第23話「カミングアウト」
「安心してください! ボクらは全員口が堅いんです!
真剣な表情のナナを前に、黙り込んでしまったサアヤさんの代わりに、いつの間にやら復活して、畳の上に座っていたパーラーがナナの質問に答えた。
俺はパーラーのその発言をまったく信用することができなかったが、そういう空気ではなかったので、ツッコむことなく黙り続けていた。
「そうなんですね。じゃあ今からちょっと変なこと言いますけど、驚かないでくださいね」
「おい、ナナやめろよ。こんな連中に真実を伝える必要なんてないよ」……と言いたかったけど、なぜか俺の口は動かなかった。まるで誰かに口をふさがれているかのようだった。
「な、何?」
サアヤさんの声は不安げだった。
「サアヤ先輩は誤解しているみたいですけど、私とサトシが付き合うことは絶対にありません。なぜなら……」
ナナはそこで一旦言葉を切って、サアヤさんに近づいた。
「な、何? 私、殴られるの?」
ナナが四つんばいでにじり寄ってくるものだから、サアヤさんは明らかに
それはまるで、ホラー映画で殺人鬼に近寄られて、恐怖に怯えている美女のようだった。
「殴ったりなんかしませんよ。むしろ……そのかわいいくちびるにキスしたいと思ってます」
「え?」
ナナの言葉を聞いたサアヤさんはなぜか震えながら尋ねた。
「それって、つまり……」
「そうなんです。私、レズなんです。女の子しか好きになれないんです。だから私とサトシが付き合うことなんて絶対にありません。安心してください、サアヤ先輩」
「そ、そうなんだ……」
ナナの突然の告白に、サアヤさんはなぜか顔面蒼白になっていた。
俺もナナにレズだということを告白されたあの日、こんな顔をしていたんだろうか?
だとしたら、申し訳ないなと今さらながらに思ってしまう。
「むしろ私は、サトシよりも、サアヤさんみたいに綺麗な顔の女の子と付き合ってみたいと思ってるんですよね」
サアヤさんのことを見つめるナナは、俗に言う「メスの顔」をしていた。
俺には決して見せたことのない顔だった。
「え? あ……その……私にはそういう趣味はなくて……その……」
ナナに、本当にキスされそうなくらいまで接近されたサアヤさんは、今にも泣き出しそうな表情をしていた。
「アハハハハ! 冗談なんですから、そんなに怯えないでくださいよ、サアヤ先輩」
そんなサアヤさんを見たナナは、サアヤさんから離れて、再び笑い出した。
「え? 冗談ってどこからどこまで?」
ナナが離れたのを見たサアヤさんは安堵したような表情を浮かべていた。
「あ、私がレズなのは本当ですよ。でもサアヤさんのことを本気で狙ってるわけじゃないんで、そこは安心してください。私の本命は他にいるんで……」
「う、うん……ありがとう……」
何が「ありがとう」なのかはさっぱりわからなかったし、ナナの言う「本命」って誰のことなのかすごい気になったけど、口を挟めるような空気ではなかった。
なんたって、あのパーラーですら黙っているのだ。そういう空気だ。
「まあ、こんな綺麗な顔の
「え?」
「ウフフフフ……」
「ア……アハハハハ……アハ……」
しかし、驚きである。
俺に対してはあんなにグイグイ迫ってくるサアヤさんが、ナナにはたじたじだった。
まあ、俺もたとえば、
しかし、百合漫画に毒されている今の俺には、サアヤさんの反応は信じられないものだった。
ナナのようなかわいくてグラマーな女の子に迫られて動じないなんて……と、おかしなことを思ってしまっていた。
「なるほどー、隣の家の幼なじみがレズだから、池川くんは百合漫画にハマっちゃったんですねー!」
しばらくみんな黙っていたが、沈黙を破ったのは、例によって大きな声のパーラーだった。
