第27話「夢三夜(ゆめさんや)」

「いやー、やっぱつええなぁ、キタサンブラック……当たったけど安いわー、バカ安だわー……」


 俺が帰宅した時、親父は居間でごろ寝しながら、テレビで天皇賞(春)を見て、何やらグチっていた。


 親父はチビでもハゲでもデブでもなければ、特別イケメンというわけでもない、まあ普通の、どこにでもいそうな40代の中肉中背のおじさんだった。


「ただいま」


「おう、お帰り。キタサンブラック強かったぞー、レコード勝ちだぞー」


 俺が帰ったのを見た親父はおもむろに起き上がり、競馬の話をし始めた。


 親父が競馬の話をし出すと長くなるので、俺は長くなる前に、居間のテーブルの前に座って、親父と向かい合って、伝えねばならぬことを伝えた。


「そんなことより親父、来週の日曜日に、友達と広島に行くことになったんだけど、行ってもいいかな?」


「広島? 何しに行くんだよ?」


「カーズの試合を見に行くんだよ」


「カーズの試合? チケット取れんのかよ、来週の日曜日はゴールデンウィークの最終日だぞ」


「なんか、友達がヤマダスタジアム顔パスらしくて……」


「ああん!? ヤマダスタジアム顔パスって、お前の友達、いったい何者なんだよ?」


「何者って、ヤマダ自動車の社長令嬢だよ」


「はあああああ!? お前、いつの間にそんなすごい人と友達になってんだよ」


「いや、同じクラスの前の席で……」


「なるほど、ヤマダ学園っつうぐらいだもんな。そりゃあヤマダ自動車のお嬢さんが通っててもおかしくねえよな」


「だからチケットとか、旅費とか、全部そのお嬢様が持ってくれるらしいんだけど、行っていい?」


「そうか、うん、いいぞ、行ってこい」


 親父は拍子抜けしてしまうぐらいあっさりと、俺の広島行きをオーケーしてくれた。


「え? いいの?」


「なんだよ、反対してほしいのかよ」


「いや、そうじゃないけど、普通の親なら『そんな、全部おごってもらうなんて、相手の家に悪いでしょ』ぐらいのことは言うと思うんだけど……」


「俺が普通の親じゃないって言いたいのかよ?」


 言葉だけ見るときつく見えるが、親父は半笑いでそう言っていて、ちっとも怖くはなかった。


「いや、そうじゃないけど……」


「よーし、いい機会だから教えてやろう、我が池川家の家訓をな」


 親父は突然、正座に座り直した。


「か、家訓?」


 親父が正座になったから、なぜか俺も正座に座り直してしまい、テーブルの向こうにいる親父と対峙した。


「そう、家訓。俺がおじいちゃん……お前から見ればひいおじいちゃんから教わった家訓だ。その家訓とは……」


「な、なんだよ……」


 親父がやけに真剣な目をするものだから、俺はひるんでしまった。


「その家訓とは……『金持ちと政治家からは搾れるだけ搾り取れ』だ」


「な、なんだそれ!?」


 まったく想像だにしなかった家訓が出てきて、俺は驚きのあまり、大声をあげてしまった。


「サトシが驚くのも無理はないが、本当にそう言われたんだよ。ひいおじいちゃんはいわゆる『反骨の人』でな。ただ、金や議席を持ってるってだけで偉そうに振る舞ってる連中が大嫌いだったんだ。そういう奴らからは搾れるだけ搾り取って没落させて、自分たちにはなんの権力もないということを思い知らせてやるがよい、って言ってたよ。生前、何度も何度もな」


「そ、そうなんだ……」


 もちろん俺が生まれた時にはすでに亡くなっていたので会ったことはないが、俺のひいおじいちゃん、なかなかにヤバい人だったらしい……ひょっとして、資本家嫌いのコミュニストだったのかな?


 もしくは北一輝きたいっきのような国家社会主義者だったのかもしれない?


「昭和維新」がどうたらこうたら?


