あたたかな音色

ゆずりは わかば

第茸話 リュックサックに足りないもの

 昔はもっと、パンパンに詰まっていた。

ナイフ、ランプ、ビスケット、空き瓶。ロープ、ノート、皮の水袋、マッチ。

リュックサックに詰めているものは、幼い頃とあまり変わらないはずなのに、何かが足りない。わたしのリュックサックには、正体不明の余白がある。

 昔は、とても大切なものが入っていたはずなのに……





 この世界は、未知を失いつつある。挑戦はイベントに、冒険は旅行になった。そんな世界で、最後に残った余白があった。


 その名は「シャアン」


 幾人もの旅人を吸い込み、未だに踏破した者のいない霧の湿地帯。その最奥に遺跡があるという言い伝えと、その湿地帯が楕円形であるということ以外、情報は何も無い。

 わたしの最後の冒険にぴったりの場所だ。


「行ってきます」


 テーブルの上に置いた写真に声を掛けて、暗い部屋に鍵をかけた。


 ***


 湿地からだいぶ遠いはずの街なのに、ここもうっすらと霧がかっていて、見通しが悪かった。

 馬車の荷台で干しイチジクを食べながら、もう演奏できない横笛をながめる。


「ここまでだ」


 手綱を握ったまま、御者が無愛想に告げる。


「ありがと」


 馬車から飛び降りて手を振って、自分の足で歩き出す。

 霧で薄く湿った空気は冷たいが、分厚い鱗苔で作ったマントが、霧からわたしを守ってくれる。

『このさきシャアン、いのち保証ナシ』の看板を通り過ぎて、余白の正体を探す冒険が始まった。

 湿地に近づくにつれてからはどんどん濃くなり、10メートル先の木が見えなくなり始める。


「まるで雲の中にいるみたい」


 独り言は誰にも届かず、沈黙と白が世界を支配する。ヒカリゴケがぼんやりと足元を照らし、湿った柔らかい土を靴越しに感じた。

 しばらく歩いていると、何やら足音が付いてきていることに気づいた。私の歩調に合わせて、一定の距離を保って付いてくる。その場で足踏みをして振り返ると、茂みから足音の正体がちょこちょこと現れた。私に見つかったことに気づき、慌てて逃げようとするソレに飛びついて捕まえる。

 腕の中で暴れるソレの大きさは子供の頭程度、黄緑色の球根型で、先端からはちょろりと一枚若葉が生えている。根のような器官をバタバタさせていたが、少ししたら大人しくなった。


「きみは何者なんだい?」


「イトナー!」


 隙間風のような、ピゥピゥという音。


「喋れるのか。すごいな」


「ナニモノ?」


「私? 私はアコユア」


「アユコ……?」


「アコユアだよ」


「アユコ!」


 地面に下ろしてやると、球根は私の周りを嬉しそうにぐるぐると走り回った。


「アンナイ」


 トコトコと器用に歩く球根を見て、私はいよいよ湿地が近いことを察した。


 ***


「ヌマチ」


 球根が立ち止まった先の地面は、これまでとは色も湿り具合も違っていた。


「沼か」


 ポケットから出した小石を釣り糸で縛って投げ込むすと、小石は糸を連れて、するすると沈んでいく。3メートル弱あった糸は全て沼に吸い込まれてしまった。


「深いな……」


 イトナーと名乗るこの球根が教えてくれなかったら、気づかずに深い沼に落ちるところだった。重いリュックを背負い、マントや様々な道具を身につけている私は、落ちていたら間違いなく浮上出来ずに溺れていただろう。

 どうしたものか歩きながら考えていると、人が乗れそうな大きさのはっぱを見つけた。リュックから鉤縄を出して葉を引き寄せ、片足を乗せてみる。


「これなら乗れそうかな」


 私のつぶやきに、球根は首をかしげるように少し傾いた。

 辺りを見回してもオールになりそうなものは無い。仕方がないのでリュックサックからフライパンを出した。葉に乗って沼に漕ぎ出そうとしても、イトナーはこちらに来ようとしない。


「ここでお別れ?」


「キノコ」


 その場でくるくる回りながら、もう一度言う。


「キノコ!」


 霧の中に走っていくイトナーを、思わず追いかける。


「待って!」


 球根が走って行った先には、私の背丈ほどの大きさの茸が生えていた。


「キノコ」


 イトナーは、茸の前で立ち止まって動かない。


「これ欲しいの? 仕方ないなぁ」


 ため息をひとつついてから、ベルトの鞘からナイフを抜いた。


 ***


 沼には独特の生態系があるようで、チョコレートのようになめらかな泥から、何かの細長い背中や、水晶玉のような目玉が、時折顔を出す。沼の住民が近くを通るたびに、足元が不安に揺れた。

 馬くらいは簡単に飲み込めそうな大きな口が、近くの浮いている葉をばくりと食べたこともあった。でも、恐怖は不思議と感じない。穏やかで平静な気持ちで、先へ先へと漕ぎ進める。

