二の九

 藤林あぐりは、小学校入学と同時にこの町に越してきた。

 田舎町の小学校ゆえか、ほかの生徒たちはすべて、近所の保育園か幼稚園に通っていたため知己の間柄であり、あぐりはひとり、クラスのなかで浮いた存在だった。入学から数週間たっても、クラスメイトの強固にできあがってしまっている輪のなかに入りこむことができず、誰が主導するわけでもないのに、仲間はずれにされているような状態だった。

 この、クラスの中でひとりだけポツンと存在している女子を、いじめっ子連中がほうっておくわけがなかった。しかも、その手の男子生徒にかぎってなぜだか事情通で、あぐりの母がすでに他界していることも知っていたし、この町にはほとんど存在しない父子家庭であることも知っていた。いじめる理由がそこにはあった。当然というべきか、あぐりがいじめっ子たちの、格好のターゲットとして認識されるのに、たいした時日はかからなかった。

 その日も、あぐりはそんな男子生徒たちの嘲戯ちょうぎの対象になっていた。

 あぐりは昼休みの校庭の片隅で、サッカーや鬼ごっこをするクラスメイトたちを、ひとりさみしくながめていた。仲間にいれてと言葉にする勇気がわかず、いっしょに遊ぼうよ、こっちにおいでよ、そんな誘い声がかかるのを、ただただ期待していた。騒々そうぞうしい校庭のなかで、あぐりの周りだけ奇妙に静かな空気につつまれていたのが悲しかった。そんなときだった。

 数人の男子生徒たちがあぐりの周りをかこんだ。そして、いつものように、からかいがはじまった。

 こいつの親は父親だけだ、まだこっちにきて間もないよそ者だ、のろま、陰気、そして、くさいのウンチもらしだの、事実も虚構もないまぜになり、侮辱されつづけた。

 校庭のフェンスにしがみつき、ただひたすらに、あぐりは耐えた。目をぎゅっとつぶり、涙をこらえ、ただ昼休みの終わるチャイムがなるのを待った。長い、長い、暗黒の時間が過ぎ去るのを。

 ふと、男子たちの声が、止まった。

 直後に起こる、怒号と叫声。

 おそるおそる目をあけたあぐりがみたのは、男子生徒たちと殴りあう長身の女の子――。

 その子が男子たちを打ちのめすのに、たいした時間はかからなかった。

 いっせいに逃げ出した男子生徒たちの最後のひとりのお尻を蹴飛ばし、その子は言った。

 ――あたしは、ふたりとも親がいないんだ、文句あるか。

 あぐりは、涙のにじむ目で、その格好いい少女をみていた。助けてくれたお礼も言えず、ただその姿に目をうばわれていた。

 その子は、殴られた頬をちょっとさすってフンと鼻をならし、あぐりを一瞥いちべつすると、その場を去っていった。

 いけない、なにか話しかけなくては、とあぐりはあせる。だが焦れば焦るほど、なにを話せばいいのかわからなくなってきた。

 ――この子は同じクラスの……。

 漢字がむずかしくて、なんて読むかわからない子。あぐりは、脳をフル回転させ、記憶の底から少女の名前を思いだそうとした。そう、たしか、たておか……、

「ゆかり、ちゃん」

 自然に口から漏れ出たように、あぐりは彼女の名前を呼んだ。

 呼ばれて楯岡紫は、反射的にといった感じで振りかえった。

 気むずかしそうに眉間にシワをよせ、頑固そうに口をへの字に引き結び、立ちどまった紫は、じっとあぐりを見つめてきた――。

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