False strawberry of babys

シルバーキャット

第1話 日向さえ知らない

 私はただ、ほんの少し「その場所」から景色を見てみたいだけだった。

 それだけなのに。

 どうしてこんなことになったのだろう。


 小学校から高校まで一貫教育が続く聖ペタル女学園は、本当に乙女の園…… いや、箱庭だった。公立小学校で六年間学んだあと中学受験で入学したとき、あまりの環境の違いに馴染めなくて、半年くらい苦労したことも今は遠い思い出のことのように思える…… カスミは五時限目の授業の準備をしながら、ふとそんなことを思った。

 一昨日、誕生日を迎えたせいだろか。時間の隙間に思い出巡りをしてしまう。

 綺麗な校舎。綺麗なトイレ。綺麗な校庭。まるで、映画に出てくるような環境の花園で勉強することに慣れてしまってからは、むしろ男子が居る教室でわいわいやっていた頃の

方が信じられない。

(小学生時代の話に男子がどうこうなんて話もないか)

 自分に突っ込みを入れ、周りにバレない程度に小さく笑った。

「カスミ! 次、視聴覚室だって。行こう」

 突然の予定変更を聞いた友人がカスミに声をかけて来た。見れば、今日の日直の子が黒板に「五時限目は視聴覚室で」と背伸びしながら書いていた。教科書とノートを持って席を立ち、昨日のドラマの感想を言い合いながら教室を出た。

その時だ。ふわり。とてもいい香りがした。

「ユメコさん、今日も綺麗よね」

 カスミが振り返ると同時に一緒に歩いていた友人が呟いた。入れ違いに教室へ入って来た同級生は、学園でも有名な美少女だった。色素の薄い肌と柔らかで美しい髪の毛が目を引き、さらに整った顔立ちは信じられない程完璧で。優しく、穏やかで、勉強もできるユメコさんは、教員からの信頼も厚く、聖ペタル女学園を象徴するような女の子だった。

(今の…… 彼女の香りかしら)

 鼻をくすぐる爽やかな甘い香り。

 そう思ったのが、十七歳になって三日目のこと。


「ユメコさんって、いつもいい香りね」

 そんな声が耳に飛び込んで来たのは、誕生日から半月以上も過ぎた頃だった。

 私は、発売されたばかりの雑誌を広げ、席に集まっていた友人たちと洋服やコスメの話題に花を咲かせながらも、教室の後ろの方から聞こえる情報に神経を集中させた。

「でも、香水とかはつけていないのよ」

「えーっ! じゃあなんでかしら」

 鈴の音のようなユメコさんの声に下品で煩い声が重なる。クラスメイト二人に囲まれてもユメコさんの華やかさは霞まなかった。それどころか、二人を引き立て役にし、より輝いているようにも見えた。

「わかった。シャンプーじゃないかしら」

 柔らかにウェーブを描く髪の毛を綺麗な指先ですき、はらりと落とす。まるで、花びらが落ちるように。

「カスミ? どうしたの」

 チラチラと盗み見していたら、友人が気付き、首を傾げた。私は慌てて「何でもない」と取り繕い、雑誌の特集を話題に上げ、無理矢理話を反らした。

 その日の放課後、帰りの最寄り駅で母からメールが入った。ボディソープがないから買ってきて欲しいとの内容だった。ついでにリップクリームも買おうと駅前の薬局に向かった。いつも使っているボディソープを手にし、リップの棚を探していると、ヘアケア商品が並んだ棚が目に入った。

 さり気なく棚に近づき、昼間、ユメコさんが言っていた銘柄を思い出す。

「…あった」

 見つけた瞬間、ドキリとした。透明のピンクボトルに、可愛らしい花々でデザインされたラベルが貼られていた。ドキドキしながらも思わず手に取る。見れば、香りのテスターが置いてあった。カスミは辺りを見渡して周りに人がいないことを確認してからテスターに顔を近づけた。

 微かだが、ユメコさんと同じ香りがする。

 満足して、テスターを元に戻すと同じシリーズのヘアオイルが目に付いた。カスミは、自分が使っていたヘアオイルがもうわずかしか残っていないことを思い出す。

 考えるより先にその商品を手に取り、レジに並んでいた。当然、リップクリームのことは忘れ、思い出したのは家に着いてからのことだった。自室でヘアオイルの蓋を開けた。

 ふわり。

 爽やかな、甘い、香り。

 夕食後、お風呂から出た後、買って来たばかりのヘアオイルを使用するといつもより髪が柔らかく、綺麗になった気さえする。いつも使っている商品より値段が高いのも理由にあるとは思うが、それだけじゃない気がした。

