第58話 Every Single Night(17)

(1)


「流石はギュルトナー元帥の忠実なる愛犬。鼻がよく利きますねぇ」


 イザークの挑発にイーディケは反応を全く示すことなく、頭に被るフードの奥から深海に似た青の双眸で冷たく見据えていた。だが、それも数瞬のみ。

 すぐに手にしていたダガーだけでなく、腰や脚に取り付けたホルスターから新たなダガーを抜き取り、二人に投げつけていく。けれど、ダガーは二人に掠り傷一つ負わすことなく、避けられてばかり、かと思いきや。

 ダガーは周囲の樹に突き刺さることなく、くるっと向きを反転させ再び二人に向かっていく。それすらも二人はいとも簡単に、さらりと避けることができた――、が。


 ダガーは二人の周囲を丸く、円を描くように地面へと突き刺さっていく。

 一本だけ残されたダガーの柄を両手に固く握り込み、イーディケは口早に詠唱する。

 イザークとシュネーヴィトヘンの足元から、もくもくと赤黒い靄が発生。靄で視界が封じられている間に、二人は真四角の頑強な鉄格子の檻の中に閉じ込められていた。

 鉄格子全体に高圧電流が流れ、二人は檻の中心で背中を合わせる形で身動きが取れずにいる。イーディケがリヒャルトの元に二人を転移させるため、新たに詠唱し始めた矢先。

 靄の中に立つイザークの手に、いつの間にか赤銅色した指揮棒型のワンズが手に握られていた。


 ワンズの存在に気付いたイーディケが攻撃魔法を仕掛けるより先に、イザークから発動させた紅蓮の炎が彼女の身に襲いかかる。防御魔法を発動するよりも、イーディケが火だるまになる方が早かった。

 咄嗟にローブを素早く脱ぎ捨てたため、火だるまになったのはほんの一瞬で済んだものの、全身に纏わりつく炎を消し止めている間にイザークはシュネーヴィトヘンとロミーを伴い、一瞬で転移してしまっていた。


 黒く焼け焦げた樹々の中、自らの身体にも焦げ臭い臭気を染み付かせながら。

 ビリビリと電流が流れる音だけを虚しく響かせ、もぬけの殻となった檻を呆然と。それでいて心底口惜し気に奥歯を噛みしめながら、イーディケはきつく、きつく睨みつけていた。







(2)


 葬儀を終えて間もなく邸宅へ戻ったリヒャルトは取り急ぎ元帥府に向かうため、自室で喪服から軍服へと着替えていた。

 すでにズボンとブーツは履き終えており、上衣の中に着るシャツは喪服の中に着ていたもののまま、ネクタイだけを取り換える。壁際に掛けられたハンガーから開襟の上衣を着ようとした時、背後の床から天井に掛けて強く発光し出した。光に吸い寄せられるように振り返る。

 発光の威力が増していく中、虹色の光の中からイーディケがゆっくりと姿を現した。


 光が徐々に薄れていくにつれ、リヒャルトはイーディケの異変を感じ取る。

 毅然とした立ち姿はいつも通り変わらないものの、どこか我が身を庇っている様な。はっきりと表情が見える程に光が消失した時には、ローブを着ておらず、彼女にしては珍しく悄然としていることに気付いた。

 虹色の光が完全に消失すると、リヒャルトはまだ身体のあちこちに虹色の残光を纏わりつかせて膝をつき、頭を垂れるイーディケの傍へと歩み寄る。彼女の傍に近付くと、衣服や鬘が焼け焦げた臭いが鼻をついてきた。

