5-8

 看守の待機所に戻るとピーターが待っていて、メフィスト先生が呼んでいると教えてくれた。

他人を実験動物としてみているような先生とは、関わりあいになりたくないのだが、悲しいかな彼は上官である。

無視するわけにもいかないので、渋々医務室へと足を運んだ。


「ああ、来てくれましたね」


 狂気を優しい笑顔でソフトコーティングしたメフィスト先生は機嫌がよさそうだった。

すぐ横の診察台にはポーが寝かされていた。


「725番、具合はどうだい?」

「おかげさまで、なんとか……」


 ポーは首だけ動かして挨拶をしてきた。

まだ起き上がると頭がフラフラするようだが、顔色はずっと良くなっている。


「きちんと礼を言っておくのですよ。ウルフ君が介抱しなければ、君は確実に死んでいたんですからね」


 先生の言葉にポーは神妙な口調になって、もう一度礼を言ってきた。


「そりゃあもう。ウルフの旦那様には感謝してもし足りないぐらいです。ここを出た暁には、ぜひ自分の作ったパンを旦那に食べてもらわなきゃ」


 改めて礼を言われると照れてしまうが、思わず苦笑もしてしまった。

俺が使ったのは本物のマジックスクロールであり、売れば1万ギール、ひょっとしたら10万ギールは下らない品なのだ。

そのお礼が丸パン1個じゃ割に合わない。

だけど、恐縮して頭を掻くポーを見ていると悪い気はしなかった。

 

「先生、私に何かご用とお聞きしましたが」

「ええ、金の取り立てに行ってきてほしいのです」


 俺は看守であって取り立て屋ではないのだが……。


「いえね、この725番君の治療薬として1レットの白ワインを飲ませたのですよ。その代金を彼の奥さんから受け取ろうと思いまして」


 比較的寒冷なブリテニア国ではワイン用のブドウはとれないので、ワインは高級品だ。


「いくらになりますか?」

「3000ギールを徴収してください。君のお使い賃は、君の裁量で徴収してもらっていいですよ。君なら法外な値段を吹っ掛けることもないでしょう?」


 あることないことを吹き込み、奥さんを怖がらせ、大金をせしめようとする悪い看守もいるのだ。

俺なら足代として300ギールも貰えば十分だと考えている。

先生からアルバン監獄の印をついた正式な請求書を受け取り、出かけることにした。


「725番、奥さんに言伝(ことづて)があったら頼まれてやるぞ」


 どうせついでのことだから、それくらいはしてやろうと思ったのだが、ポーはこちらが思う以上に喜んだ。


「ありがとうございます、旦那。そうですねぇ、なにか退屈を紛らわすものを差し入れてほしいと伝えてもらえませんか」


 聖典や3センクル以下の小さな神像や女神像、卑猥でない絵画などは監房に持ち込むことが許されている。


「たとえば?」

「どんなものでもいいんですよ。喋る相手がいないもんで、時間がやけにゆっくりと流れていきますから……」


 ポーは治療と万が一に備えて独房に移されているのだ。

万が一というのは暗殺を恐れてということらしい。

それにしても、一人きりというのは寂しいものだろう。

勇者様の正座姿を思い出しながらそんなことを考えた。


「なんなら俺の本でも貸してやろうか?」


 親切でそう言ったのだが、ポーは俺の言葉に顔をしかめた。


「本はちょっと……。いえね、文字が読めないわけじゃないんですよ。こう見えて、ガキの頃は神殿の聖歌隊にもいましたから、そこで文字は習っているんです。でもねえ……」


「なんだ、本は嫌いか?」


 本好きの俺としてはおもしろくない。


「いやぁ、本というのは買えば高いモノじゃないですか。もし間違って傷でもつけたらと思うと、オチオチ読んでもいられないですから」


 確かに大事な本を傷つけられてはかなわない。

だけど、俺のコレクションの中には、安紙を糸で綴じただけのような簡易な読み物もあるのだ。


「先日もアパートの隣に住んでいるビンクスってやつと、廊下で出合い頭にぶつかっちまいましてね。ビンクスが抱えていた包みから本が落っこっちまったんですよ。普段からガイコツみたいな顔をした気味の悪い野郎なんですけど、そのときの目つきは凄まじくて、背筋が凍ったほどです」

「よほど大切な本だったんだろうな」


 ビンクスとやらの気持ちはわかる。


「たぶん高価な本だったと思いますよ。革表紙の立派な装丁で、金色の絵が描いてありましたから。弁償だなんだって話にはならなくて助かりましたが、かなり腹を立てていたようでした。目つきが尋常じゃなかったもんな……」


 そういった本なら最低でも1万ギールはするものだ。

ビンクスが怒っても仕方がないだろう。


「金文字の本か。タイトルとか見なかったの?」


 本好きとしては気になってしまうところだった。


「チラッとしか見ませんでしたけどね、文字はどこにも書いてありませんでしたよ。絵だけです」


 絵だけ? 

それは随分と珍しい。


「どんな絵だった?」

「なんだか気持ちの悪い絵でしたよ。太い金色の線で目だけが描いてあるんです。まるでこちらをじろりと睨んでいるようで、嫌な感じでした」


 目の意匠? 

……まさか‼


「おい、その眼の真ん中には五芒星(ごぼうせい)が描かれていなかったか?」

「えっ? 五芒星?」

「こんなふうな星の形だ」


 指で空中に星の形を描いてやると、ポーは合点(がてん)がいったように手を打った。


「そうそう、それそれ! 確かにそんな星が描いてありました。気持ち悪い目でね」


 どうやら俺の予想は当たっていたようだ。

だとしたらこれは大事件になるかもしれない。

勇者様の言う通り、ポーはそれとは気がつかない内に犯罪の証拠を見てしまっていたのだ。

俺の様子がただならないことで、メフィスト先生が口を挟んできた。


「どうしたんだい、ウルフ君?」

「先生……、おそらく、725番に毒を盛ったのは、そのビンクスです」

「どういうことか、よくわからないんだが……」

「奴の持っていた本というのは『ゾーマの約定』かもしれません。Bランク禁書の一つですよ」


 一口に禁書といっても色々ある。

俺の持っている『愛の聖典 四十八の形』なんていうのは他愛のないエロ本だが、『ゾーマの約定』となると本物中の本物で、実際に下級悪魔を召喚できてしまうという恐ろしい本だ。

所持しているだけで火あぶりは確定というとんでもない代物だった。


「先生、今からロンディアン市警に行ってきます。ひょっとしたら遅くなるかもしれないので所長に話を通しておいてください」

「わかった。それはこちらでやっておこう」


 いつになく真剣な眼差しのメフィスト先生に見送られて、俺は急ぎ足で医務室を後にした。

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