第117話 Ray of Light(8)

(1)


『我々に隠し事はやめろ、真実を語れ』

『嘘つきアストリッド、嘘つきギュルトナー』

『半陰陽の魔女に騙されるな』

『暗黒の魔法使い絡みの一連の事件は半陰陽の魔女のせいではないのか??』

『半陰陽の魔女をリントヴルムから追放せよ!』


 プラカードを高く掲げ、デモ隊の人々は口々に叫び散らす。

 中には辺りかまわず投石する者、角材や鉄パイプを手に暴れる者すらいた。

 元帥府へ続く鉄橋の上では、デモ隊と彼らを鎮圧するべく配備された兵が入り乱れ、怒号と悲鳴があちこちで飛び交う。攻防は熾烈を極め、死者こそ出ていないが、デモ隊、軍双方合わせて重軽症者が多数出ている。


 虹色の光に包まれながら、争いの光景が眼前に迫りつつある。

 始めは薄いヴェールに覆われたような、ぼんやりと。虹色が消失していくのと引き替えに、次第にはっきりと。


 母マリアの首を抱えてゴードン達の前に飛び出した五十一年前を思い出す。

 これ程までに緊張と恐怖を覚えるのはあの時以来かもしれない。否、あの時は問答無用で撃たれる――、撃たれなかったとしても後に処刑されるものだと、死を覚悟、と言えば聞こえはいい。今思えば、ほとんど自棄と諦念で動いていたようなものだった。


 でも、今はあの時とは全然違う。

 今、自分には護りたいものがこの手の中に、溢れんばかりに、存在している。


 理解されなくてもいい。

 許されなくてもいい。


 ただ、護りたい気持ちだけは信じて欲しい。

 ただ、それだけだった。














 コツコツコツ、コツコツ――


 ブーツの靴底を踏み鳴らす音が長い廊下から絶えず響いてくる。

 消音効果が高い筈の絨毯の上ですら足音が響くのは歩調が速く荒いということ。

 音を立てる二人の人物――、アストリッドとフリーデリーケは、中庭から小会議室へ急ぐ最中だった。


 どんなに急いでいてもフリーデリーケのピンと伸びた背筋、姿勢は変わらない。

 対するアストリッドは、フリーデリーケの横顔をちらちらと窺っているため、やや足取りが遅れている。屈託のない彼女にしては非常に珍しい、怯えた視線にフリーデリーケは素知らぬ振り。

 今はそれどころではないという気持ちが半分。残りのもう半分は――


「あのぅ……」

「…………」

「ポテンテ少佐」

「…………」

「あのですね」

「私には関係ありませんから」

 鳶色の瞳が大きく揺らぎ、くしゃりと唇が歪む。

 迷子のように途方に暮れるアストリッドの方に見向きもせず、フリーデリーケははっきりと言い切る。

「イザークが貴女の実父だとしても、それが何だと言うのですか」

「え」


 思わず足をその場に止めてしまう。フリーデリーケも仕方なく止まり、アストリッドを振り返る。


「疑ったりしないんですか?!自分がアレをこの国に呼び寄せたとか……」

「疑って欲しいのですか」

「いえ、まさか」

「不毛な発言は控えていただけますか。緊急事態において時間の無駄です」


 冷たく言い放つとフリーデリーケはアストリッドに背を向け、再び颯爽と廊下を歩き出す。どんどん先を行く彼女の後を慌てて追いかける。

 背丈こそほぼ同じくらいなのに、フリーデリーケに比べて己は随分とちっぽけに感じた。


 だだ広い元帥府内の廊下を誰もが慌ただしく駆けていく。

 軍服を纏う者と擦れ違う度、様々な意味合いを含む視線が矢のように浴びせかけられる。

 堂々たる態度と言う盾を持ってして跳ね返していくが、本当のところはローブのフードをすっぽりと被りたいくらい、居たたまれなさを抱えていた。


「閣下!お待ちください!!」

「閣下!!」


 フリーデリーケの真っ直ぐな背中を追い、小会議室へ向かう途中の何度目かの角を曲がった時であった。複数の忙しない足音、悲壮さが入り混じった呼び声に、アストリッドだけでなくフリーデリーケの歩みもはたと止まる。

