CASE4「死にたい君と死なせたくない僕のしあわせについて」
世の中には二種類の人間がいる。一つは、死ぬのに苦労する人間。もう一つは、生きるのに苦労する人間。要は、生きるのに向いているかどうか。それだけだ。
僕の仕事は、生きるのに苦労する人間が、死にたいように死ぬ手伝いをすること。要は暗殺業である。一般的な殺し屋との違いは以下の通り。
1.
2.料金は「お気持ちで」。
3.特別な技術は必要ない。
4.直接手を下すことはない。
やることは一つ「望んだ方法で死ぬための具体的な方法を教える」だが、依頼にも色々ある。オプション、というべきだろうか。
よくあるのは「身辺整理のやり方」、携帯回線の解約など簡単なものから始まり、遺産の管理まで。
次いで「家族に金を遺す方法」、多くの場合は生命保険への加入を勧める。条件や種類にもよるが、自殺でも条件を満たせる場合がある。難しければ、こちらから内臓や戸籍、銀行口座の買い取り業者も紹介する。
しかし、今回のような依頼は初めてだ。
「最後に人の役に立ちたい」がSSレアだとしたら、「好きです、私と付き合ってください」は、バグだろう。設定ミスにしたってやり過ぎだ。
月曜日の午前零時と、午後零時。自殺者の最も多い時間にだけ、ウチの会社に繋がる。死にたい思いと、
その声に、思わず僕はこう聞いた。
「お名前をお伺いしてもよろしいでしょうか?」
「はい。私の名前は――」
生きるのに向いていない人間が、生きるのに向いていないと思えないのは珍しくない。でも、彼女には、死んで欲しくなかった。たとえ、彼女自身が死にたがっているとしても。
*
直接手を下さないとはいえ、自殺
「こんにちは、殺し屋さん」
お疲れ様です、と口にしかけて、飲み込んだ。依頼人と面と向かって会うなど、論外だ。ましてや開口一番に機密を明かそうとするなど、以ての外。こんなことで取り締まられるわけにはいかない。と、考えるのが普通なのだが、僕はそうは思わなかった。彼女が抜けているだけだとしても、彼女の性格が悪いのだとしても、それはそれで構わない。
失うものが何もない。というのは即ち、無敵だ。その人の手の届く範囲に、最も欲していたものがあるのなら、怖いものなどないだろう。今の僕がいい例だ。
十月末、台風の近づいている公園には彼女と僕しかしなかった。はためくマフラーに埋めた顔に、痛々しいほどの笑顔を張り付けて、彼女はこういった。
「早速ですが、殺し屋さん。私とセックスしてください」
ブーツを履いて、スカートの中の脚は黒いタイツに包まれて、ハイネックのセーターは首まですっぽりと包みながら女性的なラインは包み隠さず、ロングコートを着て、その癖に手袋は着けていない。色白な顔の頬を赤く染めて、癖一つない黒髪がマフラーと絡まってメビウスの輪を描いている。既に冬支度万端で、どこか投げやりにさえ思えるちぐはぐさだった。
年甲斐もなく躊躇いがちに彼女の手を取って――彼女の手は、氷の方がよほど温かいと感じるほど冷たくて、滑らかだった――目的地へと歩き出した。
上手く微笑み返せた気がして、死にたくなった。
*
目的のホテルに辿り着くと、公園を出てから十五分しか経っていなかった。恐らく、人生で最も密度の濃い900秒だったように思う。随分と話し込んだ気がしたのに、十五分。一瞬だったようにも、4年間ぐらい話していたような気もした。
「どうして、殺し屋さんは殺し屋さんになったの?」
始めは、そう聞かれて、僕が答えた。
かつては僕もSSレアだった。生きたい理由は数えるほどしかなくて、死にたい理由なら幾らでも思いついた。五年前の月曜日の午後零時に電話をかけて、そのときに提示された選択肢の一つが〈うちで働いてみないか〉という提案だったのだ。仕事を辞める時は死ぬ。機密を明かしたら死ぬ。死にたくなったら死ぬ。特筆すべき契約はそれだけだった。それから4年も、僕は死を与える為に生きていた。
自分の将来に希望が持てなくなって、ふとした瞬間に死を意識するようになって、思い残したことを考えた。取り返しのつかないことを取り返そうとは思わず、ただどうしたらこれから後悔なく死ねるかを考えていた。
その一つが、好きだった人を一目見ることだった。
どこで何をしているのかもわからない彼女を一目見れれば十分だった。言葉を交わす必要はない。触れ合う必要はない。目を合わせる必要はない。ただ、見間違いではなく、彼女を一目見ることが出来れば、『ああ、僕がいない世界でも、彼女は別に問題なく、ごく普通の幸せを享受しながら生きていけるんだなあ』と、諦観の籠った溜息の一つでも吐いて死ねる。そう思っていたのに、何の因果か、そんなことを思っていたと、今、その彼女本人に語って聞かせていた。
「でも、死ねなかった。お盆に実家に帰ったとき、僕は毎年地元の友達と飲みに行くんだけど、その年は僕だけ酔いつぶれちゃってね。情けないなって思うのに、アルコール特有の多幸感みたいなものはあって、その帰りの電車で、君を見たんだ。楽しそうに僕の名前を呼んで、手を振ってくれた……アイツと一緒に」
「うん、覚えてる。あの日、私も飲みに行ってたから」
「あの頃、アイツとは付き合ってたんだろう? それが、どうして?」
