第126話 Ray of Light(17)

(1)

 

 竜の鱗一枚一枚から放射される炎の熱量、勢い。焼き滅ぼさんと燃え盛り、巻きついた身体で骨身を砕かんばかりにきつく締め上げているのに。黒く焼け焦げたイザークの膝は一向に崩れ落ちそうにない。

 化け物、と、背後で誰かが呟く。

 より強く炎を燃やせ、より強く締め上げろ、と。

 ぎりり、奥歯を噛みしめ強く念じれば、ごおぉぉぉ、と猛獣の咆哮さながらの音を発生させ、火力は更に増していく。炎の赤も深みを増していく。

 ちらちら、青白い炎が紅蓮の中にて朧に揺らぐ。

 深紅に混じる青はさりげなく肥大し、消滅させるべくアストリッドが再び念じ――、念じるよりも先に竜の全身が赤から青へ瞬時に変化、炎の竜は真っ二つにその身を無残にも引き裂かれた。


 ほとんど焼けて燃えカスと化した絨毯、炎と黒煙で変色した壁や天井に竜の肉片、炎の残滓が飛び火していく。

 天井全体から滝のような水流を発生させて素早く消火させる。

 防御結界内の四人は、結界が水を弾くので一切濡れることはなかったものの、諸に被ったアストリッドはびしょ濡れに。前髪からぽたぽた垂れる滴が目に入るのを手で払い除ける。濡れて張り付いてくる服の、冷たく湿った感触が不快で堪らない。



「なっ……」


 消火を優先させれば、どうしても隙が生じてしまうことは十二分に承知していたけれど。今し方眼前で起こった事象に絶句するより他がなかった。


「やはり、あ奴は化け物でしかない!!」


 エヴァの悲鳴に似た叫びはあながち間違いではない。

 動じることが少ないウォルフィやヘドウィグですら顔を引き攣らせ、ごくりと喉を鳴らす。


 天井から大量に流れる水の圧、勢いで炭化した身体が崩れてしまえば――、各々、ひそかに抱いていた期待が脆くも崩れ去る。


 炭化しきったイザークはぼろぼろと、確かにその形を跡形もなく失くしていた。しかし、剥がれ落ちていく黒い皮膚の下からは新たな、否、元の美青年がなに食わぬ顔で出現したのだ。

 イザーク以外の誰もが動きを止め、何もできずにいる状況は彼にとってはまたとない好機。

 ニヤニヤと嘲笑いながら、一同に向けて赤銅色のワンズを翳した時だった。


「アスちゃん、床に伏せるのよぉ!!」


 力強く野太い声が室内にこだまし、我に返る。声に従い、バッと床に伏せた半瞬後、バリバリバリ、轟音と共に稲妻が、焼け焦げて半壊した部屋の扉ごとイザークを吹き飛ばした。


 細く烟る黒煙、ぷすぷすと燻る残り火は掻き消され、破壊された扉の残骸が室内に飛散していく。

 飛び散った木片、粉塵は床に伏せるアストリッドの頭上に撒き散らされ、後ろの四人を守る結界にも降り注ぐ。

 結界に降り注いだものは弾かれる分、結果的にアストリッドが振りかぶることに。


「うぅ……、げほげほ!いたっ!うわ、目がぁ、目があぁぁぁ!!」

「んもう!アスちゃんてば、目にゴミが入ったくらいで大袈裟よぉー」


 目を両手で覆いながらごろんごろんのたうち回っていると、先程の声の主に叱り飛ばされた。結界の中では突如として現れたその人物に皆一様に驚いている。


「勢いでイザークを屋外まで吹っ飛ばしてやったからいいものを……、呑気に痛がっている場合じゃないでしょ!?」

「うぅ……、そ、そりゃ、そうですけどぉー!!痛いものは痛いんですってば!!」

「分かった分かった!分かったから!!とりあえず、さっさと起きなさぁい!!」


 ゴシゴシ目を擦りながら、むくり、起き上がると。

 約二mの高さからエメラルドの双眸が爛々と輝いていた。






(2)


「……っていうか、何で、ゾルタールへ帰還したマドンナ様が此処にいるんですか」

「あら、いやねぇ、アスちゃんたら。いちゃいけないのぉー??」

「ま、まさか、いちゃいけないわけ、ないじゃないですか!!」


 起き上がったものの、ずずいと詰め寄られ、思わず尻餅をついてしまう。

 床に尻をついたままで二、三歩ずりずりと引き下がるアストリッドに、やれやれとハイリガーは肩を竦めてみせる。ついでに一言詠唱し、濡れ鼠状態の身を瞬時に乾かしてやった。


