第26話「野球を見に行きましょう、サトシ様」

 いろいろあった、ありすぎた4月もついに月末を迎え、ゴールデンウィークに突入した29日土曜日の夜。


 こんな夢を見た。


「イケガワ……これ、目覚めなさい、イケガワ……」


 例によって、夢の中で何者かに起こされる俺。


 いつもだったら意地でも目を開けないけど、今日は開けてしまった。


 なぜならば、その何者かの声が女性の声だったからだ。


 あの自称・天神さまの声だったら絶対無視したけど、女性の声ならすぐ目覚める。


 我ながら現金だとは思うが、仕方がない、俺は男だ。


 目を開けた時に見えたのは、和装に流麗な黒髪を頭の上で結った、例えるならば、竜宮城の乙姫様のような美女だった。


「あら、今日はあっさり目覚めたわね」


「ん? 今日は?」


「ああ、いやいや、こっちの話……それよりイケガワ。お主、何か大事なことを忘れていませんか?」


 乙姫のような美女は俺の疑問を無視して、話を勝手に先に進めた。


「大事なこと……って、あっ!!」


 乙姫のような美女……めんどくさいので、ここからは「乙姫」と表記することにいたすが……に言われた俺はようやく思い出した。


 あの自称・天神さまに、「毎月1回は防府天満宮ほうふてんまんぐうに参拝しないと、カースト最下位に転落して、学校中の人たちに嫌われて、人生終了になる」と言われていたことを。


「あれ? でも今月はすでに参拝済みでは?」


「それは天神さまと約束をする前の話なので無効です。天神さまと約束してからはまだ参拝していないでしょう。ですから4月の最終日である明日、必ず参拝に来なさい。でないと天神さまのお言葉通り、あなたに災いが起こることになるでしょう……」


 そ、それは困る……


「ご存知の通り、天神さまは御所に雷を落とせるほどの負の力の持ち主。あなた一人の人生を潰すことなどたやすいのですよ。ですから明日は必ず参拝に来てくださいね」


「は、はい……わかりました」


 乙姫はすさまじい圧力で俺に参拝を迫ってきたが、幸い、明日は日曜日。


 参拝に支障はない。


「明日必ず行きますよ……ところで、一つ質問なんですが」


「なんですか?」


「あなた、いったい誰なんですか? たしかにあの自称・天神さまのおじさんは『もし本当にお主が最下位に転落しそうな危機的状況の時には、ちゃんと夢に出てきて警告してあげるからね』と言っていましたけれども……」


「ウフフフフ。私が誰かなんて別にどうでもいいことではありませんか」


 乙姫は俺の質問を笑って受け流した。


「そうは言われても、気になるものは気になります」


「そうですねぇ……あえて申すならば、わたくしは天神さまからの使者と言ったところでしょうか……」


「使者?」


「あ、みんなの笑顔が近いので、私はそろそろおいとまいたしますわね。とにかく、今日は何がなんでも防府天満宮へ行くのですよ。ま、お主、休日はいつも暇そうだから、大丈夫だと思うけど……」


「あ?」


「じゃあ、まったねー、バイバーイ!!」


 今までずっと堅い口調で話していた乙姫だが、なぜか最後だけはとても軽薄だった。


 手を振りながら去っていく乙姫を、俺も手を振りながら見送った。


「あれ、絶対、正体は……だよな」


 と、思いながら……






「親父、ちょっと出かけてくるから」


 そんなわけで、防府天満宮へ向かうことにした俺。


 親父は自営業なので、ゴールデンウィークでも休みは日曜日だけで、今日は本当は京都競馬場に天皇賞(春)を見に行きたかったらしいが、チカさんに「ダメです。ただでさえ毎日お忙しいのに、日帰りで京都に行ったら、お体壊してしまいますよ」などと言われたので、大人しく家にいた。


「おお、そうか。暗くなる前に帰れよ」


「うん」


 もちろん、高校生の男子がどこへ行こうと自由なので、行き先や目的をあれこれ詮索されたりはしない。


 俺が娘だったらあれこれ言われたのかもしれないが、男だから気楽なものであった。


 俺は自転車に乗って、防府天満宮へと向かった。






 そして、たどり着いた防府天満宮。


 別に超有名な観光地というわけでもないので、ゴールデンウィークの日曜日と言えども、人影はまばらだった。


 まあ、そっちの方が俺は嬉しいけど……


 ちゃんと手水舎ちょうずやで手を洗ってから、本殿に入ると、そこには意外な人物がいた。


「神様、『高校に入学したら、モッテモテになりますように。たくさんの女の子をはべらせたハーレム学園生活を送りたいんジャー!』という私の願いをなぜ叶えてくださらないのですか? 今のところモッテモテどころか、大半の女子に嫌われているような気がするのですが……」


 そう、自称・公家くげの子孫の野球部員・姉小路あねがこうじミツグだ。


 ていうか、入学式の前日に「ハーレム学園生活」を願ったの、お前だったんかい!!


