また今度会いに来るから、元気でね」


「うん、じゃあこれ、少ないけど受け取って」


 おばあちゃんはそう言って封筒を差し出してきた。


 その中に何が入っているのか、俺にはもちろんわかっていた。


「おこづかい」という名の現金だ。


「え? そ……そんな……悪いよ」


 俺は日本人らしく、一度は辞退の姿勢を見せたが……


「いいの。ばあちゃんたちはもう死ぬだけじゃけえ、お金なんか持っててもしょうがないんよ。受け取って」


「じゃ……じゃあ、遠慮なく……」


 もちろん本当はハナから受け取る気満々だったので、わりと早めに受け取った。


 正直に申せば、おじいちゃんおばあちゃんちに行けば、必ずおこづかいがもらえるから来たというのも、まったくないわけではなかった。


 もちろん、お金だけが目当てで来たわけでは、決してないが……


 断じて違う……


「うん、またいつでもいいから来てね、今日みたいに急に来るのも大歓迎よ、ばあちゃんたち、今はもう、だいたい家におるけえね」


「うん、また来るよ。それじゃあね」


「うん、バイバイ」


 俺はおばあちゃんに求められたので、がっちり握手をしてから別れた。


 なぜかおばあちゃんは車に乗ることはなく、俺はまた、おじいちゃんと二人だけで車に乗って、あき亀山駅に向かった。


「ところで、サトシは高校で、なんか部活に入っとるんか?」


「いや、今のところ、帰宅部だよ」


「そうか」


「でも、今、部活に勧誘されてて入ろうかどうか迷ってるところなんだ」


「ふーん」


 おじいちゃんはそれ以外、特に何もしゃべることなく車を運転し、何事もなく無事に、あき亀山駅に到着したので、俺はおじいちゃんに「じゃあ、また。さようなら」と挨拶をしてから、車を降りた。


「あ、サトシくん、お帰りー」


 そんな俺を出迎えたのは、数時間前と同じように、駅舎の屋根の下に突っ立っていたサアヤさんだった。


 ま、まさか、この数時間、ずっとここに立ち続けて、俺が帰ってくるのを待っていたというのであろうか?

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