 ここに来てからコンパスが役に立たないので、漕ぐ方向がこれで正しいかはわからない。しかし、イトナーが何も言わないなら、たぶん間違ってはいないのだろう。


 どれくらいの間漕いだか分からないが、葉が何かに乗り上げる感触がした。膝の上で大人しくしていたイトナーが、急いでリュックに潜り込んできた。


「ここから歩き?」


 球根からの返事は無い。手に持ったフライパンで浅いところにたどり着いたことを確かめてから、葉を降りた。


「キノコ」


「はいはい」


 リュックを背負い直し、葉から茸を回収した瞬間、周囲の霧が渦巻き、持ち上がり、空へ登って雲になった。クリアになった視界の中に最初に入ってきたのは、雨粒だった。霧の雲から次々と、握りこぶし大の水滴がゆっくりゆっくりと降りてくる。牛の歩みのように。じっくりと、着実に。

 顔の高さに来た雨粒を指でつつくと、波紋が、水面にぶるりと伝わった。

 茸を傘がわりに雨粒をかわして、また進み始める。茸傘に雨が当たるたびに、ぼたりと水が弾ける感触がする。

 そういえば、ここに来てから一度も休んでいない気がする。


「キノコ!」


 球根が向いている方を見ると、確かに見たことないほど巨大な茸が見えた。

 あれだけ大きな茸なら、傘の下で一休みできそうだ。







 雨粒が茸の広い傘に当たるたびに、ぼたりと水が弾ける。茸の傘に守られて、私はようやく一息つくことができた。地面に下ろしたリュックから頭を出す球根を撫でて、降り続ける水玉を眺めた。


「この世界に、まだこんな不思議な光景があるなんて。知らなかったな」


 ぱんぱんにふくれたリュックに腰掛けて、革の水筒から水を飲む。マントを軽く絞り、干しイチジクを食べ、水玉が傘で砕ける音を聞いた。


「この世界に、まるで1人だけしかいないみたい」


「アユコ」


「お前もいたね」


 つるつるとした輪郭をなぞってやると、球根は嬉しそうに身体を震わせた。


「よし、そろそろ行こうか」


 勢いをつけてリュックを背負い、傍に置いていた茸を傘がわりにして、再び雨の中に踏み出した。

 ぼたりぼたりと雨を傘で受けて、どちらかわからない方へ歩く。自分の正しいと思う方へ、根拠のない直感を信じて。


 泥を踏む感触に飽き始めたころ、人工的に加工された岩が見えた。


「まさか……」


 長い間人が増えていないからか、ところどころ崩れてしまっているが、間違いなくなんらかの遺跡だ。

 石畳の道を歩き始めた途端、リュックからイトナーがコロリと出てきて、また私を先導するように歩き出す。硬い地面に薄い懐かしさを覚えつつ、イトナーの後に続いた。


 湿地の中に浮島のごとく佇むこの遺跡は、どこか悲しそうで、苔を着て寂しそうに居る様は、なんとなく私に似ていると思った。


 ***


「ココ」


 導きの果てにあったのは、なんの飾りかもない、古びた木の箱だった。さっきまでの私と同じように、大きな茸に守られて、ぽつりとそこにいる。


「ここまでたどり着けたのは、イトナーのおかげだよ」


 しゃがんで若葉を撫でてやると、球根は、くるくる回って喜んだ。

 ふぅ、とひとつため息をついて、箱に手をかける。鍵はかかっておらず、箱はあっさり開いた。

 そろりと箱の中を覗く。箱の中にあったのは、丸まった鳩のような形の楽器だった。


「オカリナ」


「おかりな? この楽器のこと?」


 球根は、期待するようにゆらゆらとする。


「オカリナ」


「演奏できるかわからないよ」


 リュックを下ろし、空になった箱に腰掛けた。

 焼いた粘土で形作られたその楽器は、吹き込まれた息をやわらかくて、まるい音色に変えた。


「あたたかい音」


「モット! モット!」


 嬉しそうに走り回る球根を見ていると、私もなんだか嬉しくなってきた。演奏できもしないのに、調子に乗って楽器で色々な音を出した。

 そうして楽器を吹いていたら、不意に父の顔が頭をよぎった。

 初めて冒険に連れて行ってもらった時も、見たことない楽器を吹いたんだっけ。さっきまでのあたたかい気持ちが、スッと引いていくのがわかる。


「お父さん……」


 ここに来れば、無くしてしまった何かを取り戻せると思った。余白が埋まると思っていた。でも、余白なんてものは最初からなかったのだ。

 私は、父を失ったことを


「認めたくなかっただけなんだ……」


 球根が、膝を抱える私の隣に、黙って寄り添う。

 大粒の雨は、いつまでたっても止まなかった。


 ***


 霧の世界から得たものは、小さな楽器と同居人だけだった。リュックサックは相変わらず余白が埋まらないままだけど、この余白は、世界のどこに行っても埋まらないのだと、あの旅で悟った。


「アユコ」


「はいはい」


 リュックサックが満杯になることは、多分しばらくないけれど、今はこの奇妙な相棒と、あたたかな音色があれば、それで良い。


「行ってきます」


 窓際に置いた写真に声を掛けて、私は小さな部屋から飛び出した。

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