「うん、そうだよ。私がサトシにススメたら、まんまとハマっちゃって、私以上に百合漫画を買うもんだから、今日はそれを借りに来たんだよ……ええと?」
「ああ、ボクのことはお気軽に『パーラー』と呼んでください」
「じゃあ、パーラー、これからよろしくね」
「はい、よろしくお願いします、国司さん!」
ナナがパーラーに近寄って、2人はがっちり握手をした。
「私は京山マチよ。あだ名はマッチ。よろしくね」
そんなパーラーを見たマッチもナナに近寄り握手を求めた。
「よろしく、マッチ」
ナナはマッチともがっちり握手をした。
「安心して。私は腐女子だから、同性愛には肯定的よ」
マッチは誰にも何も言われていないのに、勝手に結構なカミングアウトをした。
「え? マッチって腐女子だったの?」
「ええ、別にわざわざ言うようなことでもないから言わなかっただけよ。だからと言って、隠しているわけでもないから、今ここで言ったのよ。わかったかしら、
マッチの言葉を聞いたナナはまた笑い出した。
「アハハハハ! ねえ? なんでサトシ、友達に助兵衛って呼ばれてるのよ、いったい何をやったの? まあ、だいたい察しはつくけどね……アハハハハハハ……」
「フフッ、あなたとは仲良くなれそうね」
マッチのナナに対する態度は、俺に対する態度とはまったく違うもので、もちろん不平不満はあったが、そんなこと言えるような空気ではなかった。
「あ……もう、こんな時間だし、私、そろそろ帰ろうかな」
パーラーは誰とでも仲良くしようとする奴だし、マッチは腐女子だから、同性愛に対する偏見はないようだったが、サアヤさんは露骨に引いていた。
俺を軽音部にむりやり入部させようとしていた時の勢いはどこへやら、すっかりしおらしくなっていた。
サアヤさんの言葉を聞いて時計を見たら、もう18時になろうとしていた。
「え? もう帰っちゃうんですか? まだ池川くんを軽音部に入部させてないのに?」
「いいのよ、パーラー。今日のところは帰ろう。まだ2回目だからね。三顧の礼を達成するためには3回来ないといけないんだから、また出直してこよう。次に来た時には必ずサトシくん、仲間になってくれるはずだよ。
「いや、できれば、もう来ないでほしいんですけど……」
なぜか自分を
「そんな……ひどい……」
俺の言葉を聞いたサアヤさんは目に涙をためて、今にも泣き出しそうになっていた。
「あ、いや、学校でならいくらでも話を聞きますから、ただ、家に来ないでほしいというだけで……」
「もういいよ……帰る……」
サアヤさんはすねた口調でそう言って、一人で勝手に玄関に行ってしまった。
「あっ、待ってくださいよ、サアヤさん!」
「じゃあ、お邪魔したわね、助兵衛。また学校で会いましょう」
そんなサアヤさんを追いかけて、パーラーとマッチも玄関に消えた。
やっと迷惑な3人が帰ってくれて嬉しいはずなのに、俺の心の中には何か後味の悪さが残ってしまった。
それだからか、3人を見送ることもできず、ナナと2人で居間に残ってしまった。
「私、来ない方がよかった?」
俺が呆然としていると、ナナが話しかけてくれたので、俺はナナと話をして、心を落ち着けることにした。
「いや、そんなことはないよ……それよりナナはよかったのか?」
「ん? 何が?」
「何がって、ナナがレズだってことを、あんな簡単に打ち明けてよかったのか? だってあの3人とは初対面なんだろう?」
俺の言葉を聞いたナナが畳の上に座ったので、俺も座って話を続けた。
「まあ普通は初対面の人に言うことじゃないよね。でも、せっかくサトシに彼女ができそうなのに、私のせいでご破算になっちゃったらかわいそうだなって思って……」
「え? 彼女?」
ナナの言葉に俺は驚いたが、俺の言葉を聞いたナナの方も驚いていた。
「嘘……気づいてないの?」
「気づいてないって何が?」
