CASE6「ありふれた願い」
「どんな願いでも一つだけ叶えてやろう。代償はオマエの命だ」
さあ、願いをいえ。
……まさか本当に悪魔を召喚できるなんて思っていなかった。黄金色の夕陽が差し込む図書館の片隅で、悪魔が野太い声で台詞を言い切るより先に僕の思いが溢れた。
「僕の嫌いな奴を全員、殺してください!」
叫んでから辺りを見渡した。頬が熱い。でも別に構わない。誰かに死んでほしいなんて、誰もが思ってることだ。
どうやら僕以外には人っ子一人いないらしくて、今度は溜息が漏れた。例外である悪魔は捻れた角と一緒に頭を傾げ、牛の頭蓋骨を揺らしてがははと笑う。
「それはもったいないぞ坊主、他のにしろ」
窓から冷たい風が吹き込み、レースカーテンと一緒に悪魔の黒い外套がはばたいた。自らの顎をさする毛むくじゃらの無骨な手は動物図鑑の表紙を飾る熊を彷彿させた。イメージと違うのは僕の中の悪魔像が死神と混同しているせいだろう。
「なんだよ、できないのか?」
「馬鹿を言うな。人間の一人や二人、全人類だって今すぐ殺せる」
「だったら殺してくれよ。僕はもうすぐ死ぬ。でも、嫌いな奴が僕の死後に僕のことを出汁にして笑ってるのが我慢ならないんだ」
「異なことを言うな。人間など全員もうすぐ死ぬだろうに」
「……何か人類が滅亡するようなことが起こるってのか? 彗星が軌道を変えたなんてニュースは見てないし、台風って季節じゃない。ミサイルも核も飛んだなんて警報は来てない。超大型地震でも来て活火山も死火山は爆ぜて大気変動、地球は氷河期へってか?」
「小難しく考えるのが趣味なら否定はせんが……いいか坊主、遅かれ早かれ人は死ぬ。形あるものはいずれ壊れるし、昨日まで仲の良かった友人が今日になって突然いなくなることもある」
「わかってるよ、そんなこと。不老不死なんてファンタジーはこの世の中に存在しない」
いや、ファンタジーはどうやら存在するらしいけどな。天井すれすれから僕を見下ろす悪魔を睨みつける。
「ならば改めて問おう。オマエの願いは『嫌いな人間を殺せ』だが、人間の寿命はたかだか数十年。
やはり、もったいないとは思わなかった。死ねと願わなくてもいつか死ぬ? そんな『この飴、欲しい?』と聞かれて『欲しい!』と答えて、手にした飴を『はい、上げた』な理屈で、納得できるわけがない。たしかに嘘は吐いていない。でも、それは悪魔の証明に過ぎない。悪魔だけに。僕は数十年後なんかじゃなく、今すぐ奴らに死んで欲しいのだ。
とはいえ、一理ある。嫌いな奴を今すぐ殺して、僕も死ぬ。何が悲しくて嫌いな人間と心中みたいな真似をしなければならないのか。
何もできないまま死んで笑われ続けるくらいなら、笑わせないようにしてから死ぬほうがいいのかもしれない。嫌いな人間を全員見返して、それから僕の命を賭けよう。
「じゃあ、僕の願いは……」
十
人生で初めての彼女ができた。絶世の美女なんかじゃなければ学校のマドンナなんかでもない。申し訳なくなるくらい気が利いて、僕と価値観の合う可愛らしい人だ。
十
彼女と喧嘩した。仲直りのきっかけが掴めず、ガムシャラに就職活動を頑張って、そこそこの会社に内定した。それを彼女に連絡すると、彼女は自分のことのように喜んでくれた。彼女と仲直りした。
十
仕事にも慣れて、ついに昇進が決まった。胸の高鳴りが治らない。ちょっとした寄り道をしてから、同棲している彼女を迎えにいく。奮発して少し値の張る店で話を切り出すと、彼女も凄く喜んでくれた。奮発した甲斐があったというものだ。
帰り道、灯りの少ない道でふと隣を見ると彼女は空を見上げていた。白い吐息を追うと澄んだ星空が煌めいていた。
「なあ、話があるんだ」
「昇進おめでとう?」
「ありがとう。っていや、そうじゃなくて!」
首を傾げる彼女と手を繋いだまま、
「僕と……結婚してください」
「っ……はいっ!」
十
