僕と君と、クロノスタシス

本陣忠人

前日

「へぇ〜、関谷セキタニ君って、ウタ上手なんだねぇ…」


 変声期を終えて。年齢相応に低くなった声を受けて、届いた声。

 そんな普通に身に余る、賛辞を受けたのは高一の二学期の事だ。

 そして僕は君に「」とぶっきらぼうに言ったはずだ。


 我が校の悪しき慣習たる合唱コンクールの熱烈歓迎な練習からこそりと逃げ出して、ジメジメした校舎裏の隅っこで湿気のコモもったギターを弾いていた孤高の人に向けて、君は眩しい笑顔でそう言ってくれた。


 それが僕の最初。僕達のはじまり。

 君と僕の人生が初めて交差した瞬間で、僕と君の人生が再び離れるまでの最終期限が決まった瞬間。


 更に言えば、思春期の単純な作りを持ったアワれな少年の――社会的で無く精神的な意味での――進路が定まった瞬間だけど、それはまた別の話。

 

 どう取り繕っても、あくまでキッカケ。いくつも広がる契機の糸の一つ。


 それ故に今回語るのはあくまで主軸となるボーイミーツガールな物語。


 僕こと関谷純也ジュンヤと彼女こと笹西ササニシ薫子カオルコとの間に辛うじて存在した――もう、マジでなんてことない高校時代のちょっとした接点を掻い摘んで語るだけ。


 何も特別な事など無い。

 常軌を逸した展開や正気を疑うような成功譚など起こり得ない。

 コミックみたいな都合の良さを感じる場面なんて一つもない。


 そんな感じで、世間一般にありふれた甘酸っぱくてほろ苦い、そんなティーンズ達の過ごした青春の終わりをダイジェストにして、なるべく簡潔に話す事にしよう。


 とは言うものの、君と僕との初邂逅はそれなりにセンセーショナルでドラマチックなものではあったように思うけれど、それ以後は特に着目する青春ドラマは無かった。


 夕焼け眩しい教室でテスト勉強をドギマギながらも一緒にしたりとか、課外活動で不意に二人きりのラブコメ時間を過ごしたりとか。


 はたまた部活帰りの彼女と一緒にたどたどしく下校したりとか、空白の放課後の教室を何気無い会話で埋めてみたりとか。


 体育祭で周囲の冷やかしの声を背景にフォークダンスを踊ったりとか、文化祭で恥ずかしさとともにフォークダンスを踊ったりとか。

 とにかくやたらに、脳死で絆された感情フォークダンスを踊ったりとか。


 そんなライトノベルやラブコメにありがちな凡百で甘酸っぱいイベントやフォークダンスなどは普通に一切起こらず、機械的なまでに時は過ぎる。


 無情の針は進んで戻る事は無い。忖度めいた配慮は存在せずにチクタクと回って、落ちる砂は何の形も為さずに敢え無く零れていく。

 

 とは言え。とは言うモノの。


 勿論、その間まったく絡みが無かった訳ではない。

 切っ掛けを得た事で、一度も話したことの無い同級生から普通に話して、電波を介してメッセージを交換する友達くらいの間柄にはなった。


 同じ学年の見知らぬ異性から――認知する異性の友達にはなった。たったそれだけだ。


 そんな関係の僕らの間でやり取りされるのは他愛もない会話だけ。

 段々と難しくなる学業や貴重な余暇の話、そんな生活の対価とばかりに消費されるだけの流行について。

 お互いの個人情報パーソナルについての込み入った深い話をした記憶など一つもない。僕は彼女の好きな音楽や好んで食べるメニュー、何ならば誕生日すら知らずに――ちょっとした期間を原初そのままに歪な関係のまま過ごした。


 けれど、


 ただ一度だけ、そう言った青春の匂いみたいなものを発して、そうじゃないかと感じる機会があった。

 失意の彼女が僕を頼って、僕が知らぬ内にそれをソデにした。忘れられぬ後悔の記憶。


 それが高三の初秋。

 迫り上がる残暑をようやく抜けて、木枯らしを防護する長袖に衣替えを済ませた頃。


 それは高校最後の文化祭の前日の事だった。

 春先に同じクラスになった僕達は他愛の無い話を性懲りも無く繰り返しながら準備に明け暮れていた…いや別段明けては無いから、ただ単に暮れるだけかも知れないけれど。


 翌日に展示する飾り付けの一部が足りないと発覚し、クラスの人気者はそれを個人に押し付けた。誰にかって?

