第91話 I Know(11)

(1)


「――×××・×××××、××・××××、ヤスミン・シュライバー、以上の三名が今期試験の合格者となります……、リヒャルト様??」


 執務机で魔女の国家試験合格者の報告を受けながら、リヒャルトは机上に両肘をつき、思案顔で指を組んでいた。難しい顔付きで心ここにあらずなリヒャルトを訝しみ、アストリッドは視線を報告書から眼前のリヒャルトへと移動させる。


「話ならちゃんと聞いている。近日中に、この三名を特殊魔法彫師インゲ殿の元へ案内するように」

「了解です」

「私からは以上だ。……まだ何か伝達が残っているのですか??」

「いえ、国家試験については何も」


 国家試験については、と含みを持たせるアストリッドに、リヒャルトの顔付きは更に難しいものへと変わっていく。姿勢を正し、あくまで口調は穏やかに、「では、一体……」と問いかけようとして思い至る。


「あぁ、ヤスミン殿も無事合格されたようで……。ただでさえ難関中難関の試験、心身共に不安定な状況下であったにも拘わらず、一度で合格するとは。さすがはシュライバー元少尉の息女というだけありますね」


 ヤスミンについて言及すれば、アストリッドの肩に力が入るのが見て取れた。彼女の話をしたい、しかし賞詞を求めている訳ではない、と言いたげに。

 重ねてリヒャルトが問い掛ける前にアストリッドが先に口を開いた。


「そのヤスミンさんですが、試験に合格したので東の国境守備役に任命するおつもりですか??」


 例の噂の真偽をアストリッドまで図り兼ねていたとは。

 イザークを誘き出す餌でしかなかったが、自らがあえて流しただけに罪悪感で胸の奥が疼く。


「まさか、ただの噂ですよ。確かに彼女も相当な魔力の持ち主です。しかし、まだ力を完全に使いこなせていないし、現段階ではフィッシャー少将率いる東方軍だけで充分守備は間に合っている」


 噂の内容を否定してもアストリッドの表情は晴れない。

 むしろ、沈鬱さが増したような気さえする。


「まだ他に何……」

「ロッテ様の極刑はどうしても免れられないのですか」


 リヒャルトの言葉に被せるように、アストリッドは口早に尋ねた。尋ねると言うより、問い詰めると言った方が近い。

 いつものへらへらした笑みは影もなく、今にも詰め寄りそうな切迫した様子に、リヒャルトの表情もまた厳然としたものに変わる。


「聴取やゲッペルス少尉からの報告内容から言って無理でしょうね」

「エヴァ様とヘドウィグ様と共に、あれの監視役として」

「彼女達と違い、ロッテ殿は魔力封じを使えません」

「でしたら、自分がロッテ様に教えますが」


 アストリッドが口にした信じ難い言葉に思わず拳を机に叩きつける。

 振動でカップがソーサーごとひっくり返り、机上に紅色の染みを形作っていく。


「魔力封じはマリアの魔法書に記載されている禁忌魔法ですよ?!禁忌魔法の教授は重罪だと貴女はご存知ですよね?!いえ、知っているどころではない!!貴女がそうするべきと、制定したのでしょう?!」

「…………」


 荒ぶる心中を落ち着かせようと、目を伏せて長く深いため息を吐き出す。

 温厚なリヒャルトを激怒させただけでなく、自ら制定した法を犯そうしていた。

 アストリッドもまた、己の失言、短慮に深く恥じ入った。

 気まずい沈黙が流れる中、先に冷静さを取り戻したのはリヒャルトの方だった。


「アストリッド様、往生際が悪いです。ロッテ殿から命乞いでもされたのですか??」

 無言で首を振るアストリッドに眉根を寄せかけたが、平静を保ちながら更に続ける。

「と、言う事は、彼女はとうに覚悟を決めている訳でしょう??貴女が彼女の救命を望むのは理解できますが、当人の強い決意に第三者が水を差すべきではないのでは」




『昨夜お伝えしたように、私は貴方を愛しています。だからこそ、庇護されるばかりではいけないのです。私は貴方に護られるのではなく、貴方をすぐ傍で支え、お護りしたい。ですから、記憶を取り戻すのは元より、一日でも早く貴方のお役に立てるよう、半陰陽の魔女様の下で魔法を学びたいのです』




 何故、今朝方言われたフリーデリーケの言葉を思い出すのか。

 シュネーヴィトヘンとフリーデリーケでは、置かれている状況は全く違うというのに。


(あぁ、そうか……)


 置かれている状況は全く違うけれど。

 どちらも決して揺らぐことのない確固たる決意を胸に秘めているからだ。




「リヒャルト様??あの、無礼極まる発言の数々、大変申し訳ありませんでした」

「……いえ、理解して頂けたのでしたら……」


 突然、神妙に黙り込んだリヒャルトを、アストリッドは恐る恐る見返した。先程の彼女よりもずっと消沈している。その理由が自らの失言の他にもあるのか。

 そう言えば、執務室に入室した時点でリヒャルトの顔色は冴えていなかった。


「……もしかして、少佐の件で何か……」


 アストリッドの問いに、リヒャルトは目線を使って隠し部屋を差し示す。

 あぁ、と事情を察したアストリッドは、黙って隠し部屋の扉前に移動した。









(2)