 そのせいで俺の学園生活がいろいろややこしいことになっておるのだぞ……


「ん? 君は池川くんじゃないか? なんでこんなところに?」


 お祈りを終えた姉小路が、俺を見つけて話しかけてきた。


「いや、神社なんだから、お祈りしに来たに決まってんじゃん」


 別に姉小路のこと嫌っているわけではないので、ちゃんと話をしてあげる俺。


「なんと! 君もモッテモテハーレム学園生活を願いに来たのかい!?」


「違うわっ!!」


 あれ? 違わないのかな?


 カースト最下位に転落するのが嫌でここに来たってことはつまり、現状のハーレム学園生活っぽいのを維持するために来たとも言えるわけで、それってつまり、俺と姉小路の願いは言葉は違えども、根本的には同じってことなのでは?


 いや、でも「カースト最下位に転落する」と脅されて、それを素直に受け入れるドMはそうそういないだろう。


 カースト最下位に転落するぐらいなら、神社に参拝した方がマシに決まってるよ。


 そう、俺は普通……別にハーレム学園生活を味わいたいわけではないのだ……


「あの……池川くん?」


 ツッコミで絶叫したあと、突然黙り込んだ俺を見て、姉小路が心配そうに顔をのぞき込んできた。


 近くで見るに、この姉小路もなかなかにイケメンではないか。


 野球部員だから短髪だけど、それでもわかる顔の綺麗さ、瞳の美しさ。


 それなのにモテないのは、「女の子にモテたい」などと、がっついているのが女子にうとまれているからだろう。


「あの? 大丈夫? 僕、なんか悪いこと言った? お願いだから、無視しないでほしいんだけど、池川くん……」


 いけない……これ以上、あれこれ考えていると、姉小路が泣いちゃいそうだぞ……


「あ、ああ、気にしないでくれよ、ミツグくん。ちょっと考え事してただけだから……」


「姉小路くん」と呼ぶのは文字数が多くてめんどくさいので、あえて下の名前で呼んだ。


「あ、ああ、そうなのか……それはよかった」


 姉小路はなぜかホッとしたような表情をしていた。


 俺にはそういう趣味は断じてないけど、まあ嫌われるよりは好かれていた方がいいよな、男にも……


「そんなことよりミツグくん。野球部の方はどうなの? 部員集まったの?」


 いい機会なので、野球部入部を断ったあの日以来、気になっていたことを聞いてみた。


「ああ、聞いて驚け。今現在、野球部の部員は12人だ」


「は? 12人? 過疎に悩む山間部の高校じゃあるまいに……」


 防府市は決して都会とは言えないが、野球部員を集めるのに苦労するほどド田舎でもない。


 やっぱりヤマダ学園は超進学校だから、運動部に入ろうとする人が少ないのだろう。


「知らないのか? 野球は9人あればできるんだぞ」


「いや、それは知ってるけれども……」


「安心しろ! エースで4番の僕さえいれば良い結果は残せる。試合に出ることさえできれば、ヤマダ学園は必ず甲子園に行けるのだ」


「はあ、そうですか……ていうか、甲子園目指してるんなら、なんでヤマダ学園に進学したの? 他のもっと野球の強い高校に進学した方が、甲子園に行ける確率は高いと思うけど……」


「ああ、そうかもな。でもそれじゃダメなんだ……チームの力で甲子園に行ってもモテないだろう?」


「は?」


「僕は僕のワンマンチームで、僕一人の力で甲子園に行きたいんだ! そうすれば、マスコミとかに派手に取り上げられて、めちゃくちゃ目立つ! 目立ちさえすれば、僕はモッテモテのハーレム学園生活を送れるんだ! だから僕はあえて野球の強豪校ではなく、ヤマダ学園に進学したのさ! 絶対行くぞ!! 甲子園に!! そして待ってろ! ハーレム学園生活ぅぅぅぅっ!!」