そんなの聞くまでも無く、勿論決まってるだろ。


 笹西薫子その人だ。


 傍観的な観測によると――彼女はどちらかと言えばイケているグループに所属するものの――その集団内においてはどちらかと言えばイケていない人間であった。


 つまりはカースト上位の中の下層に住む彼女がクソみたいな同調圧力によって貧乏クジを引いた形になる。

 酷く不定形なそれが具体的にどういう形をしているのか――イケていない上に、そもそもグループに属していない僕には分からないということを追記しておきたい…いや別にしておきたくない。なんならすぐさま忘れて欲しい。


 とまあ、現実問題的には準備を放棄して青春ごっこに興じる人気者クソ野郎を横目に、不平も文句すらも口に出さず――その帳尻を合わせる奉公女シンデレラがいたわけだ。


 それは理不尽と呼ぶには余りにもありふれて些細な光景だけど、少なくとも友達が負う様な重大な責務には思えない。もっとそれを背負うに適した誰がいるはずで。


 だけど、糾弾すべき空気それの在り処や挙げるべき舞台の居場所がいまいち分からない僕に出来るのはこれ位。


「手伝うよ」


 そんな些細な一言だけ。


「えっ?」


 返って来たのは短い疑問符。

 僕の滑舌が悪くて聞き取れなかったのかな?

 繰り返す。


「だからさ、手伝うよ。笹西さん」


 意思表示の終わりと共にしゃがむ僕と揺れる彼女の癖っぽい前髪。

 何やら段ボール的な何かを何かして、最終的に何かを作製するらしいと判断し、次の工程を尋ねる。


「何をどうすれば、終わんの? 完成形と終着点を異邦人アウェーの僕に教えて」

「…い、いや。いやいや、ちょっと待って」

「何を? 呼吸を? それとも脈拍?」

「呼吸と脈拍は継続して。不随意的に、普通に続けて」

「あい了解」


 浮ついた空気が漂う教室の中に、仄かに湧いたざわめきを背中にしながら、いつも通りのくだらぬトークの応酬。水素より軽い重量のキャッチボール。

 そのつもりなのはきっと僕だけで。笹西さんはわなわなと拳を震わせながら、言葉を絞り出す。 


「ねぇ、なんで?」

「何が?」

「何のつもり?」

「さあ?」

「ふざけないで!」

「何を?」


 代名詞ばかりを投げては返す幼稚極まりない舌戦の中、不意に彼女が大きな声を出すべく息を大きく吸い込んでから…そのまま息だけを細く長く吐き出した。


 そして、声を殺したまま、囁く様に殺さぬ感情を言葉に変換する。その際に顔が近付いて、香水の発するシトラス成分が鼻腔びこうに入って来て、何だか妙に気恥ずかしい。


「何? 私が可哀相だと思った?」

「いや別に。そんなのは全然。ただ、助けたいって…思っただけ」

「それは憐憫れんびんとは違うもの?」

「どうだろ? でも多分きっと、そんなに難しいはしてないと思う」


 僕はそんな難解な感情で動く程に複雑な人間じゃ無い。多分もっとシンプルなもの。下等でも上等でも無い。プラスもマイナスも存在しない、純然たるイコール。


「ただ、君が困っていたから力になりたいと思った。そこに加える理屈はいくらでもあるけれど…その実、皆無なんだよね、コレがまた」


 それが僕の本心。

 それを明確化して言語化するとどうなるか?

