第59話「違います、私は松永サアヤじゃありません」

「ち、違います……私は松永サアヤじゃありません」


 その怪しい女性は、自分が松永サアヤであることを否定し、俺とぶつかった衝撃で外れて、ホームに落ちてしまったらしい、サングラスを拾ってかけた。


 目深に被った野球帽に、サングラスとマスクで完全に不審者スタイルになってしまったサアヤさん。


 よほど、自分が松永サアヤだとバレたくなかったのか、声色まで変えていたが、俺にはバレバレだった。


「いや、今、俺『サアヤさん』としか言ってないのに、『松永サアヤじゃありまさん』ってフルネーム言っちゃってる時点で完全にサアヤさんですよね。帽子被ってても、髪の毛が短くて、おっぱいが大きいからバレバレですよ」


「う……」


 俺の的確な指摘に、サアヤさんはわかりやすく動揺した。


「なんで広島にいるんですか?」


 俺の問いにサアヤさんはすぐには答えなかった。


「サアヤさん!」


「ちっ……バレちゃあ、しょうがないなー。ああ、やっぱり6月にマスクは暑いよねー」


 俺が語気を強めると、サアヤさんはあっさり自分が松永サアヤであることを認め、帽子を脱ぎ、サングラスとマスクを外し、素顔をさらした。


「いや、そんなことより、なんでサアヤさんが広島駅にいるんですか?」


「ホント、偶然だよねー。防府ほうふ駅ならともかく、広島駅でサトシくんと会うなんて、これがいわゆる『運命』ってやつなのかなー……なんて、アハハ、アハハ」


 サアヤさんは笑ってごまかすつもりらしいが、俺の胸はもちろん疑念でいっぱいだった。


 しかし、それを問い詰めようとした時、「4番線より可部線かべせん、あき亀山行き、間もなく発車いたしまーす」とアナウンスが聞こえてきた。


 すでにおばあちゃんに電話して、車で迎えに来てと頼んでいる以上、ここで電車に乗らずにサアヤさんのことを問い詰めるという選択肢はない。


 可部線は数時間に1本しか来ないような閑散路線ではないが、これに乗らないと、次の電車が発車するのは20分後だから乗るしかなかった。


「それじゃあ俺、この電車に乗るんで、今日のところは失礼しますね」


 俺が、あき亀山行きの普通電車に発車ギリギリのタイミングで乗ると、なぜかサアヤさんもほとんど駆け込み乗車のような感じで同じ電車に乗り込んできた。


「って……なんでサアヤさんも乗ってるんですか?」


 俺は椅子に座れなかったので、吊り革に掴まりながら、サアヤさんに問いかけた。


「なんでって、私も元々この電車に乗るつもりだったからに決まってるじゃん。あのね、今日の私はね、小学生の時に同じクラスだったんだけど、引っ越しちゃって、今は広島に住んでる女友達に会いに来たんだよー。決して、あのお嬢様と野球観戦デートをするサトシくんのことが気になって、広島まで追いかけて来ちゃったとか、そんなわけじゃないから安心してー」


 正直、こういうのを「問うに落ちず、語るに落ちる」って言うんだろうなと思ったが、すぐに糾弾するのもアレなので、しばらく泳がせてみることにした。


 徳山駅から広島駅は新幹線だとたったの21分で着くというのに、広島駅からあき亀山駅までは、途中たくさんの駅に停車したり、可部線が単線で、途中の駅で列車交換する必要があったりすることもあってか、約45分もかかるので、退屈しのぎに、ちょっと意地悪してやろうと思ってしまったのだ。


 サアヤさんにはいつも振り回されてばかりだし、何より、合意していないのに不意討ちでファーストキスを奪われた件があるので、少しぐらい意地悪してもバチは当たらないと思った。


 俺だって、いつもいつでも守りに徹しているわけではなくて、たまには攻撃する側に回るのだ。


「ふーん……その女友達ってどこに住んでるんですか? 何駅の辺りに?」


「何駅? え……ええとー、そ……そういうサトシくんは何駅で降りるの?」


「何駅って……終点のあき亀山駅ですけど……」


「へえー、偶然だねー。私の友達もその駅の近くに住んでるんだよー。じゃあ、終点まで一緒だねー。う、嬉しいなー」


 サアヤさんの表情はどんどん焦りを帯びたものになり、こめかみには脂汗が浮かび、口調も棒読みになりつつあった。


 面白い……まだまだ攻めてやろーうっと……


「いや、友達の家の最寄り駅の名前覚えてないっておかしくないですか?」


「え? あー、いやー、来るの久しぶりだから、ちょっと名前をド忘れしちゃってただけだよー。前にその駅で降りたの2年ぐらい前の話でさー……」


「え? あき亀山駅は今年の3月に開業したばかりの新駅ですけど?」


「え!?」


 俺の改心の一撃を食らったサアヤさんは、両手で吊り革にしがみつきながら、驚愕の表情を浮かべていて、俺は笑いをこらえるのが大変だった。


「前から思ってましたけど、サアヤさんって、嘘つくの下手くそですよね……」


「え? 何言ってるの、サトシくん。私、嘘なんかついてないよ! 今日は本当に、中学生の時に引っ越した友達に会いに来たんであって……」


「さっき、小学生の時に引っ越した友達って言ってませんでしたっけ?」


「う……」


 サアヤさんはあまりに弱すぎて、意地悪のし甲斐もないなと思ったので、そろそろ本題に入ることにした。


「サアヤさん、なんで嘘つくんですか?」


「う……嘘なんかついてないよ! ちょっと記憶違いをしてただけで……」


 サアヤさんが素直に罪を認めないものだから、俺はカチンと来てしまった。


「ああ、そうですか……まあ、別にいいですけど……俺、バカがつくほど正直な人が好きなんですよねー、息を吐くように嘘をつくような人はちょっと、信用できないから嫌いだなー」


