二の七

 晴明は、ブランコにすわる紫に、体を寄せてきた。そのままブランコのチェーンをつかむと、自らの顔を紫の顔に近づける。紫の刃物のような目つきでにらむのをまったく気にもとめないふうに、微笑みながら紫を見つめている。そして、ふいに口をひらいた。

「ユカは、昔から、ここがお気に入りだね」

 その優しい声音は、妹をいつくしむ兄のものだった。兄の、絵に描いたように理想的な柔らかな口調――、だがそれは、紫からすれば、あまりにも演技じみた口調だった。

「昨日は、突然あんな話をして悪かったね」と晴明はつづけた。「僕も、いささか性急にすぎてしまったようだ」

 ゆるしてくれるね、と言って、兄は微笑む。その微笑みも演技くささがただよっていて、紫は唾棄したいほどの不快さを感じた。

「でもね、やっぱり兄妹はいっしょに暮したほうがいいと思わない?おじいちゃんもおばあちゃんも、もう歳が歳だし、紫の面倒をいつまでもみられるわけじゃない。僕の仕事のほうも順調だから、お金には不自由させない。将来のことを考えれば、ユカのためになるんだよ。なにも心配しないで、お兄ちゃんとおいで」

「なにが目的だ?」

 紫は口をひらいた。

「目的?」

「魂胆はなんだ?なにをたくらんでいる?」

 兄の言動に、うさん臭さが垣間みえる。だが、そのおためごかし的な言葉の裏になにが隠されているのかが、どうしてもみえてこない。

「やあ、これは心外だなぁ。なにもたくらんでなんて、いないよ」

「いや、たくらんでいる。お前の言葉には心がない。口先だけで人をだませると思っている詐欺師の言葉だ」

 ふと、晴明の口もとから笑みがきえた。晴明は、きっと思い出したに違いない。昔から紫が時々、とんでもなく勘が冴えることがあったことを。紫の、ものごとの真実を見抜く、純粋で鋭敏な目を――。

「ふむ……」

 晴明はちょっと考えるような顔をして、何気ない調子で紫から距離をとった。

「ことを穏便にすませようと思っていたんだが……」晴明は、ふっ、とため息をついた。「ユカがそこまでお兄ちゃんを信用してくれないのなら、しかたがないか」

「本当は、ユカといっしょに暮らして、お兄ちゃんの理想を理解してもらいたかった。でも、ユカが聞き分けてくれないのなら、しかたがない」

 言って、晴明な目を細め、

「そのブレスレット、わたしてくれないか?」

「なんだと!?」

 反射的に紫は立ち上がる。晴明が攻撃範囲内にいたら、確実に殴り飛ばしていた。さっき距離をとったのは、そこまで考慮してのことだったのか、と気がついた。

「なぜだ?」

「それはね、お兄ちゃんの理想のため、ひいては、世界人類すべてのため」

「えらくごたいそうなこと言うじゃねえか。このブレスレットにそんな力はねえ。それとも、てめえが変身して、世界平和のために戦うとでもいうのか」

「あはは、それほど単純な話じゃないよ。僕が欲しいのは、ブレスレットというより、そこについている、アルマ結晶クリスタルのほうさ」

「?」

「僕の理想をかなえるためには、僕ひとりの力ではどうしようもないことに、気がついた。そして、他の誰も、僕の理想の力にはなってくれないことにも気がついた。ただひとりをのぞいては……」

「それが……」

「そう、それがカシンという男さ」

「!?」

「カシンの四百年蓄えられた知識があれば、きっと僕の理想はかなえられる。だが、カシンはあぐりちゃんに倒されてしまった、残念ながらね。だから復活させなくてはいけない、そのためにはアルマ結晶が必要なんだ」

「悪党のちからを借りて、なにが理想だ。さっきから理想だ理想だと吠えちゃいるが、どうせくだらない野望のたぐいだろう。そんなもの、いっしょに暮らそうが、説得されようが、あたしが賛同すると思ったのか、このクズ野郎」

「そうだね、ユカがもうちょっと聞き分けのいい子だと思っていた、お兄ちゃんのあやまちだね」

「そうだ、てめえが悪い、てめえなんぞ間違いだらけのクソ野郎だ」

「まったく、クズだのクソだの、言葉が悪い」

「うるせえっ! ! !」

 叫んで紫は、我慢の限界とばかりに、晴明に飛びかかる。だが、紫のパンチはむなしく空をきった。のみならず、そのまま晴明に腕をとられ、紫は地面に組み敷かれてしまった。

 ――なんだ、コイツ?

 紫は今の一連の動作で感じとった。紫のもつ本能が、なにか尋常ではない危機を感じとった。紫のパンチをかわした晴明のスピードに、紫の腕をつかむ握力に、

 ――コイツ、人間か?

 と驚愕した。それはまるで、負のアルマで強化された者のように、得体のしれない不気味さを秘めていた。

 晴明の人間離れした力が、紫の腕をねじりあげる。紫の苦悶の表情が見えていないのか、見えていてなにも感じないのか、晴明は紫をさらに強力に押さえつける。頬は地面にこすりつけられ、腕は本来の曲がるべくもない方向へと曲げられていく。

「どうした、偉そうなのは態度だけか?達者なのは口だけか?」

 晴明の嘲弄ちょうろうに、紫はただ耐えるしかなかった。

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