第43話 Every Single Night(2)
(1)
執務室の扉が開き、二人の憲兵に連行されたディートリッヒが入室してくる。
扉から見て正面奥の執務机に座るリヒャルト、その背後にはフリーデリーケが控えていた。
「貴方達は下がって構わないわ」
フリーデリーケが事務的な口調で告げると、憲兵達は敬礼をした後すぐに退室し、扉の外で待機する。
「謹慎処分を下したかと思えば……、急に呼び出すとは。エヴァの死体をようやく発見したのですか」
「まだ捜索中だよ」
「では、一体何用でしょうか」
「貴方に是非とも見せたいものがあってね」
「ほう、それはまた……。ご多忙極まる中、わざわざ時間を割かれるだけの価値があってのことだと思いますので、早速拝見させて頂きましょうか」
アイスブルーの瞳と薄青の瞳。
同じ青でも微妙に色味の異なる瞳が、それぞれ牽制を込めて無言で睨み合う。
「……だそうですよ。ヘドウィグ殿」
リヒャルトの隣の空間が虹色に光り輝き――、大きな球体型の水晶を抱えたヘドウィグが姿を現した。突然のヘドウィグの登場にディートリッヒも動揺を隠せない。そんな彼をヘドウィグは鼻を鳴らして嘲笑う。
それが合図だったかのように水晶が強く輝き、ある映像を映し出す。
北方軍を従え、半ば強制的にヘドウィグを氷の宮殿へ連行し、地下牢へ投獄。
長時間に渡り鎖で両腕を拘束し、何枚もの氷板を膝に乗せて床に座らせる拷問。
拷問と並行しながら、エヴァと共に夜通し続けた数々の尋問。
「ふむ、これはどう見繕ったとしても、貴方は進んでエヴァ殿の計画に加担していたとしか見えないのだがね」
ヘドウィグの思念を元に具現化した映像が水晶から流れてくるのを、冷ややかに見つめるディートリッヒにリヒャルトは問いかける。映像は更に進み、今度は床に横たわるアストリッドをファルシオンで甚振る様まで流れていく。
「ヘドウィグ殿とアストリッド様は軍にとって、否、国にとって重要な存在だ。正当な理由もなくこの二人を害することは反逆罪に値する」
「…………」
自ら犯した悪辣な所業の数々を見せつけられても、悪びれることなくディートリッヒは薄っすらと冷笑を浮かべるのみ。開き直りきった不遜な態度は、この場を切り抜けられる自信があるのか、はたまた――
見たところファルシオンは帯剣していないが、彼が魔法でいつ攻撃に転じてくるか、ヘドウィグとフリーデリーケの間で緊張が走る。
「ふ……、ふふふふふ……」
「何が可笑しい」
「いえ……、これは大変失礼致しました……。ふふふ……」
非礼を詫びながらも、ディートリッヒは込み上げてくる笑いを堪え切れていない。
「確かに、放浪の魔女が具現化した映像は事実かもしれませんが……、私が犯した罪の確実な証拠とするにはいささか弱いのではないでしょうか??」
「だが貴方を拘束し、憲兵司令部で尋問に掛けるのは可能だ」
「その必要はありません」
ディートリッヒの顔から冷笑が消え失せると、彼の足元から赤黒い靄が発生。リヒャルトは椅子を後ろに引き倒し、即座に立ち上がる。
ブロードソードに手をかけ、鞘から引き抜きかけたところでファルシオン型の魔法剣を掲げたディートリッヒが飛び掛かってきた。
(やはり魔法を使って剣を隠し持っていたか)
「少佐!ヘドウィグ殿!君達は手を出すんじゃないぞ!!」
ダガーを構えたフリーデリーケと詠唱しようとするヘドウィグを制止。振りかざされたディートリッヒの剣とリヒャルトの剣がぶつかり合う。
執務机を間に挟む形で、互角の力で押し合う二人。僅差の力でリヒャルトが剣を弾き返すと、態勢を立て直すためにディートリッヒは後方へと引き下がる。
「元帥!この物音は一体!!」
扉の前で待機していた憲兵達が、二人が争う音を聞きつけて執務室に飛び込んでくる。けれど、状況を正確に把握するよりも先に、素早く振り返ったディートリッヒに斬り捨てられてしまう。
「貴方の狙いは私だけの筈だろう?!」
リヒャルトは剣を手にしたまま天板にもう片方の手をついて執務机を飛び越す。
机上に置かれた書類が宙を舞い、筆記に必要な諸道具、茶器等が床へと転がり落ちていく。気に留めることなく床に着地したリヒャルトはディートリッヒ目掛けて突きを繰り出した。