「う……」


 俺は普段、息を吐くように嘘をついてしまう自分のことは棚に上げて、サアヤさんのことを責め始めた。


「お嬢は嘘つかないから、どっかの誰かさんより信用できるんだよなー。もう、俺、お嬢と付き合っちゃおうかなー」


 今日の俺は、野球が中止になったのが残念だったからか、はたまたサアヤさんが広島まで追いかけてきたことに、相当イラついていたのか、ついつい激しい口撃をしてしまった。


「だから嘘なんかついてないって!! 本当に友達に会いに来たんだってばっ!!」


 俺の口撃が激しすぎたからか、サアヤさんが電車内で大声を出してしまったものだから、他の客の注目を浴びてしまった。


 日曜日のお昼に、都市部から郊外に行く電車だから、客は少なめだったが、恥ずかしいものは恥ずかしかった。


「お……大声出さないでくださいよ、サアヤさん。他のお客さんに迷惑でしょうが」


「サトシくんがあらぬ疑いをかけてくるから悪いんでしょ!! だいたい私にばっかりどこに行くか聞いてくるけどさー、サトシくんはどこに行くの!? 女のところ!?」


 俺が意地悪しすぎたせいで、サアヤさんは怒ってしまったらしく、今まで聞いたこともないような、怒気のこもった早口でまくし立ててきた。


 いかんせん、サアヤさんはバンドのボーカルだから、大きな声を出せてしまうのである。


 電車内にいる、他のお客様の視線がいよいよ冷たくなってきた……


「だから声をおさえてくださいって……このままだと追い出されちゃいますよ……」


「知らない!! そんなことより質問に答えてよ!!」


 サアヤさんを黙らせるためには、大人しく言うことを聞くしかなかった。


「お……俺はおじいちゃんちに行くんですよ。女のところになんか行きません」


「ふーん、そうなんだ。私はてっきり、愛人かどっかの家に行くんだと思ってたよ!!」


「いや、愛人て……俺、結婚してないどころか、カノジョさえもいないのに……」


「フン!! どーだか!?」


 サアヤさんはその言葉を最後に、ようやく黙ってくれたものだから、俺たちは車掌さんに怒られたり、電車を追い出されたりせずにすんだ。


 途中で、近くの席が空いたので座ったら、なぜかサアヤさんが隣に座ってきたが、依然として、何もしゃべることはなかった。


 怒っているはずなのに、隣に座ってくるとか、本当に女の子の心は複雑怪奇で、俺にはわけがわからなかった。


 ていうか、そもそも広島まで追いかけてきたサアヤさんに対して怒りの感情を覚えるのは、俺に与えられた当然の権利だと思うのだが、結局、サアヤさんの方が怒ってるってどういうことだよ?


 逆ギレじゃん……うーん……


 とは思いながらも、「こんな自分勝手で、めんどくさい、迷惑女とは二度と関わり合いににならないぞ。金輪際、縁を切ってやる」などとは決して思えない俺も大概、お人好しだった。


 お人好しというよりは、ただ女好きなだけなのかもしれない……


 だから、いろんな女の子に振り回されている現状を、迷惑に思うふりをしながらも、実際は楽しんでいるのではなかろうか?


 うーん……


 閑話休題、可部線は広島駅から北へ北へと向かう路線だが、北上すればするほどに乗客はどんどんどんどん減っていき、終点のあき亀山駅まで乗っていたのは、俺とサアヤさんの他には、熱狂的な鉄道ファンと思われる人など数名だけであった。


 俺はICカードを使って改札を抜けて、駅舎の屋根の下で雨をしのぎながら、おじいちゃんおばあちゃんが車で迎えに来るのを待っていた。


 なぜかそんな俺の右隣にサアヤさんが立っていたが、依然として怒っているのか、だんまりを決め込んでいた。


「サアヤさん、お友達に会いに行くんじゃないんですか? 何、駅前で突っ立ってるんですか?」


「そういうサトシくんこそ、おじいちゃんちに行くんじゃないの!? さっさと行きなよ!!」


 久しぶりにしゃべったサアヤさんは、ガールズバンドのボーカルらしい大声でシャウトしてきたので、俺はビックリしてしまった。


「いや、おじいちゃんちは歩いて行ける距離じゃないんで、車で迎えに来てもらうことになってて……」


「奇遇だね!! 私の友達の家も歩いて行ける距離じゃなくて、友達のお父さんが車で迎えに来てくれることになってるんだー!! どっちの車が先に来るかなー!? 楽しみだねー!!」


「いや、声が大きいですよ、サアヤさん……」


 俺にはサアヤさんがやけくそになっているとしか思えなかった。


 それぐらい非常識な大声で叫んでいて、新駅を見学に来たと思われる鉄道オタクの皆さんに、変な目で見られてしまって、実に恥ずかしかった。


 サアヤさんも彼らの視線に気づいたのか、俺が注意してからは黙ってくれたが……


 やがておじいちゃんの運転するミニバンがあき亀山駅前に現れて、俺はそれに乗り込んだが、サアヤさんはもちろん、駅前に突っ立ったままだった。


 こんな、住宅以外、何もないようなところでどうするんだろうとは思いつつも、サアヤさんをおじいちゃんおばあちゃんちに連れていくと、クレナお嬢を連れていくよりもややこしいことになるに決まっているので、連れていくわけにはいかなかった。


 俺は、あき亀山駅前に立ち尽くすサアヤさんのことをサイドミラーで確認しながらも、もはやどうすることもできず、おじいちゃんの車の助手席に大人しく座っていた。

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