308 大通りの、小さな酒場内にて/黒髪の男①

 フィオナ商隊が大通りの市場を去った後、広場は少しずつ、いつもの光景を取り戻しつつあった。


 だが、先までの熱気が、まるで余熱のように残っていて、所々でまだ、盛り上がっているところもあった。


 ――カチャッ、キィィ……。


 そんな、市場の一角にある、若者達ご用達の、小さな酒場の、その立て付けの悪くなってきた扉が開いた。


 「いらっしゃい」


 カウンターで、小さな酒樽をシェイクしていた店主が、声をかけた。


 「……」


 黒髪の男が一人、入ってきた。


 「一人かい?」

 「はい」


 店主の問いに、黒髪の男は笑顔でうなずいた。黒い瞳の、愛想のいいそのにこやかな表情は、それだけで、人の好さを物語っていた。


 「カウンターなら、空いている。ちょっと、そこの君ら、すまんが詰めて座っておくれ」


 店主が、席を空けて座っていた若手の護衛2人に、声をかけた。


 「えぇ~!嫌だよ」

 「なんでだよ」

 「だって、近くにいると、お前、臭いんだもん」

 「いやフツーに失礼じゃね!?それ!!」


 護衛の2人が、漫才のようなやり取りをしている。


 「はいはい、いいから、席を空けなさい」

 「へ~い」


 空いた席に、黒髪の男は座った。


 「すみません、ありがとうございます」


 黒髪の男は、席を移動してくれた護衛2人に、行儀よく礼を言った。


 「おう、いいってことよ」

 「へへ、なんか、いい感じの兄ちゃんじゃねえか」


 護衛の2人は、黒髪の男に好感を持った様子で、黒髪の男の肩をぽんぽんと叩いた。


 「……あっ、たしかに、ちょっと……」

 「あっ!臭うってか!?」

 「ガハハ!!ノリもいいじゃねえか、黒髪の兄ちゃん!」


 3人は打ち解けた様子で、笑い合った。


 「見ない顔だね、それに、若い」


 店主が、黒髪の男に言った。


 「このあたりは、初めてかい?」

 「はい」

 「旅の人?」

 「そうですね。まあ、そんなものです」

 「なににするかい?」

 「えっと……それじゃあ、オススメは?」


 黒髪の男は店主に聞き、店主が言った酒を頼んだ。


 黒髪の男の前に、グラスに注がれた、透明な赤紫色の酒が置かれる。


 上品に、黒髪の男は酒を少し、口に運んだ。


 「おいしいです」

 「だろう?この酒だけは、値段以上の価値があるのさ!」


 得意げに、店主は鼻を高くしながら言った。


 「おい!いっつも俺たちには、安い酒提供してるくせに!」

 「やかましい!旅の者は、特別なのだよ。それに、お前らのような味の分からないヤツらは、どうせ、この味は分からん!」

 「んだとう!」

 「あはは、仲、いいですね……んっ」


 黒髪の男は苦笑しながら、護衛2人と店主に言うと、店の外に目線を向けた。


 「どうした?」

 「なんだか、さっきまで、外がすごい盛り上がっていたのですが、なにかあったのですか?」

 「ああ、それはな……」

 「えっ!?」


 いつの間にか外から戻ってきて、カウンターで酒を小樽に注いでいた看板娘が、驚いた表情で黒髪の男を見た。


 「あなた、ウテナさんを、知らないの!?」

 「ウテナさん……ですか」


 黒髪の男は、首をかしげた。


 「この国で、いま、ウテナさんを知らない人なんて、いないのよ!?」

 「あぁ、すみません……」

 「旅の方だから、分からないのは当然だよ」


 店主が、看板娘に言った。

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