(ユメコさんと、同じ)

 特別彼女に憔悴していたわけではないが、美しい彼女と同じ香りを纏うだけで、自分も少しだけ綺麗になれた気がしてテンションが上がった。

 その日の夜、夢を見た。

 白昼夢みたいなぼんやりした光の中、ピンクや紫の淡い色の花に囲まれた花園に私は一人立っていて、名前を呼ばれて振り返った。

 そこには、学園の制服を着た「王子様」が立っていた。

 ハッと夢から覚めた瞬間、汗がドッと出るのを感じた。カーテンの隙間からは朝日が差し込み、時計を見ればアラームが鳴る五分前だった。胸で息をするように少し大げさに呼吸を繰り返すとほんのり香る甘い香り。

(この香りのせいだ)

 ユメコさんと同じ香りを使ったから。

 私は、夢とわかりながらも、ニヤつく表情を押えることが出来なかった。

 どんな物語にもお姫様が居れば王子様が居る。そんな当たり前な設定は、現実でも当てはまった。カスミがユメコさんの存在を知ったのは中学に入学してちょっとしてからだった。それと同時に彼女に寄り添う麗人が存在することも知った。

二年生の三室ユズ先輩。美しく整った容姿、無駄のないスタイル、勉強も運動もできる器用さは、男子のいない乙女の園で不動の「王子様」として人気を博していた。一人で居ても相当目立つ存在だが、ユメコさんと居るとよりオーラを放ち、学園新聞でツーショット写真と共に特集が組まれる程注目の的だった。

 二人のことを良く知る同級生に聞いた話によれば、その関係は学園に入学前からのもので、姉妹の様に仲の良い幼馴染。先輩を慕う生徒から疎ましがられることも少なくない程、ユメコさんはユズ先輩に可愛がられていた。

 そんな「王子様」がカスミの夢に現れたのはきっと、ユメコさんと同じ香りのヘアオイルを使ったからに違いない。

 学園の正門を潜り、挨拶が飛び交う昇降口までの道を一人ぼんやりと歩いた。

 カスミは、極平凡な何も目立つところのない生徒だった。ユメコさんたちが「特別」なら、カスミはその他大勢の一人。それが悪い訳ではないが、例え香りだけでも夢の中だけでも、「特別」になれた気がして、その日はふわふわした足取りで一日を過ごした。


「ねえ、見て。素敵ねえ」

 ヘアオイルを使い始め、一週間が過ぎた頃のことだ。お昼休みを食堂で過ごそうと歩いていると友人が肩を叩いた。顔を向ければ、三室ユズ先輩が自販機の前で飲み物を買おうとしているところだった。

「足長~い。…… 顔小さい」

 友人は、ため息を着きながら絶賛した。

「一度でいいからユメコさんと変わってみたいなあ」

「…… そうね」

 カスミは友人の言葉に小さな声で頷いた。

 あれ以来、何度香りに包まれて眠っても、先輩が夢に現れることはなかった。待ち遠しくしているせいか、現実で姿を見かけると思わずドキッとしてしまう。

(あっちは私の名前どころか存在すら知らないだろうけど)

 フッと笑いが漏れる。気付いた友人から「どうした?」と尋ねられたが、何でもないとはぐらかした。ユメコさんと同じ香りのオイルを使い、先輩との夢を楽しみにしているなんて口が裂けても言えない。

 友人や同級生の殆どは小学生の頃からこの学園に通っている。だから、女子だけの環境で同性に憧れを持つことに何の違和感も持たない。むしろ、それが当たり前にすら感じられた。ユメコさんの可愛さに憔悴し、話しかけられただけで頬を赤らめる生徒や彼女の髪型や持ち物を真似る生徒も見かけるし、ユズ先輩に関しては想いを綴った手紙を渡したり、直接告白した子もいると聞く。小学校の頃とはいえ、男女共学を小学校で経験したカスミは、そこまでのめり込むことはなかった。ただ単純に学園の人気者と接してみたい軽いミーハー心で済んでいた。だから、ユメコさんと同じヘアオイルを使っていることもユズ先輩と夢で会えたらいいなと思うことも口に出す程大げさな事でなく、ほんの少しこの乙女の園での平和な暮らしに対する刺激みたいなもの。

(私は彼女達とは違う)

 冷静に自分の立場を捉えているし、学園のスターにのめり込んだりもしない。

 「もしかしたら」と淡い夢を抱く彼女達とは、違う。

 隣ではしゃぐ友人を横目に、カスミはフッと笑った。


 

 

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