「そんなわけだから、金持ちのお嬢さんがおごってくれるってんなら、素直に甘えとけ。他の誰かがウダウダ言うたとしても、お前のひいおじいちゃんは許してくれるはずだ」


「そ、それなら喜んで甘えることにするよ」


「おお、そうしろそうしろ。ただ、全部おごってもらうってこと、チカには言うなよ。あいつは真面目で、そういうのにはうるさいからな」


「ああ、わかってるよ」


 この日、チカさんはまだ来ていなかった。







 チカさんはいつものように18時頃にやって来て、夕飯を作って、3人で一緒に食べて、後片付けしてから帰っていった。


 そんな日曜日の夜、眠かったから早めに寝たら、やっぱり夢を見た。


「イケガワ……これ、イケガワ……目を開けよ、イケガワ……」


「嫌だよ……俺はまだあんたのこと、本当の神様だって思ってないもん……」


 昨日は女性の声がしたから早めに目を開けたが、今日はいつもの渋いおじさん……そう、あの自称・天神さまの声だったので、目を開けるのを拒否して、閉じたままにしていた。


「まあまあ、そう言わずに目を開けてごらんよ」


 そう言われてもガン無視を決め込む俺。


「ねえ、目を開けてよ、サトシのいけず。ねえ、目を開けて、開けて、開けて、開けて、開けて、開けて、開けて、開けて、開けて……回って、回って、回って……」


「だぁー、もううるせーなー……って、えええええっ!?」


 自称・天神さまの、安眠をさまたげる執拗しつようなささやきに業を煮やした俺は渋々目を開けた。


 そしたら、目の前にいたのはいつもの束帯そくたい髭面ひげづらの平安貴族ではなく、ノースリーブのワンピースを着た、黒髪ロングの、谷間全開巨乳美少女だった。


「ど、どうしたんすか、その格好?」


「いやぁ、お主が髭面のおじさんを好まないみたいだから、思い切って美少女化してみましたー!!」


「び……美少女化?」


 自称・天神さまはあっけらかんとそう言ったが、俺はいつものように戸惑うばかりだった。


「ほらー、むさい髭面のおっさんのはずの戦国武将とか、三国志の武将が、美少女化するゲームって、今の世の中いっぱいあるじゃーん! わしもそれをまねしてみたんよー!!」


「た、たしかにそういうゲームいっぱいありますけど……」


「ねえ、どう? イケガワ、私、かわいいー!?」


 戸惑う俺を尻目に、美少女化して浮かれるおじさん。


 中身がおじさんとわかっていても、つい谷間を見てしまう、情けない俺……


「ええ、そりゃあ、まあ、かわいいですよ」


 そう、たしかにかわいいよ、見た目はね……でもね……


「ホント!? やったー!!」


 でも……


「たしかにかわいいですけどね、声が○田○次郎のままだから台無しなんだよー!!」


「ええ、嘘ー!?」


 そう、見た目は美少女なのに、声は渋いおじさんのままだから、見た目と声がまったく合ってなくて気持ち悪いこと、この上なかった。


「どんなに美女気取りでも、声が変わってないから、ニューハーフにしか見えないんだよー!!」


「ええー!? ひどい!! 女子に向かってニューハーフとか!! 鬼畜よ、鬼畜!!」


「いや、あんた女子じゃなくておっさんだろ!!」


「あ、そうじゃった……」


 自称・天神さまとのやり取りはいつものように、ただの漫才と化していた。


「それにしても、昨日はうまいこと小○唯っぽい声を出せたのに、なんで今日は地声のままなんかのー?」


「あ? 昨日?」


「おっと、口が滑った……」


 自称・天神さまは失言をしたと思ったらしいが、俺にとってそれは失言でもなんでもなかった。


「いや、昨日の乙姫があんただってこと、バレバレですからね」


「え? マジで? なんでバレたの?」


「いや、いきなり夢に出てきて、防府天満宮ほうふてんまんぐうに参拝せよ、なんて言う人はあんた以外いないでしょうが!」


「うーん……そうかぁ……昨日は声も含めて、うまいこと変装できたと思ったのになぁ……」


 あれでバレていないと思っていたとは、やっぱりこの人は本当の神様ではないんじゃないかと思うんだよな……


「相変わらず疑り深い奴じゃのう。顔を変えたり、モテ期を到来させてやったというのに、それでもまだ信じぬとは……」


 そうだった。


 このおじさんにはこのモノローグが読めるんだった。


 でも俺は認めたくない……


 こんな威厳も何もない、軽薄そうなおじさんが神様であるなどとは……


「軽薄で悪かったな……だいたい、わしみたいに不幸な死に方をした者は、後世の人々に美化されてしまって、なかなかに大変なんじゃぞ。本当はわし、こういう人間じゃったのに、なんかものすごい人格者であったかのように言われてしまって、わしが一番困惑しとるんじゃよ……」