 な、なんて不純な動機で甲子園を目指しているんだ、こいつは……天神さま、こんなよこしまな高校球児にはぜひ天罰をくだしてやってください……


「おっと、もうこんな時間か……では、僕はこれで失礼するよ、池川くん。また明日、学校で会おうではないか! ハッハッハッ……」


 なぜか姉小路は高笑いをしながら去っていった。


 姉小路がいなくなったので、俺は改めて本殿を参拝した。


 天神さまとの約束通り、1円玉を賽銭箱に入れて、「お願いですから、カースト最下位転落だけはやめてください。あと、夢見る姉小路には、ぜひ現実を思い知らせてやってください」とお祈りした。






 その後は特に何もすることなく、防府天満宮の境内を散策した。


 防府天満宮の境内には神仏習合しんぶつしゅうごうの名残でお寺があったり、幼くして亡くなった明治天皇の娘の遺品が納められていたり、長州藩の第七代藩主・毛利重就もうりしげなりの銅像があったりした。


 しかし、散策するのに何時間もかかるような巨大な神社ではなく、結局、手持ちぶさたになった俺は、春風楼しゅんぷうろうの板張りの床に腰かけて、なんの代わり映えもしない、防府市の景色をボーッと眺めていた。


 今日もいつものように晴天で、吹き抜ける風は心地よいけれども、とても退屈だった。


 することが何もなかった。


 だからもう帰ろうと思った矢先……


「ロバータきょう。こちらが春風楼ですわよ。ここからはよい景色が見えますわ」


「Oh(オー) シュンプーロー!」


 聞き覚えのある声が聞こえてきた。


 もちろん誰なのかすぐにわかった俺だが、春風楼の出入口の石段は一ヶ所しかなく、逃げ場はどこにもなかった。


 まさかクレナお嬢から逃げるために、楼閣から飛び降りるわけにもゆくまい……


 ていうか、命懸けで逃げなきゃいけないほど、クレナお嬢との関係が悪化しているわけではないし、クレナお嬢はサアヤさんほど強引に迫ってくるわけでもないし、別に逃げる必要なんてなかった。


「あら……誰か座ってますわね」


 お嬢は床に座る俺の顔をのぞき込んできた。


「……って、サトシ様! サトシ様じゃありませんの!!」


 すごいなー、顔をのぞき込んで知らない人だったらどうすんだろう?