 程なくして、柳眉を逆立てたリヒャルトが速足でこちらへ向かってくるのを認めた。


「リヒャルト様、どうしてこんなところに??会議はどうされたのですか」

「ポテンテ少佐にアストリッド殿!丁度よいところに!!」

「ポテンテ少佐!すぐに小会議室へお戻りになられるよう、我らと共に閣下の説得を!」

「会議など必要なければ時間の無駄だ」


 場の空気が凍りつく程、冷え切ったリヒャルトの声と視線。

 実際、肩を掴まんばかりの勢いだった側近達は恐れをなし、身を一、二歩後ずらせた。


「まさかと思いますが……、閣下自らがデモ集団の面前へ赴くつむりなのですか」

「そのまさかだからこうして止め立てしているんだ!聞かずとも分かるだろう!愚問も大概にしろ!!」


 側近の中の誰かがフリーデリーケの沈着さを察しの悪さゆえと捉え、怒号を上げる。リヒャルトの副官とはいえ、他の側近達は皆フリーデリーケよりも階級が上、更に所詮は女という侮りも交えての威圧。

 フリーデリーケ当人は怒声など意に介さず、むしろなかったことのようにきれいに受け流している。彼女の注意の全てはリヒャルトに注がれていた。


「少佐。そこをどくんだ」

「承服致し兼ねます。私も上官方同様に反対します」

「命令だ、どきたまえ」

「いいえ、どきません」


 リヒャルトの眼前に立ち塞がり、行く手を阻む。


 真冬の凍てついた湖のような、底冷えしたアイスブルー。

 嵐の直前の海原のような、内に静かな激情を秘めた群青。


 互いに譲歩する気など微塵もないのが、ありありと感じ取れる。


「上官の命令に従えないと言うのか!」

 遂にリヒャルトの痺れを切らし、激高した。

 彼が部下に対し直情的な態度に出るなど滅多にない――、側近達は震え上がり、フリーデリーケの出方を、固唾を飲んで見守っている。

「お言葉ですが、例え罰に処されたとしてもその命令に従うことはできません!」


 フリーデリーケもまた、目尻を吊り上げて語調を荒げる。これより先は一歩も進ませまい、とばかりに、リヒャルトの腕を咄嗟に掴む。

 袖に寄った皺やリヒャルトが眉を顰めた様子から、かなりの力を込めているようだ。リヒャルトは空いている方の腕で彼女の腕を掴み、捻り上げようとする。


 けれど、結局、そうすることはなかった。


 パン、パン、パン!と、アストリッドが手を叩いたからだ。


「お二人共落ち着いてくださいよー、全くもう!」

 うんざりして頭を何度も振っては間に割り入り、さりげなく二人を引き離す。

「リヒャルト様。少佐や将軍方が仰る通り、ここは大人しくしてください。下手に出張って荒ぶる人々を煽る訳にはいかないですよねぇ??」

「しかし」

「リヒャルト様はこの国の王同然の身なんですよ??自ら危険に飛び込む真似は止めるべきです」

「アストリッド様」


 我儘な子供を諭すかのように、淡々とリヒャルトに語り掛ける。

 リヒャルトは何か言いたそうに、唇を開けかけては閉じて、を繰り返しながら、落ち着きを取り戻し始めていた。その証拠に表情に普段の穏やかさが戻りつつあり、いささかバツが悪そうにも見えた。


「元を正せば、自分の出生に問題がある訳ですから。自分自身でちゃんと説明するということで……」


 不可抗力ではあっても、自らに降りかかった火の粉は自分で払うべきだから。





 そして――、虹色の光は霧消し、アストリッドは鉄橋の上へと一人降り立った。









(2)