詠唱する隙すら与えない、リヒャルトの敏捷な剣撃を紙一重で躱し、彼の腕を斬り落とすべくディートリッヒは自らの剣を振り下ろす。しかし、剣先が当たるか当たらないかの瀬戸際で腕を引かれてしまったため、ディートリッヒの刃は空を虚しく斬りつけたのみ。その、一瞬の遅れをリヒャルトは見逃さなかった。
つい先程、ディートリッヒが彼にしたように、今度はリヒャルトが剣を斜めに振り下ろしてきたのだ。
ディートリッヒの剣を持つ右腕――、肘から先が剣ごと、ごとりと床に転がり落ちた。斬られた箇所から大量の鮮血が迸る。薄氷を思わせる薄青の瞳が珍しく焦燥の感情で揺らめいた直後。
「ぐっ……!」
ディートリッヒの心臓を抉り取るように、リヒャルトの剣が左胸に深く突き刺さった。
がはっ、と吐血するディートリッヒから剣を抜くこともせず、リヒャルトは更に内側へ、より奥深くまで剣の先を進めていく。貫いた心臓ごと背中まで突き破ろうとするかのように。言葉にならない低い呻き声を発しながら、ディートリッヒは仰向けの姿勢で倒れ伏した。
リヒャルトは柄から一旦手を離す――が、すぐに倒れたディートリッヒに近付くと再び柄を握り、最後の止めに力の剣を限りに突き立てた。
「ヘドウィグ殿。もう手遅れかもしれないが……、そこの憲兵達に治癒回復魔法を掛けてください。少佐、至急憲兵司令部へ連絡を」
命令通り、ヘドウィグは床に転がる憲兵達の元に近付き、生死の有無を確認し始める。フリーデリーケも命令に従う――、かと見せ掛け、絶命したディートリッヒを見下ろし、引き抜いた剣を振って血糊を落とすリヒャルトの傍に歩み寄る。フリーデリーケの気配に気付いたリヒャルトが顔を上げ、振り返る。
「元帥。無礼は重々承知の上、失礼致します」
ぱちーん!!と、執務室に小気味良い音が鳴り響く。
「無茶な行動は絶対しない、と、あれ程仰ってましたよね??何の為に、私とヘドウィグ殿が控えていたと思っているのですか??何度、ご自身の立場を弁えて下さいと申し上げれば理解して頂けるのですか??実は馬鹿なのですか??」
「……ば、馬鹿だと?!」
平手打ちも含め、副官にあるまじきフリーデリーケの暴挙の数々。リヒャルトは呆気に取られるばかり正しくは、これ以上ない正論と、通常より目尻が数ミリ跳ね上がった群青の瞳を前に、反論の余地が見つからないでいる。
「元帥への不敬行為、及び暴力行為、誠に申し訳ありませんでした。ひとまずはご命令通り憲兵司令部へ連絡を入れますゆえ、その後で如何様にもご処分下さいませ」
まだ上手く言葉を返せないリヒャルトに敬礼すると、フリーデリーケは足早に退室していく。
「ふっ……」
辛うじて一命を取り止めていた憲兵達への治癒回復を行いつつ、一部始終を見ていたヘドウィグは思わず噴き出し、忍び笑いを漏らした。
「副官というよりも、むしろ女房役だねぇ。いっそのこと、本当の女房にでもしちまえばいいんじゃないかい」
「ヘドウィグ殿」
気まずさを払拭するように、リヒャルトは軽く咳払いをしてみせる。
「私と彼女は同志みたいなものであって、それ以上でもそれ以下でもありません」
「どうだかねぇ」
まだくつくつと笑い続けるヘドウィグを尻目に、リヒャルトはディートリッヒの躯に傍に膝をついた。
軍服に血糊が付かないよう注意しながら、見開いたままの、精巧な硝子玉を思わせる瞳をそっと閉じてやる。
その際、以前負った右手首の傷口が開き、袖が自らの血で赤く染まっていることに、リヒャルトは初めて気がついたのだった。
(2)
程なくして駆け付けた憲兵達から事情聴取を受けた後、ヘドウィグが自宅に戻ったのは日付が変わった深夜だった。
玄関の錆びついたドアノブに手を掛け、中に入るなり、寝室へ真っ直ぐに向かう。扉の前に立ち、コンコンコンと叩く。返事はなかったけれど、構わずヘドウィグは室内へと足を踏み入れる。
左奥のベッドには、力無く横たわるエヴァと、本来の銀狐の姿で床に寝そべるズィルバーンの姿があった。
あの日――、氷の宮殿からアストリッド達への救援をハイリガーに送っていたところ、別の場所から救援を呼ぶ思念を感じ取った。