 と、思ったけれども、お嬢の前でいつものように考え込むわけにはいかないので、話をした。


「やあ、クレナお嬢、こんなところで出会うなんて偶然だね」


「いやだ、サトシ様ったら! これは偶然ではなくて必然! 運命なんですのよ、Destiny(デスティニー)!!」


 クレナお嬢はそう言いながら、俺の右隣に腰かけた。


 ロバータ卿と会話できるレベルだから、クレナお嬢の英語の発音はネイティブにとても近かった。


「運命かどうかはさておき……なんで、お嬢が防府天満宮にいるの? お嬢のことだからゴールデンウィークは海外で過ごしているものとばかり思っていたけど……」


「あらやだ、サトシ様。日本文化と日本語を学びに来ているロバータ卿がいるのに、海外旅行なんかしてしまっては本末転倒ではございませんか」


 そうだった。


 ロバータ卿は山田家の豪邸にホームステイしているんだった。


「コンニチハ! Satoshi(サトシ) summer(サマー)」


 クレナお嬢の右隣に座ったロバータ卿が俺に挨拶をした。


 ロバータ卿は相変わらず、俺のことを夏だと思っているみたいだった。


「今日はロバータ卿を、日本文化の代表格である神社にご案内しましたのよ。すっかりお気に召していただけたようで、わたくしも一安心ですわ」


「ハイ、Ginger(ジンジャー) スバラシイデスネー」


 来日して1ヶ月ほど経ったからか、ロバータ卿も少しずつ日本語が話せるようになってきていた。


 でも、まだまだ会話が成立するレベルにはなっていないので、神社のことを生姜呼ばわりしてしまうのである。


「日本文化と言えば、サトシ様。サトシ様は野球はお好きですか?」


 クレナお嬢は突然話題を変えてきた。


「野球? まあ、好きは好きだけど……」


「そうですか? では、どこのチームのファンでらっしゃいますの? やっぱりガイアンツ? それともタイタンズ? それとも福岡のホープスですか?」


「いや、俺は母が広島の人だから、子供の頃からずっとカーズのファンだよ」


「まあ、それはちょうどいい!!」


「ん? ちょうどいい?」


「今度、ロバータ卿と広島にカーズの試合を見に行きますのよ。サトシ様も一緒に行きませんか?」


「え? 今度っていつ?」


「5月7日の日曜日ですから、来週ですわね」


「急だな……でも、そんな急に思い立って、チケットとか取れるものなの? 今、カーズのチケットはプラチナチケットになってるって聞くけど……」


 そう、プラチナチケットになっているものだから、俺はかなり長いことカーズの試合を生で見ることができずにいた。


「フフフフフ。サトシ様、わたくしを誰だと思っておりますの? サトシ様もカーズファンなら、ご存知でしょう? カーズの正式名称」


「あ……」


 そう、カーズの正式名称は「広島ヤマダカーズ」


 カーズは市民球団なので、いわゆる親会社ではないけれども、ヤマダ自動車はカーズのスポンサーの筆頭格であり、球団の株も相当持っているのであった。


「そう言えば、球場の名前もヤマダスタジアム……」


「フッフッフッ。今頃お気づきになりましたの? そう、カーズとヤマダ自動車は深い関係ですから、わたくし、いつでも好きな時にカーズの試合を見に行けますのよ。わたくし、ヤマダスタジアム顔パスですからね、オホホホホ……」


 こ、これが金持ちの力なのか……


「それでどうなさいます? 嫌なら無理にとは言いませんけれども……」


「うーん、でも広島市に行くなら、親に相談してからでないと……」


 防府市内ならどこに行こうと自由だけど、さすがに親に無断で県外に行くほど、俺は破天荒ではなかった。


「そうですか……ところでサトシ様はカーズの選手で誰が一番好きなのですか?」


「そりゃあもちろん吉永だよ」


 吉永とはカーズの不動の4番打者・吉永智よしながさとしのことだ。


 大卒のドラフト1位でカーズに入団してからというもの、「シーズン最多本塁打記録」「連続試合安打世界記録」「打撃三冠王獲得回数」など、数多くの記録を更新してきた、生けるレジェンド。


 去年なんぞは、日本プロ野球史上初の「規定打席に到達して打率4割」という大記録を達成し、カーズの25年ぶりの優勝に貢献した。


 シーズン終了後、FA権を行使せずに残留し、カーズファンの喝采を浴びた大スター。


 カーズを愛し、カーズファンに愛される男、それが吉永智。


 俺としては、名前が同じ「サトシ」 それも漢字まで同じ「智」ということもあって、子供の頃から吉永の大ファンだった。


「なるほど、吉永ですか。では、サトシ様、吉永に会ってみたくありませんこと?」


「え? 会えるの?」


「ええ、吉永とわたくしはマブダチですわよ」


 俺は金持ちの底知れぬ力におそれおののいた。


「マジで?」


「ええ、マジです。わたくしが試合後に会いたいと言えば、吉永は必ず会ってくれますわ。その時に吉永に紹介して差し上げますわよ、わたくしのご学友だと……で、どうします? 行きます?」


「行きます!!」


 俺にとって憧れの大スター、吉永に会って話をするチャンスなのに、断る理由はどこにもなかった。


「フフフフフ。では来週の日曜日は、わたくしとサトシ様の広島デートですわね」


「デ、デートって……でも、よく考えたら俺、広島までの旅費がない……」


「そんなもの、すべてこちらで用意いたしますわ」


「え? でもそれは悪い……」


「いいんですのよ。サトシ様一人の旅費など、我がヤマダ家にとってははした金。気に病むことなど一切ございません。安心して、お甘えくださいませ……」


「は、はあ……そうですか……」


 まだ少し戸惑っている俺のことを、クレナお嬢はまっすぐに見つめた。


「決まりですわね。それでは十河そごう、来週の広島行き、サトシ様のぶんも手配しなさい」


「かしこまりました、お嬢様」


 俺はその時初めて、自分たちの後ろにそごうさんが立っていることに気づいた。


 クレナお嬢の外出時には、常にそごうさんがお供しているということなのだろう。


「い、いいのかなぁ……」


「いいんですわよ、サトシ様。クラスメートに金持ちがいるのならば、思う存分、利用しなければ損ですわよ!」


「そ、それ、金持ちの側が言うことじゃないと思うんだけど……」


 こうしてなぜか俺は、お嬢やロバータ卿と一緒に、プロ野球の試合を見に行くことになってしまったのだった。

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