妻が妊娠した。仕事に精が出るのは早く帰って彼女を安心させたかったからだ。新しい命と負担が大きい彼女のためを思うとキツイ仕事も続けられた。喧嘩をしてもまずは自分の非を疑って、自分から謝ることを心がけた。
お腹も随分と大きくなった。この頃になると仕事に身が入らず、むしろ病院から連絡があった時はスムーズに会社を抜け出せたくらいだ。本当は彼女に付きっきりでいたかったけど、二人の為にはそうもいかない。三人のため、だろうか。
赤ちゃんなんてみんな同じような顔だ。そう思っていた時期が僕にもありました。僕らの子は彼女とよく似た可愛い可愛い女の子だった。
さっきまでの痛みも辛さも苦しみも全部忘れて、泣き喚く娘の傍ら、僕らは笑った。
十
子どもの成長は早い。七五三、幼稚園、小学校、中学校、高校。大人になってからぐんと時間の流れが早くなったような気がしたけれど、娘が生まれてからはさらに時間が早く過ぎた。
娘は妻に似て、恥ずかしがり屋な部分は強く出たけど反抗期みたいなものはなかった。変な所が僕に似なくて本当に良かった。
十
ある日、娘が男を連れてきた。何とか大学まで出した娘が、男を連れてきた。男を、連れてきた。そうして少し意地悪な質問をした自分が恥ずかしくなった。彼はどこか僕に似ていて話の合う好青年だった。何より、僕の娘が相手に選んだ男だ。娘の目に間違いはない。妻も僕と同意見であるようだった。
娘の結婚式では泣いた。妻も泣いていた。珍しく僕に泣きながら怒った。君も泣いてるじゃないか。おめでとう。いい子に育ってくれて、ありがとう。
十
あっと言う間にお爺ちゃんと呼ばれる歳になってしまった。孫たちが可愛いくて仕方ない。妻も孫にかかりきりで、僕はふつふつと湧いたヤキモチを義理の息子と一緒にアルコールで飲み下した。彼も娘も子どもにかかりきりで大変だ。僕らでサポートしてあげよう。あまり説教臭くならないようにも気を付けねば。
僕の身体に癌が見つかった。
末期癌だった。
十
悪魔と契約したあの日から八十年が経った。
閉院時間間際だというのに、娘もその旦那も孫たちも、僕のベッドに張り付くように離れない。黄金色の夕陽が揺れるカーテンを透かして煌めいていた。
パパ、私はここにいるよ。
お義父さん、しっかり!
お爺ちゃん、死んじゃ嫌だ!
ねえ、お爺ちゃん、死んじゃうの?
誰かが足りない気がした。世界が白い光に包まれていく。娘が悲しそうな顔をしている。
「……どうした?」
「あなた……ママが、ママが」
急かすような電子音が聞こえる。ピーピーピーピー、うるさいんだよ。娘たちの声が聞こえないだろうが。
死が目前に迫っているとわかった。僕の身体にはもう生き続けるだけの力は残されていない。僕を囲んで泣き叫ぶ家族を見て、何かを思い出す。
……ああ、そうか。
娘が生まれたときと同じだ。僕が生まれたときもきっと親父とお袋は笑っていた。そして僕が死ぬときは子供たちが泣いてくれるのだ。
僕は命を代償に生きたのだ。
「久しぶりだな、坊主」
気がつくと隣に悪魔が立っていた。
黄金色の夕陽が足元の芝生も空も川も全て燃えるように輝いている。
「よう、悪魔」
「願いは叶ったか?」
「ああ、叶ったよ」
「そいつはなにより。じゃあ代償は貰うぜ。オマエの嫁も向こうで待ってる」
「ああ……そうか、それは、なんというか」
言い淀んでいると悪魔はがははと笑った。
「オマエ老けたなあ、あのときは躊躇いなく『嫌いな奴を殺してください!』って台詞を被せるわ小難しいことを巻くし立てるわで面倒なガキだったくせに」
「はっ、そういうお前は変わらないな……最後まで面倒かけた。僕はちゃんと普通に幸せだったよ」
黄昏時の河川敷で彼女が手を振っている。
僕は手を振り返し、彼女の元へ歩いた。
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