 知らないよ。


「何それ、カッコつけすぎ。似合ってないよ?」

「マジかよ。かなり傷付くし、結構ヘコむけど――多分、撤回はしないよ?」


 皮肉交じりの嫌味を上手く躱せたと自分では思うけど、勘違いかな? 違うと良いけど。

 僕の個人的な思惑や恣意的な打算とは関係無く、彼女は乾いた音色でと喉を鳴らす。その無邪気さを備えた表情だけで、僕は傷付いた価値がある…とか言えると多分、ハードボイルドでシブい感じになると思う。


 しかしまあ、シブさとは対極に位置する僕にはこれが精一杯。


「まあ、ちょっと一服しながら――進捗やら今後の展開なんかを話そう」


 そんな些細な言葉を教室の出入口を首と指で指し示しながら述べる。

 僕としては針のむしろめいていて、悪意で出来たサナトリウムみたいなホームルームの雰囲気から逃げ出したい――自己矛盾に溢れる自分勝手な気持ちと、彼女をそんな監獄から連れ出したい騎士道精神が半々くらいでミックスした果ての発言である。いや、ロクヨンくらいで自分本位が若干優位かも知れない…あ、ナナサンかも……。いや、半々ですね。うん。


「え、ああ…そうだね。うん。そうする」


 俯き混じりで小さくそう告げた彼女は短髪を揺らしてクラスのトップカースト連中の元へ小走りで駆ける。


 そこで一言二言、何やら短い会話を交わし、こちらへ小鳥のようにトテトテと戻って来る。軽く弾む息と少し下がった目尻が何だか凄く、とても僕の目を引いた。何でだ?


「それじゃ、おまたせ」

「いや、今来たとこ」


 なんて、初々しく初デートっぽいセリフが僕から出て来たのは奇跡だと思ったのだけど、その仮初で構成された祝福はあっさりと否定される。


「なにそれ…彼氏ヅラ風で、若干きもいんだけど?」


 いつになく――と言えるほどに笹西さんについて詳しい訳ではないけれど、整った顔立ちの上にこれでもかと破顔に滲む瞬間を目の当たりにすれば…まあ、少なからず思うところもある。


 普段は狭い眉と目元の間をこれでもかと言うくらいに広げて歪めた表情を見れば、まあ…察するよな。蔑むみたいなジト目がたまらんとか、そういう個人的な趣味趣向を源泉にする下世話な感情を含めて――それなりに昂ぶるね、うん。


 とは言え、僕は慎みと思慮がマリアナ海溝よりも深い大和紳士であるので、あくまでジェントルにエスコート。彼女の三歩後ろを楚々そそと追従し、チョイスの微妙な自販機の設置された中庭に向かう。


 その道中に会話は殆ど無かったが、まあ仕方ない。こんなもんだろ。僕のコミュ力なんてものはさ。


 自身の能力の欠如は置いておいて、殆ど無い会話だけど、何も皆無で絶無と言う訳ではない。数少ないキャッチボールの中でも、笹西さんが提起した話題はそれなりに僕の関心を攫った。


「クロノスタシスって知ってる?」


 彼女の後頭から聞こえたのはそんな言葉。

 くろのすたしす…黒のスタ死す…玄野スタ師酢……クロノスタシス??

 あーそもそも、いったい何処で区切る単語なんだ? どういう感じで変換する熟語なんだ?


 いや待て僕。自身の内に積み重ねた知識を掘り起こせ!

 クロノスって多分時計の神だった気がするし、タシスってのが何かしらの意味を持ちそうだけど…。オレンジ?? カクテルか?


 身勝手なまでに騒々しい教室の横を抜けながら初耳のワードについて考えを巡らせる。


 混乱しながらも何とか口に出せる程度に思考を纏めて、歩みを止めない彼女へと答え合わせ。もうあと数メートルで中庭への通路に到着する。


「あークロノって言うからには多分、針のついたアナログ時計。それが止まってスタしてる状態だろ?」


 結果は我ながら杜撰で浅慮かつ意味不明な意見。スタしてるってなんだよ。気絶スタン状態か? 分かりやすく分かりやすい日本語で話せよ、クソコミュ障。


 それはそれは呆れた自己嫌悪がこれでもかと盛り込まれた推察に、笹西さんは溜め息一つ溢さず――それどころか分かりやすく一笑に付すことすらなくて――ただ、柳の様に目を伏せて、霞のような笑みで唇の端を結んだ。


「全然違う割に…微妙にそれっぽいのは生来の気質?」

「そうかい? これでも昔は神童って呼ばれたもんだぜ?」

「絶対ウソでしょ?」

「まあ、うん。勿論ウソ。昔も今もあだ名なんか無いし――つーか呼ばれた事も同じくらいに皆無だよ」

「あっ、なんか…ごめん」

「別に。これがスタンダードだし…で、っていうか、ほんとクロノスタシスって何なのマジで。結構普通に気になってんだけど……」


 そこに含んだ茶化しと真剣さの混合比は如何ほどだろうか?