「そんなことより、今日はなんの用があって来たんですか?」


 なぜ夢の中で、おじさんのグチを聞かされねばならんのじゃいと思った俺は、速やかに話題を変えた。


「いや、別に用らしい用はないんじゃけど、まあ、約束通り参拝に来てくれたお礼参りとでも思っておくれ」


「ああ、そうですか……って、お礼参りってのは神様じゃなくて、人間がするもんなんじゃないんすかね?」


「でも、たしかに賽銭は1円玉1枚でいいって言ったけど、ホントに1円玉1枚しか入れないとは思わなかったなぁ……普通はもうちょっと色をつけてくれるもんなんじゃないの? お主、結構おこづかいもらっとるんじゃろう?」


「いや、俺の言うこと無視しないでくださいよ!」


「わし、結構お主の願い叶えてるんじゃから、せめて10円玉ぐらいは入れてほしかったなーって思うんじゃけれども……」


「神様なのにケチくさいこと言いますね」


「地獄の沙汰も金次第って言うじゃろう? 神社も金がないと何もできんのんよ……」


「世知辛い世の中ですね……」


「何、今に始まったことではないさ……って、そんな話はさておき、みんな気になってると思うけど、お主、どっち選ぶの?」


 自称・天神さまのおじさんは突然、話題を180度変えてきた。


「どっちとは?」


「だからー、松永サアヤと、山田クレナのどっちを選ぶのかって聞いてるのー」


「どっちって言われても……」


「まあ、この作品のタイトル的にはサアヤを選ばないとおかしいんだけどー……」


「あ? この作品? タイトル?」


「いや、こっちの話……」


 また、このおじさんはわけのわからないことを言い出しよったぞ……


「でもサアヤを選ばなきゃいけないはずなのに、今日クレナとデートの約束してたよねー、イケガワ」


「いや、別に二人きりで出かけるわけじゃないんだから、デートではない……ロバータ卿とそごうさんもついてくるんだから、決してデートでは……」


「ダメだよー、イケガワ、ラブコメによくある優柔不断主人公になっちゃあ……もうみんなそれには飽きてるんだよー」


「いや、飽きてるって言われても……ていうか『みんな』って誰のこと?」


「それとも何? イケガワはやっぱりサアヤやクレナよりも、国司くにしナナと付き合いたいって言うの? 言っちゃうの?」


「う……」


 自称・天神さまに図星を突かれた俺は動揺した。


「ダメだよー。お主も百合漫画読み始めたんだから知っとるじゃろう? 百合ップルの邪魔する男は死刑なんだよ」


「ん? 百合ップル?」


「おっと……またまた口が滑った……いかんいかん……」


「いや、今すごく大事なことを言われたような気がするんだけど……」


「なんにせよ、イケガワ、浮気とか二股とかよくないわよ。付き合うんだったら、誰か一人に絞りなさいよね」


「いや、だからなんで、急にオネエ口調になるの?……いや、見た目的にはその口調で合ってるんだけど、いかんせん声が合ってない……」


「うん、今日はわし、なんか不調で、これ以上続けても、みんなが爆笑するようなこと言えなさそうだから、諦めて退散いたす」


「いや、見た目と声が合ってないってだけで、何言っても面白いと思うけど……」


「それじゃあまた来月会おう、イケガワよ。あ、もう日付変わってるから今月か」


「どっちでもいいですよ、細かいな……」


 今日の自称・天神さまは俺の言うことをまったく聞いてくれなかった。


 おかげで話はまったく噛み合うことがなかった……まあ、いつも噛み合ってないような気はするが……


「また今月も末の方でいいからちゃんと参拝に来るのよ、私、待ってるからね!」


 やっぱり何分経っても、見た目がグラマー美少女なのに、声がおじさんというのに慣れることはなく、ただただ気持ち悪いだけだった。


「あ、そうだ、イケガワ。最後に一つだけ……」


「なんですか?」


「お主、たしかおっぱい星人だったよね? 大丈夫? わしのおっぱい揉む?」


「いや、誰がおじさんのおっぱいなんか揉むかーい!!」


「イケガワの意気地いくじなし……」


「いや、いつの時代の漫画の女子だよ!! 古いんだよ!! 古い!!」


 自称・天神さまの出てくる夢はいつだって悪夢だが、今日はとりわけ悪夢で、目覚めた時、寝汗を大量にかいていて、なんとも気持ち悪かった。


 こうして俺の5月は、なんとも最悪な形でスタートしてしまったのだった。

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