 ノックの音もなく扉が静かに開く。

 乳母車を押したヤスミン、ヤスミンに続いてルドルフが戻って来たのだ。


「おかえり、ヤスミン。無事に戻ってこれたのね」

「うん……」


 安堵で頬を緩めるシュネーヴィトヘンとは対照的にヤスミンは肩を落とし、明らかに元気を失くしていた。恐らくはアストリッドとイザークの話を耳にし、少なからず動揺しているのだろう。

 どう説明し、理解してもらうべきか。頭を悩ませるウォルフィの横では、カシミラを抱き上げたシュネーヴィトヘンがヤスミンと何か話している。ここは母親に任せるべきだろうか。

 そもそも緊急事態下にも関わらず、気にするべきことが違うだろうに――、などと、苦笑を漏らしかけそうになり、わざと唇を引き結んで堪える。


「失礼します!」

「今度は一体何が起きたんだ」


 もうちょっとやそっとのことでは驚く気にもなれない。

 言い換えれば、ちょっとやそっとのことならいちいち報告してくれなくてもいい。入室してきたのがエドガーだったので尚更その思いが強くなる。


「シュライバー元少尉。アストリッド殿が至急、小会議室に来るようにと、お呼びです。貴方がここから離れる間、俺がロッテ殿とヤスミンちゃん達の護衛を務めます」

「……了解」


 正直な話、いくら信に置けるエドガーであれど相手はあのイザークだ。不安は尽きることがない。しかし、アストリッドに呼び出されたとあれば行くしかない訳で。


「……パパ、行っちゃうの??」


 珍しくヤスミンが不安も露わに顔を歪めた。

 ウォルフィをこの場に引き止めるべく、コートの裾まで握り締めさえしてくる。

 こんな顔を見せられては一層離れがたくなってしまうではないか


「用が済み次第、すぐに戻る。気心の知れたゲッペルス少尉が護衛なら安心できるだろう??」

「…………」


 ヤスミンの顔色は一向に晴れる気配がない。何がそんなに不安だというのか。

 少しでも安心させるべくポンポンと頭を軽く撫でてやるが、やはりヤスミンの笑顔は戻らなかった。

 後ろ髪を引かれながらもウォルフィは仕方なく部屋を後にする。

 ウォルフィの広い背中が扉の向こうに消えると、ヤスミンはシュネーヴィトヘンの傍に駆け寄っていく。


「ヤスミン、一体どうしたのよ??」

 ウォルフィと同じく、娘の様子がおかしいことをシュネーヴィトヘンも気にしていた。ヤスミンは妹を抱く母に縋るようにして細腰に抱きついてくる。

「なんだよ、ヤスミンちゃん。今日はえらく甘えん坊だな」


 すっかり子供返りしたヤスミンをエドガーはいつもの調子で揶揄った。

 ヤスミンは、キッとエドガーをきつく睨み据える。


「お??怖い顔すんなよ」

「ねぇ、少尉。眼鏡がいつもと違うのは何でよ??」

「あ??」

「ヤスミン??」


 エドガーとシュネーヴィトヘンの訝し気な視線が同時にヤスミンに突き刺さった。


「少尉の眼鏡はね、伊達眼鏡なのよ。フリーデリーケさんの前の上官に、軍人の癖にへらへらと締まりのない顔だとか散々いびられて鬱陶しかったからだって。勿論、フリーデリーケさんはそんな事言わない人だけど、今更外すの面倒で何となく今でも職務中は眼鏡かけちゃうんだって。本当はね、視力はいいらしいのよ。なのに……、どうして度が入っていない筈のレンズ越しに顔の輪郭がへこんで見えるのよ??」


 ヤスミンの視線と声色は益々鋭さを増していく。

 特に、二つの青紫は銃を構えた時の父親と瓜二つと言っていい程に酷似していた。


 あの時――、アストリッド邸にヤスミン達を迎えに来たエドガーと元帥府へ向かう途中、面白可笑しく語られた、彼の眼鏡に関するエピソード。他にも、通常の眼鏡と伊達眼鏡の違いまで教えてくれたのだ。


 娘の言葉の意味に気付いたシュネーヴィトヘンの顔が青褪め、数歩後ずさった。

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