最初は無視を決め込んでいたヘドウィグだったが、その救援が余りに煩く、こちらからハイリガーに送る救援を阻害する勢いだったため、次第に気になり始めてしまった。丁度折り良く、ハイリガー側から救援に応える思念が送られてきたのを機に、今度は元を探るべく移動した。もしもエヴァ達による妨害だとすれば、即座に潰さなければ、と。
ところが、覚悟を決めて思念の元に移動してみれば。
路地裏の片隅にて、突然姿を現したヘドウィグに警戒心を剥き出しにさせ、瀕死状態のエヴァを肩に担ぐ銀狐の従僕が佇んでいたのだ。
『やれやれ……、アストリッド達とは別に、他の場所で救援の思念が流れてきたから何事かと駆け付けてみれば……。大方、あの冷たい目をした従僕にでもしてやられたんだろ??』
虹色の残光を身体に纏わりつかせ、銀色の長い髪を風に靡かせながらヘドウィグが一歩詰め寄ると、ズィルバーンは一歩後ずさる。
『こっ、こっち来んな!!』
『何言ってんだい。散々、助けてくれ、助けてくれ、と思念で喚き散らしていた癖に』
『だ、誰が……!』
『お前さんしかいないじゃないか。気を失っているお前さんの主にそんな元気はなさそうだし』
『お、俺は何もしてねぇよ!!』
『ひょっとしたら、無意識に思念を操る力を引き出しちまったかもしれないねぇ』
予想外の事態にヘドウィグはどうしたものかと思案を巡らせる。
エヴァにとって、自分はかつての仲間を奪った憎んでも憎み切れない仇。
その仇に助けられたとあらば、彼女の性格上大きな屈辱に苛まれるだろう。
それに、一命を取り止め体力を回復させれば、真っ先にヘドウィグやアストリッド達の命を狙いにかかるかもしれない。
敵に情けを掛けたところで、恩を仇で返されるのは目に見えている。
だが一方で、エヴァが大罪人の凶悪な魔女と化した一因は、間違いなく自分にも責任がある。自己欺瞞かもしれないが、せめてもの罪滅ぼしで彼女を助けてやりたい、とも思うのだ。
『まぁ、何でもいいからお前さんの主を助けたければ、私についてくるがいい』
気付くと、自然とこんな言葉をズィルバーンに投げかけていた。
ズィルバーンは不信も露わに、誰がお前なんか!と叫ぼうとして、はたと気付く。
『あのさぁ……、これってもしかして……。ディートリッヒとかにも気付かれ……』
『……てるだろうねぇ。だから、ついてくるならついてくるでさっさと決めておくれ』
『うわぁぁぁ!!あいつなんかにぜってーヤラレて堪るかよ!!連れていって下さい、お願いしますです!!』
やけくそで叫ぶズィルバーンに、ヘドウィグは「静かにしないかい。煩いねぇ」と呆れつつ、彼の手を取ると瞬間移動の詠唱を始めた。
エヴァは一命を取り止め意識を取り戻したものの、生きる気力を失い、未だ起き上がることができずにいる。
生気のない虚ろな目で「なぜ私を助けた。なぜ私を生かし続けている。なぜ私が生きているとギュルトナーに報告しない」と問うエヴァに、「せめてもの罪滅ぼしさ」と答えるやり取りは、二人の間でもう何度も交わされている。
「恩着せがましい」とエヴァが詰れば、「そう思うならば、さっさと立ち直って私を殺すなり何なりすればいい」と答えるヘドウィグ。
「私はもう生きる目的などとうに失っているし、いつ死んでも構わない身だから」
だからヘドウィグは、魔力封じの結界を解除できるにも関わらず、氷の地下牢で反撃することなく大人しく拷問を受けていたのだ。
アストリッドへの偏愛によって狂っていったマリアの暴走を止める為、軍の魔女狩りに加担。結果的に多くの悲劇をもたらしてしまったことが、ヘドウィグにいつまでも暗い影を落とし続けている。マリアの死後、危険な諜報活動を行っていたのは国のためではない、自らの死を求めてのこと。
シュネーヴィトヘンを弟子に迎えた時だけは生への希望を持てたけれど、彼女が大罪を犯したことで一段と死への憧憬が膨れ上がっていった。
場所は違えど、自分と同じく軍の旧研究所にて魔女達の捕縛や拷問に協力していたナスターシャの強かさがあれば、もう少し楽に生きられるのかもしれないが。
起きているのか寝ているのかすら定かでない、抜け殻のようなエヴァの姿を眺めながら、ヘドウィグは心中で自嘲の言葉を吐き捨てた。
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