 ――それから十数時間後――




 蒸し暑さを軽減させるため、開けた窓から生温い風と月光の薄明かりが差し込む。風は古びたカーテンを揺らし、月灯りは板張りの床や壁を照らし出す。

 元々は白だったが薄灰色に変色した壁一面、幼い子供達が描いた絵が飾られている。絵というには拙い――、けれど、その一枚一枚を、エヴァは子供用の背の低い長机に腰掛けながらじっくりと眺めていた。


「北の魔女殿、異常はありませんでした」


 背後から扉が開く音と共に、エヴァの痩せた背中に向けて野太い声が届く。


「了解。貴様はもう交代の時間だろう??下がっていい。」

「はっ!」


 エヴァは振り返ることなく返事をし、男に下がるよう命じたが、すぐに「あぁ、ちょっと待て!」と呼び止め、振り返る。声の感じから予想していたのとは違い、男は随分と若かった。


「はっ、何でしょうか??」

「今の私は国境守備の任には就いていない、ただの罪人だ。北の魔女と呼ぶのは止めろ!」


 男の目に、顔に、困惑の色が宿る。

 それをどこか愉快そうに眺め、エヴァはくつくつと笑った。


「エヴァと呼んでくれればいい」

「はっ……」

「分かったならさっさと行け!」


 返事も待たずにエヴァは再び男に背を向ける。

 男は戸惑ったまま退室し、夜闇に包まれた廊下に足音が響いてきた。


「……で、貴様らは部屋に入るのか入らないのか??はっきりしろ!」

「お前さんが壁に飾られた絵を眺めるのに夢中だったからね。邪魔しちゃ悪いと思ってな」

「別に夢中になっていた訳じゃない!退屈を紛らわせていただけだ!!」

「まぁ、そう怒るな」


 再び振り返ったエヴァは、開きっ放しの扉の影に立つヘドウィグに向かって叫んだ。ヘドウィグはやれやれと肩を竦めて室内に足を踏み入れた。その後にアストリッドが続く。

 あれから――、面会室でのリヒャルトとのを、エヴァは最終的に応じた。リヒャルトもまたエヴァの出した条件を飲み、ヘドウィグも一時保釈させた上で。


「半陰陽の魔女よ、貴様の甘さがもたらした責任を私と放浪の魔女とで尻拭いを手伝ってやってるんだ。我々だけじゃない、ギュルトナーもだ」

「はい、エヴァ様のお言葉はご尤もです」


 はん、と、見下したように鼻で笑うエヴァに、アストリッドは反論の余地もなく苦笑を浮かべるより他がない。相変わらずなエヴァの態度にヘドウィグは呆れ返っている。


「しかし、地中深く埋めた筈の黒水晶モリオンの気が、僅かにとはいえ地上まで漏れ出でてくるとは……、あの男の生命力はやはり尋常でない……、異常でしかないな」

「現時点では魔力封じの結界は破られていません。しかし、お二人の監視の元、お二人と自分で魔力封じを毎日、いえ、毎時間事に仕掛け、結界の力を強化させなければ」

「いっそのこと黒水晶を掘り起こし、粉砕してやればいいんじゃないのか?!」

「掘り起こした際に、奴が復活しないとは言えないだろう??」


 事の発端は、イザークが襲撃した児童養護施設の人々を仮設施設へ移送する際――、移送の手伝いに来ていたアストリッドが、イザークを封じ込めた地中より邪悪な気を僅かに感じ取ったのだ。

 そこでリヒャルトに相談の結果、魔力封じが使えるエヴァとヘドウィグを一時保釈させることが決定となった。エヴァだけでなくヘドウィグも当初は渋りに渋っていたが、「これもまた贖罪の一つの形」と、どうにか納得してくれたのだった。


「今夜は自分もお二人と一緒に一晩監視役を務めますし、明日からは重点的にこちらでの役目を果たせそうです」

「と言う事は……」

「やっと東の女狐の聴取が終わり、明日からまた憲兵司令部に勾留された後、裁判に掛けられるんだろう」

「はい」


 どうせ極刑に決まっている、とエヴァは嘲笑い、ヘドウィグは湧き上がる感情に耐えるべく俯いて唇を噛む。

 アストリッドの脳裏にはこの施設へ出かける直前に見た光景――、一つのベッドにシュネーヴィトヘンとウォルフィ、ヤスミンが並んで眠る姿が、鮮明に蘇った。

 途端に、心臓を握りつぶされるような痛みを感じ、胸を抑え込み苦しげに呻いた。


 








(3)




 ――翌朝――








 手錠を掛けられ、黒いローブを目深に被ったシュネーヴィトヘンを、憲兵達が連行していく。

 もの言いたげなウォルフィと、大粒の涙をぼろぼろ零して見送るヤスミンの視線を一身に浴びながら、シュネーヴィトヘンは軍用車に乗り込むまで、否、乗り込んでからも彼らを一度も振り返らなかった。


 振り返らなくとも、自分への二人の想いは痛い程知っている。

 ここで振り返れば、罪の意識は想いに飲まれてしまう。


 目深に被ったフードの中で、両隣に座る憲兵達に気付かれないよう、少しだけ、ほんの少しだけ――、泣いた。


 









 そして、裁判で、東の魔女ロッテ、またはシュネーヴィトヘンこと、リーゼロッテ・ハイネの罪状は極刑――、火炙りによる公開処刑が正式に可決された。

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