4.マジックスクロール 4-1
鉄扉の軋む音がして、バートンがやってきたことがわかった。
すでに時間は地の3刻(20時くらい)をまわっている。
今度こそまともな挨拶をしようと、布由は午後をずっと発声練習に勤めていたのだ。
バートンが食事を持ってきたら、こちらから話しかけて驚かせてやろうかと待ちわびていたのだが、どういうわけか今日に限ってやってくるのが2刻以上も遅かった。
(なんなのだウルフのやつは。これまでずっと好き放題喋っていたくせに、私が話しかけようとすると焦らすようなことばかりして……)
「大変遅くなって申し訳ございません。夕食をお持ちしました」
深々と頭を下げながらバートンが差し出したトレーの上に見たこともない夕食が乗っていて、布由は我が目を疑った。
実は囚人の食事というのは朝晩につき5種類のメニューしかない。
夕食のメニューを列挙すると、
一日目
ジャガイモと脂肪ばかりのベーコン。パン。季節によってはこれにリンゴや茹でたトウモロコシがつく。
二日目
ジャガイモと野菜のスープ。パン
三日目
臓物のパテ(脂だらけで、監獄で一番評判の悪い料理)。パン。
四日目
豆入りスープ。パン。
五日目
すじ肉のスープ(囚人に一番人気)。パン。
この五種類が延々と繰り返されるのだ。
金のある囚人は外から食べ物を買うことができたが、そうでない者は、これら地獄の餌のような食事を延々と我慢して食わなければならなかった。
布由も夕食に関しては特別扱いがなく、四年間ひたすらこの食事が続いていた。
それなのに今夜の食事はちょっと違っている。
トレーの上の皿には形が
「どうぞお召し上がりください」
「これは……なに?」
「えっ……」
突然布由が話し出したので、バートンは一瞬だけ言葉を失ったが、何もなかったかのように説明した。
「実はちょっとした事件が起こりまして……その……勇者様の晩御飯のことをすっかり忘れていました! 申し訳ございませんでした」
バートンはもう一度頭を下げた。
だが、布由はそんなことは意にも介さず質問を繰り返した。
「これは何なの?」
「その……囚人用の食事はすべてなくなっておりまして、料理人も全員帰宅した後でした。仕方がないのでこっそりと調理場に入り込み、私が作りました」
料理の経験がないバートンにとって、唯一作れるのがオムレツだった。
「形は悪いのですが、味の方は大丈夫と思いますので、お召し上がりになってください」
「うむ……」
布由はこれまで看守がいる場所では一切食事に手は付けてこなかった。
物を食べていれば隙ができるし、食べる姿を見られるのが純粋に嫌でもあった。
そもそも誰かと食事をするという経験がなかったのだ。
これは性癖みたいなものだったが、今晩の布由は少し違っていた。
おずおずとスプーンを取ると、オムレツを一匙すくって口に入れた。
バートンは食事の様子を注視しないように、そっと目線を外していた。
「美味しい……」
弾かれたようにバートンは笑顔を見せた。
「それはよかったです! 本当はお口に合うかどうか不安で不安で……」
布由はスプーンをもったまま小さく笑った。
「ようやくいつも通りのお主になったな」
「えっ?」
「今日は昼間からいつになく寡黙だったではないか」
ほんの少しだけ拗ねたように、布由は不平を言った。
「そうでしたか? あっ! そうかもしれません。実はずっと考え事をしていました。以前、私が囚人から愛人に手紙を届けることになったいきさつをお話したのを憶えていますか?」
「うむ、美男子でもないのに愛人がいるというのを不思議がっていたな」
「それなんですけどね……」
バートンは一連の事件の経緯を布由に話して聞かせた。
布由はオムレツを食べながらバートンの話に聞き入った。
「といったわけで、お夕飯がこの時間になってしまったのです」
「なるほど、お主も災難だったな」
布由は空になった皿にそっとスプーンを置いた。
「ごちそうさまでした……」
手を合わせて頭を下げる動作がバートンには新鮮だった。
「それが天上界の作法なのですね?」
「天上界? ああ、お主らはそう呼ぶのだったな。そんなことよりお主、怪我をしているのか?」
バートンの手首には真新しい包帯が巻かれていた。
「かすり傷です。私としてはシャツを破かれた方がショックでして。貧乏看守にとってシャツは貴重なんですよ」
「ふむ、オムレツの礼に回復魔法でもかけてやりたいところだが、今はこんな身だからな」
布由が手枷を持ち上げてみせると、ガシャリと重そうな鎖の音が響いた。
「とんでもない。これくらいの傷はどうってことないですよ」
「ふむ、そういえばお主はマジックスクロールを作る能力があったな」
「えっ? なんですかそれ?」
バートンにとっては寝耳に水の話だった。
「自分の能力に気がついていないのか? おかしいと思ったのだ。この世界の文化はよく知らないが、スクロール師がどうして看守などをしているかと疑問に思っていたのだよ」
「あの、マジックスクロールとはいったい……」
「簡単に言えば、魔法術式を紙に書いたものだ。それがあれば、誰でも魔法が使える」
「私がそのスクロールを作り出すことができるというのですか?」
「うむ。特殊能力というやつだ。もっとも自分の保有する魔力を込めるわけだから、ある程度の魔力量と時間が必要になるぞ」
布由の話を聞きながら、バートンは体の震えが収まらなかった。
「そ、それで魔法術式というのは?」
「ん? ああ、この世界の人間は魔法術式自体を知らないか……。お主、アスカ語ではなかった、天上語は話せるようだが、書く方はどうだ?」
「大丈夫です」
「だったら、簡単な術式をいくつか教えてやろう。次回来るときは紙とペンを持ってくるがよい」
「ありがとうございます!」
バートンは感動のあまり鉄格子越しに布由の両手を掴んでいた。
これまでの布由なら即座に反応して、手を握られる前に手刀で眼球をくり抜いていただろう。
そこまでしなくても、指の二、三本は折っていたかもしれない。
だが、その晩の布由は一歩も動くことができなかった。
「そろそろ夜間巡回に行かなくてはならないので失礼しますが、明日は紙とペンを必ず持ってきますね。それから私の大好きな本も何冊か持ってきましょう! 少しは退屈がしのげると思いますよ」
おやすみなさいを告げると、全身で喜びを表しながらバートンは去っていった。
鉄扉の閉まる音がして布由は肩の力を抜く。男に手を握られるなど初めての経験だった。
なぜ自分はこうもやすやすと看守に手を握らせてしまったのかと不思議に思ったが、明確な答えは導きだされなかった。
「不覚……」
静まり返った地下牢獄に布由の小さな呟きが響いた。
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