 軽薄で空虚な自身を端にした発言がはらんだ真の裏腹は――げに不思議なもので、いつも自分には分からなくて、理解できない。


 その思考にリンクするみたいにハーフ的で中途半端な立ち位置の最前線をひた走る微糖の缶コーヒーを選択し、身振りで彼女にも飲み物のチョイスを尋ねる。


 遠慮がちとは程遠い――機敏かつ颯爽とした動作で炭酸飲料をプッシュ。


「へへ、サンキュ」


 くしゃっとした笑顔で感謝を述べながら、片手でスカートを抑えて膝を折る。そのまま真っ赤な缶をスムーズに取り出して、器用に片手でプルトップを引く。

 癖っ毛と大きな吊り目のせいでネコ科の動物みたいにも見える彼女はしばらくの間、無言でごくごくと喉を鳴らす。そんなに全身が干涸らびてたのかな?


 て言うかですね、さっきの僕の質問が完全に宙ぶらりんのまま放置されている件について、蒸し返して宜しいのかな? 学問の徒としては疑問を疑問のままで無機質に埋め立てたく無いのだけど…。


 そんな逡巡や焦燥に対する慰めに気不味くスチール缶を舐める内に、カランと硬質な音が小さく遠くで鳴る。

 不意に響いたそれに対して反射的に顔を向ければ、既にジュースを飲み干した笹西さんがゴミ箱に缶を放り投げた後、ガッツポーズをしているのが見えた。


 そして、改めて僕を覗くその双眸は深く、悲哀に沈んだ色がーいつか見た闇夜に照らされた蜘蛛の巣みたいに鈍く輝いていた。


「それで…、『意味』の話…だっけ……?」


 たおやかに傾げた小首としなだれた仕草に意識のリソースの大半をかれそうになるが、その言葉は数分前から僕が待ち続けて、持ち続けているもの。


 故に、冷徹と冷静の間を行ったり来たりする蝙蝠コーモリ模様でフレックスな仮面を被ってから、真意の開示と続きの開始を促した。


「そうそう。こうなってくるとスマホで調べるのも何か味気無いし、君の口から直接的ダイレクトに教えてよ」

「そうだね。何でもかんでもスマホでなんて味気無いし、呆気無くて――つまらないよね」

「うん。だから――」


 僕のみっともない催促は待ち焦がれた筈の笹西薫子の口で塞がれる。ドラマチックな接吻では無く、エゴイスティックな精神的なもので敢え無く、難無く防がれる。


「多分、私と関谷くんがなんだと思う。クロノスタシス。そういうこと」

 

 僕の喉が弱々しく鳴る。

 その波形は明確な発声はされずに、形成されたのは空気の抜ける様な間抜けな排煙。


「さて、ジュースごちそうさま。先に戻るね」

「い、いやっ! いやいや待ってよ笹西さん!」

「あ、あと、どうだね。手伝いは良いよ。気持ちだけ受け取っておく」

「そ、それ…いや待って。本当に! 何が何だか分からない」

「明日の本番――そうだ、時間が合えばたこ焼きでも食べよう。今日のお礼にオゴっちゃうよ?」

「いいんだ! ジュースもたこ焼きも! 今はどうでもいい!!」


 強くなる語気と共に自然に伸ばした右腕は何に触れる事も無く、ただただ虚空を掴むだけで。その他のものは全部霧散して、すり抜けて行った。


 だけど、彼女が継いだ言葉の方がもっと…比べようの無いくらいに――その時の僕には…まるで理解できないし、想像もできない。


 夢でも霞でも無い実感を伴った純然たる現実として、彼女は手を振りながら校舎の中に消えていく。背中を見せてあのコミュニティへと戻って行く。ぬるま湯の天国のフリをした地獄の窯へ。


 反対に僕は立ち止まったまま。

 二人の距離が物理的に開く。二本の針がどんどん遠ざかる。


 絶対的な距離を詰められないまま明くる日。

 つまりは当日を迎える。

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