 イーディケは頭を深く垂れたまま、淡々と、けれど、言葉の端々に悔しさを滲ませながら、イザーク達の件を包み隠さず、全てリヒャルトに報告した。


「ギュルトナー元帥閣下。暗黒の魔法使いとロッテ殿に接触しておきながら、捕縛に失敗した私めに、どうか、どうか処分の沙汰を……」


 更に頭を深く垂れ、声を震わせてイーディケは処分を申し出た。

 気丈な彼女が声のみならず、身体も震わせリヒャルトの判断を待つ姿を、リヒャルトは静かに見下ろしていた、が。


「……イザークとロッテ殿のみならず、ナスターシャ殿とも手を組んでいたこと、奴の目的の一端が確認できたこと。有益な情報を幾つか知れただけでも、充分だ。それに、私は彼らの捕縛までは君に命令してない」

「しかしながら……」

「今、君を処分したところで何になる。やっと彼らの情報が掴めたというのに、信に置ける有力な駒を減らすなど愚の骨頂」

「…………」

「よって、君への処分の沙汰はなし、だ」

「……御意……」

「それよりも……」


 まだ、立ち上がるどころか顔を伏せたままのイーディケに合わせるように、リヒャルトは床に片膝をつく。頬に片手を添えてやや強引に上向かせると、もう一方の手で黒髪の鬘を取り外した。

 煤で汚れた顔、ダークブロンドの短髪は毛先が焼け焦げ、ところどころ縮れている。顎下まで引き下げたストールも黒革のボディスーツも、あちこちが毛羽立ち、破れたり、熱によって穴が空いている。

 顔を上向かせた際、微かに眉を顰めたのでどこかに火傷を負っているに違いない。


「おそらく、怪我や火傷を負っているのだろう。治癒回復を……」

「元帥のお手を煩わせる訳にはいきません。自分でやります」

 案の定、イーディケはリヒャルトの申し出を固辞する。

「そんな疲弊しきった状態では完全に回復できはしない」

「しかし……」

「まだ君には、引き続きやってもらいたいことがあるから、私は言っているだけだ」

「…………」

「本日中にもう一度ゾルタールに出向、今度はポテンテ少佐としてハイリガー殿の居城へと向かって欲しい。だから、私に君への治癒回復魔法を掛けさせてくれ。これは命令だ」

 命令と言われてしまえば副官としても従僕としても、イーディケはリヒャルトに従わざるを得ない。

「……了解、致しました……」


 渋々、といった体で、イーディケはリヒャルトからの治癒回復魔法を受けることに、ようやく首を縦に振った。リヒャルトはイーディケの両肩にそっと手を置き、詠唱する。

 イーディケの全身が濃黄色に光り輝き始めると、彼女の唇に自身の唇を重ね合わせた。治癒回復を行いながら魔力注入することで、回復力が更に高まるからだ。

 数十秒後、光が消失すると共に唇を離す。煤で汚れていたイーディケの顔も焼け焦げた毛先も元に戻っていた。

 回復したイーディケの姿を確認すると、リヒャルトは立ち上がり、軍服の上衣に袖を通し始めた。


「君の軍服は、この部屋のクローゼットにすでに用意してある」


 それだけ言い残し、リヒャルトはイーディケを振り返ることなく扉まで進み、自室を立ち去っていった。




 扉が閉まるのを見計らい、イーディケ、もとい、フリーデリーケは「本当に……、狡いのだから……」と、小さく呟いてみせた。

 フリーデリーケの呟きが聞こえてないにも拘わらず、扉の向こう側では、「……ああでも言わなければ、君は私に従ってくれないじゃないか……」と、まるで彼女の言葉に反論するように、リヒャルトも呟いていたのだった。






(3)



 ケルベロスのいる方向とは反対側の窓から顔を覗かせ、上空を覆い尽くす超巨大水竜の影を、アストリッドは目で追いかけていた。ハイリガーとウォルフィは新たに発生した異常事態に、迷うようにして一旦動きを止める。