俺には何がなんやらさっぱりわからなかったので、素直に質問した。
「あのサアヤ先輩って人、間違いなくサトシのこと好きだよ」
「えっ!?」
ナナの答えは、俺が想像だにしていなかったことで、仰天した。
「な、何を根拠にそんなことを……」
「根拠って言われたら困るけど……女の勘ってやつかな? サアヤ先輩がサトシを見る目は間違いなく、恋する女の子の目線だったよ」
「なんだよ、それ……」
「サトシなら気づいてるかと思ったけど……そんなラノベの主人公みたいな鈍感男じゃないでしょ、サトシは」
「まあ、たしかに初めて話した時に『狙っちゃおっかなー』とか言われたけれども、てっきり冗談だと思ってたよ。まさか本気だったとは……」
「えー、そんなこと冗談で言わないでしょー」
なるほど、そう言われてみれば合点がいく。
サアヤさんが俺をしつこく軽音部に勧誘してくるのは、俺に恋しているがゆえだったのか。
それならば、軽音部に勧誘する理由を言わないのも当然だろう。
いくらサアヤ先輩が天然でも「サトシくんのことが好きだから、軽音部に入ってほしいんだよ」とは言えまい。
そうか、そうだったのか……ナナに言われるまでまったく気づきもせなんだ……
やっぱり持つべきは優しくて鋭い幼なじみなるぞ……
「……って、そんなことより、サトシ、今月号のリリプリ買ったんでしょ。貸して。私、今月おこづかいピンチで買えそうにないのよ」
「あ、ああ、じゃあ、これ持っていきなよ」
ナナが急に話を変えたのに戸惑いつつ、俺はテーブルの上に置いてあったコミックリリプリの最新号を、ナナに渡した。
「ありがとうー、やっぱり持つべきは甘やかされてる幼なじみだねー」
「なんだよ、それ……」
「だって、サトシはおこづかい、たくさんもらってるじゃない」
「そんなことないよ……」
クレナお嬢と比べたら、俺のおこづかいなんかたかが知れていると思ったけど、ナナにそんなこと言ってもしょうがないので、余計なことは言わなかった。
「じゃ、私はこれで。あ、そうだ、サトシ」
ナナは立ち上がって、自分の家に帰ろうとしたが、すぐに振り返った。
「何?」
「自分のことを好きになってくれた人のことは大事にしてあげなきゃダメだよ。嫌いなら無理に付き合う必要はないけど、だからって邪険に扱っちゃダメだよ。女子のうわさのネットワークって怖いんだからね」
「ああ、そうだね。気をつけるよ」
「でも私、サトシとサアヤさんはお似合いだと思うよ。せっかく好きになってもらえてるんだし、嫌いじゃないなら付き合っちゃいなよ」
そう言ったナナの笑顔はとても眩しかった。
たしかに迷惑はしているけど、別にサアヤさんのこと嫌いなわけではない。
サアヤさんは顔がかわいくて、歌もうまくて、スタイルもいいからな。
でも付き合うならやっぱりナナの方がいいな……
「それじゃあ、また明日ね」
「う、うん……」
そんな本音をナナに言えるわけもなく、俺はナナを見送って、久々に1人に戻った。
ナナはひょっとして、俺が未だナナに恋していることに気づいていて、それが迷惑だから、俺をサアヤさんとくっつけようとして、「付き合っちゃいなよ」などと言ったのだろうか?
なんの根拠もないけど、なんとなく、そんな気がする。
もし、そうなのだとすれば、やっぱり俺は絶望だ……
みんな帰って、1人になった俺は、いろいろあって疲れたのと、やはり「ナナと付き合う」という宿願を叶えることはできなさそうだということを改めて痛感してしまったことにより、いつものようにふて寝してしまっていた。
帰宅した親父とナナさんに起こされた時、時刻はすでに21時になっていたが、俺の心はもちろん曇ったままだった。
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