「……? ああ、違うよ? 帰りの電車が一緒だったから、送ってもらってただけ」
「なんだ。じゃあ、死にたがり損だったかな」
「そんなことないよ。そのとき死にたがって、死ねなかったから、私は最期をあなたと過ごせるんだから」
「……不思議なもんだ。僕はいつだって死にたがってたはずなのに、幸せそうな君を見たら、死ねなくなっちゃったんだから」
「本当は、いつでも死ねるような、満足のいく人生が送れればいいのにね」
「ああ、残念ながら、僕は、いつになっても不安だから、死にたかったんだ」
「みんな怖いんだよ。変えたい過去があって、でも、未来が変えられる保証なんてどこにもないから」
そういうと、彼女は変えたい過去の話をしてくれた。
どうして、こんなことになってしまったのか。
なぜ、死にたくなったのか。
*
中学の頃から、忘れられない人がいた。誰に告白されてもその人のことが脳裏に浮かんで、忘れる為に付き合っても彼のことが忘れられなくって、不誠実な感じがして、どれも長く続かなかった。人づてに好みを聞いて、彼が家庭的な子が好みだって聞いたから、高校では調理部に入った。彼と同じ部だった友達から彼の話を聞くたびに胸が締め付けられて、思わせぶりな言伝を頼んだりした。休み時間のたびに、彼の席の近くで友達と話したりした。彼は別の友達と楽しそうに話してて、私のことどころか恋愛なんて興味ないのかもしれないって考えると、どうしていいのかわからなくなった。結局、連絡先も聞けないまま卒業してしまった。それから二年が経って、成人式。私は晴れ着で、スーツ姿の彼に話しかけることさえできなかった。
それからの人生は散々だった。無意味な残業、サービス残業同然の飲み会、上司のセクハラ。合コンに参加しても、どうしても彼のことで頭がいっぱいで、紹介してくれた人とも上手く行かなくて、お高く留まってるだなんていわれて、ロッカーの中身はしょっちゅう配置が換わっていて、鞄の中身はよくなくなった。たぶん、いじめられていたのだと思う。おかげで仕事も上手く行かなくなって、気が付いた。
仮に彼と再会したとして、今の不幸せな私が、彼と幸せになれるだろうか。
無理だ。自分さえも幸せにできない人間に、他人を幸せになんてできるものか。
そんなある日、彼の噂を聞いた。なんでも、地元で仕事をしているらしいということ。偶然にも、それは〈自殺屋〉の話を聞いた日のことだった。暇を見つけては町の中を散策して、彼の姿を探した。正直、期待なんかしていなかった。でも、もう私にはありもしない希望に縋る以外、生きていく自信を保つ術はなかった。きっと、彼を見つければ、私は躊躇いなく死んでしまえるだろう。そう思った。
ある日、彼を姿を見つけた。でも、すっかり生きる自信を無くしてしまっていた私は昔よりも話しかけることなんて出来なくなっていた。彼の名前を呼んで、手を振るだけで、身悶えた。
それから彼の行動パターンがわかるほど、彼を追うようになっていた。ストーキングだけが得意になって、それが生きる糧になって、彼の仕事が〈自殺屋〉じゃないかって疑いが確信に変わり始めた頃、私は――。
――あれだけたくさんの男の人に見られて、犯されて、もう彼に合わせる顔がない。そう思って、噂に従って電話した。
運命だと思った。
*
僕は、彼女を殺すことにした。
*
最も楽な死に方として、うちの会社ではクスリを勧めている。何も青酸カリを飲めってわけじゃない。その辺のドラッグストアで手に入る普通のクスリでだって、ヒトは十分に死ねる。
胃が拒否反応を起こしてしまわないようにあらかじめヨーグルトなどの消化にいい食べ物を入れて、アルコールで指定したクスリを致死量飲む。それだけだ。
デメリットは、失敗したときのリスクとして重篤な後遺症が出る可能性があることと、ある程度の金銭がかかること。それだけだ。
ただ、それだけのことで、簡単に人は死ぬ。
僕らも例に漏れず、それに従った。道中のコンビニでヨーグルトとゼリー、それと度数の高い酒を何種類か買い込んで、部屋に着くなり胃を満たし、一回戦。
遺書はいらない。身辺整理さえ必要ない。普通、死ぬときは突然で、事前の準備なんてしないものだ。死んだ後のことなんて、僕らには関係ない。
既に
夢にまで見た、夢でしかなかった彼女の声だった。
シャンプーや香水とは違う類の、妖しい香りがした。
肉と肉がぶつかり合い、水の弾ける音が響く。
舐める。咥える。飲む。挿入する。出す。
何処と何処が繋がっているのかさえ、わからない。
互いの唇を、獣が獲物を喰らうように貪り合っていたような気もするし、重なり合って密着していたような、持ち上げて上下に揺れる胸を弄んでいたような、汗ばんだ背中を見ながら前後していたような――。
確実なのは、合間合間に手のひら一杯のクスリとアルコールを摂取していたことくらいだろう。夢か現実か、疲労かクスリかさえ定かでなくなった頃、汗まみれの彼女が満足げに笑っていた。
「私、今なら死んでもいいわ」
「ああ、僕が君を、殺してあげよう」
彼女の依頼は、〈最愛の人と心中したい〉というものだった。
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