8-2

 布由は手紙からほうけた顔を上げた。

彼女が読んでいたのはこの朝バートンから手渡された手紙である。

そこには布由がいかに素敵な女性であるかと、バートンの切ない胸の内が詩的につづられていた。


 布由は信じられないという顔つきになって封筒の宛名を確かめた。

自分がこのように素晴らしいラブレターをもらうなんていまだに確信が持てなかったのだ。

だが、表にはサガラ フユ様へ、と書かれており、自分に宛てられた手紙で間違いなさそうである。


 本当に? 本当に? 


 胸の高まりを押さえつつ、冷静な顔を取りつくろってもう一度手紙を読み返した。

布由は朝からこんなことをもう八回も繰り返しているのだ。


 午前中に12回ほどバートンの手紙を読んで、布由はようやく手紙を折りたたんだ。

だがすぐにしまう気にはなれなくて、封筒を優しくなでてみたり、あて名や差出人を眺めて過ごした。

そうやってようやく満足したのか、布由はバートンから借りた本の間に手紙を挟んだ。


 それから魔法術式を書くための紙とペンを取り出し、バートンへの返信を書き始める。

といっても、それは下書きだ。

本当の手紙はバートンに紙と封筒を買ってきてもらってからしたためる予定である。

人に手紙など書いた経験のない布由だが、どうせなら綺麗な紙が欲しかった。

アスカ国では大切な人に思いをしたためる手紙には香を焚き占めるという、雅な習慣がある。

布由にとっては初めて書く恋文だ。

自分で選んで、少しでもバートンに喜んでもらいたかったのだが監獄に囚われの身ではそれもかなわない。


「そうか、私にはささやかな自由も許されていなかったのだな……」


 すべてを諦めていた布由が己の不自由さを自覚するのは久しぶりのことだ。

自分がバートンに贈れるのは真心しかないのだと悟った布由は真剣に手紙に取り掛かった。

だが、布由の気持ちは言葉にならず、ただ好きだという感情のみが先行するばかりである。

布由は珍しく床の上に大の字に寝転がった。

そしてジタバタと手足を動かす。


「もう、どうしたらいいのだ!?」


 甘く、切ない叫びが地下特殊監房に小さく響いた。


   ◇


 その日の夕飯はいつもよりもずっと豪華で、囚人たちにも笑顔が広がっていた。

パンはバターつきのレーズンパンだったし、シチューには鶏肉と野菜がたっぷりと入っていた。

街は復光祭ふっこうさいを迎えている。

復光祭とは勇者様が魔王を倒したことを祝う祭であり、今日から五日間は様々な行事がもよおされる。

刑期が残り少ない者を恩赦おんしゃとして釈放したりで、俺たち看守も朝から忙しかったが、夜にはブラックベリー所長主催の慰労会みたいなパーティーも予定されている。


 シチューがなるべく冷めないように速足で地下特別監房へと急いだ。

町中がお祭り騒ぎに酔いしれているのだが、魔王を倒した張本人はどんな気持ちでこの日を迎えるのだろうか? 

少しだけ豪華な囚人食を運びながら世の不条理を感じずにはいられなかった。


「フユさん、夕飯を持ってきたよ」

「ありがとう」


 フユさんは何かを書きつけていたのだが、それを慌てて隠していた。

まだ見られたくない魔法術式でも書いていたのだろうか?


「今日はご馳走だよ。フユさんにとっては皮肉ひにくなことかもしれないけど」

「食べ物に罪はあるまい。私は気にしない」

 屈託くったくのない笑顔で言われると、救われるような気持になった。

それまで俺は全人類の罪を背負って、祭りの食事を勇者様に届けているような気分でいたのだ。


「私にとって過去はもうどうでもいいことになっているのだよ。今は狼殿と紡ぐ未来のことだけを考えていたい」


 顔を真っ赤にしてうつむくフユさんがどうしようもなくいとおしかった。


「そうだね。今はここから出ることに集中しないと。さあ、温かいうちにシチューを食べて。たくさん食べて体力をつけなきゃ」

「うん」


 フユさんが食事をしている間に、俺はフユさんから渡された新しい魔法術式に目を通していた。

今度のは初歩的な水魔法の術式で、これを使えば10リットルの水を作ることができる。


「そういえば、やっぱり空間転移魔法は無理かな?」

「おそらく。この牢獄の詳細がわからないから何とも言えないが、船石の存在が私の転移を阻む可能性はある」


 マジックスクロールの応用で、この監房の床に空間転移の魔法術式を書いて脱出をしようという案もあったのだが、上記の理由で取りやめになった。

やはり、フユさんの魔封錠まふうじょうを外し、一旦は特別監房から出る必要があると考えている。


「まずは魔封錠、それから鉄格子だね」

「うむ。魔封錠については解決策を思いついた」


 さすがはフユさんだ。頭の出来が俺とは違う。


「どんなやつ?」

「まずはウィンドカッターで私の両腕を魔封錠ごと切り落としてしまうのだ」


 はっ?


「しかる後に上級回復魔法で欠損部位を再生すれば問題ない」

「あの、まだ俺、上級魔法のスクロールは書いたことないんですけど……。それに、きちんとかけるかわからないし」


 誤字脱字が有ったら発動しないんだぞ。


「それならば心配ない。魔封錠さえ外れれば私が魔法を使う。腕を切り落とす前にここから出ておけば問題ない」


 こともなげに言いのけるフユさんにちょっと引いてしまった。

それどころかとんでもない妙案を思いついたとばかりに、褒めてほしそうにこちらを見ている。


「愛する人の腕を切り落としたくありません」

「愛する人……ヒック!」


なんでしゃっくり?


「そ、それは、その……、だって、他に手が……ヒック! 狼殿が急に愛しているなんて言うから……ヒック! びっくりしてしゃっくりが……ヒック!」


 フユさんって世界最強の防御力を持つくせに、恋愛免疫はゼロなんだよな……。


 できればこの手は使いたくない。

それでも風魔法の術式は受け取っておいた。

脱出となると追手と戦うことだって考えられる。

俺はもう決めたんだ。

いざとなれば世界を敵に回してもフユさんと逃げる覚悟だ。

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