「耳を澄ませてごらんなさいなぁ」

「耳ぃ??」

「そ。アスちゃんだけじゃなく、結界の中の四人……、あ、リーゼロッテちゃんは無理しなくていいわん、そこで大人しく寝てなさぁい」


 ハイリガーに促され、アストリッド、エヴァ、ヘドウィグ、ウォルフィはそれぞれ耳に手を宛がう――


「……ヤスミン??」

「さっすが、パパりんなだけに反応早いわねん」


 誰がパパりんだ、と言い返したいの堪え、流れてくる思念に思考を集中させるウォルフィを、床で胡坐を組んでちら、と振り返り、すぐにまたハイリガーに向き直る。

 口に出さずともアストリッドの言わんとすることを察し、「そ、ヤスミンの思念は中央の王都を越えてゾルタールまで流れてきたのよ」と答えた。


「あの子は、あの子なりのやり方で戦いに挑んでいるの。それに、敵はイザークだけじゃないわ。アスちゃんならよーく知ってるんじゃない??」


 ハイリガーはアストリッドの傍から離れ、防御結界を回りこんでその後ろの大窓――、先程イザーク諸共吹き飛ばしたため、大窓だったモノの傍へ足を進め、徐に上空を指差す。


「アスちゃんはともかく、エヴァかヘドウィグちゃんのどちらかは王都を守る防御結界の強化、結界外の幻獣討伐するべきなんじゃない??イザーク討伐ばかりにかまけて本来与えられた役割――、国防を疎かにしちゃいけないでしょお??」


 上空を見上げながら詠唱すれば、掌中から灰色がかった光が放出され、ファーデン水晶がふわふわと浮かび上がってきた。水晶内に走る一本筋の亀裂が徐々に青白く輝き、ピシッピシっとしなった音が鳴り始める。

 掌上に浮かぶファーデン水晶がカッと強く発光する。結界外の幻獣達、全てではないが――、水晶が発するものと同じ光、稲妻がその身に落とされ、次々と墜落していく。

 当のハイリガーは興味なさげに上空から階下、吹き飛ばされたイザークが落下した地点へと視線を下げていた。


「アスちゃん、ウォルくん。そろそろあいつが動き出すかもしれないわ。で、ヘドウィグちゃんとエヴァは……」

「まだ幻獣はうじゃうじゃ残っているのだろう??私が手伝ってやるよ!」

 エヴァは立ち上がると結界から抜け出し、ハイリガーの許へと歩み出て行く。

「あらーん、相変わらず威勢がいいわねぇー」

「で、私はここで貴様と共に防御結界強化と幻獣討伐すればいいのか」

「うーん、その前にさー、一旦ギュルトナー元帥の許へ一緒に来てよ。もしかしたら、他に別の命が下されるかもしれないしぃ??」

「ならば、さっさと行くぞ!」

「あぁん、もう!そんなに急かさないの!!」


 地味に応酬し合う二人をよそに、立ち上がったアストリッドはシュネーヴィトヘンに寄り添うウォルフィに近付いていく。

 衰弱してはいるものの、一命を取り止めたシュネーヴィトヘンを一瞥し、内心ホッと胸を撫で下ろす。


「ウォルフィ、自分はヘドウィグ様と共にイザークの許へ向かいますけど……、貴方はリーゼロッテさんの許に残って下さい」


 床に腰を下ろすウォルフィの唇が何か言おうとして、でも言葉にならず、開けては閉じを繰り返し、やがて、御意、と告げかけ――


「…………い、いって…………、いって……」

「リザ」

「リーゼロッテさん??」

「…………アスト、リッドさ、ま、と、い、いき、いき、なさ、い……よ……。わた、し、なら、へいき、だか、ら……!」

「ロッテ、身体に響くから喋るんじゃない」

「い、いきな、さい……、って……、い、いって、る……、でしょ……」


 血で染まった震える手を僅かに上げ、野良猫を追い払うかのように、シッ、シッ、と振っては、シュネーヴィトヘンはウォルフィに訴えかけた。

『自分に構わず、アストリッドと共にイザークを倒しに行け』と。

 だからと言って、ウォルフィもアストリッドもすぐには立ち上がることができずにいた。


「ウォルくんにアスちゃん、安心なさぁい。リーゼロッテちゃんならアタシとレオノーラに任せて頂戴な」

「…………」

「責任持って必ず守ってあげるわん。でなきゃ、ヤスミンに嫌われちゃうものぉー」

「…………」

「おい!貴様ら、グズグズしている場合か?!早く決めろ!!」

「……あぁん、エヴァはちょっと黙っててくんないかしら……」


 なかなか決心のつかない主従二人と口を挟んでくるエヴァに、少々(だいぶ)げんなりし出した矢先、そろそろと近づいてきた二人が揃って深々とハイリガーに頭を垂れる。

返事の代わりに、ハイリガ―が頷くと。二人の足元から凄まじい勢いで虹色の光が放出された。

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