「二人共、籠の中のシュトーレンが全部なくなるまで続けて下さい」

「でも……」

「続けて下さい。鱗の色から判断するにあれは水竜ですから、恐らく敵ではありません」

「水竜、ということは……」


 アストリッドと同じ考えに至ったのか、ウォルフィがアストリッドに視線を送る。アストリッドも黙って首肯する。

 あれだけの大きさの幻想生物を召喚でき、また、ゾルタールに水竜を召喚させるだけの理由を持つ者と言えば、この場にいるアストリッド達を除けば――、彼女の他に誰がいるだろうか。


 引き続き、シュトーレンをケルベロスに投げ与えるウォルフィとハイリガーを尻目に、超巨大水竜の動きを目で追い続ける。予想通り、水竜は赤く燃え盛る黒い森へ向けて集中豪雨を浴びせるように、口から大量の水を放出させていた。

 やはり、あの水竜は――、と確信したところで、「シュトーレンを全部ケルベロスに食べさせたわよぉ」と、ハイリガーから呼び掛けられる。

 声につられて二人を振り返ると、ケルベロスが巨体を縦横左右にぐらぐらと揺らしているのが視界の端に映り込む。

 各頭部の赤い眸は、瞼がとろんと下がっている。巨躯を支える極太の四本脚は動かそうとする度にふらつき、まるで酔っ払いの千鳥足のようだ。


「あんた、あのシュトーレンに何を仕込んだんだ」

「あぁ、表面の粉砂糖の中に粉状の睡眠薬をたっぷり混ぜておいたんですよ」


 全く悪びれることなく、しれっと答える間にもケルベロスの身体の揺れが段々大きくなっていく。


「マドンナ様。おねむでフラフラしてるケルベロスがこちらへ突っ込んでこないよう、防御結界張るのを手伝ってください!!」

「分かったわ!」


 ハイリガーは言われるがまま、掌上にファーデン水晶を浮遊させて詠唱する。城門の周囲は瞬く間に薄緑色に輝く防御結界に囲まれていく。

 程なくして、ケルベロスの全ての頭部に睡眠薬が回り。ほとんど倒れ込む形で地に蹲っては、五十の頭部を二本の太い前足に乗せ(大部分ははみ出してしまっているが)、身体を大きく丸めて順に目を閉じていく。

 全ての頭部が目を閉じ、眠りの世界に誘われていくのを見計らうと。

 アストリッドは鼾さえ搔き始めたケルベロスを窓から見下ろし、両掌を真っ直ぐに伸ばした。


 アストリッドの両掌が虹色に光り輝き始める。

 どんどん大きく成長していく光を階下へ投げ落とす。光は眠るケルベロスの巨躯を全て包み込み、一層強い輝きを放った。

 余りの眩さに目を覚ましたりしないか、と、光の余波に目を細めながらウォルフィは不安に駆られたが、彼の不安は全くの杞憂であった。

 光の威力が弱まると共にケルベロスの身体が少しずつ薄れていき――、そのうちに跡形もなく姿を消し去っていた。


「ケルベロスは地獄へと送り返しました。彼らも元いた場所に帰れて安心するでしょう」


 アストリッドが満足げに笑う、ケルベロスが地獄へ転移される一部始終を見ていた、下の階の兵士達がわっと大きな歓声を次々と挙げる。

 異形の魔物の恐怖に耐え、街を護り抜けた安心感や脱力感もあってだろう。だが、彼らとは対照的にアストリッド達三人は、階下から響く、喜びに満ち溢れた歓声を虚しい気分で受け止めていた。


「……とりあえず、ベックマン中将に報告しなきゃいけないし、避難勧告も解除して住民達を安心させてあげなきゃねぇ……」


 疲れが多分に滲んでいるものの、ハイリガーの冷静な言葉のお蔭でアストリッドとウォルフィもふっと我に返る。その際、ウォルフィは視線をさりげなく黒い森の方向へと注視させる。

 遠目ではあるものの鎮火が確認でき、二人に気づかれないようにそっと、けれど、大きく胸を撫で下ろしていた。

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